社畜系ユーチューバーの動画を見て感じたこと。
社畜系ユーチューバーの動画を見て感じたこと。
月残業200時間の衝撃
僕自身、最近仕事が忙しくなってきて、「時短術」や「効率化」というキーワードをYouTubeで検索することが多くなったことが、アルゴリズムに関係したのかもしれません。
ある日、おすすめ欄にこんな動画が表示され、思わずすべて見てしまいました。
簡単に動画の概要を紹介すると…
ブラック企業に勤める20代後半のサラリーマンである社畜so sweet氏の、月残業が200時間に至るまでの1日のスケジュールをレポートするという内容です。
この手の動画は、やらせも含まれるようなものも多いので、最初は少し疑いながら見ていましたが、実際の生活感が伝わる非常にリアリティの高いある内容でした。
具体的なスケジュールはこんな感じ…
【平日】
朝5時起き~
朝5時半出社~仕事
深夜12時帰宅~
深夜1時就寝
【土日】
朝7時起き
朝8時出社
仕事
深夜12時帰宅~
深夜1時就寝
平日は朝6始業~深夜11時終業だとしても約17時間。
その時間は、労働基準法で定められる1日の所定労働時間である8時間の約2倍の時間に当たります。
正直、トンデモない世界観ですね。
僕も仕事がピークで忙しかった20代の時代は、1日13~14時間働いていた時もありましたが、それでも週休2日はしっかり休んでいて、そのうち1日は半日以上寝続けないと体力が持ちませんでした。
なぜ投稿主はその状況に耐えられるのか?
「無心になること」
社畜so sweet氏はこのように、動画の中で語っています。
つまり、自分にとって誘惑となるようなことを一切考えず、ただ日々をこなすことに集中することで、なんとか精神を保っているのだと言うのです。
そして、唯一の楽しみは食事をつくって食べる時間と寝る時間。
まさに、生きていることそのものに喜びを見出す修行僧のような達観した考え方です。
では、この生活が精神的にも体力的にも健全なのか?と問われると、決してそんなことはありません。
このような生活は、本人がなりたい姿に向けて自ら望んで挑んでいる訳ではなく、本人の意向とは関係なく会社から強いられているものだと感じるからです。
実際問題として、本人もギリギリのところで踏ん張っているというような表現をしています。
僕が感じた社会の闇
このようなブラックな労働の背景には、「いい人ほど搾取される」資本主義社会の闇があると思います。
少子高齢化やコロナなどの過酷な社会環境の中で、ビジネスの難易度は格段に上がっています。その中で、時代に合わせた変化をしないで、従業員にまっとうな労働環境提供しようとしても、ビジネスとしては全く成立しません。
本来であれば、経営のあり方やビジネスモデルのあり方の抜本的な見直しが必要です。
しかし、そのような見直しをせず、過去のパターンに捉われた会社や経営者都合の理不尽な要求を、あたかも従業員の責任や使命のようにすり替え、いわば、洗脳のような手法を使うことでしか、会社を存続させる方法を見いだせていない経営者はかなり多いと思っています。
このような経営者の巧みな話術、脅迫や泣き落とし、というものに対しては、責任感が強く、善意に溢れる人ほど、陥りやすい傾向があると思っています。
この投稿主にも、動画の以下のシーンでそのような「良い人」の側面を垣間見ました。
深夜0時過ぎ、閉店間際のスーパーマーケットの野菜コーナーに、誰かがパンを置き去りにしているのを投稿主が見つけます。終電まで仕事をして疲れ果てているにも関わらず、自分が購入するわけでもないパンを、きちんと所定のコーナーまで戻しにいくのです。
こういった善意を持つ方が搾取される立場にいるというのは、明らかにおかしい世の中だと感じます。
まとめ
「セルフネグレクト」という言葉があります。
「ネグレクト」とは、幼児や高齢者の保護や養育する立場にありながら、その義務を放任する行為ですが、「セルフ・ネグレクト」とは本人自身の基本的な生存に関わる行為を放棄するような状態のことを言います。
生きていくこと自体が苦痛で、自分自身を嫌悪して「もうどうにでもなれ」というような自暴自棄の心境に近いものと考えられます。
身のまわりのことや服装を整えることが億劫になり、掃除やメイクなども面倒に感じてしまいます。意識的であるかどうかに関わらず、ことさら健康に気を配らなくなり、食事や睡眠に無頓着になるなど、生活習慣が混乱。ゴミの放置が目立ち、最終的には社会との接触全般を断絶してしまうことにもなります。
先日、ブロガーのちきりんさんのボイシ―放送でも語られていましたが、自分自身を労わることができない人が増加しているというのは、まだ潜在化されていない社会の大きな問題の一つだと思います。
今回、ご紹介した「月200時間残業」に関する動画も、このような社会問題の背景に潜む一つの事例だと感じます。
他人の為、社会の為に生きることはもちろん大切です。
でも、まず大切なのは…
- 自分は自分が生きたいように生きられているか?
- 自分で自分を労われているか?
このような問いに「YES」と答えられることなのではないでしょうか?