旧姓広沢君の記事
ツイッターで、朝日新聞デジタル版の「パワーリフティングの選手だった60歳の男性が、宮城県気仙沼市の自宅を津波で流されながらも高校球児の体作りを指導しています」との記事が紹介されていました。もしかすると。
ビンゴ! やはり斎藤高史、旧姓広沢君でした。3年8組、私と正真正銘の同級生です。
こんな記事内容です。
パワーリフティングやボディービルの選手だった高史君は、1988年に気仙沼でスポーツジム「K&B」を開いた頃、当時の気仙沼水産(現気仙沼向洋)高校野球部の監督に頼まれ、部員の体作りを手伝いました。
初めて宮城大会決勝まで勝ち上がった昨夏も、選手らの調整への助言を一任され、今年も6月から出張指導を再開。宮城大会の開幕後は、試合に合わせて球場に通い、昨年のように支えるつもりとのこと。
そして、高史君は自宅を流失し、いまも避難所暮らしを続けていることをこの記事ではじめて知りました。ジムは1階の天井まで浸水、その隣で奥さんが営んでいた喫茶店も被災したそうです。
厄払い同窓会のとき、ジムでクラス演目フラダンスの練習をしたな。喫茶店は同窓会の2次会でも使わせてもらいました。店の名は「エスポアール」。フランス語で「希望」。
高史君と奥さんの想いを込めた命名だったのでしょうね。きっと。
朝日新聞デジタル版の記事はここ
ビンゴ! やはり斎藤高史、旧姓広沢君でした。3年8組、私と正真正銘の同級生です。
こんな記事内容です。
パワーリフティングやボディービルの選手だった高史君は、1988年に気仙沼でスポーツジム「K&B」を開いた頃、当時の気仙沼水産(現気仙沼向洋)高校野球部の監督に頼まれ、部員の体作りを手伝いました。
初めて宮城大会決勝まで勝ち上がった昨夏も、選手らの調整への助言を一任され、今年も6月から出張指導を再開。宮城大会の開幕後は、試合に合わせて球場に通い、昨年のように支えるつもりとのこと。
そして、高史君は自宅を流失し、いまも避難所暮らしを続けていることをこの記事ではじめて知りました。ジムは1階の天井まで浸水、その隣で奥さんが営んでいた喫茶店も被災したそうです。
厄払い同窓会のとき、ジムでクラス演目フラダンスの練習をしたな。喫茶店は同窓会の2次会でも使わせてもらいました。店の名は「エスポアール」。フランス語で「希望」。
高史君と奥さんの想いを込めた命名だったのでしょうね。きっと。
朝日新聞デジタル版の記事はここ
テーマ : 東北地方太平洋沖地震義援金、災害援助
ジャンル : 福祉・ボランティア