コンテンツにスキップ

カルトQ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
カルトQ
ジャンル クイズ番組
構成 大田一水
飯島雅彦(ブレーン)
デッツ松田(ブレーン)他
ディレクター 小島俊一(4/g)
黒河博之(4/g)
小杉雅博(フジテレビ)
頼誠司(4/g)
出演者 うじきつよし
中村江里子
ナレーター 牧原俊幸
エンディング 「カルトQのテーマ」
東京バナナボーイズ[1]
製作
プロデューサー 加藤友和(フジテレビ)
阿部恒久(4/g)
島田大輔(4/g)
編集 ARTPLAZA1000
四谷ビデオスタジオ
制作 フジテレビ
放送
放送国・地域日本の旗 日本
番組初期
放送期間1991年10月22日 - 1992年3月
放送時間火曜 25:10 - 25:40
放送分30分
番組中期
放送期間1992年4月13日 - 9月28日
放送時間月曜 24:40 - 25:10
放送分30分
番組末期
放送期間1992年10月18日 - 1993年3月28日
放送時間日曜 22:30 - 23:00
放送分30分
テンプレートを表示

カルトQ』(カルトキュー)は、フジテレビ系列局で放送されたフジテレビ制作のクイズ番組である。制作局のフジテレビでは1991年10月22日から1993年3月28日まで放送された。

概要

[編集]

既存のクイズ番組とは一線を画し、特定ジャンルに徹底的に特化するマニアックなクイズ番組として、1991年に登場。クイズ番組としては珍しく深夜に放送された。他にも『カノッサの屈辱』(1990年)など、個性的で独創的な番組を次々と送り出した事で知られる、1990年代前半のフジテレビの深夜番組黄金期(いわゆるJOCX-TV2)を代表する番組であり、1992年10月にはプライムタイム枠に昇格。本放送の終了後にはフジテレビ739(現・フジテレビONE)で再放送されていた。なお深夜番組時代はローカルセールス扱いのため関西テレビがネットせず、KBS京都サンテレビが放送したほか、テレビ愛媛もネットワークセールス化後の1992年10月18日よりネット開始となった[2]。また、ネットセールス化後は系列外の青森テレビTBS系)でも遅れネットで放送されていた[3]

番組のキャッチフレーズは深夜時代が「真夜中の狂信的(カルト)クイズ」(初期)「深夜のブレインパーティー」(中後期)、日曜時代が「日曜夜のブレインパーティー」。

第1回の「ブラックミュージック」を皮切りに、サブカルチャーを題材にしたテーマが多く採り上げられ、番組で扱われたテーマは50以上に上った(後述)。

  • 放送期間:1991年10月22日 - 1993年3月28日
  • 放送時間(日本時間、関東地区):
    • (開始当初)毎週火曜 深夜1:10 - 1:40
    • (1992年4月13日より)毎週月曜 深夜0:40 - 1:10
    • (1992年10月18日より)毎週日曜 22:30 - 23:00
    • カルトQスペシャル1 1992年1月4日(土曜日)深夜0:45 - 2:15
    • カルトQスペシャル2 1992年3月30日(月曜日)深夜1:10 - 3:10
    • FNSの日平成教育テレビ「朝錬」 カルトQスペシャル[4] 1992年7月19日(日曜日)4:30 - 5:30
    • カルトQスペシャルIII 1992年9月28日(月曜日)深夜1:40 - 3:40[5]

出演

[編集]

司会

[編集]
レギュラー放送全回、特別編フジテレビの日スペシャルまで
カルトQ2005~誇り~

出題・ナレーション

[編集]
レギュラー放送、2005年復刻版も含め全回

流れ

[編集]

予選

[編集]

まず、テーマごとに出場者を募集し、予選を行う。予選問題は筆記テスト。(初級、中級、超カルト=上級)。予選を通過し、本選に進めるのは上位5名のみ。専門知識に偏ったクイズ番組であるため、オールラウンドさに長けているクイズマニア(あらゆるクイズ番組に出場を重ねている人たち)は本選進出者だけでもごく僅かだった。

予選問題の例 「ジャパニーズポップス」(難易度:超。正解率:22%)
(Q)ユニコーンのバンド名は何から取ったもの? - (A)T・レックスのアルバムタイトル

本選

[編集]

予選を通過した上位5名がスタジオの本選に挑み、カルトキング(女性ならカルトクイーン)を目指して戦う。出題される問題は全て早押しで、1問につき5人全員が不正解、または一定時間が経過するまで解答権がある。芸能人も特別扱いなどの例外は無く、一般参加者同様予選を通過しての出場となっている。

初級カルトクイズ
テーマ紹介直後に出題されるオープニング問題で、全5問。正解すると10点。5問出題後、予選問題の一部と予選平均点、出場者の紹介が入る。出場者は画面向かって右側の解答者から紹介される。
中級カルトクイズ
難易度が上がるが、ルールは初級と同じ。正解すると10点。
映像、イントロカルトクイズ
各回、それぞれのテーマにちなんだ映像や音声による問題を出題する。それぞれ、映像や曲名を当てる。正解すると10点。
各テーマごとに特別なカルト問題を出題する場合もある。例えば「ラーメン」での「スープカルトクイズ」(スープを一口飲んでどの店のものかを当てる)、「プロレス」での「フィニッシュの技と勝者を全て当てる」、Macintoshでの「実演カルトクイズ」(指定された画面を表示させる)[6]、「競馬」での「杉本カルトクイズ」(杉本清が実況したレースのゴール時の杉本の実況を解答する)、「競馬②」での「血統カルトクイズ」(指定された競走馬の父・母・母の父を解答する)などがある。数秒の映像が流れただけで出題されるであろう問題まで推測して正解した解答者もいる。
超カルトクイズ
特に難しい問題。正解すると20点。SEが鳴ると最終問題。得点の多い解答者がカルトキングクイーン)、同点の場合は決勝問題を出題し、正解した解答者がカルトキングクイーン)となる。
平成5年8月8日放送の特別編では最終問題のみ30点となっていた。

不正解はその問題の解答権を失うだけで減点は無いが、本当に分からない問題に解答者は当てずっぽうで答える事は殆ど無く、無闇にボタンを押さない事が多かった。また、カルトな問題が出た反面、正誤判定は非常に甘く、通称や略称・一部の言葉が違う解答など正式名称でない解答でも正解となることが多い。解答者が惜しい答えを言うと、司会のうじきの裁量で言い直しを認められることも多々あった(その際に少しの間が空き、うじきが「ん?」や「ん〜?」などと唸って具体的な解答を求めた)。中には4、5回答え直して正解にたどり着くケースや、うじきや中村が問題の続きを補足したり間違っている個所を指摘したりして解答の変更を求めるケースもあった。超カルトクイズでは長いセリフ・口上や複数ある解答を全て挙げる問題も多く、この場合は問題によっては本人がギブアップするまで言い直しが認められる、解答席に置いてあるメモに正解を書きながら解答する、言い回しが多少違っていても正解と認められたケースもある。

「カルトキング(クイーン)」になると、深夜時代はその回のテーマにちなんだ賞品と1992年3月30日放送分以降はトロフィーが、日曜プライム時代はトロフィーのみが贈られる。トロフィーは深夜時代がヤマト徽章制作のシンプルなガラス製の三角タイプ、日曜プライム時代はイングランド出身のポップアート作家であるマーク・ウィーガンのデザインによる通称「カルトロフィー[7]であった。また全国ネット昇格に伴い、新ルールとして250点以上獲得で「カルトゴッド」として「カルトな旅」が用意されていたが、実際に獲得した解答者はいなかった[8]

テーマ

[編集]
  • 放送日は制作局・フジテレビのそれに準ずる。
  • 歴代出場者・王者はほぼ全て一般人のため特記のない限り記載しない。
テーマ 放送日 備考
ブラックミュージック 1991年10月22日
コンピューターゲーム 1991年10月29日
スキー 1991年11月5日
B級映画 1991年11月12日
渋谷 1991年11月19日
ポップアート 1991年11月26日
ジャパニーズポップス 1991年12月3日
ブランド 1991年12月10日
競馬 1991年12月17日
スティーブン・スピルバーグ 1992年1月4日 スペシャル
ラーメン
コミックス 1992年1月14日
F-1 1992年1月21日
最近文学 1992年1月28日
サッカー 1992年2月4日
化粧品 1992年2月11日
ジャパニーズポップスII 1992年2月18日 大木知之が出場
スポ根漫画 1992年2月25日
Macintosh 1992年3月3日 当時、東京工業大学在学中の松尾真一郎が出場
東急ハンズ 1992年3月10日
カレー 1992年3月17日
総集編 1992年3月24日
大相撲 1992年3月30日 スペシャル
フォト・アート
デヴィッド・リンチ 1992年4月13日 時間帯変更 月曜24:40枠
阪神タイガース 1992年4月20日 「Macintosh」回の優勝者が2度目の本戦出場
少女マンガ 1992年4月27日
ビートルズ 1992年5月4日
W・S・バロウズ 1992年5月11日
スニーカー 1992年5月18日
タカラヅカ(宝塚) 1992年5月25日
サーフィン 1992年6月1日
ロック&ギター 1992年6月8日
ファミリーレストラン 1992年6月15日
東横線 1992年6月22日
メディカル・ドラッグ 1992年6月29日
1992年7月6日 当時、東京大学3年の田中健一が出場
ホーキング 1992年7月13日
平成教育委員会 1992年7月19日 FNSの日平成教育テレビ「朝錬」 カルトQスペシャル
平成教育委員会生徒の逸見政孝岡本夏生が特別参加
東京ドライブ 1992年7月20日
ルアーフィッシング 1992年7月27日
ハーレー・ダビッドソン 1992年8月3日
ケーキ 1992年8月10日
ヤクザ映画 1992年8月17日 杉作J太郎が出場
アクアリウム 1992年8月31日
NBA 1992年9月7日
サタデーナイト・ライブ・ファミリー 1992年9月14日
レイヴ 1992年9月21日
総集編II 1992年9月28日 スペシャルIII
ゲスト:森田芳光
東京ディズニーランド 1992年10月18日 この回より日曜22:30枠
コンピューターゲーム2 1992年11月1日
パチンコ 1992年11月8日
競馬2 1992年11月15日 当時、東京大学ホースメンクラブに在籍していた柿沢未途が優勝[9]
ユーミン 1992年11月22日
SF映画 1992年11月29日
デパート 1992年12月6日
ジャンクフード 1992年12月13日
寅さん 1992年12月20日 当時、早稲田大学在学中の鳥山求が優勝
Jリーグ 1992年12月27日 「サッカー」回の優勝者が二連覇
ラーメン2 1993年1月10日
エルヴィス 1993年1月17日
手塚治虫 1993年1月24日
スクーバ 1993年1月31日
サンダーバード・ファミリー 1993年2月7日
ジャニーズ 1993年2月14日
大相撲2 1993年2月21日 当時、現役力士であった貴闘力が予選に参加(結果は予選落ち)
渋谷2 1993年2月28日
プロレス 1993年3月7日 南原清隆ウッチャンナンチャン)が出場、当時早稲田大学在学中のプロレスライター・瑞佐富郎が優勝
他に南原の相方・内村光良石橋貴明とんねるず)、勝俣州和神田利則石原良純不破万作早坂好恵浅草キッド水道橋博士玉袋筋太郎)の9名が予選に参加したがいずれも落ちている
YMO 1993年3月14日 砂原良徳(当時電気グルーヴ)が優勝
ファッションブランド 1993年3月21日
ホラー映画 1993年3月28日 最終回
カルトQ特別編
フジテレビの日スペシャル
1993年8月8日 出演・渡辺正行森口博子CoCo笑福亭笑瓶
カルトQ2005~誇り~
(テーマ:北の国から
2005年10月17日 解答者・勝俣州和増田英彦ますだおかだ)、ビビる大木

スタッフ

[編集]
  • 構成:大田一水
  • ブレーン:飯島雅彦、デッツ松田 ほか
  • 問題作成:マンダラハウス(全回)、フォーチュンスープ(深夜時代)[10]、SYOYA(日曜時代)[10]
  • SW:毛利敏彦
  • CAM:篠原栄二
  • VE:吉田正美
  • 音声:飯塚昭、首藤弘治
  • VTR:吉本勝弘
  • 照明:八木原伸治(東京テレビ照明 → FLT
  • 技術協力:八峯テレビ
  • 美術:北林福夫
  • 美術進行:林潤一、武田方征 → 菊地正人
  • デザイン:石森慎司(フジテレビ)
  • 電飾:井野岡利保
  • 大道具 (途中から):田中伸哉
  • アクリル装飾 (途中から):関雅史
  • アートフレーム (途中から):宮本幸二
  • メイク (途中から):梅沢文子
  • タイトル:山形憲一
  • 美術協力:フジアール
  • 音効:長内勇治(佳夢音
  • 編集:石川弘一(ARTPLAZA1000)→ 村井毅(四谷ビデオスタジオ)
  • MA:菱山和良(ARTPLAZA1000)→ 笹本光一(四谷ビデオスタジオ)
  • スタイリスト:大路真路
  • ディレクター:小島俊一(4/g)、黒河博之(4/g)、小杉雅博(フジテレビ)、頼誠司(4/g)
  • プロデューサー:加藤友和(フジテレビ)/阿部恒久(4/g)、島田大輔(4/g)
  • 制作協力:4/g(FOUR GRAM VISUAL DEPARTMENT)
  • 制作著作:フジテレビ

備考

[編集]
  • 日曜プライム帯への時間移行後(番組末期)には「カルトQ問題作成委員会」の名称がつけられ、エンディングのスタッフロール冒頭に付記された。
  • 本番組プロデューサーの加藤友和は、かつてのフジテレビの人気番組だった「なるほど!ザ・ワールド」の総合演出として活躍した。

BGM

[編集]
出題時

「Old step(旧ステップ)」高橋幸宏

OP・ED

「カルトQのテーマ」東京バナナボーイズ

  • 番組末期の日曜プライム帯のみ使用。オープニングではイントロ(1992年10月〜12月)、中間部分(1993年1月〜最終回)が使われた。エンディングでは当初インストゥルメンタルだったが、番組の末期でボーカル入りが流れるようになった。番組終了後の1993年12月に発売されたアルバム『King of Fruits』に収録。

ゲームソフト

[編集]
  • クイズキャラバン カルトQ
本番組の最終回にうじきによりソフトの紹介と発売が告知され、放映終了から二ヶ月後の1993年5月28日にハドソンよりPCエンジン SUPER CD-ROM2で発売された。
ゲームモードは、本番組とほぼ同様の展開の「ノーマルモード」(1~5人用)、ボードゲーム形式の「バトルモード」(2~5人用)、すごろく形式の「アドベンチャー」(1人用)、全20問のクイズを何秒で解答出来るかに挑む「タイムトライアル」(1人用)の4種類のモードが用意されていた。当時のゲーム機のクイズゲームという性質上、出題される問題は全て4択問題の選択式である。
尚、パッケージには司会のうじきと中村の両名本人の顔写真がプリントされていたが、ゲーム中は似た顔のグラフィックと別人が充てたナレーションを収録という形となっていた。

関連書籍

[編集]
  • カルトQ問題作成委員会(編集)『カルトQ』
    • フジテレビ出版、1992年。ISBN 4594009905ISBN 9784594009908)。
    • 「ジャパニーズ・ポップス」「ラーメン」「Macintosh」「競馬」「B級映画」「ブランド」の6テーマの問題を収録。

脚注

[編集]
  1. ^ 日曜時代のみ。
  2. ^ 愛媛新聞 1992年10月5日付朝刊テレビ欄下のテレビ愛媛広告より。ただし、後述の通り、1992年7月19日放送「FNSの日 平成教育テレビ」内のスペシャルは、フジテレビと同時ネットで放送。
  3. ^ 元々、同局では『ラブラブショー』からの流れで、長らくフジテレビ系日曜22時枠のクイズ番組(『アイ・アイゲーム』→『TVプレイバック』→『クイズ!早くイッてよ』)が遅れネットで放送されていた。なお、当番組の終了を以って当枠のネットは打ち切られた。
  4. ^ この回のみ、テレビ大分以外の当時のFNS26局全局同時ネットで放送された。
  5. ^ 出典:朝日新聞東京版1992年9月28日付け朝刊・夕刊のフジテレビ・テレビ欄。
  6. ^ このとき解答者は、番組側が用意した解答とまったく違うやり方で正解を出した。
  7. ^ 「カルト」+「トロフィー」のかばん語。1992年12月6日放送「デパート」回より名称が付けられた。
  8. ^ ただし、ネットローカル時代の導入前では、通常放送では平成4年6月1日放送「サーフィン」の280点、スペシャルでは平成4年3月30日放送「大相撲」の330点が最高得点である。また、導入後でも「SF映画」など230点でリーチをかけた解答者はいた。
  9. ^ 衆議院議員 柿沢未途――心に残る私の有馬記念 - 【無料】有馬記念特別号 ~無数のドラマ~ | netkeiba Books+”. netkeiba.com. 2020年8月27日閲覧。
  10. ^ a b 不定期参加のため、ノンクレジットの回もあった。

関連項目

[編集]
  • カルト
  • とんねるずのみなさんのおかげです - 同番組に関するテーマを扱った「おかげですカルトQ」というクイズ企画が1992年〜1993年にかけて放送。
  • 北野ファンクラブ - 1994年ビートたけしがバイク事故により同番組休養中に「北野カルトQ」というコーナーをレギュラー化し、翌1995年には10週勝ち抜きチャンピオンが決定するまで放送した。なお、出題の読み上げは笠井信輔(当時フジテレビアナウンサー)が担当。
  • 超逆境クイズバトル!! 99人の壁 - 2017年より放送されているクイズ番組。特定のジャンルに詳しい一般解答者が出場する点で共通。本家同様、牧原アナが出題ナレーションとして出演している。
  • 謎王 - 『カルトQ』が手軽に楽しめるPlayStation用ソフト。
  • テレビおたく選手権 - 桑野信義の司会で、テレビ番組の知識を競う番組。テレビ番組版「カルトQ」といえた[独自研究?](実際に桑野がうじきの真似をして、「Q」といっていた)。ただし、夕方に放送していたようでローカルサービス枠だった。
  • UEFA Champions League Highlight - 2005/2006シーズンに番組内のコーナーとして、この番組をコンセプトとした「カルチョQ」が、2007年1月4日にスペシャル番組として放送された。司会は、カルトQと同じうじきつよしが務めた。

外部リンク

[編集]
フジテレビ 火曜25:10枠
前番組 番組名 次番組
地理B
(1991年4月9日 - 1991年9月24日)
カルトQ
(1991年10月22日 - 1992年3月)
フジテレビ 月曜24:40枠
TVブックメーカー
(1991年4月8日 - 1992年3月23日)
カルトQ
(1992年4月13日 - 1992年9月28日)
La cuisine
(1992年10月5日 - 1993年3月22日)
フジテレビ系列 日曜22:30枠
新伍&紳助のあぶない話
(1990年10月7日 - 1992年9月)
※日曜22:00枠へ移動
カルトQ
(1992年10月18日 - 1993年3月28日)
大石恵三
(1993年4月4日 - 1993年9月26日)