『世界大不況からの脱出-なぜ恐慌型経済は広がったのか』ポール・クルーグマン
本書は1999年に出版されたものの増補改訂版で、
第7章 グリーンスパンのバブル
第8章 影の銀行
第9章 恐慌型経済
の3つが書き下ろし。
第7章 グリーンスパンのバブル
第8章 影の銀行
第9章 恐慌型経済
の3つが書き下ろし。
しかし「崩壊」とか「危機」とか、経済学(一般人向けの)の話では物騒な言葉が平気で使われるのはなぜなのだろう。たとえば仕事で「プロジェクト崩壊の危機」といえば、文字通りプロジェクトがおじゃんしそうな状態だが、「金融システム崩壊の危機」といったってお金や町の風景がおじゃんしそうというわけではないのに。
学生時代に本や雑誌やNHKの特集番組でバブル崩壊とかマネーの危機などという言葉を目にして、もしや将来本当にどうかなってしまう可能性もあるのかと思ったりしたが、あれから10年20年経ち、別にどうもなっていなければ、むしろ世の中変わらなさ杉だと感じるくらいだ。それなのに、相変わらず壊れるぞ壊れるぞといっているのにはすごく違和感を感じる。
餓死や凍死を恐れてマウスをクリックしまくった人が何人に上ったのかもぜひ調査してもらいたい。それに民主国家はなぜこの危機と規制の無限ループを止めるすべを持たないのかも。人間はそもそも欲望の生き物で他人を信用できないのだからしょうがないとか、世界経済にはそれを牛耳る影の支配者がいてそいつらが好きなように操っているからだとか、そんな話ももう飽き飽きだ。・・・大恐慌の後、アメリカは経済というマシンを理解できるようにあらためて設計し直しているが、それはとにかく大ききな惨事を回避できるのに十分であるはずであった。1930年代、銀行はシステムの一部としてあれほどひどい機能不全に陥ったものの、その後、厳しい規制が課され、強固なセーフティネットによって保護されることになった。他方、30年代に壊滅的な影響をもたらした資本の国際的移動も制限された。金融システムは少し退屈になったが、以前よりも安全になった。
するとまた金融システムは面白くなり、そして危険にもなった。増大しつつある国際資本移動が、1990年代の壊滅的な金融危機と、2008年のグローバル金融危機に繋がった。また、影の銀行は拡大していたが、それに対応する規制が作られることはなかったため、後の大規模な銀行の取り付け騒ぎに繋がった。その取り付け騒ぎは、閉じられた銀行の扉の外に殺到した群衆によってではなく、コンピュータのマウスの血迷ったクリックによってもたらされたものだった。そしてそれは血迷った群集と同程度の破壊力があった。(p269)
そして今現在も相変わらず、分けの分からないダウと日経平均の株高と、刷り過ぎのくせに平気で高いドルの意味が全く不明だ。
銀行決算のために年金砲が吹いたから?
日本が護送船団方式に戻ったなんて聞いてないぞ。
ドルをたくさん持っている人が国際基軸通貨から外れるのを許さないから?
で麻生さんは20ヶ国会議でなんか聞いて帰ってくるのか?
どうせ後になってからまた、訳知り顔の経済学者の解説を読むことになることになるのである。