血の味がする読書「地を這う祈り」
ずっと歯を喰いしばっていた。血の味がする読書。
途上国のスラムを切り取った写真とルポルタージュ。最貧層の人たちそのままの生活が、圧倒的な現実として迫る。妙な小細工や演出をしていないだけに、生で素でガツンとやってくる。「スゴ本オフ@オススメ本」でも議論になったが、興味本位で手にしないほうがいい、後悔するから(わたしがまさにそうだった)。著者=撮影者は、この現実を伝えなければ……という使命感に因っているのだろうが、知らないほうがいい現実もある。わたしがいかに知らないか、叩きつけられるように思い知った。
「貧しくても心は錦」とか、「子どもの笑顔だけが輝いていた」といった紋切り型のジャーナリストではない。絶対的な貧困は健康を損ない、子どもを犯罪に近づける。貧困はずばり不幸だ、という撮り手のメッセージが伝わってくる。
たとえば、故意に障碍部分を見せつけてくる物乞いがいる。切断された腕、象皮のようにも膨れた足、化膿した手術跡……これらを人目に曝して物乞いをするのは理由がある。より「稼ぎ」がいいから。さらに、元締めが、「稼ぎ」を良くするために、わざと切断したりすることがあるという。本当か!? 「ぼくと1ルピーの神様」[レビュー]で同じ話を聞いたが、あまりにも小説よりも奇なり(最初は都市伝説かと思った)。「地を這う祈り」には、その証拠が載っている。
そうした人びとは、見られることに甘んじているわけではないという。通行人はおびえたようなまなざしを向けるし、無邪気な(残酷な)子どもは指さして嘲笑する。そのたびに、彼は悔しさに身を震わせ、煮えくり返るような怒りを覚えている。なぜ分かるかというと、著者が直接訊いたから。その上で、撮影してもよいか尋ねたから。これは、撮られるほうもそうだけど、撮ることにかなりの勇気が要ったかと想像すると震えてくる。直視できない姿が目に入るたび、見ねばと心を奮い立たせる。正直、ページをめくるのが怖かった。
あるいは、「死体乞食」がいる。死んだばかりの路上生活者の死体を布やビニールで包み、それを使って喜捨を求める。「家族が死んでしまいました。埋葬したいので、どうか死体が腐る前に寄付をください」と、訴える。通行人は臭い始めた死体に同情し、次々にお金を落としていく。普通に物乞いをするより何倍も儲かるという。三日間、腐乱して完全に色が変わるまで遺体を引きずり回し、稼いだ金は日本円にして四千円。その様子をきっちりとカメラに収める。
そうした物乞いに、真正面から、シャッターを切る。著者は本音をぽろりともらす、罪悪感のような気持ちがあると。人間としての尊厳を踏みにじっているのではないかという不安が、いつまでもつきまとっている。口さがない言い方でそしるならば、そうした写真を「売っている」とも言える。しかし、著者は乗り越える。葛藤はあれど、「安全な場所でふんぞりかえて、ケチや論だけをでっちあげている人間にはなりたくない」という思いが、シャッターを切らせるのだ。自然に頭が下がる。よくぞ撮ってくれたと思う。
全身眼となって見入る。ひたすら抉られ、毟られ、苛まれる読書となった。読むなら覚悟して。
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コメント
この話は、ネットで見ました。
そこでは更に悪いことに子供だった物乞いたちが大きくなり、新たな物乞いにするための子供を雇っている負のスパイラルがあると書かれていました。
怖いですね。
ただ、振り返って自分の距離で見た時に思い起こされる事があります。
左翼な人たちが第2次世界大戦の時の日本軍の写真であると言って残虐な写真をこれ見よがしに見せびらかせていた事を。
結局殆どデマではありましたが…。
ショッキングな物に良くも悪くも興味をそそられてしまう人は多いのだろうしそれを飯のタネにする人は後を絶たないんでしょうね。
投稿: 浮雲屋 | 2011.03.21 00:13
>>浮雲屋さん
あまりおおっぴらに言われることはありませんが、人に買わせる衝動は2つあります。それは、「欲」と「不安」です。銭金、セックス、健康といった欲望商品は売れセンになります。そして、人を煽って後ろめたい気分にさせるものには、どうしても惹かれてしまうのものです。
そういう自分を分かったうえで、手にしています。
投稿: Dain | 2011.03.21 08:23