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2008年11月21日金曜日

こどもから教えてもらった「日本語が亡びるとき」

一緒に塗り絵をしていたときのこと。出来上がった絵をみて、5歳のこどもが

「ぱわふるだねぇ~」

といいました。・・・可憐なディズニープリンセス(シンデレラや白雪姫、ジャスミンなど)の絵なのに、「ぱわふる」?

どうやら、いろんな色で塗っていることを指して「ぱわふる」と言っている。なるほど、「からふる (colorful) 」のことか。

正しい使い方を教えてあげて「あ、そうか~」とちょっと恥ずかしげに、納得した様子。

それからしばらくは「からふる」と言っていたのですが、先日、

「色とりどりだねぇ」

と素敵な日本語を使うようになりました。保育園の先生に教えてもらったのかな?


こどもの言語の覚え方は、まさに体当たり。恥をかいては、覚える、使ってみる。また恥をかく、の繰り返し。こどもならではの記憶力の良さも影響しているでしょうが、大人であっても、このように体当たりで英語を学習すればすぐに上達することと思います。

ただし、大事な大前提が1つ。それは、正しい使い方を教えられる人がいること。

日本の高校までの英語教育において、体当たりの英語を聞いて、正しい使い方を教えられる人がいったいどれくらいいるというのでしょう? この程度の英語力で「英語が得意」と評されるあたり、「日本語が亡びるとき」という本の伝える危機感が、うまく広まらない理由が感じ取れます。なんとか通じる英語ができればいい、という程度の話ではないのです。

「colorful」を「色とりどり」と言う。この「雅(みやび)」とでも言うべき感覚を、いったい誰が英語の世界に教えるのでしょう? 日本語は、外の言葉を外来語として吸収して豊かになっていくかもしれない。実際に、過去から現在に至るまで、英語の世界に追い付かんと「翻訳」できる学識を持った人が、英語にある概念を取り込むことで、日本語は様々に変化してきました。

しかし、現代ではその取り込み方すら安易になってきています。「コンプライアンス」という言葉がそのまま使われるように、なんのひねりも工夫もないまま言葉が輸入される時代。フランスという言葉でも、敢えて「ふらんす」「仏蘭西」と書くことで、文の持つ趣、読み手に与える印象を豊かにできるというのに。人は、その感覚をまだ失ってはいないと思うかもしれないけれど、歴史を紐解いてみれば、「かふして」を「かくして」ではなく、「こうして」と画一的に現代かなづかいに改めてしまったことで、すでに失われた使い方、言葉の感覚も日本語には多くあるのです。(これらの例は「日本語が亡びるとき」より)

たとえ音が同じでも、意味が同じでも、「書き言葉」としての日本語には、読み手に「色とりどり」の快楽を与える力があります。そんな日本語を操るべき人が、英語の世界に取り込まれていく。学ぶことに意欲ある人ほど、体当たりで教えられる教師がいない日本で英語を学ぶことの困難に直面し、日本語を書くことに注ぐ時間、情熱がどんどん失われていく

英語に日本語の言葉をアルファベットで取り込んだとしても、決して伝えきれないこの日本語のもつ豊かさ。日本語を操る人しか知りえないこの感覚は、世界の中で閉じていくばかり。そうして言葉の担い手たる人が英語の世界に吸い込まれ、日本語が次々と英語の世界の言葉を取りこんでゆくうちに、いつしか日本人すら、日本語が持つ「色とりどり」な美しさを忘れていく。

2008年11月18日火曜日

エジソンのお箸

久々に子供の話題。

子供の箸の持ち方がなかなか直らなくて苦労しています。人差し指と親指の二本ではさむのが普通ですが、中指で上から押さえてしまうため、親指がうまく使えず、まるでじゃんけんの「グー」のような持ち方になってしまっています。

そこで思い出したのが「エジソンのお箸」。以前に保育園の先生から教えてもらっていたのですが、なかなか店頭では見かけず買いそびれていました。ふとAmazonで検索してみると、見事に発見。都心に住んでいると、こういった日常雑貨を買うのに非常に不便な思いをするのですが、さすがAmazon。便利。

先生が自分のお子さんで試して2週間くらいで直ったそうなので、うちでも購入してみることにしました。体験談はまた後日。



2007年2月15日木曜日

南隊員が帰ってきます 「エースの願い」

ウルトラマンエースをご存知ですか?主題歌の歌詞にもあるのですが、北斗と南の二人が揃って初めてウルトラマンA(エース)に変身できる、という設定でした。

でも、番組途中で、突然、南隊員は実は月星人だった!という理由で、月に帰ってしまい、その後は北斗が一人でウルトラマンとして戦うという展開になっていました。

北斗と南は想いを寄せ合っていたはずなのに、あんな別れで良かったの?とか、実は大人の事情で降板させられた?とか、いろいろすっきりしない部分が残っていたのです。

ウルトラマンメビウス 第44話 「エースの願い」

予告編によると、今週土曜日のウルトラマンメビウスでは、北斗と南が登場するようです。どのような形でこの二人のストーリーに解決をつけてくれるのか、期待しています。

似たような例として、村山由佳さんの「天使の卵」というとても悲しい話がありました。これも、10年後、「天使の梯子」という作品で、主人公の悲しみにうちひしがれた心の整理を付けさせてくれています。ウルトラマンエースはおよそ35年越し。世代をまたがっているんですね。

2007年2月12日月曜日

ゆいちゃん日記

(以下ゆいの発言を僕がタイプしたもの)

牛肉を食べたら大きくなれるように、早くウルトラマンになりたいね。でぇ、、へへ、うーううーんんへへへ。インターネットでインターネットで光サーガウルトラマンメビウス拡大を見たいね。えええーー、へへえぇ。へへへぇ。。はあはあーーえへえええあははあーあーおもしろいーい。えへへへはは。たまにはけんかするけど、すぐに笑って仲直りする。パソコンでもちょっぴりは遊ぶけど、でも、ちゃーんと遊ぶのやめて、寝て、お風呂に入ってからは、泡泡のおふろに入って、寝て、ご本を読んで、電気を消して、また起きてから、UNOとか、オセロとか、公園で、サッカーとか、フリスビーとかをやったりで、遊んで、楽しくすごしました。おわり。

(えへへ〜などの発言は、文章が画面にタイプされていくのが楽しくて思わず笑ってでてきた言葉です。何も指示していないのだけれど、なぜか日記風に締めくくってくれたゆいちゃんでした)

2007年2月5日月曜日

ウルトラマンメビウスが面白い

ウルトラマンメビウスが熱いです。4歳の子供と一緒になって見ています。

ウルトラマンシリーズ40周年記念作品ということで、怪獣やウルトラマンの出し惜しみがありません。最終回が近づくにつれ、過去のシリーズにでてきたウルトラ兄弟や怪獣が毎回のように出てきます。それも、最初の5分で。子供の頃にウルトラマンを見た世代(再放送ですが)の僕でも楽しめる作りになっています。プロデューサー・監督さんがまさにそういう世代らしいので、ツボをつかんでいるのかも。

今までのシリーズと違って面白いのは、主役のヒビノ・ミライくんが、氷川くんに似た感じでカッコいいし、サコミズ隊長もクールだけれども温かみのある演技で良いです。あと、地球防衛軍(GUYS)がわりと強くなっていることも魅力。結局最後はウルトラマンだけにたよって怪獣を倒すのではなく、協力して脅威に立ち向かう姿が描かれ、メビウスの窮地を救う場面もたくさんあります。

次回はヤプールが出てきます。様々な超獣を作り出し、ウルトラマンエースを苦しめたヤプールが、今度はエース・キラーではなく、メビウス・キラーを送り込みます。今から楽しみです。

2006年1月4日水曜日

ひこうきで泣くこども

コメントが長くなったのでトラックバックにしました。

子連れの旅行ってただでさえ荷物が多いので(おむつとか着替えとか)、おもちゃやお菓子まで気がまわらないことってよくあります。

飛行機や電車などで子供が泣いていると、周りの人は嫌な思いをするかもしれないけど、一番つらいのは泣いている子供をなだめきれない親の方なんです。暖かい目で見守ってあげてください。そういう場面で親は、言われるまでもなく「こんなことなら、おやつやおもちゃを持ってきておけばよかった」と思っているはずです。そういう体験を通して成長します。

最初から完璧に子育てをできる親なんていないと思います。

自分で子供を持つようになって、周りの親のそういう気持ちがわかるようになりました。もしお菓子やジュースを持っていたらその場で子供にあげるのもいいかと。

「子供が泣いているのは親が悪い」という考え方(上のブログはそういうことを言っているように感じました)が、親(あるいは将来の自分自身)を追いつめることになります。

子供は泣いて当たり前。ちっちゃいんだもの。みんながみんなそういう意識をもてるようになると、子供を育てることの不安なんて吹き飛ぶと思うのです。

2005年12月21日水曜日

子供の誕生日・クリスマスプレゼント

うちの子供(現在2歳)はクリスマス(12月25日)生まれです。誕生日プレゼントとクリスマスプレゼントが一緒にやってきます。

1つだけでも悩みどころなのに、2つです。
一緒にすると将来恨まれる、と23日生まれの友達が言っていたので、
ここはそれぞれ祝ってあげなければと思うのです。

どんなプレゼントがいいのかな。。
2歳のときには子供用のキーボード(楽器)をプレゼントしました。

いいアイデアがあればぜひ教えてください!

2005年11月1日火曜日

ゆいのお散歩コース

保育園が東大に近いので、朝のお散歩コースは安田講堂とか、御殿下のグラウンド周辺だったりするようです。

保育園便りによると、お散歩途中、銅像の前で「なむなむ…」とか「おはよう」とか「おねがいします」と手を合わせているとか。

東大に銅像はたくさんあると思うのだけれど、いったい誰を拝んでいるのやら。少々不安です(^-^;;

2005年10月31日月曜日

子供時間

について、長々と書いていたのに、Firefoxが落ちて、内容が消えてしまった…(T-T) GMailみたいに途中保存してほしい…

2005年10月19日水曜日

子育て日記・真似っこゆいちゃん

ゆいが生まれる前から、ベビーカーを持って買い物するのは大変だったので、コープ東京(生協)の宅配サービスを利用していました。

その注文用紙にチェックを入れていくやり取りなのですが、

ママ「これ、欲しい?」
パパ「いくら?」
ママ「えっと、○○○円」
パパ「高(たか)っ!」


これを聞いてなるほどと思ったゆいちゃん (-.-)


ゆい 「これ、いくら?」
ママ 「ん? ○○円よ」

ゆい 「たかっ!」


パパ「 … ( ̄- ̄;; (真似された…。しかも高くないのに…) 」


その後も、「これいくら?」と聞いては、自分で 「たかっ!」 を連発。
はずかしいったらありゃしない。。。とほほ

こんなゆいちゃんにクリック

2005年10月17日月曜日

子育て日記・ゆいちゃんの「昨日」

うちのゆいちゃんは2歳なのですが、まだ時間の概念って発達していないのです。もう日常会話はよく話せるようになってきたと思って安心していると、びっくりさせられることがあります。


「ゆいちゃんね~、昨日ディズニーランドに行ったの」

…行ったのは先月… (^-^;; (パパ)




「ゆいちゃんね~、昨日パパとハンバーガー屋さん行ったの」


…それは先週だ…(^-^;;



半年ほど前に、神社の公園で遊んでいると、近所のおじさんにおやつをもらったことがありました。
自転車でゆいを保育園に送り届ける途中、その神社の横を通ると、


「ゆいちゃんね~、昨日ここの神社でポテトチップスもらったの」


半年も前のことをよく覚えているw



極めつけは、

「ゆいちゃんね~、昨日パパにピシッってされたの」

とママに告げ口したそうで…。
ママはパパがゆいに虐待でもしたんじゃないかと大慌て。


確かに昔、食事中にフォーク振り回していたので、ママもいる前で手をピシッとしたことはありました。
でもそれは昨日じゃない…(T-T) 。濡れ衣だー。


ということで、教訓。子供の「昨日」には気をつけましょう。


(ピシッとしたことについて一応弁明。箸をくわえて歩いていたために、転んで喉にささって死亡した子もいるのです。食器で遊ぶのは厳しくしかります)


↓ クリックよろしく

2005年10月13日木曜日

子育て日記・ゆいちゃん語録

このブログを子育て日記にしてみようかと、思っています。
子供(ゆい)も2歳になると、だいぶ言葉もしっかりしてきて、日本語を覚えたての頃のよ うに不思議で面白い言葉遣いがなかなかでてこなくなってきたので す。ゆいがまだ小さいときの記憶もだんだん風化してくるし、まだ、面白い発言があるうちに「ゆいちゃん語録」として残しておくのがよいかな、と。

ということで、今日のゆいちゃん。
なにやら日本語でない言葉を話しています…。

「べるべっちゅ、べるべっちゅ!」



べるべっちゅ?

・・・・・・・・・・・( ̄- ̄? (・.・? (何を言っているのかわからないパパとママ)



!


そういえば、、、一週間ほど前に、「ありがとう」のことを英語でこう言うんだよと教えたことがありました。。。。そう! ”Thank you very much!" の"very much"。

彼にはこう聞こえてたんですね(^-^;; べるべっちゅ。 新手の怪獣かと思いました。


2005年8月16日火曜日

子供が好きということ

親になって初めて、子供が好きというのは、本当はこういうことなんだ、と実感する。言葉でどう違うと説明するのは非常に難しいが、だけれども、これは、自分で子供を育ててみないとわからない感覚であることは断言できる。
NHK「おかあさんといっしょ」の体操のお兄さんだった、ひろみちお兄さん(佐藤弘道)も同じようなことをいっていた。子供は好きだと思っていたけれど、自分が親になって、子供が好きとはこういうことなのか、というのがわかったと。

自 分の子供を育てていくうちに愛情が深まるというのはもちろんなのだが、それが、他の子供にまで波及するのが、この感覚の不思議なところだ。つまり、 自分の子だけではなく、他の人の子供までかわいく見えてくるのだ。そして、道を歩くと、世の中にこんなにたくさんの子供がいることに気付くようになる。ま るで、子を持つ前の自分は、いったい何をみていたのかがわからなくなるくらい、外を歩けば、ベビーカーにのった赤ちゃんや、子連れの親子に注意が向く。そ して、かわいい、と素直に思える。
電車の中、公園などでも、子供を連れていれば、見知らぬ人同士でも、子育ての過程を知っているだけに通じ合うも のがあるためか、自然に会話を始めることが できる。「何歳ですか?」 「そろそろ立っちできるかな?」など、話題には困らない。子供への興味、つまり、子供が好きという気持ちが互いに伝わるから、 見知らぬ人に話しかけるという、とっても勇気のいる行動が、何の気なしにできてしまうのだと思う。

もちろん、このように「子供が好き」と 言っても、さすがに、子供ならみんな好き、とまではいかない。好みの顔でない子もいるし、生意気言う子にはカチンと くることもある。自分の子供だって、言うことを聞かなかったり、悪さをしたり、と腹立たしいことは当然ある。けれど、子育ての苦労があるとはいえ、根底に は「子供への愛」がしっかりと育まれているのだ。

この「子供が好き」という感覚、自分の親も、そういう気 持ちを持っていたんだろうなぁと思うと、感謝してもしきれないのだが、その気持ちを親に実際に伝え るのは、恥ずかしくて、なかなか素直になれないところもある。子供にとって、親の子への愛は当然のものであって、改まって感謝するようなものではない感覚 があるから、余計に難しい。

この「子供が好き」という気持ちを知ってしまうと、子供を襲う悲劇のニュースを聞くと、とてもいたたまれなくなる。交通事故で子供が死ぬような話をきくと、親の悲しみが自分のことのようにわかってしまう。
拉致被害者の家族の心境などは、子は死んだかもしれないというあきらめの上に、生きているかもしれないのに連絡手段が遮断されているという状況であるから、想像を絶する。

昨 今、少子化が騒がれているが、この「子供への愛」、「子供が好き」という気持ちを知っている人が少なくなっているということでもあり、寂しいことである。とは いえ、子供がいても、これは主婦にまかせきりで一切子育てをしない男などにはわからない感覚だろうから、そのような管理職が多い(と思われる)日本企業 に、子育てで得られる「子供が好き」という感覚が伝わるわけもなく、子供を育てながら働ける企業ができてくるとは思えない。そういうわけで、少子化からの脱 却には悲観的にならざるを得ない。

自治体も、少子化対策のためにお見合いサポートなんてとんでもない政策はやめて、実際にあらゆる人に子 供を育てさせてみればいいのではないだろうか。自分 の周りに子供がたくさんいることに気付くことができれば、タバコをところかまわず吸っていた人も遠慮するようになるかもしれない。仕事場に子供が来ても、 大丈夫な雰囲気作りも必要。子供が病気の時に、周りがその大変さを理解してあげられるようにもなる。少子化対策は、短期で効果が得られる性質のものではな いけれど、だからといって、子供が周りにいることに鈍感な人たちを目覚めさせる行動を怠ったままでいると、どんどん子育てがしにくい世の中になって、「子 供が好き」という素晴らしい感覚が失われていってしまう。

この感覚を伝えていくことが大事。自ら実践していくことにしよう。

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