2025-12-18

この高市政権が怖い2025

あかんやろという話はこれまでも常時あっただが、こと高市政権に関してはどうもレベルも種類も桁違いなんじゃないか

場合によっては日本が壊れかねないという方向の怖さ。

それを分類すると、

政権維持のために手段を選ばない怖さ

能力不足では?という怖さ

思想面の怖さ

の3つになる。

ということで、このへんAIに伝えてまとめてもらった。

後でこの政権がどう評価されることになるのか、その答え合わせのためも現時点のメモとして残しておく。

あくまでも「怖いなぁ」というお気持ちや「やばいんじゃないか」という憶測であって、断定しているわけではないのでそのあたりご了承賜る。



政権維持のために手段を選ばなくなっている怖さ

まず感じるのは、有権者生活国益より政権延命が優先されているのではないかという疑念

年収の壁178万円引き上げとか、ほんとそれ大丈夫なの?ウケ狙いで見切り発車してない?という怖さ。

手取り増や働き控え解消という分かりやす言葉が前に出る一方、社会保険の壁や恒久財源といった不都合論点は後回しにされている。

議員定数削減も同様で、改革している感は出るが、民主主義代表性や熟議のコストが削られることへの説明は弱い。

議員の数が減れば、少数派や周縁的な意見ほど国会に届きにくくなる。地方マイノリティの声、短期的な「多数派空気」とは異なる意見ほど切り捨てられやすくなる可能性についてはほとんど語られない。

積極財政についても、成長戦略制度改革と結びついた設計というより、支持率をつなぎ止めるための即効性が重視されているように見える。個々の政策もっともらしいが、全体として見ると「今ウケるカード」を切り続けている印象が強く、その積み重ねが国の基盤を静かに削っていくのではないかという怖さがある。



もしかして能力不足なのでは、という怖さ

次に悪意よりも能力への不信。

全体像ロードマップほとんど見えない。問題が出るたびに後付けで修正し、説明は最低限、空気で押し切る。

もしこれが意図的戦略ではなく、単に設計能力統合力の不足だとしたら、それはそれで相当危険だ。複雑な国家運営を担うには、あまりに心もとない。

AIは、

国民に正直に説明すれば支持が下がるから言わないという姿勢が透けて見える

税制社会保障財政労働政策バラバラに動き

・このやり方は大胆さというより制度制御できていない感じなのでは?

と言うてるが、確信まで持てないがわかるような気もする。



日本会議・国家主義思想が背後にある怖さ

そして一番怖いのがこれ。

高市政権の背後には、日本会議に代表される国家主義的な思想が透けて見える。

日本会議が目指している国家観は、ざっくり言えば「戦後日本以前」への回帰に近い。とくに明治期の国家観との連続性が指摘されることが多い。もともと神道地域共同体の中でゆるやかに存在していた宗教だったが、明治政府はそれを国家統合装置として再編し、天皇を中心とする国家神道へと変形させた。宗教というより、忠誠と道徳国民内面化させるための政治的イデオロギーだった。

その延長線上にあったのが、国家のために個人奉仕するという発想であり、家族もまた「国家を支える最小単位」として位置づけられた。家父長制は単なる家族形態ではなく、国家秩序を末端まで浸透させるための仕組みだったと言われている。戦後憲法、とりわけ憲法24条は、そうした発想を明確に否定し、婚姻家族個人尊厳平等の上に置き直した条文だった。

日本会議がこの24条を変えたがるのは、単なる家族観の違いというより、「個人より国家を上位に置く秩序」をもう一度取り戻したいという思想欲求に近いように見える。国旗損壊罪のように、国や象徴を「自然に敬われるもの」ではなく「罰によって守らせるもの」と捉える発想も、同じ文脈にあるのではないか

選択夫婦別姓議論がなぜ噛み合わないのも、たぶんこのあたりが理由だろう。合理性や不便の解消といった現代的な議論をしようとしても、彼らはまったく別の宗教価値観に近いものに重きを置いているのではないか

男系男子へのこだわりに関しても、歴史的制度理由を装ってはいるが、実際には「そうでなければならない」という宗教的、あるいは霊的な固執に近いものではないかと思える。

血統系譜が断絶すると、目に見えない何か、たとえば霊的な正統性象徴的な力が継承されない、などという考えが前提にあるのだとすれば、合理的議論が成立しないのも無理はない。

話を戻すと、これは一気に社会軍国主義に戻す、ということではないかもしれないが、制度を少しずつ、価値優先順位を少しずつ動かしていくことで、気づいたときには「戻れない位置」に来ている、というタイプの怖さがある。制度以上に、こうした思想政治の中心に近づいてくることのほうが、本当はずっと危険なのではないか、という感覚が拭えない。



誰も本気で日本を壊そうとは思っていない。ただ、政権を維持するためにその場しのぎを重ね、制度思想一貫性を失っていった結果、気づいたときには元に戻せないラインを越えている、ということは十分あり得る。今感じているヒヤヒヤは、その手前に立っている感覚だと思う。これが杞憂で終わるならそれでいい。だが、もしそうでなかった場合のために、現時点の記録として、ここに残しておく。

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