追憶を語る理由
6月4日に谷川俊太郎さんの「かなしみ」を紹介したときに、ほかに小説の冒頭文でおぼえている一節があると書きました。
その小説は北杜夫さんの『幽霊~ある幼年と青春の物語』です。墓の話のあとだから幽霊の話にしたわけではないのですが、紹介します。
人はなぜ追憶を語るのだろうか。
どの民族にも神話があるように、どの個人にも心の神話があるものだ。その神話は次第にうすれ、やがて時間の深みのなかに姿を失うように見える。一一だが、あのおぼろな昔に人の心にしのびこみ、そっと爪跡を残していった事柄を、人は知らず知らず、くる年もくる年も反芻しつづけているものらしい。そうした所作は死ぬまで続いてゆくことだろう。それにしても、人はそんな反芻をまったく無意識につづけながら、なぜかふっと目ざめることがある。わけもなく桑の葉に穴をあけている蚕が、自分の咀嚼するかすかな音に気づいて、不安げに首をもたげてみるようなものだ。そんなとき、蚕はどんな気持ちがするのだろうか。
以上が冒頭文で、次のページに「母は少女のころ、外国で生活していたひとであった。~」と続くのです。高校生のときに読んで、いまだに強く印象に残っているのです。ただ、なぜそんなに心に響くのか、そのわけは自分でもよくわかりません。
久しぶりに読んでみたら、かなり省略して覚えていましたね。でも私にとっては、はじめの一行「人はなぜ追憶を語るのだろうか」で充分いけます。
それと、高校生のときよりも還暦近くになったほうが、効き目がいいみたい(笑)。
その小説は北杜夫さんの『幽霊~ある幼年と青春の物語』です。墓の話のあとだから幽霊の話にしたわけではないのですが、紹介します。
人はなぜ追憶を語るのだろうか。
どの民族にも神話があるように、どの個人にも心の神話があるものだ。その神話は次第にうすれ、やがて時間の深みのなかに姿を失うように見える。一一だが、あのおぼろな昔に人の心にしのびこみ、そっと爪跡を残していった事柄を、人は知らず知らず、くる年もくる年も反芻しつづけているものらしい。そうした所作は死ぬまで続いてゆくことだろう。それにしても、人はそんな反芻をまったく無意識につづけながら、なぜかふっと目ざめることがある。わけもなく桑の葉に穴をあけている蚕が、自分の咀嚼するかすかな音に気づいて、不安げに首をもたげてみるようなものだ。そんなとき、蚕はどんな気持ちがするのだろうか。
以上が冒頭文で、次のページに「母は少女のころ、外国で生活していたひとであった。~」と続くのです。高校生のときに読んで、いまだに強く印象に残っているのです。ただ、なぜそんなに心に響くのか、そのわけは自分でもよくわかりません。
久しぶりに読んでみたら、かなり省略して覚えていましたね。でも私にとっては、はじめの一行「人はなぜ追憶を語るのだろうか」で充分いけます。
それと、高校生のときよりも還暦近くになったほうが、効き目がいいみたい(笑)。
テーマ : 東北地方太平洋沖地震義援金、災害援助
ジャンル : 福祉・ボランティア