カツオがつなぐ縁
昨年12月15日は、「日本画家 本田鼎雪」と題し、鼎雪さんが描いたカツオの絵のことをブログに書きました。そこでは、「気仙沼市史」における関連記述を引用したうえで、つぎのように記したのです。〈こうして長文を引用したのは、ネット上に本田鼎雪さんの情報が少なかったからです。こうしてブログに書いておけば、鼎雪さんのことを調べる方の目にとまることもあるかなと〉
三陸新報12月14日掲載広告より
2016年12月15日ブログ「日本画家 本田鼎雪」
いやあ驚きました。その2週間後の12月30日に、「くらげ」さんという方から、つぎのコメントが投稿されたのです。
「 ブログ拝見いたしました。帰省で実家に戻ったところ、母から自宅にある絵画の作者を調べるよう依頼され、こちらに辿り着きました。漁業を営んでいた実家を新築した時に取引先からいただいたものです。今では廃業していますが同じく鰹の絵で今でも大切に飾ってあります。こちらのブログがあったおかげでどんな方が描かれたものかすぐ調べることができました。ありがとうございました」
年末や年始ということもあって、「くらげ」さんの投稿に気付いたのは1月5日のこと。すぐにつぎのように返信しました。
「 投稿、ありがとうございました。ブログ文中に検索時の役に立てばと書いたのですが、早速このようなご連絡をいただくとは。本当に驚きました。ご実家が気仙沼なのかほかの地域なのかわかりませんでしたが、漁業でのご縁があるのですね。どうぞ鼎雪さんの絵を愛蔵くださればと。これをご縁にどうぞよろしくお願いいたします」
これに対し、「くらげ」さんが再度コメントを投稿したそうなのですが、うまくいかなかったとのこと。そして、1月29日に、つぎの投稿が届きました。これで、ご実家の所在県がわかりました。
「 こんにちは。コメント投稿したつもりが反映してなかったのでリベンジです。大変失礼しました。実家は気仙沼からはかなり遠く離れた三重県になります。これをご縁に気仙沼のことはいつも気にかけております。 今後共よろしくお願いします」
ご実家が三重県の方だったのです。私が気仙沼でくらしていたころ、カツオ漁の季節になると、気仙沼港にはたくさんの三重県籍の漁船が係留されていました。よく覚えています。ほかには高知県や宮崎県の船も。
私が〈三重県〉と聞くと必ず思い出す小学生の頃の記憶。それは、私の実家の近所、魚町坂口の鼈甲屋(べっこうや)の裏庭です。一年上のフジオちゃんや一年下のタカオちゃん、そしてさらに下のヒデオちゃんの昆野家3兄弟や近所の子らでよく遊んでいました。その裏庭に面した座敷というか部屋を、〈三重県の餌(えさ)買いさん〉が借りていたのです。季節は夏だったか。
当時、〈ミエケン〉という言葉をどのように理解していたのかはわかりませんが、いまだに反応するのは、なにか印象的な人だったのでしょう。そのおじさんが何か面白いことを言う人だったとか。
ここまで書いて思いついたことがあります。その餌買いさんにも小学生の子供がいたのではないか。煙草を吸いながら私たち子供たちの缶けりなどを見て、三重で待っている子供たちを思い出していたのではないか。
〈なんだっけオダくん、まだ妄想がはじまったのすか〉
そうだね。この辺でやめておきましょう。でもね、その可能性は否定できない。ゼロではない(笑)。というようなことで、気仙沼と三重には、カツオ漁がつなぐ深い縁があります。「くらげ」さんの家もカツオ船をもつ漁業家だったのでしょう。そのご実家の新築祝いに、気仙沼の魚問屋あるいは魚市場、漁協といった取引先が鼎雪さんのカツオの絵を贈ったということでではないか。
本田鼎雪さんのカツオの絵を通じて、くらげさんを知ることができました。そして、気仙沼と三重をつなぐカツオの縁をあらためて思い出させてくれました。1982年に亡くなった鼎雪さんも喜んでくれることでしょう。くらげさん、ありがとうございました。今後ともどうぞよろしく。
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2016年12月15日ブログ「日本画家 本田鼎雪」
いやあ驚きました。その2週間後の12月30日に、「くらげ」さんという方から、つぎのコメントが投稿されたのです。
「 ブログ拝見いたしました。帰省で実家に戻ったところ、母から自宅にある絵画の作者を調べるよう依頼され、こちらに辿り着きました。漁業を営んでいた実家を新築した時に取引先からいただいたものです。今では廃業していますが同じく鰹の絵で今でも大切に飾ってあります。こちらのブログがあったおかげでどんな方が描かれたものかすぐ調べることができました。ありがとうございました」
年末や年始ということもあって、「くらげ」さんの投稿に気付いたのは1月5日のこと。すぐにつぎのように返信しました。
「 投稿、ありがとうございました。ブログ文中に検索時の役に立てばと書いたのですが、早速このようなご連絡をいただくとは。本当に驚きました。ご実家が気仙沼なのかほかの地域なのかわかりませんでしたが、漁業でのご縁があるのですね。どうぞ鼎雪さんの絵を愛蔵くださればと。これをご縁にどうぞよろしくお願いいたします」
これに対し、「くらげ」さんが再度コメントを投稿したそうなのですが、うまくいかなかったとのこと。そして、1月29日に、つぎの投稿が届きました。これで、ご実家の所在県がわかりました。
「 こんにちは。コメント投稿したつもりが反映してなかったのでリベンジです。大変失礼しました。実家は気仙沼からはかなり遠く離れた三重県になります。これをご縁に気仙沼のことはいつも気にかけております。 今後共よろしくお願いします」
ご実家が三重県の方だったのです。私が気仙沼でくらしていたころ、カツオ漁の季節になると、気仙沼港にはたくさんの三重県籍の漁船が係留されていました。よく覚えています。ほかには高知県や宮崎県の船も。
私が〈三重県〉と聞くと必ず思い出す小学生の頃の記憶。それは、私の実家の近所、魚町坂口の鼈甲屋(べっこうや)の裏庭です。一年上のフジオちゃんや一年下のタカオちゃん、そしてさらに下のヒデオちゃんの昆野家3兄弟や近所の子らでよく遊んでいました。その裏庭に面した座敷というか部屋を、〈三重県の餌(えさ)買いさん〉が借りていたのです。季節は夏だったか。
当時、〈ミエケン〉という言葉をどのように理解していたのかはわかりませんが、いまだに反応するのは、なにか印象的な人だったのでしょう。そのおじさんが何か面白いことを言う人だったとか。
ここまで書いて思いついたことがあります。その餌買いさんにも小学生の子供がいたのではないか。煙草を吸いながら私たち子供たちの缶けりなどを見て、三重で待っている子供たちを思い出していたのではないか。
〈なんだっけオダくん、まだ妄想がはじまったのすか〉
そうだね。この辺でやめておきましょう。でもね、その可能性は否定できない。ゼロではない(笑)。というようなことで、気仙沼と三重には、カツオ漁がつなぐ深い縁があります。「くらげ」さんの家もカツオ船をもつ漁業家だったのでしょう。そのご実家の新築祝いに、気仙沼の魚問屋あるいは魚市場、漁協といった取引先が鼎雪さんのカツオの絵を贈ったということでではないか。
本田鼎雪さんのカツオの絵を通じて、くらげさんを知ることができました。そして、気仙沼と三重をつなぐカツオの縁をあらためて思い出させてくれました。1982年に亡くなった鼎雪さんも喜んでくれることでしょう。くらげさん、ありがとうございました。今後ともどうぞよろしく。
テーマ : 東日本大震災支援活動
ジャンル : 福祉・ボランティア