(1)森光子の放浪記の作者・林芙美子記念館
- 2020/08/26
- 09:54
チャリで行く途中、編集部の連中と仕事終わりに夜通し、ドンチャン騒ぎをしたダイニング&バーのZizzがあった。懐かしい。
山手通りと目白通りの交差点を越えて、さらに新宿方面へ向けて真っ直ぐに行く。
林芙美子記念館のスタッフの方が、ご親切にも、西武新宿線の中井駅まで迎えに来てくださった。電話はかけたが、よく私だとわかったものだ。
新宿区立 林芙美子記念館の入口。家からチャリで40分ほどだった。私以外に見学者はいなかった。思う存分、見学することが出来た。
昭和16年(1941)に建てた家。奇跡的にも、戦災を免れ、当時のままの家が残っている。昭和26年(1951)に芙美子が47歳で生涯を閉じるまで、10年間暮らした。
林芙美子記念館のチケット。入館料、大人150円。
林芙美子記念館のパンフ。
格子戸門。
玄関。人気作家となり、多くの仕事を抱えていた芙美子のもとには、原稿の受け取りや執筆依頼の客が毎日、何人も訪れた。
そのため、芙美子と家人は、原稿の催促を避けるためにも、居留守を使うことが、たびたびあったそうだ。
靴箱。来客の多さを表す、大きなものだ。
廊下から庭の緑が見える。
チケット販売所。
次の間。ときに芙美子は、奥に設けた中庭側入口の濡れ縁で、朝一杯の冷酒を飲んだと伝えられている。
布団を入れた奥の押し入れは、芙美子が大工に命じて、インド更紗を貼って作らせたもの。
書斎。芙美子は熱中すると、強度の近眼用眼鏡をはずし、顔を机につけるように執筆した。
作品が仕上がると、自分で掃除をし、普段は家人にも触らせなかったそうだ。
納戸として作られたこの部屋には、洋服入れや物入れなどが作り付けられ、使いやすく出来上がっている。
部屋の中から半障子を通して、廊下越しに北の小庭が見えるなど、納戸とは思えないような趣向が凝らされている。
庭の池。当時は金魚はいなかったという。
庭の草花。芙美子は生存中、この庭一面に孟宗竹を植えていたとか。
その死後、次第に竹は切られ、その面影は、客間前の庭付近に見られるだけになった。
この他、寒椿、ざくろ、かるみや、おおさかづき、もみじなど、芙美子が愛した木々がこの庭に植えられていた。
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