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2018年1月3日水曜日

Z世代に捧げる!2021年以降の日本人サバイバル術〜デジタル音痴なオトナに騙されないで!

 作秋は自分が主宰するセミナー以外に依頼された講座が7つあった。テーマは音楽ビジネスに関するものだったので、自分の中の引き出し、これまで用意した資料のアレンジで対応するつもりだった。著書の出版以来、「講演の依頼は原則的に全部引き受ける」と決めている今の僕は、スケジュールが大丈夫なら、詳細は考えずにお受けしている。2週間位前から、資料作りをはじめるのだけれど、一つだけ困った講座があった。順天高校のGlobal Weekだ。 
これまでの僕は、既存の音楽ビジネスで頭が固くなった人をほぐすような話をする場面が多かった。大学生に対しても音楽業界の現状から話を始める。

 ところが、高校生となると2000年代生まれ、アメリカ社会学者的に言うとGeneration Zだ。2013年に『世界を変える80年代生まれの起業家』というインタビュー集を刊行している僕は80年代、90年代生まれののY世代とは起業家、音楽家を中心に、日常的にコミュニケーションがあるけれど、Z世代は未体験ゾーンだ。一般的な高校生に今の日本音楽ビジネスについて語って何か意味があるのだろうか?
 クラウド化してパッケージではなく、スマホでストリーミングで聴くって話をしても「はい。知ってます」で、何の驚きも発見も無いだろう。
 デジタル環境の変化とコンテンツ消費の方法については、ジェネレーションギャップが大きい。60代と10代では常識が全く違うのが今の時代だ。
 2000年代生まれの高校生に対して僕が語るべきことってあるのだろうか?真剣に考えたら見つかった。「オトナに騙されるな。奴らはデジタルがわかってないから、たいていの場合、判断を間違っている」ということを伝えようと思った。大きなテーマで、消化不良だったかもしれない。改めて年始にこのテーマをブログにまとめておきたい。
 題して、「2021年以降のZ世代日本人のサバイバル術」 だ

 その前に、今日のテーマとも関連がある、前回の「独断的音楽ビジネス予測2018」に書き落とした中国、アジア市場の話をしたい。2015年12月中国政府の国家計画の発表以来、それまで違法サイト天国だった中国に音楽市場が「出現」したことは前回書いた。中国の「IT財閥」テンセントが運営するQQmusicはSpotifyと同種のフリーミアムモデル、オンデマンド型のストリーミングサービスだが、月間アクティブユーザ数は約1億8,500万人。月額10元(170円)の有料会員2,500万人超したと言われている。寸年で日本市場を規模で凌ぐだろう。

さて、有料音楽ストリーミングサービスが中国で広まっていることで、起きていることがもう一つある。御存知の通り、中国はスマートフォンの普及率が高く、決済などもすべてスマホで完結する仕組みができあがっている。中国の音楽ファンは、QQmusicで聴いた楽曲がきっかけでアーティストが好きになると、そのアーティストの詳細を知り、コンサートに行きたいと思えば、電子チケットを買い、コンサート会場に行き、SNSで感想を述べつつ、感動した勢いでアーティストグッズを買う。これが全部、自分のスマホ内で完結する。おそらく多くの中国人にとっては、自然な行動だろう。

 でも、もし日本人のアーティストが好きになったらどうだろうか?コンサート情報が日本語以外で得られることはめったにない。スマホ決済もできないので、コンサートチケットが買えない。コンビニ受け取りって言われても。それでも数々の障壁を超えて、コンサートを観た後に思うだろう「日本ってなんてITの遅れた国なんだろう」。音楽を聴いたり、アーティストの情報を得るのに障害が多過ぎる。正月に、ウエブ上にジャニーズ事務所のタレントの写真がアップされたことを驚きとともに伝えるニュースがあったけれど、いくらなんでも時代にズレすぎだ。

 一方で、日本人の普通の感覚として、ITサービスで、中国やASEAN諸国に大きく遅れを取っているという認識はないのではないか?少なくとも音楽ビジネスにおいては、日本はアジアで最も遅れた国になってしまっているかもしれない。僕は音楽業界人の端くれとして、そのことが心の底から恥ずかしいし、悔しい。これは、「このままだとそうなってしまうから警笛を鳴らす!」という近未来の話ではない。まだ顕在化されてないだけで、2018年1月現在「既にそうなってしまっている」事態だ。
 僕が主張しているように、インバウンドの分野でコンサートが貢献できるとしたら、この問題をクリアにしなければならない。ユーザー向けのITサービスの後進国日本、そんな時代に僕らは生きている。
そして、ついでにいうと、日本は中国市場を無視してビジネスすることがあり得ない時代だというのも常識と言ってよいだろう。
 ネット言論に多い、無知と偏見に満ちた「嫌韓論」は、反吐が出るほど大嫌いだけれど、クールに考えれば、韓国とは付きあわないという選択肢はあり得ると思う。市場も小さいし、経済的な補完関係もあまり大きくない。文化的、政治的に摩擦があるなら、避けて通ってもそれほど大きな損失があるとは思わない。でも、中国は違う。
 世界最大の消費市場が、すぐ近くに存在していて、その国とは文化的な共通項も多く、日本のポップカルチャーに魅力を感じる若い世代もたくさんいる。日本が培ってきた、西洋型のルールやカルチャーを東洋流に昇華している、いわゆる「和魂洋才」なやり方は、アジア各国に参考になるはずだ。著作権ルールや新しいポップスの創り方など、日本流がリファレンスとしてアジアで貢献できることは多い。中国と連携できたらメリットは計り知れない。
 
 さて、今日のテーマはZ世代の日本人サバイバル術だ。 僕が2000年代生まれの彼らと向き合って伝えたかったことは、以下の通りだ。当日の投影資料を並べてみよう。

 テーマ1「オトナ達はわかってないことを知る」

 ・情報のデジタル化、インターネットの発展、IoT、人工知能(AI)など、近年に起きている社会、産業の変化は、本質的かつ不可逆的な人類史上でも稀にみる大きなものである。
 ・ところが、(特に日本の)大人達は、気づいてなかったり、認めたくなかったりする。
 ・企業もメディアも(学校も)そんな大人達が制御しているので(特に年功序列型の日本においては)これまで起きてきた過去が未来も続くという前提の言説が広まっている


自分達の当たり前が、大人には驚異的変化だと知っておこう。


 彼らの親や教師や働き始めた時の上司で、デジタル化に対して適切な言説を持っている人は日本では少数派だろう。素直な子だと、オトナの多数派の意見を正しいと思ってしまうかもしれないと心配になった。


テーマ2:未来は予測できないが、予見はできる

・半導体やコンピューター、センサリング、人工知能などの発展は、20年位先までは、どんな方向に世の中が進むことは予見できる時代になっている
・世界各国の人口構成や産業規模も20年位先までは、予見可能だ。自分の頭で考えて、きちんと未来を見通そう


未来を予見して、行動を決めることが重要な時代になっている


 これは僕の持論で、今は未来予見が可能な時代だ。20年はちょっと言いすぎかもしれない。10年位の世の中の流れは自明なことが多い。


実例:エンタメ産業視点で今起きている3つの変化

 •クラウド化 ⇒「所有」から「利用」にユーザー行動が変化
 モノのオンライン化(IoT)⇒ リアルとネットが繋がり、一体化
 ソーシャルメディアの発展 ⇒ すべてのユーザー行動が可視化

 この3つの変化によって、
あらゆるエンタメ・コンテンツ産業が、自らの役割や社会における意義を「再定義」し、ビジネススキームやノウハウを「再構築」する必要に迫られている。

これはいつも言っていることだ。Z世代向けに付け加えたのは以下だ。


今日のテーマ3:旧世代の価値観を理解し、受け入れる

 •クラウド化 ⇒ エンタメコンテンツはパッケージメディアで楽しみたい。そこに思い入れ、深み、記憶、愛情を感じる
 •モノのオンライン化(IoT)⇒ なんでもネットでやることに抵抗感がある。物をネットで動かすことがピンとこない 
 •ソーシャルメディアの発展 ⇒ オンラインだけの人間関係は偽物だ

できれば変化を忌避したい、一時の流行だと思いたい。少なくとも自分は関係なく生きていたい

 こういう価値観、行動原理になっている日本人ビジネスパーソンをたくさん見る。日本の病巣と言ってもよい。僕らは必要に応じて、説明したり、説得したり、無視して進めたりできるけれど、若者たちはどうだろう?理解不能で、すごいストレスを感じるのではないだろうか?
 パッケージを愛好することは嗜好だから良い。(音楽プロデューサー的に言うなら、とてもありがたいことだ。)でも、そこに過剰な意味を求めて、音楽を愛好することを宗教の宗派のようにすることは間違っている。多様なエンタメの楽しみ方を許容するべきだし、そこに新たな可能性を感じるべきだ。

 ちなみにプロジェクター資料には書かなかったけれど、口頭では、「君らの年齢なら、日本を離れて仕事するという選択肢はあるよ。サンフランシスコでもニューヨークでも、シンガポールでも、ベルリンでも、その選択肢も持って良いと思う。でも日本に生まれた日本人なら、今日の話は意味がある。そして日本社会で仕事をするなら、知っていた方が良いと思う、と。

 その後に、自動車がエンジンにハンドルとシートが付いた乗り物から、OSでコントロールされる乗り物に変わるという話や、ブロックチェーンの可能性などを実例として挙げた。

 その上で、

今日のテーマ4:グローバル視点で日本人の危機とチャンスを知ろう〜国際的に見た日本社会の特徴は?

 •コンセンサス積み上げ型の社会⇒「みんなで話し合って、良き落とし所を見つけましょう」な仕組み
 •性善説の考え方、仕組みが好き
 •年功序列で、目上の人を敬うという東洋的文化がある
 •同質性が高く、島国であることと、言語の壁があることで国際競争から守られている(ように見える)
 •社会的インフラが整備され、勤勉でマナーがよく清潔で安全な国。

 必ずしも悪いことばかりとは思わないけれど、過剰に同質性を求める日本社会の功罪は客観的視点で理解しておいた方がよいだろうと思う。例えば、学校での「いじめ問題」には個人的にはあまり興味無いけれど、根っこには同じものを感じる。


今日のテーマ4:グローバル視点で日本人の危機とチャンスを知ろう〜確実に訪れる日本の危機は?チャンスは?

 •少子高齢化社社会で、人口が減る、消費市場と労働人口は下落していく
 •なのに、制度的にもマインド的にも、移民受入れの準備ができていない
 •日本の強みだった、従来型の製造業では勝ち目がない
 イノベーションのジレンマを知る(Apple 対 Spotify、中国のスマホ向けサービスの方が日本より便利)
 •1500年以上の歴史と伝統が世界中(のインテリ層)から尊敬されている

 観光立国を意識して、食やファッションも含めた文化を売り物にする〜消費者(ユーザー)の質が高いことを如何に活用するか(UGM、二次創作等)が重要だ。


 人口が減り、従来型の産業構造のままでは国際競争に敗れて、プレゼンスが下がっていくこと。カルチャーとインバウンドが日本の武器になっていくことは理解して欲しい。


今日のテーマ4:グローバル視点で日本人の危機とチャンスを知ろう〜Z世代に必要なマインドセットは?

 •組織依存しない、インディペンデントに自分の価値を磨く
 •就職と起業を同列で検討する。スタートアップ生態系が日本でも経済構造の(重要な)一部を占めるようになってきている
 •海外市場の視点と、そこにおける日本人としての優位性を意識する

 •英語はマストスキル。必ずしも英語ネイティブスピーカーになる必要はない。翻訳技術は臆さずに活用する
 インターネットとデジタル技術による「民主化」という概念を知る

 おそらく彼らの親世代は、今でも大企業への就職が安全という固定概念から抜けられない人が多いだろう。人生観は自由だし、公務員になれば、安全かもしれない。(彼らの世代だとそれすら怪しいとも思う。)でも、30年前とは様々な前提が変わっていること、親世代はその変化に自分の価値観をアップデイトできてない場合が多い。きちんと自分の頭で判断して欲しい。
 英語はできるにこしたことないけれど、Google翻訳もどんどん便利になっているので、技術も活用してコミュニケーションすることが大事だ。

 推薦図書として、池上彰、佐藤優、野口悠紀雄の3人の名前を上げた。気になるテーマについて書かれている入門書的な本の時に、きちんと本質を書く信頼できる書き手だからだ。
 40人くらいの高校生が僕のメッセージをどんな風に受け止めたかはわからない。でも話していて手応えはあった。5年後くらいに、何人かの役に少しでも立てたら嬉しい。

 そして、僕が最終的に語りたいのは世代論ではない。70代でもデジタルの変化をわかっている方はいるし、20代でも鈍感な人もいる。日本のピンチとチャンスを共有して、グローバル化したコンテンツ市場で、サバイブしていく仲間を増やしていきたい。
 実はZ世代だけの課題ではない。人生100年のライフシフト時代と言われている中、すべての日本人がグローバル化した世界でどのようにサバイブしていくのか?切実な問題として、引き続き考えていきたい。

 2月から始まるニューミドルマン養成講座のテーマは「超実践アーティストマネージメント篇」だけれど、基本姿勢としての中国市場への向き合い、日本のデジタル化の遅れによる課題はしっかり話し合いたいと思っている。

●ニューミドルマンラボ公式サイト

2013年6月18日火曜日

野球は誰のものか?そして音楽は?

 

 日本プロ野球機構が、球団にも、選手会にも、メディアにも秘密で、使用球の反発係数を上げていたらしい。いわゆる「飛ぶボール」だ。用具メーカーにまで情報統制を強いたのも酷いけれど、あり得なかったのは、加藤コミッショナーの記者会見だ。


 事務局長の独断だったかどうかなんて、全然、興味ない。第三者機関の設立とか、時間の無駄だ。
 僕が、コミッショナーとプロ野球機構事務局長に欠けていると思うのは、野球への愛情と公共財という認識だ。


 この記者会見からは、野球への「愛情」や、日本の大切な文化を預かっているという「矜持」が、全く感じられなかった。プロ野球コミッショナーが野球への愛を表現できないというのは、非常に大きな「不祥事」だと思う。そもそも人選を間違えている。


 これは、喩えるなら野球の神様への冒涜だ。日本人である僕の信仰心は、八百万の神を敬う気持がある。テレビでプロ野球を観て、近所で草野球をやっていた子供の頃から、野球は大切なものだ。

「野球の神様を大切に」という言葉には、選手、指導者、審判、ファン、100年を超える(少なくとも日本の)野球に関わった全ての人へのリスペクトが込められている。


 選手会が、この件へのオブジェクションで、「契約条件がを理由にしたのはよろしくなかった。ファンのマインドが冷める。「同じボールを使っているから、条件は共通ですよね。」とクールでいて欲しかった。


 野球を仕事に人たちは、日本人に広く愛され、数多くの名選手を生み、WBCでは2度も世界一になり、様々な人が関わってきた「野球」に対して真摯であるべきだ。比喩的に言うなら、野球の神様に恥ずべきことはしてはならないのだ。


 僕がナベツネ(に象徴される読売新聞が野球を冒涜するスタンス)に嫌気がさして巨人ファンをやめたのは、野球の神様に胸を張れることだと(まったく個人的な、他人にはどうでもよいことだろうけれど)思っている。

 

 そんな事を熱く、思っていたら、「お前、音楽はどうなんだ!」という声がどこかから、聞こえてきた。

 そう言えば、僕は、「音楽の神様に恥ずべき云々」という発言をすることがある。


 IT事業者が、音楽を道具にするのは、この価値観で嫌だ。スティーブ・ジョブズは尊敬する起業家だけれど、音楽の神様を大切にするという価値観では、褒められないと思う。ジョブズ自身は主観的には、音楽が好きだったかもしれないけれど、楽曲を一律99セントと定めて売るという発想は、多様性の担保が大切と考える立場とは真逆だ。


 Googleがコンテンツ流通のルールを決める社会になることに、僕が絶対に絶対反対なのは、「音楽の神様がお喜びにならない」という確信があるからだ。アーティストもユーザーもプロデューサーも、音楽に深い愛情を持った人たちが、ルール決定に関与できる社会に、少なくとも日本はありたいと思うし、そのために努力したい。


 さて、音楽業界はどうだろう?私利私欲で、判断をしてないだろうか?もちろん、僕たち愚かである人間は現世で生きていくために、キレイゴトだけでは居られない。いつもいつも、音楽の神様を第一にはしていらなれない。でも、音楽の神様に恥ずかし事はしたくないと思う。

 レコード会社の音楽配信サービスへ許諾の姿勢については、どうだろう?自社の利益を追求したいのは、会社として当然だ。

 一方で、音楽は野球と同じような意味で「公共財」であるという認識が必要だ。ましてやレコード会社はお金を出しただけで、実際に創作している訳では無い。許される「教義」は、自己(とアーティスト)の権利の経済的利益の最大化だろう。膨大なカタログ数をできるだけ、多くの人に聴かせて、換金もする、というスタンスを明確にすべきだ。

 クラウド型の音楽ストリーミングサービスに対する許諾には、経済的合理性を伴うことは必須だと思う。特に「許諾をしない」のだとしたら、アーティストやユーザーが納得できる理由が必要だ。

 Googleは論外で、アップル社にも懐疑的な僕が、Spotifyをはじめるとする近年のストリーミングサービスに好意的なのは、開発者や経営者から音楽への愛情が感じられるのが理由の一つだ。実際、SXSWで会った音楽サービス事業者は音楽好きが多かった。僕が音楽プロデューサーだと知ると、「どんな音楽をつくっているんだ、聴かせてくれ」という奴もいた。

 新しい技術を活用しながら、ユーザーと音楽との出会いを増やし、再生回数に応じて、透明に分配するという考え方は、とても良いと思う。

 レコード会社は、カタログの収益最大化という考え方の延長で、MG(ミニマム・ギャランティをがっぽり取ってよいので、新しいサービスを積極的に活用するべきだと思う。



 音楽も野球も公共的な財産だ。積み上げてきた先人達の歴史があり、支えるファンがいる。傲慢になって「音楽の神様」や「野球の神様」に対する敬意を忘れてはいけない。自戒も込めて、しみじみ思う。

 今回のプロ野球機構の「統一球情報隠蔽事件」は、自分が大切にするものは、何か。考える機会になった。だけど、感謝しないよ。コミッショナー!


  プロ野球コミッショナーは、野球の神様に仕える神官の自覚を持つべきだ。
 もう、お金も名誉も十二分におありなのでしょうから、晩節を穢されませんようにと、僭越ながら申し上げます。

2013年4月6日土曜日

渋谷区は、都と警察を説得して「クラブ特区」をつくって欲しい! 〜「クラブと風営法問題」の処方箋


 渋谷区議会が請願を出したのは驚いた。何も事情は知らず、ニュース以上の情報は持っていないけれど、素晴らしいと思う。


 ただ、渋谷区が本当に、昨今の警察による「クラブ摘発」に問題を感じるのなら、東京都と警視庁と話し合って、渋谷区に限っての「クラブ特区」的な施策をやって欲しい。
 明確な基準を作って、店単位で登録をさせて、検査などの態勢も担保した上で、一定の期間は、いわゆるクラブとしての営業形態を深夜も認めるというような施策だ。実証実験と位置づけて、その間も未成年の非行率が上がらないみたいなことが証明できれば、全国の自治体、警察に対して、説得力を持つ。
 日本の社会は、「空気」も重要なので、渋谷でクラブが健全経営されたという事実が伝わることで、今の「クラブは、やっていけないのではないか?」という気分が変わるのも大事だ。タイトルなし
タイトルなし / three6ohchris

 全くの私見だけれど、この問題に処方箋を書くだけならば、そもそも、そんなに難しくないと思っている。「全国音楽クラブ組合」のような組織を作って、自主規制のルールを明文化して、警察側と交渉すれば良い。暴力団関係者と資本・経営者・営業上で無関係である事を証明し、未成年の飲酒喫煙禁止の徹底し、麻薬撲滅に協力するという姿勢を掲げるのだ。大物警察OBを顧問に迎えてもよいだろう。この「組合」の認定証を発行して、認定されているお店は、警察が「風営法の運用を考慮する」という枠組みにすれば、多くのクラブは救われる。その上で、風営法の抜本改正にゆっくりと取り組めば良い。
 問題は、このような作業は、中心となる人たちに大変な労力が掛かることだ。多くの関係者から認められるような人格者がトップに立ち、事務的な能力が高い人が仕組みを作る必要がある。そしてその人達の得る金銭的な利得は非常に小さい。(できればボランティアが望ましい。その方が合意形成させやすい。)そんな損な役回りを買って出るクラブ経営者が居ないのは、仕方ないのかもしれない。

 「Lets DANCE署名推進委員会」の運動は素晴らしい。多くの人に、この問題を知らせ、理解を深める役割を果たしている。もちろん、僕もいち早く、署名した。
 ただ、「レッツダンス」も含めた風営法改正運動が、「反権力」活動にならないように、気をつけた方が良い。本質論を語ることも大事だし、今回のクラブ摘発は、警察官僚の「日本を浄化しよう」という、ちょっと歪んだ社会正義が根底にあると思う。「体育の授業にダンスがあるのに、おかしい」という気持もわかる。でも、それをやりだすと、政治運動になってしまう。目的がクラブが安心して経営できる状態をつくることならば、むやみな「戦線拡大」は、勝算が下がるだけだ。イソップ童話の「北風と太陽」を参考に。敵視されて態度を変える人は少ないものだ。
 むしろ、東京五輪をやりたい偉い人たちに「日本のダンスミュージックは国際的にも評価さているし、開会式やパーティにDJは必要ですよ!それなのに東京にクラブがなかったら笑われますよ?そもそも招致運動に不利ですよ!」というプロパガンダの方が効くんじゃないかな?


 僕が理事を務めている社団法人の日本音楽制作者連盟のフリーペーパー「音楽主義」でも、クラブ問題をとりあげているので、興味のある人は読んで欲しい。ネットにも公開されている。そこにも登場しているけれど、音制連の副理事長の浅川さんは、m-floなどを輩出したアーティマージュという事務所の社長で、日本ダンスミュージック協会の理事長でもある。日本のダンスミュージックの草分けで、DJでもある彼は、おそらく、この問題に最も胸を痛めている一人だ。人望も厚い。彼が何か動くときは、僕も微力ながら全面的に協力するつもりだ。


 編集委員をやっている『デジタルコンテンツ白書2012』の中でもクラブ問題は採り上げた。経済産業省監修の正式な白書なので、それなりの権威があるはずだ。行政などを説得するときの材料の一つに使ってくれると嬉しい。ちょっと長いけれど、引用する。客観的に書いたつもりだけれど、僕自身の考えにも近い。

「クラブ規制問題」についても触れておきたい。
 DJプレイを中心とするクラブへの規制、摘発が社会問題となっている。深夜営業が多いため、風営法の対象となり、違法営業として警察か検挙する例が増えてきた。警察側の対応の変化の理由には、未成年の飲酒や、麻薬売買の温床となっているという判断がはたらいているようた。残念ながら一部の店で、過去に事件もあったようだが、ほとんどのクラフは深夜に未成年を入店させず、健全な経営を行っている。
 忘れてならないのか、クラフが音楽の情報発信、コミュニケーションの拠点として文化的な役割を担っていることだ。ダンスミューシックと呼はれるシャンルはDJが牽引する、グローバルな音楽シーンである。長年にわたって、J-POPの音楽的発展に大きく貢献してきている。もしも、警察の規制強化で日本からクラブが姿を消すようなことになれは、日本の音楽シーン、音楽ヒシネスに取り返しのつかない大きなタメーシがある事を再認識するべきである。
 クラブの価値を再確認して、既存の法律の運用方法も含め、社会的な合意の形成が待たれる。それには、クラフ経営者側の健全な経営と情報開示が必要であることは言うまでも無い。
〜『デジタルコンテンツ白書2012』より

 最後に、なんだか面倒くさいなと思っている人に。
 サブカルチャーは、ある種のいかがわしさとセットにあるから輝くので、同業者組合をつくって、健全さを認証されたクラブなんか行きたくないよね?俺も同感。

 こんな事を提案しているけれど、実際に、好きなクラブのエントランスに認定証が貼ってあったら、多分、げんなりする。クラブに入る時のワクワク感が冷めていくのを感じながら、「日本中からクラブが無くなるよりは、何百倍もマシだよ」と自分を慰めているだろう。

2011年9月11日日曜日

2011.9.11に思うこと。〜米国同時多発テロから10年。東日本大震災から半年〜


2001911日は、ニューヨークのマンハッタンに居た。2週間ほど滞在する予定の折り返し点で、塩谷達也という所属アーティストが、ニュージャージーのゴスペル教会でのレコーディングを終えて、僕の部屋に泊まりに来ていた。

当時は、ニューヨークに行くと、アッパーウエストの短期リースマンションを定宿にしていた。その部屋で、「テレビを観てください」と、たたき起こされた。寝起きの悪い僕が、「ナニコレ?何の映画?」と言ったのを覚えている。「違いますよ!CNNですよ!」と言われて、目が覚めた。日本でも何度も流れたであろう映像は、米国でも繰り返し放送されていた。最初はダイナマイトの爆発かと思ったが、4回目くらいに、飛行機がWTCのビルに突っ込んでいるのが見てとれて、これはただ事じゃないなと気がついた。その頃には日本からもたくさんの電話が掛かってきて、「ともかく食事と水だけは確保した方がよい」と言われて、近所のデリに買い物に行った。

僕が泊まっていたアッパーウエスト80丁目とワールド・トレード・センター(WTC)は、東京で言えば、東京駅と三軒茶屋位の距離はあると思う。煙も見えないし、匂いも届かない。部屋に居ても、騒動はわからなかった。塩谷も目が覚めて、メールチェックして、日本からのメールで知り、テレビをつけたそうだ。パンとワインとハムとチーズなどを買い込んで「ホームパーティやるんじゃないですよ」と揶揄されながら部屋に戻ると、窓からは帰宅する人々の姿が見えた。地下鉄が止まり、歩くしかなかったのだ。

半年前、2011311日の渋谷の街の光景を見て、あの時のニューヨークを思い出した。ニューヨーカーも冷静だったけれど、あの時の東京人たちも秩序のある行動だったと思う。

20代半ばから、何度となく訪れたニューヨークは、僕にとって心の故郷とも言えるような大好きで大切な都市だ。WTCというビル自体には、特別な思い入れは無いけれど、ニューヨーカーの人たちが悲嘆に暮れている姿を見るのは辛かった。友人の家族が死んだ時のような気持。バーは営業していたので、毎晩遅くまで、深酒してしまった。

3日ほどたって、いくつかのミュージカルが再開した。仕事もできず、飛行機の運航状況をチェックする以外にやることが無い僕は、オフブロードウエイに足を運んだ。ミュージカルの内容は覚えていないけれど、カーテンコールで、出演者全員が舞台に上がって、肩を組んで「God bless America」を歌ったのは印象的だった。

変な言い方かもしれないけれど、ニューヨークに居るときは、アメリカ合衆国を意識することが少ない。移民が多いこともあるし、ニューヨークという街の魅力と吸引力が大きいからだろう。ところが、9.11後は、アメリカを意識させられて、疎外感も味わった。愛国心が高揚した時のアメリカ人の姿には、何故か違和感を覚えてしまう。

あの日を境に、アメリカも変わった。9.11のショックとブッシュJrの無能ぶり
が、無ければ、黒人大統領を選ぶというラディカルな選択はできなかったのでは無いだろうか?その極端さがアメリカの魅力と強みでもあるのだけれど。
おそらくブッシュは、1000年後に人類史4000年を振り返っても五本の指に入る愚帝だろう。ゴアを全面的に支持するわけでは無いけれど、あの超僅差だった大統領選でゴアが勝っていれば、9.11テロも未然に防げたらしいという情報を知ると、歴史の不思議と残酷さを感じる。

そんな風に考えていると、千年に一度の大災害の時の首相が、「市民派」の菅さんだったのは、日本人の不幸だと思うし、同時に、僕たちは、これからの日本をよい方向に変えていけるのかと考えさせられる。原発の賛否の話ばかりになっているけど、太平洋戦争後、高度成長を経て、まあまあ良い感じだった日本という国が、このまま落ちぶれてしまうのか、魅力のある国でいるのか、原発云々よりももっと大きな境目にいる気がしてならない。10年後、20年後に振り返った時に、この未曾有の大災害が、結果的に日本をよくする契機になったと思えるようにしたいと心から願う。

10年前の9月のニューヨークの空気も沈痛が覆っていた。不屈の精神を持っているように感じた。あの時のことは、一生忘れないと思っていたけど、所詮は、人ごとだったんだと、今回の震災を経験してわかった。

3.119.11、どんな記念日よりも重い、イレブンスを半年ごとに迎えることになるんだな。
そんな事を思っていたら、大阪在住のシンガーソングライター・ササキホナミが、こんな曲をYou Tubeにアップしてた。
原発事故で将来を悲観して自殺してしまった93歳の女性の事を歌った歌。こんな悲劇を産んだことを忘れてはいけないね。歌はとてもよいと思うので、聴いてみてください。





2011年8月12日金曜日

フジテレビ「韓流偏向」問題の整理 ~テレビ局と東電の共通点〜

思ったより大きな騒動になっている、フジテレビ「韓流偏向放送」に対する抗議の問題。インターネットでは、野次馬もたくさんいて、いわゆる「祭り」という状態なのかもしれないけれど、あまりにも無茶苦茶な意見を散見したので、整理したいと思う。

 俳優の高岡蒼甫さんが、ツイッターでフジテレビが韓流ドラマばかり放送していることを批判したことがきっかけで、反フジテレビの声がネット上で巻き起こった。


●フジテレビが韓国に肩入れしているというのは「トンデモ」な妄想

 

 フジテレビが局として、韓国に肩入れしていると言うのは、「トンデモ」本のような妄想だ。日韓戦を韓日戦と言ったとか、どうでもいい話にしか僕には聞こえない。フジテレビの経営陣から、「キムチ鍋の人気を煽れ」と、製作現場に指示が出ていると本気で思っている人が居るとしたら、その方が信じられない。UFOは地球にきていて、異星人が、既にたくさん住んでいるというレベルの妄想。
 東海テレビの番組で、岩手県農家を侮辱したテロップが流れたのは、酷いことだと思うけれど、あくまで単純ミスだし(そんな品性の低いディレクターがつくっている番組は下劣だという判断はしても良いと思うけど)系列局というだけで、フジテレビ批判に結びつけるのも、坊主が憎くけりゃ袈裟まで~的で、強引だ。フジテレビでは放送されていない番組だし、基本的に関係ない。


●問題は視聴率至上主義の経営方針


 今回の騒動で確認しなければならないと思うのは、テレビ局の構造的な状況だと思う。高い視聴率を取ることに偏った体質が長く続いて、テレビ局の編成方針と、視聴者のマインドとがずれているのだと思う。

 言うまでも無いけれど、テレビ局の主な収入源であるCM収入は、企業広告費でまかなわれている。番組をまるごと提供するような形もあるけれど、スポットと言われるTVCMが大きい。このスポットの価格が、局の平均視聴率で決まるので、どの時間帯も視聴率の数字を落としたくない。

 おそらく平日の午後帯に視聴率をとるのが難しくなってきていて、熱い固定ファンの居る韓流ドラマで、下支えをしたいのでは無いか?DVDの権利の一部を持ったりとかしているかもしれないけれど、TV局にとっては、放送外収入よりも視聴率の方がずっと優先順位が高い。



 近年の番組作りは、この視聴率を取ることを最優先に行われている。出演者の発言をテロップにしたり、CMの直前に煽って、CM明けに同じところから放送するなど、チャンネルを変えられて、一瞬でも視聴率が下がることを避けるために編み出された手法だ。番組が面白いかどうかとか、視聴者が興味を持っているかどうかとは関係が無い。(むしろ、真剣に観ている人は不快に思うよね?)そもそも視聴率は、番組に関する指標の一つに過ぎなかったはずだ。
 しかも、データとしては不完全だ。以前、視聴率の機械をとりつけている家に不正を働きかけたテレビプロデューサーの事件があったけれど、デジタル技術が発達した時代に、テレビ受信機単位でサンプルデータを集めているのは、信じがたい。他にいくらでも方法はあるはずだ。こんな誤差がある方法で、番組の終了や継続が決まっているのは、滑稽ですらある。日本人は、できた仕組みを洗練して高めていくのは得意だから、大手広告代理店にも局にもスポンサー企業にも都合が良くて、止められないのだろうけれど、一番大切な視聴者の意向が反映された数字で無くなってしまったことを見落としている。


●地上波テレビ局は許認可で守られた絶大な権力という意味で電力会社と似ている


 TVについて考えるときに忘れてならないのは、テレビ局は、政府の許認可で守られているということだ。当たり前と思ってしまっているけれど、どんなにお金があっても、地上波のテレビ局をつくることはできない。以前、ホリエモンやソフトバンクの孫さんが買おうとしてもできなかった。

 競争から守られている以上、公共的である義務が生じる。経営に関する情報がガラス張りで公開されるべきだし、番組編成方針も明確であるべきだ。代理店が企業からCMを出させるのに都合が良いから、高い視聴率だけを目指して番組の制作や編成をするのは、そもそも間違っている。

 ところが、東電の役員達がそうであったように、TV局の経営陣も自分たちがパブリックな仕事をしているという意識は薄いようだ。特権的な立場を獲得したサラリーマンのメンタリティなのかもしれない。テレビ草創期とは明らかに変わっている。
 以前「発掘!あるある大事典」という関西テレビの番組が、ヤラセ事件を起こして打ち切りになったけれど、根はもっと深くて、番組の影響力を利用した犯罪的な行為が日常的に行われたというのは業界では有名な噂だ。何故、全く報道されず、検察も動かなかったのか理由は知らないけれど。


●番組タイアップ楽曲の権利を押さえるテレビ局


 音楽業界との関わりで言えば、テレビ番組のタイアップになった楽曲の著作権の権利(代表出版)を、必ず放送局の子会社が得るという業界慣習がある。独占禁止法の教科書に出てきてもいいような「特権的地位の濫用」に当たると思うけれど、僕らもタイアップは取りたいから、やむを得ず「献上」している。数年前に、総務省が問題視したことがあって、その際に、僕も総務省に呼ばれて話をしたけれど、放送局側の説明が、支離滅裂でびっくりした。業界慣習に乗っかっただけで、何の理論武装もできてなかったんだな。

 フジパシフィック音楽出版や日音などは、素晴らしいアーティストを産み出すのに、TV局の力と関係なく、大きな功績がある出版社だし、素敵な音楽人も多い。お世話になった方もいらっしゃるし、放送局系出版社の存在を否定するんじゃ無いけれど、自社の番組に関連する曲の権利を「自動的に持っていく」のは、社会的なルールとして間違っていると今でも思う。「李下に冠を正さず」という考え方で言えば、その放送局の番組のタイアップ曲は、「系列の音楽出版社は権利を持てない」という逆の慣習にするべきではないだろうか?

●日本の番組は韓国のテレビ局では放送できない。

 いずれにしても、テレビ局は、(近年薄れてきているとはいえ)巨大な影響力を持ち、国の許認可権で守られているのだから、「視聴率がとれる」以外の、明確で、納得度の高い編成方針を持つべきだ。

 そういう意味で、高岡発言や、ネットユーザーのフジテレビパッシングには、一定の正しさがある。「いくらなんでも酷すぎない?」というメッセージとも言える。

 韓国は国を挙げて、戦略を持って文化輸出を仕掛けている。一方、韓国内では日本語コンテンツの放映には法的な制約がいまだにあるという不均衡がある。韓国政府への働きかけはもちろん、日本政府の仕事で、テレビ局の範疇では無い。ただ、韓流の好き嫌いは別にして、こんな状態で、韓流ドラマを過剰に放送する事に対して、公共性や日本の国益に反しているという意見はあって当然だと思う。これを機会にフジテレビが考え直してくれると良いと思う。

 花王の不買運動は、もちろんやり過ぎだと思うけれど、協賛企業にまで「攻撃範囲」を広げるのは、戦術としては正しい。テレビ局(と代理店)の弱点を突いているから。

 

●高岡さんは自分の職業を見つめ直して欲しい。


 ちなみに、高岡さんの言動を僕は支持できない。彼が真面目に考えているのは伝わっているけれど、言葉や行動があまりにも稚拙だ。そして、個人的には、プロの俳優であることの自覚が薄いこと、事務所を辞めたら俳優できない旨の発言を、残念に感じた。俳優は誰にでもできる仕事じゃないし、才能があるんだから、もっと大事にして欲しい。それに、俳優だから影響力があるという自覚も持つべきだね。

 ただ、幼稚な人の率直な発言だけに、人の心には刺さったのかもしれない。僕はあまりテレビは観ないし、特に平日の午後はノーチェックだったので知らなかったけど、韓流ドラマだらけの編成方針に辟易している人が多かったから広まっただろう。

 ちょっと逆説的だけれど、今回の事で怒った人たちは、まだテレビに対する愛情が残っている人たちだとも思う。

 こういう人たちが残っているうちに、テレビ局が意識を変えることに期待したい。

そうなると、このおバカな「祭り」も意味があったことになるよね。




●テレビ局も「送発電の分離」が必要


 フジテレビは、深夜放送を若手ディレクターに開放して、ヒット番組をたくさんつくった歴史がある。僕自身も元々は、テレビっ子世代だし、古い話になるけど、個人的には「カルトQ」が好きだった。


 日本のテレビ局には、ノウハウの蓄積があり、コンテンツの企画制作に高い能力がある。最近当たった日本映画に、テレビ局が座組の中心になっている事が多いのは偶然じゃ無い。新しい才能を取り込んだり、多様な出演者をバランスよくまとめたり、テレビ局を中心としたコンテンツ制作力は、群を抜くところだ。
 残念なのは、「電波塔を維持すること(=既存のビジネススキームを守ること)」が「視聴者にとって面白い番組をつくる」事よりも優位になってしまっていることだ。
 電力会社が、送電システムを仕切っているから、発電が画一化してしまったのと相似形に見える。
 前述の番組タイアップ曲の著作権の話のように、許認可で電波を持っているところが、その力をコンテンツ製作に及ぼす時には、デリケートな仕組みが必要だ。テレビ局は、高い制作能力を殺さないためにも、制作と放送は分離すべきだと思う。
 海外から注目されている日本のドラマやバラエティが、輸出ビジネスとして成功しないのも、日本で視聴率をとることしかプロデューサーが考えられないからだ。インターネットも含めた様々なメディアで、多様なコンテンツを流通させるようになれば、収益機会も広がるし、番組も豊かになる筈だ。
 日本のコンテンツの活性化のためにも、テレビ局の「制作放送分離」を強く望みたい。

2011年6月20日月曜日

ホリエモンの収監と日本の劣化への不安

 堀江貴文さんが検察に出頭して収監された。二年半の実刑判決が出ているので、このまま2年間(逮捕時に拘留されていた分は差し引かれるんだよね?)は、塀の中で暮らすことになる。
 この事件は、いろいろな事を考えさせられた。
 
 まず、思ったのは、「お上にたてつくと、本当に刑務所に入れられるんだな」ということ。裁判そのものの是非は一旦、置いておくとして、犯罪の性質から言っても、過去の例から言っても、執行猶予がつかないのは「常識外」で、「見せしめ」という言い方がされているけれど、正確に言うと、検察が「舐められたと思って意地になった」というのが実際のところだと思う。以前、おそらくは冤罪と思われる国策捜査で実刑を受けた佐藤優氏によれば、検察は、戦前の陸軍のような、社会正義に燃えてやっているのだそうだ。彼らにとっては、検察の権威を守る事が、日本の国にとって必要な事だと言う思想なのだろう。

 ところが、実際に起きている現象は、日本の国力を下げている。堀江氏は収監された事で、より注目され、人気もあがっている。もし、彼の影響力を下げたいのなら、今回の収監は間違いなく大失敗だ。そして、ホリエモンを支持、ないし同情的な人たちからは、検察と裁判所は「仲間」で、誰にでも「公正」な訳ではないと、確信したと思う。司法に対する信頼と権威は、非常に落ちてしまった。不公平なだけじゃなく、視野が狭すぎて、作戦としても間違っている。

 「悪い事をすると刑務所に入れられる」とみんなが思っているのが、牧歌的かもしれないけれど、平和な社会だよね?「運が悪かったり、検察にたてつくと刑務所に入れられる」とみんなが思うようになると、犯罪に対しても不感症になるのではないかと心配。泥棒をして刑務所に入ったのは「悪い事をした」からではなくても、「運が悪かった」からと、子供たちが思うような社会は僕は嫌だ。でも、今日、ニコニコ生放送の中継を見ていた小中学生がいたら(多分、結構な数がいたよね?)、間違いなくそう思うだろう。僕が司法が愚かだと思うのは、そういう意味だ。

 別の視点で言えば、経済活動をさせれば優秀で、彼なりに愛国心もあるようだから、放っておけば、日本の国に多額の税金を納める人だ。わざわざ刑務所に入れて、税金を使って、飯を食わせる理由が、理解できない。

 ちなみに、僕自身は、決して、「ホリエモン擁護派」ではない。彼の言動は、シャイな偽悪者なのかもしれないが、田舎臭いし、下品な事も多くて、手放しに好きにはなれない。また、天皇制を否定して大統領制を発言するなど(これが徹底的にやられた一つの大きな理由ではないかと思う)既存勢力に戦いを挑むには、稚拙すぎた。
 わかりやすい表現だったから人気も出たのかもしれないが、本気で社会を変えようとするのなら、あんなやり方では無理だ。摩擦が大きすぎる。反対勢力に足をすくわれたのは当然と思う。

 ただ、刑務所に閉じ込めるのは、やり過ぎだ。
 
 ちょっと劇画的な説明になるけど、日本の権力中枢に智慧者がいれば、彼に「はねっかえり」な行動を反省させながら、ばりばり仕事をさせて、日本の国の活力にするように、しむけるだろう。異質なものを上手に使いこなす柔軟な構造な社会を持った国が、国際競争上も強いはずだ。
 今回の日本という国の行為は、お転婆な暴れん坊を持て余して刑務所に入れるという、非常に愚行だったと思う。

 原発事故で露呈した、東電×経産省×学会の「原子力ムラ」も、そうだけど、日本のエスタブリッシュメントは、いつからこんなに愚かで無能になってしまったのだろう。

 僕は、大学も出ずに就職もせずに、音楽なんて仕事もしているし、基本的には「反権威」で仕事していたいと思っている。ただ、権威が曖昧だったり弱かったりすると、そもそも「反権威」が成り立たない。巨人軍が弱い時のアンチ巨人ファンのように心もとない。

 腹黒でムカつくけど、いざとなった時は、巧妙に社会の善と自分の得を摺り合わてくるような、ちゃんと悪い奴が国家の中枢には居てほしいと思う。
 こんな事をしていたら、中国人やユダヤ人はもちろん、アングロサクソンにも勝ち目が無い。日本という国はいつまで成立するのだろう。世界の一流国(って何かの定義は簡単じゃないけど)として、いられるのかどうか、心配だ。
 
 ホリエモン収監時の僕の感想。日本の国を憂いて、暗澹たる気持ちになった。


 でも、こんだけイジメられも、基本スタンスを変えないホリエモンは、驚異的だね。感心する。
 彼が見せつけてくれた事(できれば、見たくなかったけど)を、プラスに変えていくようにしなくちゃいけないんだろうな、とも思っている。

追記:収監から4ヶ月近く経って、まぐまぐ大川社長のツイートで、堀江氏に1億円を超える有料メルマガの原稿料が払われたことが発表された。上記の内容を一点だけ、訂正。ホリエモンは塀の中に居ても、金を稼ぎ、日本に税金を払っている。刑務所の中だと、必要経費が使えなくて、多くの税金を払うことになるかもね^^

2011年6月13日月曜日

原発に関する論議で気色が悪いこと。〜「反原発」「脱原発」の前に〜

 福島原子力発電所の事故をきっかけに、「反原発」や「脱原発」の運動が盛んになっている。一方で、原発を「擁護」する論陣も見られる。多様な意見が発表されるのは良いことだと思うけれど、大切なことが抜けているように感じられて、気持ちが悪い。

 今回の事故で、異論が無いのは、東電の経営陣と一体となった経済産業省とそのOBや御用学者と呼ばれる人達、いわゆる「原子力ムラ」で利権を得ていた人達は許せないということだろう。僕も全面的に賛成だ。この機会に、原子力ムラを根本的に解体することは、社会正義の面でも、日本の国力を上げるためにもマストだ。

 個人的には、一番許せないのは、彼らが「利権をむさぼっていたこと」よりも、「国の危機状況でまともに機能しない、能力も気概も無い人達だった」ことだ。
 おそらくは、最初に「原子力ムラ」の利権構造を作った人達が、死んだり、引退したりして、その枠組みのなかでヌクヌクとしていた人しか居なかったのが理由なのだろう。優秀で無ければ、利権構造をつくることはできない。でも、できあがった構造を守るだけなら、能力の低い人達でもできるのだろう。日本が、そんな保身だけの爺達をのさばらせてしまうような仕組みを修正できずにいた事は、落胆するし、反省もする。
 
 この機会に、「原子力ムラ」の解体を徹底的にしなければならないと思う。


 ただ、そのことと、原子力発電所の是非は、安易に一緒にすべきじゃない。「反原発」の人達の論旨は、「原発は人類の悪」的なものが多くて、気持ちはわかるけれど、辟易する。「自然エネルギー」という言い方にも欺瞞の匂いを感じる。

 一方で、原発「擁護」の人達は、経済学的な視点からの発言は多いけど、「電気料金が二倍になってもいいのか!」って、脅しているみたいで気分悪いよね?経済学者はいろんな計算をするけれど、経済学って変数だらけの学問だし、突き詰めると、多数決で決まっていくことだから、現状を前提に、電力料金の試算をしても、仮説に過ぎないでしょ。だから、経済合理性で原発は無くせないというのも、僕は全面的には信用しない。(データ分析や考え方など経済学から学ぶべき事は多いと思う)

 そして、自然との調和という観点で語るなら、人類はもっと謙虚になるべきじゃないか?「原子力だけが特別に悪くて、風力ならばっちり大丈夫」と思っているとしたら、ちょっと、どうかしている。僕は、エネルギーと言われるもの(端的に言うと電気)を使うのは、「程度問題」だと思う。

 例えば、ヒトは数万年前に「火」を使うことを覚えた。最初は火事を起こしたり、すぐ消えてしまったり、コントロールすることは難しかっただろう。今、僕たちは、「火」は操れると思っているけれど、実際は、今でも火事は沢山あって、人が死んでいるし、オーストラリアや米国の山火事なんて、生態系に影響を与えることもある。でも、その程度のマイナスであれば、プラスの方が大きいと人類は判断しているので、「火を使うのを止めよう」という運動があるという話は世界中で聞いたことが無い。

 文明生活を送っている限り、自然との調和を乱しているという意味では、本質的には同じだ。狩猟生活に戻らない限り、僕らは、自然を壊しながら生きている。

 自然破壊を容認したいのじゃない。もちろん逆だ。僕も「原子力発電所」はどうしますか?という投票があれば、「No」に入れるつもり。ただ、それは「原子力が悪」だからではなく、放射能汚染が、他のあらゆる公害と比べて、質的に酷いと思うからでは無い。「原子力発電は、まだちょっと無理かもね。」という意見だ。

太陽光発電を大規模にやり始めたときに、人の健康を害さないという保証はどこにもない。僕は物理学には明るくないけれど、パネルから大量の電磁波が出て、生態系に影響を与えたり、妊婦や幼児は近づかない方が良いとWHOが発表するみたいなことは、十分にあり得るはずだ。(そして、太陽光発電が新たな利権構造を産むかも知れない。)

僕らは、人類は自然をコントロールできず、文明生活を維持するためには、何らかのデメリットが起きる可能性があるということを知っておくべきだ。その中で、少しでも「ベターと思えること」を愚かな知恵を集結して選んでいくしか無いのだ。「原子力はちょっとダメ過ぎだね。太陽光発電の方が少しマシなんじゃない?」という風に選ばないと、また、間違える。

ちなみに、発電の仕組みにばかり目が行きがちだけど、おそらく送電の仕組みの改善(分散型)や蓄電池の開発に、もっともっと力を注ぐべきだと思う。



それから、原子力に関して、もう一つとても大切なこと。僕たちは、優秀な原子力工学の研究者を必要としていることを忘れちゃいけない。仮に、明日、世界中の原発が止まっても、核廃棄物の処理はしなきゃいけないし、そもそも核爆弾もある。日本の国益のためにも、世界の平和のためにも、唯一の被爆国の責務というなら、日本は優秀な原子力研究者をどんどん輩出すべきではないか?原子力がタブーになって、NGワードにしてはいけない。このままじゃ、日本の大学から原子力工学科が無くなってしまう。



政府の中途半端な情報操作は論外だし、故郷を失った人達や乳幼児への影響を思うと、本当に胸が痛むけれど、情緒論ではなく、日本人ならではの「中庸の知恵」で、この事態に対処したい。