ローマー『これからの社会主義 市場社会主義の可能性』(その6)


 はい、ローマーの『これからの社会主義』の書評です。で、今度こそ本当に最後ですわ。もう前の話とか忘れている人が多いですかね。別にいいんすけど。


 ローマーが『これからの社会主義』で紹介した「市場社会主義」は、「クーポン型市場社会主義」って言われているんですよね。
 それはどういうものかというと、

企業の利潤は、個人株主に配分される。はじめに、政府がすべての成年市民に一定数のクーポン(引換券)なりバウチャー(証票)なりを配布し、市民はそれらを、正規の通貨ではなくクーポンで価格表示されている企業の株式の購入に用いる。(ローマー『これからの社会主義』p.68)

クーポン株式市場では貨幣が使えないのであるから、少数の富裕な市民階級が株式の大部分を所有してしまうことにはならないであろう。そして、少人数の階級に企業の所有権が集中することは、こうして防げるのだから、そのような国民経済における経済政策は、資本主義の経済政策とは顕著に異なるものとなるであろう。(同前p.69)

各人のクーポンの投資株式証券の束は、死亡時に国庫に返還され、成年に達した新たな世代に継続的にクーポンの配分がおこなわれるであろう。こうして、クーポン制度は、人びとにその生涯にわたり国民経済の総利潤の分け前を与え、同時にまた、企業の危険負担とモニターのための方策として株式市場が有する適切な特性を利用するための機構をなすのである。(同前)


 井上智洋は『人工知能の経済と未来』(文春新書、2016)の中でこのローマーのクーポン型市場社会主義を紹介しています。なかなかうまくまとめているので、ここでも参考にさせてもらいます。


 この社会体制では、つまり国民全体が(強制的に)「資本家」になるのです。株は(今持っている人から取り上げて)国民みんなに平等に分配されます。しかも株はお金では売り買いできないので、大資本家・独占資本家が現れない。株は相続できない。死んだら国に返します。資本家階級を「撲滅」せずに、階級をなくす、というわけです。


人工知能と経済の未来 2030年雇用大崩壊 (文春新書) もともと井上は、AI(人工知能)が中心になった経済=純粋機械化経済なら、国家がすべて生産手段やAIを管理する、ソ連型の集権型計画経済を使えばうまくいくんじゃないか? という問いを立ています。国が生産手段を所有・管理して、生み出された富も分配すればいいのですから。(ちなみに井上は、“ソ連型社会主義というのはよく言われるように所得を平等にするのではなく、むしろ努力と能力に応じて報酬が得ることを目指すシステムだ”と正確に書いていてびっくりします。)


 その上で、井上は推論を進め、ソ連型社会主義の失敗の原因は「所得の平等化」にあるのではなくて、中央計画当局による計画経済にあると指摘します。
 一元的な計画経済は、(市場メカニズムほどには)需要・供給にもとづく資源の配分ができないだろ、というわけです。実際にこれはそうでした。


 仮にAIやコンピューターが発達して需給管理が一元的にできるようになったとしても、今度は「起業」ができない。つまり創意工夫を持って企業を起こしたりそれで競争するというイノベーションが起こせない、と指摘します。
 これはローマーの指摘とも一致していて、ソ連型社会主義は確かに1970年代くらいまでは高い経済成長を示していたのに、その後失速していったのは、技術革新が起こせなかったからだといいます。

それら諸国経済は、第二次世界大戦によって大いに荒廃しており、その再建が、技術革新なしにも(いわゆる外延的拡大により)経済的福利を大きく増加したからである。一九八〇年代までには、あるいはもうすこし早い時期までには、経済的福利の成長は、技術革新をし、改善された諸商品を生産する新技術を採用する国民経済の能力にずっと大きく依存するようになっていた。……正確に述べれば、国内的および国際的な市場のもたらす競争なしには、産業企業は技術革新をせまられることにはならないし、競争という動機なしには、すくなくとも市場経済が産みだすほどの速度では技術革新はおこらない、ということになる。(ローマー前掲書p.60-61)


 そして井上は、ローマーのクーポン型市場社会主義を紹介し、これなら分権的だし、ソ連型社会主義の欠点を克服しているように思えるとして

さしあたりこの体制は、資本家しか収入が得られない純粋機械化経済にふさわしいものと言えそうです。(井上、kindle2070/2514)

と高い評価を与えるのです。
 「資本家しか収入が得られない純粋機械化経済」というのは、AIの時代になると、多くの仕事がAIに取って代わられてしまい、労働者は搾取すらされなくなり、野垂れ死ぬしかなくなるのではないか? という予想を井上が立てているからです。儲けられるのはAIを持っている資本家だけ、ということです。


 だけど、ローマーの構想を聞いて、ぼくが感じたのは、ものすごく理性主義的な構想、言い換えると人造的な制度設計のように思ったのです。
 社会の中から生み出されて次第に広がっていく制度ではなく、いまある制度をぶち壊して人間が考えた制度を押し付けるようなイメージです。
 だってそうでしょ?
 株式を平等に国民みんなに配って、「は〜い、これからみなさん、資本家になってどこでもいいので投資してくださいね〜」「収入はその儲けだけになりま〜す」ってやるんですよ。


 これは、利潤分配の機会平等という点ではいいですけど、もうからない企業に投資してしまうと所得の最低保障もないし、経済が利潤追求の競争にまきこまれて合理的に規制・コントロールできる保障もありません。自然破壊をやったり、働きすぎが起きても必死で利潤確保をしようとするので、それだけでは止められません。


 井上も、ローマーの構想をいったん持ち上げて、その後で疑問を書いています。
 つまりいま株を持っている株主から株を取り上げるわけで、ものすごい大きな抵抗が考えられます。「黙示録的な革命が必要」とまでいっています。
 そして、株価が下がれば収入が減るし、赤字になれば配当はなく、倒産すれば株式は「紙屑同然」となります。
 この批判は全く正しいのではないでしょうか。



 ローマーは自分の構想が日本や西ヨーロッパのようないわゆる「先進国」では無理だろうなということを告白しています。

先進民主主義的資本主義では、見通しうる将来について、市場社会主義への転形はごくありそうもないと思う。というのは、そこでは私有財産を保障する法律と制度とが、国民の圧倒的多数に支持されているという意味において安定的だからである。(ローマー、p.161)

 おいおい、なんだよそりゃ……。
 ローマーは、南アフリカ、エル・サドバドル、ブラジルなどを例にあげて、そういう国なら市場社会主義への変化はありうると言うのです。つまり、今の資本主義体制にあんまり支持がなく、思い切った社会変革を望んでいる国なら候補になるなと思っているわけです。
 これはまあ2000年代前半に中南米で左派政権が次々誕生したことを予期していたと言えるわけだけども、結局先進資本主義国じゃあ俺の構想は無理だな、と白旗を初めからあげていたとも言えます。


 いずれにせよ、ローマーの市場社会主義は、社会主義を考える上では比較のためにあれこれ参考になったのですが、ぼくはその構想自体を支持することはできません。


 これでローマーについては終わりです。