田口文男君の訃報
3月14日(土)早朝、菊田裕美君からメール。同級生の訃報でした。田口(三浦)文男君(3年10組)が、3月14日未明に亡くなりました。ご長女から連絡があったとのこと。
文男君とは何度か同じクラスになりましたからよく知っています。文男君といえばラグビー。気仙沼水産高校(現 向洋高校)から新日鉄釜石へ。その後、君津の製鉄所に移りました。2011年の震災時には君津から釜石への支援も熱心におこなったようです。
2016年6月に新日鉄住金のシニア雇用終了で退職したといいますから、新日鉄(現 日本製鉄)の変遷とともに65歳まで現役として働いたということでしょう。ここ数年では、2017年と18年の「けせもい会」新年会にも顔を出してくれました。しかし2019年は、骨を折って欠席。
裕美君によれば、この年/2019年7月に健康診断で食道静脈瘤と多発肝細胞がんと診断され、千葉大学の付属病院に入院しました。同年8月に食道静脈瘤の治療を終えた後は君津中央病院に転院、同病院でがん治療を始め、8月半ばには退院したとのこと。その後は自宅から通院しての治療だったようです。
つまり、昨年7月からの話。8か月か。こうした事情でしたから、今年2月のけせもい会の新年会には参加できませんでした。
今朝、裕美君が2枚の写真を送ってくれました。2018年9月16日の目黒のさんま祭での写真です。私たち気中20回生と家内ら26回生の皆さんと。1枚目と同様のカットはこのブログでも紹介しました。左手前が文男君。2枚目のわたくし小田とのツーショットははじめての紹介。
ご長女からのメールに次のように記されていたそうです。
「闘病してからも自分のことは自分でしっかりと行う頼もしい父でした。生前は親しくして頂き、ありがとうございました」。
通夜は本日3月16日午後6時から、 葬儀・告別式は3月17日午後12時30分。いずれもサンセルモ玉泉院 富津会館(富津市大堀1丁目22‐6)にて。
田口文男君のご冥福を心からお祈りいたします。
文男君とは何度か同じクラスになりましたからよく知っています。文男君といえばラグビー。気仙沼水産高校(現 向洋高校)から新日鉄釜石へ。その後、君津の製鉄所に移りました。2011年の震災時には君津から釜石への支援も熱心におこなったようです。
2016年6月に新日鉄住金のシニア雇用終了で退職したといいますから、新日鉄(現 日本製鉄)の変遷とともに65歳まで現役として働いたということでしょう。ここ数年では、2017年と18年の「けせもい会」新年会にも顔を出してくれました。しかし2019年は、骨を折って欠席。
裕美君によれば、この年/2019年7月に健康診断で食道静脈瘤と多発肝細胞がんと診断され、千葉大学の付属病院に入院しました。同年8月に食道静脈瘤の治療を終えた後は君津中央病院に転院、同病院でがん治療を始め、8月半ばには退院したとのこと。その後は自宅から通院しての治療だったようです。
つまり、昨年7月からの話。8か月か。こうした事情でしたから、今年2月のけせもい会の新年会には参加できませんでした。
今朝、裕美君が2枚の写真を送ってくれました。2018年9月16日の目黒のさんま祭での写真です。私たち気中20回生と家内ら26回生の皆さんと。1枚目と同様のカットはこのブログでも紹介しました。左手前が文男君。2枚目のわたくし小田とのツーショットははじめての紹介。
ご長女からのメールに次のように記されていたそうです。
「闘病してからも自分のことは自分でしっかりと行う頼もしい父でした。生前は親しくして頂き、ありがとうございました」。
通夜は本日3月16日午後6時から、 葬儀・告別式は3月17日午後12時30分。いずれもサンセルモ玉泉院 富津会館(富津市大堀1丁目22‐6)にて。
田口文男君のご冥福を心からお祈りいたします。