僕は今、予定よりも3分遅れて日記を書いている。理由は単純で、電子レンジの内部回転皿の角度が昨日の僕の記憶と0.7度ずれていたからだ。宇宙は局所的には連続だが、家電の配置は離散的であるべきだ。これは物理学というより文明の最低限の礼儀だと思う。
まず今日までの進捗を書く。
朝はいつも通り、7:00に起床し、歯磨きは上下左右を対称に、3分を超えない範囲で最大限の回数を確保した。歯ブラシの運動は周期的だが、僕の心は非周期的でありたい。朝食はオートミール。オートミールは、味が薄いという批判を受けがちだが、味が薄いというのは情報量が少ないということだ。情報量が少ない食事は、脳のエネルギーを余計に奪わない。つまりこれは認知資源最適化食だ。
その後、洗濯物を干した。僕の洗濯物の干し方にはルールがある。靴下は必ずペアで、左右対称、間隔は同じ、ピンチの圧力は均等。これが守られないと、僕の部屋はもはやヒルベルト空間ではなく、ただのカオスな位相空間になってしまう。僕はカオス理論は好きだが、自宅に適用したいとは思わない。
ルームメイトは例によって、僕の物理学的秩序を精神的強迫観念と呼んだ。
僕は訂正した。「精神的強迫観念ではない。単なる正しい初期条件だ」と。
僕は言った。
「いいことが起きる確率は過去のデータから推定すべきで、気分から導出するのはベイズ推定ではなく、ただの祈祷だ」
隣人は僕を見て笑った。
なぜ人間は、論理的に正しいことを言われると笑うのか。もしかすると笑いとは、知性の敗北宣言なのかもしれない。
友人Aは「宇宙船の模型の塗装」をしていて、友人Bは「恋愛がどうの」と言っていた。
僕は両者に言った。
「宇宙船の塗装はまだ理解できるが、恋愛の塗装はどこを塗るんだ?」
友人Bは咳払いをして話題を変えた。人間関係のダイナミクスは、弦の相互作用よりも非可換で扱いづらい。
さて、超弦理論の進捗だ。ここからが今日の日記の主成分であり、残りの部分は添え物だ。添え物は嫌いだが、日常生活は添え物で構成されているので仕方がない。
僕は今週ずっと、ある種の弦理論の最終形に近いものを頭の中で試している。
僕がやっているのは、単なる10次元の超弦理論の再説明ではない。そんなものは、教科書的には既に「美しく完成しているように見える」。だが、見えるというのは、光が網膜に届いているだけだ。理解とは別問題だ。
僕が気にしているのは、むしろ「弦理論が物理学の理論である」という常識のほうだ。
弦理論は、もはや物理学というより、圏論的に自己言及する幾何学的言語になりつつある。
弦理論の基礎は世界面上の2次元共形場理論(CFT)で記述される、というのが古典的な形式だ。
しかし、その世界面CFTは、実は幾何ではなく情報構造なのではないか。
具体的に言えば、世界面上のCFTは、点や曲線の集合としての幾何ではなく、圏としての演算の整合性で決まる。
つまり、世界面は滑らかなリーマン面ではなく、「共形ブロックが張る高次圏」「フュージョン環が定めるテンソル圏」「モジュラー群作用が作る自己同型のスタック」として理解されるべきだ。
僕はここで、あえて挑発的な言い方をする。
弦理論は時空を説明する理論ではない。弦理論は「時空という概念が成立する条件」を分類する理論だ。
この違いが分からない人間は、たぶん電子レンジの回転皿の角度も気にしない。
さらに僕は、Dブレーンの扱いを変えようとしている。
通常、Dブレーンは境界条件として導入され、K理論や導来圏で分類される。
だが僕が見ているのは、Dブレーンが物体ではなく関手になっている構図だ。
つまりDブレーンとは、あるA∞圏の対象であり、開弦の状態空間は、その対象間のホム空間として現れる。
ここまでは多くの人が言う。
問題は次だ。
そのA∞圏自体が、固定された背景時空の上にあるのではなく、背景時空の方が、A∞圏のモジュライとして後から出てくる。
要するに、物理量が時空に乗るのではなく時空が物理量の整合性条件から出現するという順序の逆転だ。
この逆転を正確にやるには、単なる導来圏では足りない。
必要なのは、たぶん(∞,2)-圏あるいは高次スタックの層圏だ。
そしてそこでは、弦の摂動展開すら、単なるループ補正ではなく、モチーフ的な重み付きホモロジー分解として再解釈される可能性がある。
僕はこの考えを、昨夜の3:12から4:47までノートに書き続けた。
途中でルームメイトが起きてきて、「なぜ寝ない」と聞いた。
僕は答えた。
物理学者は双対性を便利な道具として使う。しかし僕は、双対性を道具として使う人間を信用しない。
ハンマーを持つと全てが釘に見えるように、双対性を持つと全てが同値に見える。それは数学的には快楽だが、物理的には危険だ。
僕が欲しいのは、双対性が偶然成立する同値ではなく、理論空間そのものの構造として必然的に現れる説明だ。
例えばT双対性は、円の半径Rとα'/Rの交換だが、それは単なる幾何学的交換ではなく、ループ空間のホモトピー構造とB場の捩れが作る一般化幾何の自己同型に対応する。
しかしそれでもまだ浅い。
双対性とは、もしかすると「観測者が選ぶ計算可能性の座標系」にすぎないのではないか。
つまり、同じ物理的実体が存在し、観測者が計算可能なパラメータを選ぶことで別の理論として記述される。
この視点に立つと、AdS/CFT対応も、単なる境界とバルクの対応ではなく、量子誤り訂正符号が定める圏論的同値として自然に出てくる。
そして究極的には、時空とは「ある情報符号の幾何学的表現」にすぎない可能性がある。
重力をエネルギーとして理解するのではなく、圧縮と復元の計算複雑性として理解する。
物理学者は自然を支配したがるが、計算複雑性は自然に支配される側だからだ。
そして今週の最大の進捗はここだ。
僕は弦理論の非摂動的定義の候補として、従来の行列模型やM理論的議論ではなく、圏論的な普遍性原理を置こうとしている。
つまり、「弦理論とは何か」を問うのではなく、「弦理論を定義するために最低限必要な公理は何か」を問う。
僕が考える最小公理系はこうだ。
この枠組みでは、時空は入力ではなく出力だ。
つまり、弦理論は圏論的演算が矛盾しない限りにおいて成立する宇宙を列挙する理論になる。
宇宙が列挙可能であるという発想は、気味が悪いほどプラトン的だ。そして、気味が悪いほど僕の趣味だ。
第一に、この公理系から「局所的な場の理論」がどう現れるかを整理する。
特に、低エネルギー極限で有効作用が出てくる条件を、ホモトピー代数の言葉で書きたい。
第二に、ルームメイトに「冷蔵庫の中に僕のヨーグルトが存在することの証明」を要求する。
昨日、彼は「食べてない」と言ったが、その発言は量子力学で言うところの「観測されない状態」であり、現実の証拠にはならない。
隣人は朝、僕の部屋のドアの前にクッキーを置いていた。
僕はそれを受け取ったが、食べるかどうかは未定だ。
だから今日の昼12:00に食べるか食べないか決める予定をカレンダーに入れた。
僕は「その部品はゲージ不変か?」と聞いた。
彼は僕を見て黙った。
僕は「黙るというのは否定ではなく、理解が追いついていないだけだ」と結論づけた。
僕は「集まる理由があるなら集まる。理由がないなら散逸する」と答えた。
友人Bはため息をついた。
なぜなら、僕が考えているものは、言語化する前に既に高次元に逃げていくからだ。
だが、それでも僕は確信している。
僕がやっているのは、その「矛盾できなさ」の形を調べることだ。
宇宙は多様だが、僕の昼食は安定している。