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2009年1月1日木曜日

湯島天神の初詣

皆様、あけましておめでとうございます。

年末に頑張って論文を書こうとしていたのですが、かなりの熱が出て4日間ばかり寝込んでしまい、結局何もできませんでした。皆が休みの日は休め、ということでしょうか。とほほ。子供が生まれてから、土日に働くのが難しいことをつくづく実感したので、そもそも休みに仕事するような計画ではいけないのでしょう。

大晦日にようやく回復したので、毎年恒例の、東京天神うどんさんの年末限定おそばを食べに行きました。あたたまります。


湯島天神は11時頃には初詣客が押し寄せ、警官も交通整備をしていたりと、もう大混雑なのです。到着に遅れてしまったときは、年末は夜通しで営業しているこのお店でちょっとくつろぐのが一興です。

下の写真で中央奥が湯島天神で、この位置で参拝まで約45分待ち。でも、行列はもっと後方まで続いているので1時間待ちは必至。寒いので防寒用具は忘れずに。


毎年この様子を見ていて思うのですが、実は、ここ以外にも比較的、列が短く、中に入りやすい場所があるのです。写真の天神正面から並んでいる人たちは今回が初めてでそちらの入口を知らないのか、待ち行列なんて苦にしない方々なのか、あるいは伝統を重んじて「年籠り」を路上でしているのか、いつも不思議に思っています。

僕はどうするかというと、元旦を避け4~6日くらい過ぎてからようやくお参りに行っています。もうそれは初詣というべきものではないのかもしれませんが、湯島天神の菅原道真様も、人が少なくなった方がゆっくり話も聞けるでしょう、ということで。

それでは。今年もよろしくお願いいたします。

2008年11月18日火曜日

エジソンのお箸

久々に子供の話題。

子供の箸の持ち方がなかなか直らなくて苦労しています。人差し指と親指の二本ではさむのが普通ですが、中指で上から押さえてしまうため、親指がうまく使えず、まるでじゃんけんの「グー」のような持ち方になってしまっています。

そこで思い出したのが「エジソンのお箸」。以前に保育園の先生から教えてもらっていたのですが、なかなか店頭では見かけず買いそびれていました。ふとAmazonで検索してみると、見事に発見。都心に住んでいると、こういった日常雑貨を買うのに非常に不便な思いをするのですが、さすがAmazon。便利。

先生が自分のお子さんで試して2週間くらいで直ったそうなので、うちでも購入してみることにしました。体験談はまた後日。



2007年2月14日水曜日

A Diary Written in English

Today, one of my friends decleared that he will start to write his diary in English. His decision stimulated me, so I also tried to write down this blog in English.

The most difficult thing I usually experience when writing down English sentences is the choice of words; For example, there are many expressions meaning, 'write' in English.

According to a thesaurus, synonyms of 'write' are:
write down, jot down, put down, note, take down, record, register, log, list, sign, scribble, scrawl, pencil, compose, draft, think up, formulate, compile, pen, dash off, produce, etc...

I am a non-native English speaker, so it is quite difficult to understand such slight differences between these words, e.g. How different 'write' and 'write down' are?

To learn these differences of words/phrases is important, because I know, in English, the use of repetition of the same word is not a good writing style. But, even in this short entry, I have already used many repeats of 'write down'. Nevertheless, appropriate replacements of such phrases never come up to me. I guess it is just because the amount of words and phrases I learned from people who speak English is not sufficient.

Recently, there are many audio sources of English speaking people available from PodCast, Google Video, You Tube, etc. I am happy to collect these materials to improve my English skills, because there were no easy method to get raw English voices a few years ago.

However, I get discouraged considering how fast my four-years-old son learns Japanese. Everyday, he speaks Japanese even if what he said contains some grammatical errors or misuse of words. Thus, I understood that 'do not get embarassed' is a key to efficiently learn to speak a new language.

Another key that I have already lost and cannot be achieved is good memories of a child; it is not only about my son, but in general, children remember well phrases once they have heared.

Here is an interesting story. It has been a daily routine for me and my wife to read some storybooks for my son before he sleeps. When he was two-years-old, he couldn't read any Japanese letters. As we continued to read through the same books for many times every night, one day, he said "I read this today." And, to our surprise, he started to read the contents of the book without seeing any characters, but what he read was almost correct. Maybe, he remembered what we read to him by making a strong connection to the paintings in the book.

Now, he has completely mastered hira-gana and kata-kana letters, so we never see his astonishing reading from memories. It is a little bit pity for me.

Conclusion; Since I have no such good memories, what I can is to keep learning English.

2007年2月12日月曜日

ゆいちゃん日記

(以下ゆいの発言を僕がタイプしたもの)

牛肉を食べたら大きくなれるように、早くウルトラマンになりたいね。でぇ、、へへ、うーううーんんへへへ。インターネットでインターネットで光サーガウルトラマンメビウス拡大を見たいね。えええーー、へへえぇ。へへへぇ。。はあはあーーえへえええあははあーあーおもしろいーい。えへへへはは。たまにはけんかするけど、すぐに笑って仲直りする。パソコンでもちょっぴりは遊ぶけど、でも、ちゃーんと遊ぶのやめて、寝て、お風呂に入ってからは、泡泡のおふろに入って、寝て、ご本を読んで、電気を消して、また起きてから、UNOとか、オセロとか、公園で、サッカーとか、フリスビーとかをやったりで、遊んで、楽しくすごしました。おわり。

(えへへ〜などの発言は、文章が画面にタイプされていくのが楽しくて思わず笑ってでてきた言葉です。何も指示していないのだけれど、なぜか日記風に締めくくってくれたゆいちゃんでした)

2007年1月2日火曜日

湯島天神に初詣

あけましておめでとうございます。

今年のお正月は、妻子が実家に帰って過ごしているので、一人で元旦を迎えました。つかの間ですが、子育てから解放されたこの機会に、近所にあるけれど一度も初詣にいったことがなかった湯島天神にお参りにいきました。

天神さまには15分前ほどに行ったのですが(近所なので歩いていきます)、既に100mほどの長打の列ができていました。ここまでは例年混雑している様子を傍目で見て知っていることなので、ちゃんと防寒具と暇つぶし用のウォークマンを持参して、対策はばっちりです。寒い夜なので、子連れだと風邪を引かせてしまいそうで、子供が小さいうちは難しそうですね。

40分くらいしてようやく境内に。杓子で手・口をすすいでから祈祷することを期待していたのですが、どうも混雑回避のために、お賽銭を投じればそれでよしと考えているらしいお巡りさん(警備員?)が多数。口をすすぐ場所は閉鎖されており、お巡りさんも「左右の方が開いてますよ!」と、祭壇がまったく見えない位置のお賽銭箱の前に人を誘導する始末。

ああ、これはもう初詣というより、なにか違うイベントになのだと感じました。そもそも、湯島天神に祭られているのは菅原道真様なのに、みんながみんな本当に学問成就をお願いしにきているというわけではなく、新年のイベントだからということで来ている様子。「恋みくじ」とかあるし。

近所に住んでいると、祭日と普段とのギャップに驚かされるものです。巫女さんが大増員されているし、破魔矢売り場も普段より相当増えていました。冷めているつもりはないのですが、こういう場所で売られているおみくじや縁起物って、ちゃんと作っている会社があるんですよね。念力をこめたわけでもなく、普通の働き手さんが大量生産しているのです。品物の上でわさわさと棒を振って、厄払いくらいはしているかもしれませんが。

そんなことを考えながら、いざお賽銭を投げて、お祈り。ただ、困ったことに、何をお祈りしていいのかわからなくて、冷や汗。道真様なので、学問成就かなと思いましたが、自分の学業の成果を人様にお願いしても仕方がなさそう。では、学問を続けられる環境維持をお願いするかと思いましたが、それも神様に頼むことではない気がしました。そういう場所を整えるのも研究者としては、自分でやるべきことなんですよね。

ろくにお祈りもできず、後がつかえているので、とりあえずその場は離れましたが、よくよく考えると、自分のことではなく、家族のことをお祈りすればよかったのかなと思いました。何かしてと頼むのではなく、皆を暖かく見守ってください、とかね。

子供にお土産でも、と思ったのですが、商業主義が隠せないところで千円札を費やすよりは、おいしいものでも食べようという気分に。破魔矢を買っても、ちゃんと飾って置く場所がないだろうし、きっと原価は1割程度でしょう。

東京天神うどんさんで、このときだけメニューに現れる期間限定のおそばを頂いて、満足できた元旦でした。初詣に来る人も、たくさんお賽銭やお布施を払う人も、形はどうであれ、充実した気持ちで新年を迎えられればいいのだと思います。とりあえず、お金持ちでもない今の僕には、千円でおいしいおそばが食べられる方が価値は高いです(笑)

そのときどきの満足も大切にしつつ、長い期間の満足も考えて、一歩一歩進むことができる一年でありますように。

2006年12月20日水曜日

燃え尽き

博士論文を書き終えて、予想通り燃え尽きました。
先週の金曜日に論文を提出して、土日をあけて、月・火と調子が出ず、今日の午前中もどうも元気がありません。

もちろん審査に備えて準備するとか、他の論文の原稿を仕上げるなど、やるべきことはまだ残っているのですが、どうにも気力が足りない。

1年を通して研究していると、こういう気分の時期は何回か訪れるものなのですが、気力をうまく取り戻す方法をまだ身に着けてないのです。

ここは、思い切ってリフレッシュしてみることにします。

2006年12月6日水曜日

さてさて

博士論文の締め切りまであと8日。地獄の一週間が始まります。

むしろ理論を洗練させていた今までが地獄だった気もする。あとは、もうイメージができている話や実験結果が書かれた論文をつなげるだけなので、英語といえども苦ではない(はず)です。

書き上げた後で燃え尽きないように、次の目標に向けて英気を養いつつ頑張ります。

2006年12月1日金曜日

うれしいけれど複雑

今年の9月に出した論文が採択されました。わーい。

一応、うれしいのだけれど、実は、この研究、3年以上も前に作った内容の一部なのです。
本当はもっといろんな内容が絡んでいて、大きな目標があるテーマなのだけれど、全体としてそこまでたどり着いていないので、お蔵入りしていたというもの。

けれど博士の審査もあるし、眠らせておくのはもったいないということで、
9月の締め切り3週間前に急遽復活させました。

1本の論文に収まるように、切りのいいトピックを1つ抜き出して、今作っているシステムとは整合性がなくなってしまったので、プログラムは再実装して、実験も現在のマシンでやりなおしました。3年も違うとかなり処理速度が変わるものです。論文自体も、8割方書き直し。先生に校正してもらう時間もなし。かなりやっつけ仕事でした。

通らないと困っていたのだけど、よく通ったなぁと思います。
もちろん、通ると思っているから出すのだけれど、例年以上の400本もの投稿があって激戦になると聞いたときは冷や汗ものでした。

日の目をみることができた研究ですが、本当に日の目を見るのかどうかは、引用してくれる人がいるかどうか。投稿数も増えたことですし、会議自体のインパクトも大きくなるとよいなぁと思います。

2006年11月6日月曜日

上手なプレゼンテーションとは

今学期は、久々に大学の講義に参加してみています。

講義の形態は、学生が毎回発表するというもの。
修士1年の学生さんが多いせいか、覇気が足りない。。。

課題を与えられたら、与えられた文献しか読んでこない人とか、それすら読みこなせていないというのがちらほら。自分が発表したときは資料探しから始まって、何百ページもある資料にいくつも目を通して、基本を学んで、実験評価もして、と相当時間を費やして望んだのに、他の人からそれくらいの気概が感じられなくて、悲しい限り。(東大生なんだから1週間もあれば英語で100ページくらい読んできてよ! というのが本音)

もちろん、プレゼンテーション技術が未熟なこともあるのだけれど、それ以前に、一つのトピックをわかりやすく紹介するには、そのトピックだけでなくて、トピックを含むもっと広い分野の知識が必要という認識がまだない様子。

それだから、プレゼンを聞いていると、この研究はなぜ重要なのか? という視点を欠いたまま(発表している本人も理解していない様子で)発表を続けられてしまうので、聞いている方は、すぐ迷子になってしまいます。

問題は、発表する側の視野が局所的なこと。いくら研究の子細を丁寧に伝えたとしても、それだけでは、他にもっといい方法があるのでは? と疑問に思ってしまうし、様々な研究の流れの中で、いま発表している内容はどういう位置づけにあるものなのか、ということもわからない。そのような大局的な視点がないプレゼンテーションは、同じ問題意識をもった人たち(例えば研究室の仲間とか)にしか価値がありません。

大局的な視点を身につけるには、たくさん学ぶこと。これに尽きます。よく書かれた論文や教科書は、そのような大局的な知識を効率よく与えてくれます。既に学んでいる人から、そのような知見を引き出せると、次のステップへ進む重要な足がかりとなのですが、どうも数ある授業の課題の1つとしか捉えていない発表者から、そのような知見を得ることは難しいようです。

自信を持って発表できないのは、やはり勉強が不足していることが一番の原因。すべてを完全に理解している必要はありませんが、少なくとも、何がわかっていて、何がわかっていないかを理解することは必要。そのレベルまで達している人とそうでない人とでは、自ずとプレゼンテーションの出来も変わってくるものです。

2006年9月29日金曜日

所信表明

たまたま家に居たので、新首相の所信表明を聞いてみました。

それにしても、国会はどうしてこうも品がないのでしょうか。「そうだ、そうだ!」と大声で相づちをうったり、野次を飛ばしたり…。 投票で選ばれるわけだから、見た目だったり、それなりに立派な人が国会議員になるのだと思いたいのですが、サクラ役とはいえ、あまりにも下品です。 女性議員も、なぜ変に目出つピンク・黄色・黄緑のパステルカラーばかり着ているのか。 どうも、国会という場所には一般人が知り得ない不思議な文化が存在するようです。


話の中にあった、新卒一括採用の慣習をなくすというのは、ありなんでしょうね。バイトのような時間の切り売り以外で、いつでも仕事につける自由さがあると、確かに働きやすいもの。でも、自分で仕事を作るという発想とはやっぱり違うなぁ。 イノベーションを重視するなら、大事なのは起業促進の方だと思うのですが。

2006年8月17日木曜日

東大生はカフェが好き

そうなんです。本郷周辺のカフェでは、昼などのピーク時以外、本やノートPCを開いている人は十中八九東大生だと思います。

ファミレスでは、勉強目的での利用は、迷惑なのでしょうが、スタバなど、禁煙が当然の最近のカフェでは、そういう人を許容している雰囲気があって、回転率も悪くはない様子なのです。むしろ、リピーターをつかんでいると思わせるくらい。

集中しやすい環境って人によって違うと思うのだけれど、カフェが他の場所と比べて好まれる理由を挙げてみます。

・生活の拠点であってはいけない (自宅の外という多少の不自由さが必要)

・大学の図書館のように、周りが必死に勉強しているところでもいけない (同じように勉強している人がいると、プレッシャーがかかるし、気をつかってしまう)

・周りが多少ざわざわしている方が、「入り」やすい。(たぶん、上と同じ理由で、周りが好きなことをしている環境の方が気楽なのです)

・きれいで落ち着く (国立大学の教室や研究室は、私立と比べて相当汚いところが多いです)

・カフェインの効果 (そのうち中毒になります)

・禁煙であること(必須です)

集中する目的や、至福のひとときを楽しむ人が多いので、あまり大勢でカフェに押し寄せて騒いでいると迷惑かと思います。カフェなのに大声で大志を語るグループとかもいるらしい…。きっとサークルとか、ゼミの学生を引き連れた先生とかですね。これだから東大の男どもは(自分もそうなので恐縮なのですが…)と思われること請け合いです。夢は立派でも、人を不快にさせていることに気付かない人では…という気分なのでしょう。


自宅で研究をしているときも、上の環境に近づけてみようと努力はするのです。部屋を片付けて、コーヒーを用意して(自宅で用意すれば砂糖使わずに済むし、コストも安い)…。でも、そこが自宅であるという一点で集中できないことがあります。ネットにつながるので、ブログを書いてしまったり。調子が出ないとすぐモニターの前から離れてしまったり…。敢えて不自由な環境に身を置くというのは、集中するために欠かせないみたいです。

そうすると、世俗を振り切って、カフェで1時間でも集中できた方が、半日家で作業してちっとも進まないときより気が楽だったりします。

プログラムを組んだり、文章を書いたり、いつのまにか、作家や芸術家のように一人でする仕事中心の生活を送っています。一人の仕事をしていると、人の中で仕事ができる環境に憧れることが多いですが、対人関係のストレスなどの大変さもあるだろうから、どっちがいいかは、自分の適応能力次第。

それはさておき、一人でする仕事って、集中に「入る」ための、disciplineが必要なんです(この意味のdisciplineのうまい日本語訳が思い浮かばない…)。あるときはできたものが、あるときにできなくなる。カフェを使うと、それが実行しやすくなるという不思議。まだまだ探求の余地はありそうです。

当然、僕にもお気に入りのカフェ(空いていてキレイ)はあるのですが、場所は内緒です。時間帯によっては本当にガラガラなので、つぶれやしないかとハラハラさせられるところではありますが、それでも秘密です。カフェでの時間はそれくらい大事なのです。

2006年6月26日月曜日

SIGMOD/WebDB 2006 に行ってきます

今日からシカゴに行ってきます。

子供がまだまだ手のかかる時期に、海外の 学会に行くのは大変です。普通なら、意気込んで行くところですが、後ろ髪引かれる思いがします。

それにしても、毎度のことなのですが、SIGMODとその他ワークショップに他の日本人発表者が見あたらない…。DB研究者はいっぱいいるはずなのに、僕みたいに英語慣れしていないひよっこ一人では、かなり寂しいのです。 プレゼンはしっかり頑張らないと。

できれば今度は、SIGMODの方に論文を通して発表したいです。
何せDB分野の最高峰ですから。挑み甲斐があります。

2006年3月27日月曜日

洗練すること

こちらのビデオを見てください。

ボール3つなので、ジャグリングの技術的にはそれほど高くないはずなのですが、曲に合わせた連続技を駆使することで、ここまで魅力的にできるのかと感心させられてしまいます。

なんでもかんでも難しくするのではなく、洗練することによって魅せることができるとは。
目から鱗です。

2006年3月24日金曜日

元気のもと

早起きして、きちんとご飯を食べて、研究室に行って、仕事を開始。昼が近づくにつれ、日の光が心地よくなってきました。


幸せ。


こんなごく普通のことが、元気のもと。
仕事をしたりモチベーションを維持するのに、これ以上の準備はないかも。

先の不安を吹き飛ばして、冷静に一歩一歩今やれることをやる、という気持ちになります。



実は夜更かしして睡眠不足なので、けだるさはあるのですが、それでも心が落ち着きます。

食事を取って日の光を浴びることが、こんなに大切なことだと気付かされました。

2006年1月4日水曜日

ひこうきで泣くこども

コメントが長くなったのでトラックバックにしました。

子連れの旅行ってただでさえ荷物が多いので(おむつとか着替えとか)、おもちゃやお菓子まで気がまわらないことってよくあります。

飛行機や電車などで子供が泣いていると、周りの人は嫌な思いをするかもしれないけど、一番つらいのは泣いている子供をなだめきれない親の方なんです。暖かい目で見守ってあげてください。そういう場面で親は、言われるまでもなく「こんなことなら、おやつやおもちゃを持ってきておけばよかった」と思っているはずです。そういう体験を通して成長します。

最初から完璧に子育てをできる親なんていないと思います。

自分で子供を持つようになって、周りの親のそういう気持ちがわかるようになりました。もしお菓子やジュースを持っていたらその場で子供にあげるのもいいかと。

「子供が泣いているのは親が悪い」という考え方(上のブログはそういうことを言っているように感じました)が、親(あるいは将来の自分自身)を追いつめることになります。

子供は泣いて当たり前。ちっちゃいんだもの。みんながみんなそういう意識をもてるようになると、子供を育てることの不安なんて吹き飛ぶと思うのです。

2005年12月21日水曜日

子供の誕生日・クリスマスプレゼント

うちの子供(現在2歳)はクリスマス(12月25日)生まれです。誕生日プレゼントとクリスマスプレゼントが一緒にやってきます。

1つだけでも悩みどころなのに、2つです。
一緒にすると将来恨まれる、と23日生まれの友達が言っていたので、
ここはそれぞれ祝ってあげなければと思うのです。

どんなプレゼントがいいのかな。。
2歳のときには子供用のキーボード(楽器)をプレゼントしました。

いいアイデアがあればぜひ教えてください!

2005年12月20日火曜日

模様替え

ブログの模様替えをしました。
ただ、テンプレートをカスタマイズして使っていたので、デザイン移行がやや面倒。

デザインとデータ部分をうまく分離できない、Webアプリケーションプログラマ&デザイナの葛藤と似たものがあります。

2005年12月12日月曜日

本郷も銀杏が綺麗になりました


東大正門から入って、正面の建物が安田講堂です。

2005年11月1日火曜日

ゆいのお散歩コース

保育園が東大に近いので、朝のお散歩コースは安田講堂とか、御殿下のグラウンド周辺だったりするようです。

保育園便りによると、お散歩途中、銅像の前で「なむなむ…」とか「おはよう」とか「おねがいします」と手を合わせているとか。

東大に銅像はたくさんあると思うのだけれど、いったい誰を拝んでいるのやら。少々不安です(^-^;;

2005年10月31日月曜日

子供時間

について、長々と書いていたのに、Firefoxが落ちて、内容が消えてしまった…(T-T) GMailみたいに途中保存してほしい…

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