ミノルタ SR505
「日本カメラ」や「アサヒカメラ」といった伝統的なカメラ雑誌が無くなって久しい。今でもカメラ雑誌というのは存在するようだが、ずっとカジュアルで軽快なもののようだ。拙僧個人も、伝統的なカメラ雑誌のカビ臭くてxx先生をあがめるような記事というのは閉口していたから、時代のムーブメントがそういう風に移行するのは良いことなのだろう。しかし、そういう雑誌は写真を撮るという楽しみは同じようで、今更フィルムカメラを大事に使うようなオールドタイマーとは別のベクトルで進んでいるようだ。それはそれで健全だろうが、いまだにモノクロネガで自家現像をし、フィルムカメラの歴史などを語ろうというような拙僧には寂しいものだ。フィルムカメラを取り上げた雑誌やムックはあるが、どうも「ロモグラフィー」的なムーブメントがあって、その気にならない。写真が変に写っていたり、撮れていなかったら普通に不愉快だからな。「撮れているかわからないのが楽しい」というカルチャーには、どうも迎合できない。
要するに、拙僧は既にかつて忌み嫌っていたオールドタイマーのクラシックカメラ爺なのであろう。悲しいよ。
それはそれで仕方がないことだ。歳をとらない人間なんていないからな。2003年ごろに、手のひらを返したように「全てのフィルムカメラは数年で使い物にならなくなる」という連中というのは、当時、まだまだ高価だった一眼レフデジカメを買う方便だったのかもしれない。そういう意味では、当時悲観されていたよりもフィルム事情は楽観的である。カラーポジフィルムなど、到底手が届かなくなったが、モノクロネガを自家現像する分には何とか趣味の範囲で出費できる価格帯だ。思うに、0円プリントの前に戻っただけじゃないかな。
老いるというのは悲しいことで、一方で老いないカメラ・レンズというのは憧れるものである。勿論、メンテナンス代をかけるのはライカやニコンであって、ミノルタなんか使い捨てだという考え方もあるだろう。拙僧の個体は自分の老いをカメラに刻んだ形跡がある、老いてもカメラを変えず、共に老いていくというのも理想ではないだろうか。
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