まず最初に断っておきたいが、この記事は私自身が長年、実際に経験し、苦しめられ続けた「メンヘラ」と呼ばれるタイプの人間についての、個人的な主張である。
私の過去の苦々しい体験を通じて至った結論を、正直に述べることにした。
メンヘラというのは一見繊細で傷つきやすい人々というイメージがあるかもしれないが、私の経験上、彼らの本質は自己愛の塊、自惚れの象徴と言ってもいい。
実際にメンヘラの人間と接すると、その過剰な自己肯定感と自己中心性に何度も辟易させられた。
まず、私が過去に遭遇したメンヘラ的な人物との交流で共通していたのは、全ての物事を自分中心でしか捉えられない点だった。
彼らは自分の感情だけが絶対的な価値を持つと信じ込み、周囲の状況や他者の感情には全くと言っていいほど配慮しない。
以前、私が関わったあるメンヘラ気質の友人は、些細な理由でひどく落ち込むことが頻繁にあった。
落ち込むだけなら誰でもあるが、問題はその友人が落ち込んだ時、周囲の人間全員が彼女の感情のためだけに存在するかのように振る舞ったことだ。
「私はこんなにつらいのに、どうして話を聞いてくれないの?」と責め立ててきた。
彼女の頭の中には、他者が自分以外の事情で忙しい可能性など存在しないのだ。
さらに言えば、メンヘラはしばしば被害者意識を強烈に持っているが、その実態は自己陶酔に他ならない。
彼らは自分がいかに不幸で、他人から理解されず苦しんでいるかを延々と語るが、それは結局、自分自身に酔いしれるための行為である。
悲劇の主人公を演じて周囲から注目を浴び、慰められることが目的であり、本当の意味で状況を改善しようという気持ちはほとんどない。
私がこれまで接してきたメンヘラ的な人間の多くは、確かに心理的な傷や過去のトラウマを抱えていた。
しかし、それを理由に他者に対して無制限に要求し、自分の感情を他人に背負わせることを正当化していた。
しかも、それを指摘すると、
「理解がない」
「冷たい人間だ」
こうした体験を通じて気付いたのは、メンヘラ的な人間は決して繊細で傷つきやすい弱者などではなく、自己愛と自惚れに満ち溢れた傲慢な存在だということだ。
自分だけが特別な存在であり、他者はその感情を理解し、無条件で受け入れるべきだという思い込みは、まさにナルシシズムそのものだ。
私自身も過去には、メンヘラ的な友人の感情を無理に理解しようとしたり、支えようとして疲弊しきってしまった。
最終的に、自分自身の生活や精神状態に深刻な影響を与えられるまでになり、ようやく彼らから離れる決断をした。
今、冷静に振り返れば、メンヘラ的な人物にとって他者は単なる道具であり、自分の感情を映す鏡にすぎなかったのだと思う。
彼らの「理解されたい」という欲求は、実際には自分の存在を肯定してほしいという自己中心的な承認欲求であり、
それを満たすためには他人をどれほど犠牲にしても構わないという態度が見え隠れしていた。
さらに困ったことに、メンヘラ的な人々は頻繁に「依存」を強要する傾向がある。
彼らは人間関係を支配しようとし、自分の弱さや不安定さを盾にとって相手を束縛する。
自由を奪われ、絶えず気を使わざるを得ない状況に追い込まれ、その結果、健全な人間関係が築けなくなる。
また、メンヘラの人間は往々にして矛盾した行動を取ることも多い。
自分は常に支えてもらうべき特別な存在だと主張しながらも、他人が少しでも弱さを見せたり助けを求めたりすると、
途端に興味を失い、冷淡な態度を取る。
もしこの記事を見ている人が、同じようなメンヘラ的な人物に絡まれて苦しんでいるなら、はっきり伝えたい。
彼らが自らを悲劇の主人公として演じる自己陶酔の舞台に付き合う必要は全くない。
メンヘラという存在は究極の自己愛、自惚れによって形成される。
他人を巻き込んで自己の承認欲求を満たそうとする彼らの行動に同情の余地はない。
強烈な自己中心性とナルシシズムに支配され、周囲を疲弊させるメンヘラの人間とは、