2025-05-03

メンヘラは自惚れている

まず最初に断っておきたいが、この記事私自身が長年、実際に経験し、苦しめられ続けた「メンヘラ」と呼ばれるタイプ人間についての、個人的な主張である

私の過去の苦々しい体験を通じて至った結論を、正直に述べることにした。

メンヘラというのは一見繊細で傷つきやすい人々というイメージがあるかもしれないが、私の経験上、彼らの本質自己愛の塊、自惚れの象徴と言ってもいい。

実際にメンヘラ人間と接すると、その過剰な自己肯定感自己中心性に何度も辟易させられた。

まず、私が過去に遭遇したメンヘラ的な人物との交流共通していたのは、全ての物事自分中心でしか捉えられない点だった。

彼らは自分感情けが絶対的価値を持つと信じ込み、周囲の状況や他者感情には全くと言っていいほど配慮しない。

例:深夜の電話感情の押しつけ

以前、私が関わったあるメンヘラ気質の友人は、些細な理由でひどく落ち込むことが頻繁にあった。

落ち込むだけなら誰でもあるが、問題はその友人が落ち込んだ時、周囲の人間全員が彼女感情のためだけに存在するかのように振る舞ったことだ。

私が仕事で忙しいときでも、深夜に何度も電話をかけてきては、

「私はこんなにつらいのに、どうして話を聞いてくれないの?」と責め立ててきた。

彼女の頭の中には、他者自分以外の事情で忙しい可能性など存在しないのだ。

さらに言えば、メンヘラはしばしば被害者意識を強烈に持っているが、その実態自己陶酔に他ならない。

彼らは自分いかに不幸で、他人から理解されず苦しんでいるかを延々と語るが、それは結局、自分自身に酔いしれるための行為である

悲劇主人公を演じて周囲から注目を浴び、慰められることが目的であり、本当の意味で状況を改善しようという気持ちほとんどない。

私がこれまで接してきたメンヘラ的な人間の多くは、確かに心理的な傷や過去トラウマを抱えていた。

しかし、それを理由他者に対して無制限要求し、自分感情他人に背負わせることを正当化していた。

しかも、それを指摘すると、

理解がない」

「冷たい人間だ」

逆ギレされ、自己正当化を続ける。

こうした体験を通じて気付いたのは、メンヘラ的な人間は決して繊細で傷つきやす弱者などではなく、自己愛と自惚れに満ち溢れた傲慢存在だということだ。

自分けが特別存在であり、他者はその感情理解し、無条件で受け入れるべきだという思い込みは、まさにナルシシズムのものだ。

私自身も過去には、メンヘラ的な友人の感情を無理に理解しようとしたり、支えようとして疲弊しきってしまった。

最終的に、自分自身の生活精神状態に深刻な影響を与えられるまでになり、ようやく彼らから離れる決断をした。

今、冷静に振り返れば、メンヘラ的な人物にとって他者は単なる道具であり、自分感情を映す鏡にすぎなかったのだと思う。

理解されたい」は「肯定されたい」

彼らの「理解されたい」という欲求は、実際には自分存在肯定してほしいという自己中心的な承認欲求であり、

それを満たすためには他人をどれほど犠牲にしても構わないという態度が見え隠れしていた。

さらに困ったことに、メンヘラ的な人々は頻繁に「依存」を強要する傾向がある。

彼らは人間関係を支配しようとし、自分の弱さや不安定さを盾にとって相手を束縛する。

自由を奪われ、絶えず気を使わざるを得ない状況に追い込まれ、その結果、健全人間関係が築けなくなる。

また、メンヘラ人間は往々にして矛盾した行動を取ることも多い。

自分は常に支えてもらうべき特別存在だと主張しながらも、他人が少しでも弱さを見せたり助けを求めたりすると、

途端に興味を失い、冷淡な態度を取る。

この二重基準が、人をさら疲弊させる。

もしこの記事を見ている人が、同じようなメンヘラ的な人物に絡まれて苦しんでいるなら、はっきり伝えたい。

あなたには彼らの感情を背負う義務などない。

彼らが自らを悲劇主人公として演じる自己陶酔の舞台に付き合う必要は全くない。

自分犠牲にしてまで彼らに尽くす義務もない。

メンヘラという存在は究極の自己愛、自惚れによって形成される。

他人を巻き込んで自己承認欲求を満たそうとする彼らの行動に同情の余地はない。

強烈な自己中心性とナルシシズム支配され、周囲を疲弊させるメンヘラ人間とは、

一刻も早く距離を取ることが最善の解決策だと、私は自らの痛みを通じて学んだのである


以上が、私が実際の経験を通じて導き出したメンヘラ真実である

彼らは決して弱者などではなく、単に自己陶酔の中で他者を消費する自己中心的な存在なのだ

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん