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2009年3月26日木曜日

プログラマは世界をこう視る

プログラマが普段どのように問題と向き合あっているかを知るのに、これはうってつけ。



今回、縁があってこの本の出版のお手伝いをさせていただきました。内容はやや難し目のパズル問題集。すべての問題に目を通して、紙と鉛筆で解けるものもあれば、実際に手を動かしてプログラムを書いてみたり。前半は、プログラマでない人でも取り組めるようになっていますが、お勧めは実際にプログラムを使って解く後半。

プログラミングコンテストに挑んだことのある人には、もうおなじみの考え方だと思います。普通の人間ならやらないけれど、コンピュータというお供がいると、すべての可能性を調べ上げるような愚直な方法でも着実に実行してくれる。その様子を見て、人間がより良いアルゴリズムを思いつく、というサイクルが問題を通して学べます。

例えば「数独」。日本では、紙と鉛筆で解くパズルの代表例になっていますが、プログラマの手にかかると、コンピューターを使った答えの探索問題に早変わりです。

原著者のDennis Shasha先生も以下のように述べています。
授業中、私は、いわゆる“講義” をほとんどしない。その代わり、パズルを解くテクニックを披露する。問題の“解答” ではなく、“解法” を紹介するのだ。(中略)面白いことに、学生たちはその週の授業を終えると、自分の問題解決能力が向上していることに驚く。授業を通して得られた体験が、現実問題への取り組み方の一部なのだ。
現実の問題にどう取り組むかを、パズルを通して学ぶ。そのような「プログラマの視点」を垣間見られる例を挙げるとするなら、たとえば、Googleが膨大なデータを扱うために開発したMap-Reduceという計算フレームワーク。その仕組みは説明するととても簡単(問題を分割して解いて、後でまとめるだけ)ですが、それを生みだしたベースとなる物事の見方が、まさに「プログラマの視点」なのです。

こればかりは考え方(Shasha先生の言う「解法」)を知らないと、なかなか0からは出てこないものなので、既にプログラマの人にも、これからプログラミングを始める人にも、お勧めの1冊です。

(補足)
すでにこういった考え方に親しみのあるプログラマにとっては、後半より、前半のパズル問題の方が難しくて手ごたえがあると思います。腕に覚えがある方は、頭のトレーニング用にもどうぞ。

関連:

2008年11月15日土曜日

本棚公開

VOXにアカウントを作ったところ、本のリストを作成できたので、調子に乗ってどんどん追加してしまいました。

まだまだあると思うけれど、とりあえず今思い出せた洋書77冊。けっこうあるなぁ。



2008年11月9日日曜日

たった一つの準備で勉強会は変わる

この記事で伝えたいことは一つ。

建設的な議論を始めるには、準備が必要だ。

本について語るなら、まず本を読む。輪講なら、自分が発表者でなくても、ざっと本に目を通してわからない点をチェックしておくこと。

たったこれだけの準備で、グループでの議論は実りあるものになります。本に書かれている以上の話ができるからです。その段階までいかなくても、わからなかった点を周りの人に確認し、本の内容をより深く理解することができます。

準備をしてないとこうはいきません。まず、なぜこの本を読んでいるかわからない参加者が出ます。さらに、本の紹介者の話がわからなくなると、その段階で思考が停止する。あるいは明後日の方向の議論が始まってしまいます。輪講や勉強会のようにその場で内容を尋ねられるならまだ救いようがありますが、ブログのように対話的(interactive)な議論が難しいメディアでは、理解を深める術がありません。本を読んでないから教えて、というのが通用するのは、その人が教えるに値する場合だけだと考えてください。(知見のある先達であったり、内容に詳しくなくて当然の他分野の研究者など)

大学での研究生活を通して輪講をする機会は幾度となくありましたが、参加者が本を読まなかったときの不毛さには目も当てられませんでした。本の知識は読んできた人だけのもので、読まなかった人には見せかけの充実感だけが残ります。発表側には、自分で本を読み解く以上のものは得られず、プレゼンという参加者へのサービスの重荷が増えるだけです。ですから、今では、受け身の参加者しか集まらなさそうなときは輪講を開いていません。

このような話をしているのは、梅田望夫氏がTwitterでした以下の発言に対するネットでの炎上の様子があまりにも幼稚であるから。
はてな取締役であるという立場を離れて言う。はてぶのコメントには、バカなものが本当に多すぎる。本を紹介しているだけのエントリーに対して、どうして対象となっている本を読まずに、批判コメントや自分の意見を書く気が起きるのだろう。そこがまったく理解不明だ
梅田氏は「ウェブ進化論」などの著書で、ネットをとりまく急速な変化と、そのまっただなかに放り込まれてしまった現代の若者にエールを送り続けています。著書への感想をブログに書いてトラックバックを送信した人には、賛否両論含めてブックマークしているし、内容にも目を通しているそうです。この行動を見ていると、自分と異なる意見も含めて、彼が建設的な議論を欲しているのが伺えます。初対面の人と対談するときも、その人のブログなどをあらかじめ読んでいくから、昔からの知り合いのように話が弾むといいます。

準備をした上で議論することがいかに面白いか。その面白さを知ってしまうと、その準備をしてこない人への興味が途端に失せてしまうのでしょう。何も難しいことを要求しているわけではありません。準備はとても簡単。

同じ土俵で議論をするためには、何よりもまず、本を読むこと

本の内容をすべて理解することを要求しているわけではないし、言葉で書かれたものの解釈は、聞く人のバックグラウンドによって変わるのが普通です。むしろ、その違いが面白く、新しい発見につながることもあるのです。違う観点からの解釈で、内容の理解を深めることあります。

今回話題になっている本は、「日本語が亡びるとき」という書籍。Amazonで注文してからまだ届いていないので、議論に参加できないのが残念ですが、英語でしか本当の意味で活躍できる道が残されていない研究者として、思うところがふんだんにあります。本を読んだあと、またブログで感想を書きたいと思います。

(追記)このあと、「日本語が亡びるとき」についてはいくつか雑多な記事を書きましたが、以下のエントリが、一番僕の伝えたいことをまとめているかと思います。

2007年2月28日水曜日

ImageMagick

写真の画像を一括変換してPDFにするとします。ImageMagickを使って、例えばデジカメで取った写真photo1.jpg, photo2.jpg, ..., photo10.jpgのコントラストを上げて、色を調整して、1つのPDFファイルにするコマンドは以下の通り:
> convert -adjoin -sigmoidal-contrast 3,0% -normalize photo<1-10>.jpg out.pdf


convert -thumbnail 100 'out.pdf[5]'
なんて書き方で、pdfの6ページ目(0 origin)だけを取り出してthumbnailをつくるなんてこともできます。

2006年9月17日日曜日

子育てハッピーアドバイス



「子育てハッピーアドバイス」はいい本です。全部で3冊あるのですが、一気に読んでしまいました。

僕も、子供が言うことを聞かないとよく叱ってしまうので、どうにかならないものかと悩んでいましたが、親を楽にしてくれる本だと思います。

いい子にするには、親がしっかりしつけないといけない、とはよく言われますが、あれこれしなさいと怒る前に、大切なことってあるんですよね。子供の「甘え」を大事にするとか(甘やかしとはちょっと違うの)、子供に自分の考えてることに自信をつけさせるとか。

例えば、靴を一人で上手に履けなくて、「手伝って~」と言うときは「甘え」のサインなので、甘えさせてあげましょう。でも、親がなんでも子供のお世話をしてしまうのは、「甘やかし」。「甘え」を通じて、ちゃんと親子のやりとりをするの。

わがままを言われたときの扱いも困りますよね。お店でおやつを欲しい~とごねて泣き出したり…。あまり要求を突っぱねすぎても、子供が自分の感情を殺すようになってしまうし、なんでも認めてしまうのも、甘やかしになって、際限がなくなってしまう。

でも、こういうのに、どう対応すればいいかはやっぱり難しいんだって。 むしろ、どこまで認めていいか悩む親なら、ちゃんと子供に向き合っているから安心だとか。

あと、子供をしつけようとしてうまくいかないときは、子供ってそういうものなんだ、と、いい意味であきらめてみることも大事みたい。あれはだめ、これはだめと言ってばかりだと、子供は自分自身の評価をどんどん下げてしまうんだって。わがまま言ったり、自己主張ができるというのも、成長の証。

読んでみると、衝撃の子育て法!とかそういう類のものではなくて、納得できることばかりなんだけど、実際の自分に照らし合わせてみると、あれ、意外と実践できていないと思うところが多くて。。

あと、専業主婦(夫)って、とってもストレスが貯まる仕事なんです。まる1日、家事をしながら子供の世話をしてみるとよ~くわかりますので、仕事ばかりであまり子供やパートナーと向き合っていない方は、お試しあれ。他人の子供だと、楽しさ半分というところもあるのですが、自分の子供だと、やっぱり親が全部のトラブルに対応しないといけなかったりと、ストレスが貯まるものです。大変さを共有して、夫婦で負担を分かち合えるといいですよね。

最後のところって、本当は、夫婦だけでなくて、社会全体で共有できるといいことなんだと思っています。小さい頃、親が自分をどのように育ててくれたかなんて、意外と覚えていないものですから。だから、子供がいない人にも是非読んで欲しい本です。 子育てだけでなくて、普通の人とよりよい人間関係を築くのにも役立つと思いますよ。

2006年8月22日火曜日

[Music] TRIX: "ART "

こちらは作曲者本人のliner notesです → tubunori

フュージョングループ、TRIXのアルバムはこれで3作目。スクエアとかカシオペアのように、日本のフュージョン路線まっしぐらなので、お気に入りです。エレクトーンプレイヤーの窪田宏もメンバーというのも好きな理由かな。

で、リーダーの熊谷氏が主に曲を作っているのですが、アルバムに必ず問題作を入れてくれます。「サムライ」「くりくり」に続いて、今度は「毛根ファンク」。1度聞くと頭から離れません。これらの曲のおかげでCDのインパクトが強すぎです。

歌詞はあれなんですけど…(フュージョンなのに歌詞…?)、曲はかっこいいのです。そのギャップがまた。

ここで視聴できるみたいですね。毛根ファンクは覚悟して聞いてくださいな。。。

2006年8月21日月曜日

[Book] C++ Coding Standards

後で買って読んでみようと思います。

世の中C++を使える人はどんどん減っているだろうし、Javaを使う方が遙かにコーディングしやすいことは事実なのですが、OS関係、DBなど、速度が要求されるシステム開発用には未だにC++以上のものがありません(と僕は思ってるけど本当かな?)

2006年8月16日水曜日

NHK-FM: 青春アドベンチャー

NHK-FMで平日に毎晩放送されているラジオドラマです。10年以上前に良く聞いていたのですが…まだ続いていたとは驚きです。

1つの小説を題材に10話ずつ。夜寝る前に、布団に入りながら聞くのですが、とても幸せな時間でした。このラジオドラマをきっかけにして原作を読んで好きになった作家さんなどもいます。マイクル・クライトンの原著なんかも、ここで聞いて、挑戦したような記憶があります。調べてみたら、1993年! 中学生くらいですね。そのときに英語なんてちゃんと読めたのだろうか…不思議。でも、ロストワールド(1995)は映画化前に新刊で読んでいました。続編だ!と思って喜んで買った覚えがあります。うまく理解できないところは、本屋さんに出かけて翻訳本を眺めてみたり…。


どうやら青春アドベンチャーは1993年頃によく聞いていたようです。マイクル・クライトンの「ジュラシックパーク」なんて、確か日本で映画が公開される前に放送していたし、「五番目のサリー」、赤川次郎の「ふたり」も面白かったような。

今日、この日記を書いているのは谷山浩子さんの「悲しみの時計少女」を思い出したから。映画 The Sixth Senseを見たら、この話を思い出したのです。驚くべきことに話に仕掛けられているトリックが同じなんです。Sixth Senseの構成も当時(2000年頃)としては目新しく衝撃的だったようなのですが、日本にはそれよりもっと前にあったのですよ!思わずニヤリとしてしまいます。

でも、15分という短い幸福の時間は10話分しか続きません。ですので、ラジオドラマは終わってしまうと寂しさがかなり残ります。次の話の初回があまり好きではないと、がっかりして、それ以降は飛ばしてしまったり…。

村山由佳さんの「天使の卵」もラジオドラマ化してたんですね。聞き逃したので残念。「ウォッチャーズ」「あの夜が知っている」「アナスタシア・シンドローム」とかは、スリラーでハラハラしながら聞いていました。そのあとで、「くたばれ!ビジネスボーグ」とか、「笑う20世紀」みたいなコメディも悪くなかった気がします。

当時インターネットが普及していたら、聞き逃すなんてこともなかったのかな。 でも、Podcastのように手軽なものでなく、ラジオに集中して決まった時間に聞くという、あのわくわくする雰囲気は忘れられません。しかも、当時、自宅には、古くて大きいのだけれど、立派なラジオがありました。当時はやりのラジカセのような無機質なものでなかったことも、楽しめた原因かな。


でも、それ以来、大学に入ってから、小説をゆっくり読むことが本当に少なくなりました。もったいないなぁと思います。教科書とかコンピューターの技術本のひどい翻訳ものを多く読むようなった時期です。洋書にしても、当時は小説以外のもは購入しにくかったですね。価格が高めだし、店頭にならんでいることもない。理・工学系のものばかり読んでいるうちに、文学的な美しさに触れる機会からはどんどん遠ざかっていきました。

それでも、僕が小説に触れる出発点だった青春アドベンチャーは続いている。 文学の中で生きている人がこんなにもたくさんいることに驚きを感じます。今は論文を書いている最中なので、技術的なものにしろ、文章を「職人的に書く」ことが、どんなに大変なことかを実感している時期です。素人だけれど、いっぱしの作家並にスランプはあるし。文学に生きている人たちをみると、いい物に触れ、書く経験を積むことをしてこなかった自分が少し悲しくなってきます。マイクルクライトンもいい作家にはなるには「たくさん書くこと」とコメントしています。

コンピューター屋さんでも、書くことはとても大事なのです。自分の作ったコードを多くの人に使ってもらうためには、やはり文章を書かないといけません。それも、面白く読めるように。 研究者としても、書くことは必要な能力。書くことで、理論が整理できて美しいコーディングにつながったり、大きくアイデアが変わることを実感したりします。 論文は本来、業績とか自分のためではなく、人のために書くべきものなのだけれど、書いて残すということは、研究の理解者を増やすという意味で、実は自分を助けることにもつながります。


まとめると、僕にとっての収穫は、
「物語は至福の時間を与えてくれる」ことを思い出せたこと。
「書き続けること」以外に上達の道はない、ということ。

最後は「継続は力なり」と同じですね。音楽などでもそう。僕の持論は「いいもの(あるいは成果)はオフラインで生まれる」。インターネットばかり眺めていても、もの知りにはなれるけれど、望むようには成長できないという感覚。

2006年7月22日土曜日

「天使の梯子」

気になったので、早速買ってきて読んでしまいました。

「天使の卵」は衝撃的な作品です。それゆえに、読んだ後、心にぽっかり穴が空いた状態になってしまいます。でも、その10年後のお話である「天使の梯子」は、そのときにできた心の隙間をやさしく埋めてくれる作品になっています。

10年という時間が経っても、辛い思いでの記憶は捨てきれるものではありません。思い出したくないことであっても、何かの拍子に記憶の「箱」から引き出されてしまう。生きていくために必要なのは、そういう記憶を忘れ去ることでも、乗り越えることでもなくて、ただ、新たなスタートラインに立つことなんだ、というメッセージが、この作品には込められているような気がします。

2006年7月21日金曜日

「天使の卵」 映画化

村山由佳さんの「天使の卵」は、僕が高校生のときに読んでとても衝撃を受けた作品です。

原作の解説はこちら

もう10年以上にもなるのですが、テレビドラマや映画を含めても、この作品ほど深い感銘を受けた作品は未だにありません。

不思議なことに、村山由佳さんは、この年代の男の子の心理をよく掴んでいるのです。彼女を守る正義のヒーローになりたいとか、偶然の再会に思いが止められなくなるとか、その他にも色々、心の迷いまでも的確に掴んだ心理描写があったと記憶しています。当時、僕も、主人公と同じくらいの年齢だったことや、よく絵を描いていたことも共通していたので、より一層、感情移入できたのかもしれません。

本当はもっと内容について書きたいのですが、書いてしまうと未読の人に悪いので書けません。ぜひ原作を読んでみてください。映画の方も小西真奈美というキャスティングはぴったりだと思うのですが、小説ほどの感動は生み出すのは難しいのではと、感じています。

映画化の情報ついでに、「天使の梯子」という続編も出ていることを知りました。「天使の卵」の10年後に出版、内容も、10年後とは…。読んでみたくなりました。村山由佳さんインタビュー

2006年3月28日火曜日

[大前研一] ロウアーミドルの衝撃

今のところ中流どころか、ロウアーミドル(lower middle中流の下)の気分にすらなれないので、衝撃を受けないし、「中流崩壊」にある話も等の昔から気づいていたので、最近話題になるのがおかしいと思いますが、これらの本で衝撃を受ける人もいるでしょう。

日本人に根付く「一億総中流」の意識とか、それに派生する「平等」という意識はとっても嫌なものです。本当の意味の平等とは、選挙権とか教育を受ける権利とか「法の下での平等」くらいでないと、訳がわからないものになりがちです。実際、政治家も混乱しています。

民主党の前原代表が言っていました。教育の機会平等が失われていると主張する文脈で、「親の所得と学力に相関関係がある」 => 「いい大学に入れない」=>「いい会社に入れない」=> 「所得が低くなる」、「このことについて小泉首相はどうお考えですか?」。 小泉さんから何を引き出したいかもわからない、とてもお粗末な質問の仕方なのですが、それよりも、いい大学 => いい会社 => 40代で給料のピークが来てしまった => 甘い起業の誘惑に手をだして失敗(士族の商法のように) という方々がたくさん出てきているのに、その甘い認識では、小泉さんに「学歴がすべてではない」と交わされてしまうのも無理はありません。

話はそれますが、「学歴が低くても政治家にはなれる」と豪語できる小泉さんの神経が不思議です。法律を作る能力のない人、世界だけでなく日本の歴史すら知らない人ばかりが政治家になるのがいいとは思えません。マスコミは「庶民」の感覚を持った人を褒めちぎりますが、そのような無能な人が政治家になるばかりで、大胆な政策は取れず(庶民の感覚だけでは無理です。知に裏打ちされた政策でないと他を説得できません)、結局、損をするのは、増税され年金の割が低い低所得の国民。役人は効率の悪い仕事、不要な施設拡充(世界最高水準の電子化といいながら、結局は窓口に行かなくては何もできない住基ネットや各種届出)で、税金をむさぼっている状態だというのに。

教育の機会均等って、親の仕事に従事しなければならない子の学習時間まで保護するようなものでもないでしょう。修学旅行の資金を出せない家庭に支援をとか、そういう話でもないのでは。中学や高校の3年間より、数日の修学旅行の方が印象に残ってしまうような学校の現場の方がおかしい。これも、学校内では「皆平等」に修学旅行まで行かなければならないという偽善が根底にあります。

そもそも、東大ブランドが通用するのって、日本だけですし、東大を出ても英語を話せない人はたくさんいますから、国際的な評価は相当低いものです。「いい大学」に入る機会が失われているというなら、「いい大学」を増やしてあげればいい。なぜ、それができないかというと、大学が東京にお伺いを立てないと新しい学部も作れないような中央集権型になっているから。

大前さんの本には、この辺りの問題への答えとなる魅力的な提案がいくつもあります。
まず、所得税をやめて、資産課税にする(アメリカの方式ですね)。
せっかく稼いでもそれに応じてたくさん税金をとられるのでは、稼ぐ意欲もなくなるというものです。
(配偶者の103万円ラインもこの例。これを超えると税法上の扶養家族になれないんですよね。なんともばかばかしい話です。)

サラリーマンの方は源泉徴収されているから、さらに税金に無頓着・無関心の人が多い。でも、公務員とか第一次産業従事者に比べて、税金が高いわりに保護が少ないのもサラリーマン。でも、無関心ゆえに、不平等な税金の使い道に怒りの声を上げようともしない。

そして、道州制による地方分権。日本を現行の都道府県よりもっと大きな単位で分割して、それぞれに自治性を持たせること。いい大学、地方独特の産業を育成するには、中央政府のスリム化ではなく、分権こそが必要だという論点には、納得できるものがあります。このままでは、中央政府の東京中心の視点に他の地域が引きずり回されて共倒れするような気配が漂っていますから。予算をとるためだけに、烏合の衆を集めて目新しい名前の学科の創設を申請するようでは、長期的な発展が見込めません。

ロウアーミドルが多くなっても、それに気づく人が増え、ハングリー精神が生まれるならいいのです。でも、それを挽回しようと、勉強もせずに安易に株や資産運用に飛びついてお金を増やそうとするのはいただけないです。株などによるキャピタルゲインは所詮取引で得るもの。取引そのものは、中身のあるものを創り出すわけではないのです。企業を育てるような中身のある投資は、自分自身がちゃんと資金を持つようにならないとできません(機会が廻ってこない)。

この本を読むまで全然知らなかったけれど、大前さんって東京都知事選に立候補してたようです。でも、そのとき当選したのはあの青島さん。それで現職は石原慎太郎。結局、選挙って著名人が勝つようです。石原さんは強気の外交ができるから、都知事なんかではなく政府側にまわって欲しい人なのですが。東京都から、対中国発言している様子をみると、とてもむなしく響きます。

改革といっても、自ら企画して大なたを振るえる人がまだ要職に付いていないのが悲しい。それなのに、知名度にだまされやすく、本質を持った人を国民が支持できる状態になっていないというところが、ますます悲しい。小泉さんは旧派閥を壊すという大きな成果をあげたけれども、彼自身、有意義な政策は練りだしていないのです。

プランを練れる人が実権についたときに、どれほどスピーディに世の中がいい方向に変わるのかを見てみたいのです。ここ数年間の様子を見る限り、これまでの人では、些細な方向(テーマとして大きく取り扱われてはいるけれど)に足をつっこんでばかりで、大事なところ(国民の利益に結びつくようなところ。食費が安くなるとか、給与が上がるとか)に結びつくところへの議論がなかなか進んでくれないのでがっかりなのです。

2005年11月24日木曜日

「超」整理日記2005-09-24「真っ先に民営化すべきは年金」

「超」整理日記2005-09-24「真っ先に民営化すべきは年金」

この記事の最後の方にある、給与所得がある人の年金を停止しているというのは、確かに変な制度。働かない方がいいと少しでも思わせる制度は問題が多すぎ。年金の第3号の支払い免除もそう。ここに手を付けないということは、ミクロ経済的な景気回復を狙っているとは思えない。

他にも、変な制度っていっぱいあります。保育園への入園って、基本的に夫婦共働きの人の子が優先順位高いのだけれど、 両親が学生だと、優先順位を低くされるのです。 少子化対策をしているとは到底思えません。

2005年11月14日月曜日

情報源の情報源

について書いていたら、また、うっかり、Windowを閉じてしまいました…。せっかく書いたのに悲しい。

後で書きやすいように、リンクだけ残します。CNN.com - Special Reports - CIA Leak Investigation

大前研一氏も同様のことを書いていたので、追記。

2005年10月26日水曜日

ハッカーと画家

ハッカーと画家 コンピュータ時代の創造者たち という本を発見。興味があるので読んでみようかと。Webでも一部邦訳が公開されています。



Computer Scienceに関わる人はhacker であることが多いのですが、たとえ大きな権威のある学会で発表されている研究論文であっても、その実装コードをみると職人とは程遠いものを感じます。

僕は、研究者であるとともに、職人であることに美学を感じます。たとえ小さな町工場の一職人であったとしても、技術やノウハウを蓄え、それに磨きをかけ続けている職人には、畏敬の念を覚えるのです。

hacker という言葉は、cracker(システムに侵入・破壊するプログラマ)とは通常区別して使われ、天才プログラマに与えられる称号のようなものとなっていま す。 僕がイメージするhackerという言葉 は、まさに職人。コンピュータを取り巻く環境の変化は急速であり、匠・師匠となるような人は少ないため、現代のhackerとは、自ら成長していける人の ことだ と僕は考えます。 身の周りの情報の中から、技術のエッセンスを見出し、吸収し、己を鍛える。 いわば、世の中全てから学んでいく職業。 そして、画家のように、想像力を働かせて新しいものを生み出す仕事。 素敵です。

2005年10月22日土曜日

フォトリーディング

フォトリーディングというと、写真のようにページを見て、内容を頭に焼き付けるというイメージを持っている人が多いと思うのですが、ちょっと違います。目 の周辺視野を鍛えて「10分で1冊」という速読法もありますが、それとも違う。斜め読みとも似ているけれど、本当のところは、最近はやりの右脳トレーニン グなんてまどろっこしいことなしに、すぐ始められる効率の良い読書術というのが正解。

そ れにしても、日本の出版社って、売るために「10倍速く読める」というキャッチフレーズを付けたりするのですが、原題はシンプルに 「PhotoReading」とすっきりしています。 まぁ、「世界の中心で愛を叫ぶ」なんて、タイトルの付け方だけで、ぐっと魅力的になる(著者は違うタイトルを考えていたのに、担当がこうしましょうと言っ たとか)ので、ビジネス的には仕方がないのだろうけど、能力開発系のタイトルになると品がなくて嫌いです。そんな本を読んでいると自分に能力がないみたい な気にさせられるから(^-^;;



フォ トリーディングの方法って、本を読むのが早い人は無意識のうちに使っているテクニッ クだと思います。まず、どんな内容の本なのかを軽く見ておいて、鳥瞰図ような視線の使い方で全ページにざっと目を通す。そうしておくと、ページに親しみが 湧くので、一字一句文章を追わなくても、文章中のキーとなる部分に着目しやすくなるので、通常の読み方でなくても、 ページの末尾から逆方向に読んだり、本をひっくり返して読むなんてことをしても内容がつかめるようになります。

そして、読んだ内容を記憶 に定着さ せるために、頭の中で内容を要約してみるなど、書いてあった内容について想起し、また本を見て能動的に情報を吸収するよ うにします。そうすると、一行ずつ頭の中で音読しながら読むより、本を読んだ理解したという充実感が得られます。要するに、本を一回通して読むより、繰り 返して読 む方が内容を把握しやすいのは自明なので、その繰り返して読むというフェーズの時間短縮を図る読み方が、フォトリーディング。

簡単にできるので、お試しあれ(^-^)
でも、小説は一行ずつ読む方がおもしろいですよね。


クリック♪

2005年10月9日日曜日

いつでも野菜を

野菜を買っても使い切れないことが多かったので、この本はとっても助かります。
1皿に使う食材の種類も多くないし、本当に普段の料理用として、ぱっとつくるのに良さそう(^-^)

2005年10月7日金曜日

生協の白石さん

生協の白石さんを応援するブログ

文字のやり取 りって素敵。日常会話だと、場に合わせた答えにならざるを得ないけれど、白石さんは、表情が見えない分、返事を書くときに、「こういう答えを したほうが面白いだろうな」という気配りが見えて、心が温まります。いきなり「プロ野球チップス」の宣伝をしてみたり、そういう話題がでてきても違和感が ないのは、紙の掲示板という媒体ならでは。

「単位がほしいんです」 「そうですか、単位がほしいですか。私は単車が欲しいです。お互い頑張りましょう。(白石)」

通 して読んでみると、学生と白石さんの間のやり取りとが人気を博するのも納得できます。親しすぎず、かといって決して事務的になることもなく、適度な距離 感。たとえ、名前や顔がわからなくても、生協に勤めているという点で、怪しい人ではないという安心感もいい方向に働いているのでしょう。ミステリアスなと ころも魅力的ではあるけれど。

手紙のように、文字によるやり取りの魅力を再認識しました。日々の会話で、その都度相手のことを考えて発言 するのって、難しいから。携帯メールだと、どう しても日常の短いやり取りに近くなってしまい、意外性のあるメッセージにはなかなか出会わないし、パソコンから長い文章をe-mailで送ったとしても、 一方通行な発言になりがち。

ほんの少しだとしても、気持ちのこもった言葉というのは、「今日も一日がんばろう」という気にさせてくれる。言葉って素敵。

2005年8月9日火曜日

成果を挙げるのは、習慣的な力

成果を挙げる人間のタイプなどない。成果を挙げる人間は千差万別で、タイプや、個性、才能では成果を挙げないExcectiveとはまったく区別できない。

成果を挙げる人間に共通しているのは、成すべきことを成し遂げる能力を持っていること。
成果を挙げるには、習慣的な能力が必要で、その習得には、練習を重ねて習得することが必要。

習慣的な能力は以下の5つ:

  1. 自分の時間が何に取られているかを知ること。そして、残された時間を体系的に管理すること。
  2. 外部の世界に対する焦点を当てること。成果にその勢力を向けること。仕事からスタートしてはいけない。「期待されている成果は何か」を自問するところからスタートする。
  3. 強みを基準に据えること。まわりの人間についても、彼らの強みを基準に据えて、できることを中心に据えなければならない。弱みを基盤にしてはだめ。つまり、できないことからスタートしてはならない。
  4. 優れた仕事が際立った成果をあげる領域に力を集中すること。優先順位を決定し、その決定を守るように自らを強制しなければならない。最初に行うべきことを行う。2番目にまわすようなことは、まったく行ってはならない。さもなければ、何事も成し遂げられない。
  5. 成 果を挙げるよう意思決定を行うこと。とどのつまり、これは手順の問題である。そして、成果をあげる意思決定は、過去の事実に基づいての合意 ではなく、未来についての異なる意見に基づいて行わなければならない。だからといって、数多くの意思決定を手早く行うことは間違いである。行うべきは、基 本的な意思決定である。諸所の戦術ではなく、ひとつの正しい戦略についての意思決定である。

成果をあげるべきものを取り巻く現実

「経営者の条件」 P.E. Drucker より

Exectiveが成果を挙げる際の障害:
  1. 自分の時間は、他人の自由にされてしまう
  • 顧客・上司から電話がかかると、貴重な30分はあっという間に過ぎ去る
  • Exectiveは、日常業務に追われる
    • 職歴を通して実につけたものから脱却できない
    • 貴重な時間を、日常業務に浪費・埋没させてしまう
    • 日常の仕事の流れが、Exectiveの関心と行動を決定してしまう
    • 医者にとっては、患者を診るという日常に身を任せることで、優先して取り上げるべき問題は自ずと見えてくる
    • しかし、Exectiveははるかに複雑な事象に対峙している
      • 日常業務内の個々の事象は、Exectiveとして解決すべき問題の手がかりですらないかもしれない
    • 貢献と成果に向けて働くことを可能にする判断基準
      • これは、日常の仕事のなかからは見出せない
  • Exectiveは、組織の一部であり、他の人が貢献を利用してくれるときのみ、成果を挙げられる
    • 組織とはさまざまな個を生かすもの。個々はそれぞれに専門を持ち、それぞれに関心を持つ。
    • 互いに同僚が生み出すものを利用できる能力がなければならない
    • 自らの貢献が、他に利用され、成果に結びつかないと、成果をあげたことにはならない
  • Exctiveは組織内部の人間である
    • 組織の内部には成果は存在しない
    • 成果は、外部の世界で認められるもの。組織の内部には存在しない
      • 医者は、患者がいて初めて成果を挙げる
    • 内部から外を見るときには、分厚いフィルターがかかる
      • 報告書などの高度に抽象的なもの
    • 外部の世界に直接触れるべく、特段の努力が必要となる

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