(2)森光子の放浪記の作者・林芙美子記念館
- 2020/08/26
- 12:10
寝室。この部屋と奥の次の間は、芙美子の書斎として作られたが、芙美子は明るすぎると言って、隣の納戸に移ってしまった。
その後は、夫・緑敏(まさはる)と養子の泰(たい)の寝室になり、泰が学校に行くようになると、親子三人そろって、ここで朝食を食べた。
茶の間。掘りごたつ、釣り戸棚、二段押し入れ、収納式神棚、多くの小引き出しなどを備えたこの部屋は、暮らしやすさを考えた一家団欒の場だった。
ちゃぶ台を囲んで、一家が集まるとき、芙美子の母・キクは、常に右手床の間の柱前に大きな座布団を敷いて座った。
床の間。
茶の間から奥を覗いたところ。
風呂場は写真がないが、入りやすい落とし込み式、総檜の浴槽で作られていた。台所の床や流し、便所や洗面所の床の造りと共に、芙美子の家作りの考え方が反映されている。
台所。冷蔵庫は、芝浦電機製(現・東芝)。大卒の初任給が70円の時代、冷蔵庫は720円で、一年間働いても買うことが出来ない高価なものだった。
芙美子は、この冷蔵庫を購入し、家族や来客のために自慢の料理を振る舞っていた。
芙美子は、家事が好きで、仕事の暇をみては、家族の食事を作ったり、漬物を付けたりしていた。
親しい客が訪れた時、手早く酒の肴を作るのが得意だった。人造石研ぎだしで作られた台所の流しと床は、芙美子の自慢の一つだった。
東芝未来科学館の好意により、記念館に市販用国産第一号の冷蔵庫とカラーテレビを寄贈してもらったそうだ。
書庫。書院窓の付いた書庫は、次の間、寝室と三間続きの部屋構成になっていて、南北に風が吹き抜けるという芙美子の希望によく合わせて作られている。
次の間から一段下がっている書庫には、金庫隠しの場所があり、また裏庭には小さな茶室があった。
鏡台と火鉢。
客間。玄関脇に位置するこの部屋には、芙美子の原稿取り来た来た記者たちが、何人も待たされていた。
朝10時頃から入れ替わり立ち替わり、記者がやってきた。芙美子のお気に入りの記者は、茶の間に通されたという。
小間。奥の棚に小さな仏壇が置かれたこの部屋は、芙美子の母・キクが使っていた。
男性の書生がいるときには、その寝室にもなった。また、客がいっぱいになったり、引き合わせたくない客がぶつかると、客間としても使われた。
石蔵。夫の緑敏が、芙美子の死後、遺品を飾っていいたところ。現在は、窓がなく、風通しが悪いため、コロナの感染を防ぐためにギャラリーとしては、使われていない。
裏山に上がり、スカイツリーを望む。この日はガスっていたために、はっきりとは見えなかった。
裏山から住居を見下ろしたところ。
裏山に落ちていた、松ぼっくり。
裏山から玄関を見下ろしたところ。
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