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2018年5月31日木曜日

「コライトやろうぜ!」と呼びかける理由〜クリエイターが主役の時代に〜タワークリエイティブアカデミーへの期待

 「音楽業界の感覚を持ち込んだ超実践的なプロ作曲家育成」というテーマで山口ゼミを始めたのは、2013年1月だからもう5年半になる。今は第21期生で受講生はのべで378人だ。女性比率は3割強、年齢も職業も住んでいるところも本当に多種多様な人たちが集まり、それが強いコミュニティになっているのに驚いている。受講生が仲良くなるのは、副塾長伊藤涼の厳しい指導に耐える「仲間意識」とともに、コーライティングを提唱し、上級コース「山口ゼミexntended」でコーライティングで良い作品を創るためのマインドセットと方法を伝えているのも理由なのだろう。

 山口ゼミを始めて僕が一番感じだのは、「音楽を作ることが孤独な作業になってしまっ
ている」ことだ。デジタル化が進んで、機材が安く小さくなり、パーソナルな表現ができるようになったのは、基本的には良いことだけれど、弊害もあるのだと知った。
 コーライティングの大きなメリットの一つが、創作現場でコミュニケーションが復活することだ。創作は孤独に耐えて行うという考え方もあるけれど、同時に「楽しくつくる」というのも音楽の基本だ。複数の人が集まって、そのチームならではの「化学反応」を期待しながら創作していくというのは、とても本質的な音楽の創り方だと思う。

 コーライティングのスキルを武器とする山口ゼミ卒業生によるクリエイター集団CoWritingFarmは110人を超え、作品力も非常に向上している。ノウハウが集合知的に高まっていくのがコミュニティパワーなのだろう。コミュニティが自走し始めている実感がある。2年位前から、コンペを待つだけではなく、自分たちからアーティストに作品を持ち込む「提案型」の制作活動を始めている。安室奈美恵✕ワンピースOp曲「Hope」は、その提案型による成果だ。

 様々な分野のクリエイターが良い環境で創造するというテーマで4年目となった「クリエイターズキャンプ真鶴2018では、ソニーミュージックが行っているSonic Academy Salonと全面的に連携して、コーライティングのワークショップと、アーティストと作家によるコーライティングキャンプを行った。新人ないしデビュー準備中の新人アーティストとプロ作曲家2名が組んで3人1組で約28時間で1曲を0からつくる。アーティストにはライブ形式での披露を依頼したので、プレッシャーは大きかったと思う。結果は素晴らしかった。8人のアーティストの新曲は、明確な個性と高いクオリティがあった。これから世の中に出ていくことだろう。
 アメリカではアーティストが参加するコーライティングが音楽制作の主流になっているというけれど、日本にも「アーティストインコーライト」の波は確実に来るなと確信した。

 一般的な視点で見ると、山口ゼミとソニアカはコンペティターに見えるかもしれないけれど、僕はそんな風に捉えたことはない。日本の音楽シーンを活性化して、クオリティを上げていくという目的は同じだと思うので、お互いの良さを生かして連携していきたい。ソニアカの言い出しっぺの灰野(一平)君とは、一緒にバンドもやったことがあるwww、古い知己で、音楽に真摯に向き合う素晴らしいミュージックマンだ。相互の会員の
CC真鶴2018の参加音楽家の記念撮影
割引などもやっている。今回のCC真鶴は初の共同企画だったけれど、成功だったと思う。

 日本の音楽業界は、洗練された仕組みや美風と言える慣習など素晴らしいところもたくさんあるのだけれど、デジタル化による時代の変化に遅れているという致命的な弱点がある。
 パッケージ(CD)とマスメディア(テレビ・ラジオ)での時代から、スマホでストリーミングで音楽を聴く時代に、そしてスマートスピーカーの普及と急速に変わっていることに既存の音楽業界は対応できていない。ユーザー体験としてのIT活用が、アジアの中でも際立って遅れた国になってしまっていることに強い危機感がある。ただ、本稿で語りたいのは、クリエイションにおけるデジタル化の話だ。

 テクノロジーの変化は表現にも大きな影響を与えるはず。PCとDAWで手軽にパーソナルに音楽をつくれる時代だからこそ、音楽家同士がコミュニケーションをとって共作することの重要性は増している。音楽家と映像制作会社のマッチングコマースAudioStockの売上急増で注目されているクレオフーガとは、オンラインでのコーライティングが円滑にいくツールとしてCoWritingStudioを共同開発している。今年中には、グローバルな作曲家SNSとしてバージョンアップする予定なので、期待してほしい。CWSで音楽家同士が出逢っていく場をつくれると思う。

 さて、前置きがめちゃめちゃ長くなったけれど、そんな問題意識と僕らがやってきたことの延長線上で、タワークリエイティブアカデミーへの期待がある。「未来型クリエイター育成」をテーマにタワーレコードが始めた新規事業だ。アドバイザーとして新規事業全体にも関わったけれど、「タワアカ」では講座のオーガナイザーをやらせてもらっている。
 タワーレコードは、CD店として日本で一番のブランドだ。元々はアメリカの会社で、会社が倒れてニューヨークの二店が無くなったときにはショックだったけれど、日本ではNTTドコモの子会社となって、音楽ファンのリアルな接点になっている。

 これまでのコーライティングは、プロの作曲家という目線でやってきたけれど、今回は、タワレコらしく、インディーズを中心としたアーティスト、シンガーソングライター、DJトラックメイカー、バンドマン、DTMerといった人たちを対象に、自分たちの表現の幅を広げ、作品力を高めるために、コーライティングの手法を活用するというテーマにしたいと思っている。同時に、定期的に継続していきながら音楽家同士が出逢っていく場としても育てていきたい。
 タワーレコードは、自社のインディーズレーベルや発信力のあるショップバイヤーのチカラで数多くのアーティストを世に送り出してきた。参加者にとってもコーライティングの優秀作を世に広める時に、タワレコがいることは心強いだろう。同時に始めるTouchDesingerの講座では映像やビジュアルの若いクリエイターが集まるだろうから、ジャンルを超えたクリエイターコラボもやっていきたいとタワレコの人たちと相談している。

 日本のNO.1レーベルであるソニーミュージック。NO,1リテールであるタワーレコード。トップ企業が変わるインパクトは大きい。日本の音楽家のクリエイティブがもっともっと活かされ、チャンスの場が増えていくように活動していきたいと思う。
 コーライティングが初めての人は、『最先端の作曲法・コーライティングの教科書』(リットーミュージック刊)が参考になるだろう。


 今回のアーティストを対象にしたタワアカのコーライティングワークショップに向けて伊藤涼が寄せてくれたコメントが素晴らしいので、ちょっと長いけれど、最後に引用する。コーライティングがだいぶ広まって、テレビなどでも紹介されることがでてきたけれど、何故、そういう時に伊藤涼を呼ばないのか不思議だ。日本のコーライティグブームのきっかけを作った男だし、実績も経験も図抜けている。コーライトしかしないソングライターであり、ディレクターでもある。このまま日本の「マックス・マーティン」になってほしいなと個人的には思っている。

 今の日本の音楽シーンにおけるコーライティングの意義は強調してもしすぎることは無い。立場、テーマ、目指すことは、それぞれ違うと思うけれど、自分の音楽活動を充実させるために、このムーブメントを活用して欲しい。もちろんプロのソングライター、編曲家を目指す人は「山口ゼミ」で待ってます。


<伊藤涼からのメッセージ>
 作曲家たちが共作するコーライティングはすでに日本でもブームとなっていますが、アメリカのビルボードのトップチャートを賑わすポップミュージックも当然のようにコーライティングによるものが多いです。皆さんもご存じのジャスティン・ビーバー、ケイティ・ペリー、アリアナ・グランデなどの楽曲のほとんどがコーライティングによるものです。そして、そのコーライティングの流れから生まれてきたスターが、ブルーノ・マーズ、メーガン・トレイラーのようにソングライターとして楽曲を提供しながら、自らもアーティストとして大成功を収めた人たち。彼らはコーライティングという環境を上手く使って、自分の作品をアーティストに提供しながら、自身のアーティスト・シンガーソングライターとしてのプロモーションにも成功したと言えます。そして、いまL.Aに行くと世界中からそのチャンスを掴もうとソングライター・トラックメイカー・DJ・プロデューサーが集まってきています。その中でも特に目立つがシンガーソングライターです。彼らはトップライナー、作詞家、デモシンガーとして、その才能をコーライティングに生かし、虎視眈々とアーティストとしての成功を狙っています。もちろん、そこで培った人脈を生かして、フーチャリングシンガーなどで大成功したシンガーたちも多い。もちろんDJやプロデューサーにとっても、才能あるシンガーと出会うことが成功の鍵なのです。今や、音楽は人とのつながりで生まれ、そして広がっていっています。
 では日本のシンガーたちはどうでしょうか?見渡してみても、まだまだ世界の波になっているとは言えません。なぜなら、どうにかひとりで成し遂げようとしているからではないでしょうか?自分で作って、自分でパフォーマンスして、レコード会社が見つけてくれるのを待っている。自分ですべての作業をすること、レコード会社からのデビューがきっかけになること、もちろん悪いことではありません。ただ、今求められるものは2年も3年も育成期間の要するアーティストではありません。既にクオリティが高い楽曲とそのデモ音源をもち、完成されたアーティスト像をもってライブをできていることです。アメリカのクリエイターたちが実践していることからわかるように、それらを作るために必要なのがコーライティングなのです。制作環境、ハイクオリティな音源、ケミストリー、出逢い、客観的な視点、コネクション。そしてコーライティングこそ、それぞれのクリエイティビティを成長させる最高の方法だと、今までの経験から言えます。

 自分の夢のために、ぜひコーライティングを活用する。その一歩を踏み出してください。お待ちしています!

タワークリエイティブアカデミー公式サイト

◆タワアカ・コーライティングワークショップ申込みページ 

◆プロ作曲家育成「山口ゼミ」

<関連記事>
クリエイターズキャンプ真鶴2018開催記念座談会「作曲家の今とこれから
◆クリエイターズキャプ真鶴公式サイト
◆作曲家育成セミナー「山口ゼミ」を続けている理由

2017年12月26日火曜日

2017年音楽ビジネス重大ニュース〜EnterTech&Global篇〜

<2017年音楽ビジネス重大ニュース〜EnterTech&Global篇>
第1位)QQmusicの台頭〜中国音楽マーケットの「出現」
第2位)Spotifyがブロックチェーン会社を買収。AppleはSHAZAMを傘下に。
第3位)チャンス・ザ・ラッパーのグラミー賞受賞
第4位)スマートスピーカー各社発売
第5位)アリアナ・グランデのコンサート会場でテロ、2週間後に追悼チャリティ・ライブ
圏外)ポストEDM広まる。海外と日本のトレンドのズレ


山口:2017年の重大ニュース。前編は日本の音楽業界ということでやってみて、多くの方に読んでいただけたようです。後編はグローバル+エンターテック分野でやってみましょう。最初は1回にまとめてやろうと思ったんだけど、なんか焦点距離があまりに違うというか、話がずれる気がして、前後編にジャンルでわけることにしました。海外市場ってなった瞬間に、エンターテックな話になるし、エンターテックにフォーカスすると話がグローバルになるよね。

脇田:音楽は国境を超えるといいますから、国外にも目を向けたいですね。特に新しいテクノロジーによって音楽ビジネスはすごいスピードで変化していってますから。


第5位)アリアナ・グランデのコンサート会場で自爆テロ、2週間後に追悼チャリティ・ライブ

山口:米ソの冷戦が終わって世界が平和になるかと思ったら逆で、様々な要因が重なって以前より不安定になってるよね。イスラム過激派のテロも世界中で起きている。人がたくさん集まるところが狙われているという意味では、コンサートも標的になるリスクがあるのだろうね。今回の会場はイギリス・マンチェスターでした。ワッキーがこのニュースで注目したポイントはどこ?

脇田:アリアナ・グランデのコンサート会場でのテロは、本当にショックなニュースでした。10代の若い子たち等多くの人が犠牲に遭いました。しかし、それから僅か2週間後にスタジアムで、世界的なスーパースターを集結させて追悼コンサートを開いたわけです。仕掛け人のスクーター・ブラウン(アリアナやジャスティン・ビーバーのマネージャーでもある)に注目したいですね。PSYの「江南スタイル」にも関わった彼は、SNSと既存メディアを巧みにミックスするスキルを持った“ニューミドルマン”です。まさに“ニューミドルマン”である彼の、一世一代の大イベントだったと思います。多くのスーパースターが出演するフェスを、テロという危険の中この短期間で実現させ、メディアを使って発信し、収益の寄付なども行なう。それを成功させたことにとても驚きました。もちろん発信するメッセージも熱く、考えさせるものに満ちていました。

山口:音楽の価値、社会におけるアーティストの役割がわかっている行動だよね。ファンへの感謝、社会への貢献を行なうと同時に、アーティストとしてのブランドを上げることにもつながったと?

脇田:そうですね。ティーン・スターのアリアナが世界に影響を与える「アーティスト」へと階段を上がったんじゃないか?と思い、来日公演も観に行きました。そこは、カリスマというより、普通の(?)一級のプロフェッショナルなエンタテイナーという感じのショーでしたが(笑)。


第4位)スマートスピーカー各社発売

山口:2000年以降、コンテンツ流通の主戦場はスマートフォンになり、ウエブサービスもPCから「スマホシフト」が上手にできるかどうかで、隆盛が決まる時代だよね? ニコニコ動画の影響力が落ちているのも、スマホシフトの失敗といえると思う。一方で、「ポストスマホ時代のコンテンツプラットフォームが何か?」というのが投資家や事業家の間で
は議論されていて、一時期はウエアラブルだったんだけれど、ここに来て、音声認識技術+クラウドAI(人工知能)とセットのスマートスピーカーが本命っぽい感じになっているね。

脇田:ネットのエンタメにおいて、PCからスマホへのシフト(ガラケーからスマホも)は明暗を分ける変化でしたね。IoTやVRは、一般利用者にとって無くても困らないですが、徐々に影響を与えて行っている。
そして、次に来るのがスマートスピーカーだ! というトレンドが煽られて、自分としては驚きと喜びを感じました。スマホでイヤフォン、ヘッドフォンでのリスニングが主流になっていて、世の中から家で音楽を流すオーディオ装置が消えてしまっていました。このスマートスピーカーが、音楽の復権につながるんじゃないかという期待をしてしまいます。

山口:そうだね。ヘッドフォンでしか音楽聴かない若者も多くなっていると思うんだけれど、リビングルームにスピーカーが鎮座しているということは、音楽の接点は間違いなく増えるものね。ただ、心配なのは、今回も騒がれているのは、Amazon Echo、Google Home、そしてApple。LINE Cloverには頑張って欲しいし、SONYも計画しているらしいけれど、アメリカ系グローバル企業にポストスマホ時代のコンテンツプラットフォームを牛耳られるのは、日本のコンテンツ産業としては由々しき事態だよ。スマホ時代の今はゲームのルールは、AppleとGoogleに一方的に決められてしまっていて、異議申立の方法が無い。例えば、iPhoneアプリをリリースしようとして、却下されて、理由がわからず、英文メール以外問合せ方法が無く、困っている日本のスタートアップとかは惨めな思いをさせられているよ。スタートアップでスマホアプリが3ヶ月遅れるって、下手すると会社潰れかねないからね。生殺剥奪権をグローバルプラットフォーマーに握られるのは最悪の事態。スマートスピーカーは音声での言語認識技術が重要で、日本語については日系企業にアドバンテージがあるはず、NTTが世界最高の技術を持っているので、せめてそこだけでも押さえて欲しいよ。

脇田:同感です。着うた時代でも、世界同一性を求めるiTunesに比べて、レコチョクはかゆいところに手が届く細やかな対応をしてくれてました。なんでもかんでもグローバルでいいはずはないです。

山口:ジョブズは、ウォークマンとiモードから、iTunes Music StoreとiPodを考案したと言われているけれど、多分本当だと思う。日本の良さを活かしながら、グローバルサービスのプラットフォームを意識するような流れは欲しいよね。日本のスタートアップに期待しています。オープンイノベーションスタイルで大企業と組めたらチャンスあるはずなんだ。

圏外)ポストEDM広まる。海外と日本のトレンドのズレ

山口:第3位に行く前に、ワッキーが取り上げていたこの話題を

脇田:今年は「EDM」の音楽的な流行が終わったと言われました。アッパーなEDMチューンはヒットチャートに登場しなくなり、同様のエレクロニックなジャンルでは「トロピカル」だったり、レゲエ調? のダウンな曲調が増えたように思います。カルヴィン・ハリスの最新アルバムがファンクなアルバムだったことも、話題になりました。問題は、日本はこれからのジャンルなのに、海外では終わってしまった事です。
おそらく2010年ぐらいからずっと流行り続けているEDMが日本で火が付いたのはこの1、2年だったので、最近EDMにハマった日本のパリピ的なファンにとっては、あのアゲな刺激が新曲という形で味わえなくなってしまいましたね。今のエレクトロニック系のヒットソングは「まったり」してます。あとラテンが流行ったり、ついていけないですよね。アリアナのライブでも、ZEDDと共演した「Break Free」というアッパーEDMチューンが、ダウンなアレンジされていて、その時の会場の残念な感じも印象的でした。あれこそが、世界のトレンドと日本のリスナーとのズレの象徴的な場面なんでしょう。

山口:先を見るクリエイターは4年くらい前から、ポストEDMサウンドを探しているよね。「トラップ」だったり、「フューチャーベース」だったり、いろんなジャンルが注目されたけれど、「トロピカル」は本格的に盛り上がっている感じはするね。ただ、EDMって、踊らせる音楽と言うか、マネタイズポイントはフェス型イベントでしょ? そこはどうなんだうね?

脇田:むしろフェスや現場は、多様なトレンドに対応できてる気がします。メインストリームなPOPSとしてのEDMと現場が離れてきたように思います。逆にポストEDMサウンドを探してきたJ-POPクリエイターは、今から「ドEDM」やってみるとおもしろい。過去にもJ-POPでは、海外で流行りが終わったスタイルで大ブレイクを果すアーティストが多くいますから。


第3位)チャンス・ザ・ラッパーのグラミー賞受賞

脇田:アメリカ、シカゴのラッパー「チャンス・ザ・ラッパー」がグラミー賞を受賞。楽曲を販売したことが無いアーティストとして、初の受賞が話題になりました。2016年5月にリリースされた自身名義の3作目となるミックステープ『Coloring Book』が、ストリーミングのみのリリース作品として初めてのグラミー賞を受賞ですね。これまでは楽曲を販
売しないとノミネートされないルールでしたが、この作品によってルール変更されました。
 彼は、ミックステープと呼ばれる無料ダウンロードサイトからスタートし、ストリーミングのみで配信するという作品発表のスタイルで数々の記録を作り時代の寵児となりました。過去には、無料ダウンロードのデータを勝手にiTunesにアップされビルボードランクインするという「事件」で名を上げました。今回のグラミーも、型破りなノミネート~受賞を達成したわけです。

山口:デジタル時代の申し子だね。同時に、ニューヨークやLAではなく、シカゴというのにも注目だ。10月に韓国の音楽ビジネスカンファレンスに呼ばれて、パネルディスカッションに出たんだけれど、その時のテーマが「都市と音楽」。ベルリンのクラブ関係者、スウェーデンの音楽業界の取り組みと共に、シカゴのHIDEHOUTという有名なライブハウスのオーナーがパネラーで、シカゴは小中学校とミュージシャンが連携して、音楽に触れるようなシステムを長く続けている。町のアイデンティとして音楽を捉えていて、「チャンスが出てきたのは偶然ではないんね?」といったら、嬉しそうに頷いていたよ。ちなみに僕は、主催者からのオーダーで恥ずかしながら「渋谷系」の説明を拙い英語でしてきました。

脇田:山口さんの活動もインターナショナルになっていますね。このチャンス・ザ・ラッパーもそうですが、多くのアーティストが、ミックステープという仕組みで無名から名を上げてブレイクしている。既存曲をリミックスしたり、収録したりする。違法行為に当てはまるケースも多いですが、そこは日本と違いルールに対してゆるいところがあるアメリカですし、ヒップホップやレゲエは、このスタイルが文化として定着していることもあり、プロモーションにもなるので黙認されているようです。
アナログ時代からのヒップホップ系の伝統は、デジタル時代とマッチして威力を発揮しています。ストリーミングが台頭したタイミングでのグラミー賞ノミネート~受賞は、時代を捕えた感はありますよね。

山口:本当だね。そして、チャンス・ザ・ラッパーのグラミー賞受賞は色んな意味でエポックメイキングだと思うんだ。アメリカのミュージシャンにとってのロールモデルがJAY-Zからチャンスに変わるというのはすごく大きくて、日本の音楽シーンにも少しずつ影響が出てくる気がする。「メイクマネー」が一番だった黒人ミュージシャン文化が、お金や名声よりも地元の友人を大事にするという価値観へ変化したのが面白いと思った。結果的には、お金もたくさん入っているんだけれどね。

脇田:ヒップホップ系の「メイクマネー」は基本変わらないでしょう。文化系ヒップホップがサードウェイブみたいな、ここ数年のトレンドとくっついて、アナログなイメージとデジタルな発信を合体させている。それが何年かかけて、遂にオーバーグラウンドで認められたというシンボリックな出来事だと思います。

山口:日本のヒップホップシーンも知っている脇田さんはクールな解釈ですね(笑)。でも、真面目な話、ライブハウス(CLUB ASIA)をルーツに持って、現場感を大切にしながら、グローバル視点を持っているのがワッキーの武器だよね。9月に出版した『ミュージシャンが知っておくべきマネジメントの実務〜答えはマネジメント現場にある!』にも、そういう脇田らしさを感じたよ。


第2位)Spotifyがブロックチェーン会社を買収。AppleはSHAZAMを傘下に。

山口:海外は完全にストリーミングサービス全盛なんだけれど、各サービスに対して、どんな印象ですか?

脇田:何の記事で見たか忘れましたが、SpotifyのCEOダニエル・エクさんの「SpotifyはIT企業ではない、ITを使った音楽企業だ」みたいな発言が印象深いです。実際にプライベートでも仕事でも使っていますが、この考え方がサービスの隅々まで浸透しているように感じます。「音楽」を重要視している思想のようなものを感じるんですよね。エンジニアと
かの方は音楽の現場に触れる事は無いかもしれないですが、会社の姿勢「音楽会社だ」という考えは一人一人に影響を与えてるんじゃないでしょうか。甘い夢を見ていられるような時代ではないですが、ギリギリのところで「音楽第一」と言いたいですよね。国内のサービスで同じように好感を持てるのはAWAです。

山口:ジョブズがミュージシャンとお友達っていうのは、まあイメージ操作で策略だったと思うけれど(笑)、ダニエルには音楽愛を僕も感じる。そのSpotifyが今年は積極的に動いた年だったね。分配の透明化を図って、ブロックチェーン会社を買収したのは機敏だった。AppleがSHAZAMを買ったのは驚いたけれど、4年前くらいにSHAZAMの役員から聞いた情報によると、その時点でSHAZAM経由で年間1億回くらいiTunesでダウンロードされていたらしいから、ユーザーへの影響力がわかっていたんだろうね。SHAZAMで知って、Apple Musicで即聴かせるという誘導は良い方法だよね。

脇田:SpotifyとAppleが音楽プラットフォームのトップを狙って、しのぎを削ってる。しかし、Appleにとって、音楽はコンテンツの一つなんだろうなと思います。ジミー・アイオヴィンやドクター・ドレーが入って始まったApple Musicですが、音楽愛よりは企業としてのApple愛が優先されている印象があります。GoogleやAmazonもそうですが、「コンテンツ」や「データ」ではなく、「音楽」を扱うサービスを期待します。

山口:まあAmazonやGoogleは、one of communication toolsとしてしか音楽を捉えないよ。だからこそ音楽家側が賢く対処しないとね。あと、Spotifyが中国の巨大なIT財閥テンセントや運営するQQmusicと提携を発表したのも驚いたな。報道によると、最初テンセントがSpotifyを買収しようとして拒否されて、提携になったらしい。おそらく、中国はQQmusicで、それ以外の国はSpotifyでという住み分け戦略なんだと思う。

脇田:ストリーミングサービスの先駆者Spotify、まだまだ注目です。


第1位)QQmusicの台頭〜中国音楽マーケットの「出現」

山口:僕にとっては、この10年くらいで最もインパクトのあったニュースです。違法サイト天国で、海賊盤すら誰も買わないと言われた中国に音楽市場が忽然と「出現」しました。2015年12月、ちょうど2年前に中国政府が国家計画で、自国の音楽産業を2020年までに3000億元(約5兆6000億円)にすると発表。日本の10倍以上だからね。大法螺かとも思ったけれど、ああいう国は政府が旗を振ると動くんだね。巨大なIT財閥テンセントがやっているQQmusicが伸びて、月額約170円の有料会員が3000万人いて増え続けている。3年後には日本の音楽市場を追い抜くという分析が一般的だね。

脇田:アジア圏に巨大なマーケットが生れるという明るいニュースですね。国内だけ見とけばいいという、日本の音楽ビジネスの発想が遂に終わりそうな話です。

山口:どの国にも自国語のポップスがあって、それが5割位のシェアを持つのが一般的。残りの5割を洋楽とK-POPとJ-POPが争う構図になるんだけれど、潜在的には日本のポップスが洋楽とK-POPを上回って全然おかしくない。日本政府も「アジアのストリーミング市場における日本のシェアを25%にする」とか目標立てて旗を振って欲しいな。5年後には、朝鮮半島からミャンマーまでの間の音楽市場が日本の5倍〜10倍になる可能性が高い。単純計算で5倍のマーケットの2割がとれたら、日本の音楽市場が二倍になるということになる。これは凄いことだよ。

脇田: 新しいアジア市場でJ-POPが洋楽やK-POPを上回るのは大変そうですね。

山口:このままの状態では全然ダメだろうね。でも潜在的にはJ-POPが一番だと思っている。理由はアジア人とは感覚的に共通する部分があり、その上で多様性と文化的な奥行きがあるから。ストリーミングサービスって、いわゆるロングテールが長い、多様な音楽が存在できるサービスだから、日本のポップスの歴史と多様性が活きるんだよ。世界的に見ても日本の歌謡曲〜J-POPの歴史は豊富で多様な過去作品もある。文化大革命で切れてしまい、政府の介入も強い中国とは大きな差があるのは間違いない。この優位性はいつまでもは続かないだろうけれど、今は日本に大きなアドバンテージがある。K−POPは特定ジャンルでは優れた作品力があるけれど、多様性には欠けるからね。あとアジアには、感傷的なメロディや「歌謡感」みたいな共通性もあるから、ストリーミングサービスがきっかけで、ミャンマーで山口百恵の曲が大人気みたいなことが起きても不思議はない。

脇田:懐メロのカタログビジネスを海外展開するわけですね。

山口:日本のレコード会社は、ともかく全カタログにメタデータを付番して、全サービスに許諾することを最優先でやるべきだよ。そして1年間位再生データを追いかけて、人気の出そうな曲を、その国の歌手にカバーしてもらうように働きかける。それだけで大きく儲かる可能性が十分にあるんだから。
 これまではレコード会社は宣伝資金力も含めた、新曲のマーケティング力がシェアを決めてきたけれど、これからは旧譜も含めたカタログ力がレーベルの優劣を決めるようになるかもしれないね。

脇田:才能と資金が集まった20世紀のJ-POPの遺産を活用して世界に出よう、と。夢があるような無いような。。たしかにストリーミングは多様な趣味趣向に対応できますので、渋谷系の時代にマニアックなレコードを掘ってコンピが作られたようなニッチな現象がJ-POPで起こることはあるのかもしれませんね。

山口:僕はアジア各国の文化的な状況は「渋谷系前夜」って感じだと睨んでる。もう少しで、洗練されて様々な音楽ジャンルを包括した都市型ポップスが各国で生まれる可能性を感じるんだよね。そうなると日本人クリエイターの活躍のチャンスが広がると思う。
 ただ、実は一つ衝撃的な事実があるんだ。中国はコンサートチケットも含めて、全てのサービスがスマホで完結できるはず。ストリーミングサービスで好きになった楽曲のアーティストのコンサート情報を調べて、チケットを決済して、コンサート会場にスムーズに入場して、ライブの感想をSNSに投稿するみたいなことが、ノーストレスで自分のスマホでできる。でも、日本人アーティストのコンサートを観たいと彼らが思っても、外国語の情報はない、決済できない、電子チケットも遅れている、会場などの情報も平準化されていない、、、、。日本はアジアの中で図抜けて、不便で遅れた国になっているという現実があるんだ。これは「このままだとそうなっちゃうよね」ではなく、まだ顕在化してないだけで、「既に今そうなっている」アジアの中で少なくとも音楽分野においては、ITが一番遅れた国になっているのが、現実なんだよ。メチャメチャ悔しい。
 そんな状況でワッキーは、中国市場でどういう勝負をしようと思う?

脇田:K-POPは、インターネット以降のグローバルな展開が可能な時代に、ヒップホップベースの世界主流の音楽スタイルでネットを駆使して、日本をはじめ国外の市場を攻略した。それは得意な特定ジャンルというより、世界の主流フォーマットで勝負したんだと思います。スウェーデンのポップスも同じ。中国のような海外市場で洋楽、K-POPと競うというのは、この主流フォーマットに挑戦し、もがいていくことなのかなと思います。
 ここ数年、いくつか中国の音楽ビジネス関係者と会ったりして、実際管理楽曲がレコーディングされ中国のレーベルからリリースされたりと、仕事が実現したこともありました。彼らが日本に求めるのは、機材やエンジニアの技術の高さやサウンドクオリティでした。音楽的には歌謡曲はダメ、ループするダンスミュージック前提。これはJ-POPとはズレがある。ではどう勝負するかというと、高い技術とクオリティを持って、世界フォーマットに乗せて、オリジナリティを発揮することでしょう。ぜひ、そういうアーティストを発信していきたいです。

山口:僕は、2006年にタイのバンコクでオーディションして16歳の美少女ボーカリストを選んで日本人と組ませてデビューさせたり(Sweet Vacation)、インドネシアのロックシンガーAiu Ratnaを日本で活動させたり、アジア市場を意識したプロデュースを先駆的に挑戦してきたつもりだけれど、今、中国、アジア市場を視野に入れてアーティストをデビューさせるのは、自信が無いのが正直なところ。成功させる方法論は見いだせるとは思うだけれど、それを達成し切るまでの資金を集める自信が無いんだ。日本の音楽業界の資金調達システムがヘタリ過ぎているからね。
 音楽業界の内側では「ともかくアジア市場開拓です。それ以外やることないでしょ?」と啓蒙活動しているけれど、「音楽プロデューサーとしての山口哲一はどんな風に何を取り組むんだ?」と1年くらい悩んできた。2017年末現在の僕の結論は、「Jポップ流の音楽クリエイター育成法をアジアに持ち込んで、日本人作家とのネットワークも作って、アジア音楽シーンを席巻する」なんだ。5年間取り組んで結果が出始めているプロ作曲家育成の山口ゼミの仕組みを中国、台湾に持ち込んで、日本人作家とコーライティングさせて、アジア中の音楽市場を攻めるという取り組みを2〜3年かけてやろうと思っている。中国企業との協業はリスクが高いけれど、人間同士の信頼関係がちゃんと作れれば中国人は頼りになるというのもあるしね。来秋に山口ゼミ上海校、台北校をつくるべく動き始めたところ。3月には既に活躍している中国、台湾のプロ作曲家を呼んで、真鶴でコーライテイングキャンプをやる予定なんだ。


総評)時代はおもしろくなってる

脇田;振り返ってみると、時代はおもしろくなってる気がしますね。すごいスピードで変化する中国とアジア市場にアンテナをはっておかないと。ダイナミックな時代の到来を期待したいです。

山口:前著『新時代ミュージックビジネス最終講義』にも書いたけれど、今は「ITサービスがわからないと音楽ビジネスができない時代」になっている。15年前までとくらべて、一番変わったことって、マネージャーやプロデューサーが「マネタイズポイント」まで考えなければいけなくなったこと。以前はCDなどパッケージを幹にした生態系がよく出来ていたから、「良い曲作って、多くの人に広める」ということだけ考えておけば、お金は自然に入ってきて、回っていったけれど、今は、ITベンチャーが、無料アプリユーザー100万人いても倒産することがあるのに似て、ちゃんとマネタイズのタイミングと方法まで自分たちで考えなければいけない。そう思わない?

脇田:同感です。一方、いくらマネタイズのノウハウを持っていても、曲のヒットとアーティストのブレイク無しでは儲からないのは昔と同じ。新時代のネットやITのノウハウもマストだし、伝統的なマネージメントや育成のノウハウ、も知るべき。両方必要。

山口:テクノロジー活用は、マネタイズとプロモーション(ユーザーとのコミュニケーション)に加えて、テクノロジーを活用して表現そのものも変わらないといけない。去年から始めたTECHSは、クレイジーなくらい大変なイベントだけれど、プログラマーとアーティストが真剣に向き合ってライブステージを作っていて、熱量はすごく高い。大変だけれど「TECHS」も続けようね。

脇田:ニューミドルマン養成講座の有志がTECHSのWEB SITE「TECHS.media」を盛り上げてくれたり、私たちの取り組みに賛同してくれる人も増えてきています。この記事に興味を持った方や、音楽の仕事でおもしろい事やろうと思ってる方は、ぜひ、講座に参加してほしいです。

山口:それからミュージシャンズハッカソンをやってきたチームで、世界的な音楽ハッカソン「Music Hack Day Tokyo 2018」を2月にやります。日本でMHDやるのは3年ぶり。プログラマー、デザイナー、ディレクターは是非、参加してください。

ニューミドルマン養成講座公式サイト

TECHS.media
TECHS3@SuperDeluxeダイジェスト動画

●Music Hack Day Tokyo 2018 公式ページ

2016年6月30日木曜日

イギリスのEU離脱は、日本人にとっても他人事じゃないよね

 イギリスの国民投票で、EU離脱が選ばれた。様々な視点で語られている話だけれど、僕なりの私見をまとめておきたい。日本人の悪癖として、ポンド預金とかしてないかぎり、自分とは関係ない事的なスタンスの言説が多い気がする。
 僕自身は、めちゃめちゃ身につまされている。


1)ベルリンの壁崩壊以来の世界史的な大事件でしょ?


 普通に生きていると気づかないけれど、僕らは歴史の上に生きている。もう少しリアルに言うと、僕らが生きている時代も、人類が滅亡しない限り、歴史の教科書に掲載される(かもしれない)くらい、今回のイギリスの国民投票結果は、事件だ。


 間違いなくキャメロン首相は、否決できると思っていただろうし、世界中の人、そしてイギリス人もそうだったろう。冷静に論理的に考えれば、EU離脱はマイナスの方が大きい。

 そもそも、議院内閣制の元祖であるイギリスで、国家の重要な決定事項を国民投票にするって、構造矛盾だ。実際、法的根拠がないから従う必要が無いみたいな議論もあるようだ。民意が反映される仕組みのない中国で行われたなら画期的だけれど、イギリスでやるって意味不明だなとそもそも個人的には思っていた。

 その理由や結果の細かな分析は、僕の専門分野ではないので、ここでは触れないけれど、国の大事な決定事項を国民投票に委ねるのは、時代遅れだなと思う。どうしてもやりたいなら、ネット投票にして、95%以上の投票率を担保するべきだろう。

 キャメロン首相の「ええかっこしー」が、イギリスを不幸にしたのかもしれない。リーマン・ショックとの比較をしているのは矮小化で、経済問題と捉えるべきじゃないよね。

2)EU対イギリスをアジア対日本のアナロジーで見ようよ。


 僕が気になったのは、精緻な分析をしているように見えたブログのまとめが「日本人でよかったな」みたいなことになっていたこと。 

 「日本とは無関係なこと」みたいな根拠の無い言説が広まっているようだ。僕は、日本の危機(とそれの裏腹の可能性やチャンス)を重ねあわせるべき事件に感じている。違いを際立たせて理解するのではなく、島国という共通点もあるイギリスと日本の相似点を浮き彫りにした方がためになる。

 大英帝国を展開し、世界的に超勝ち組だったイギリスが、one of 大国になり、EUの加盟国になりながら、自国通貨ポンドだけを維持しているのは、微妙なバランス感覚だと僕は思っていた。それをイギリス国民が否定したのが今回の結果だ。例えばだけど、5年後に中国かシンガポールがアジアの覇権国、今のヨーロッパにおけるドイツみたいな存在になり、ASEANを巻き込んだ経済圏をつくろうとなった時に、日本はどうするべきなのだろう?僕は、そういう動きのイニシアティブを積極的に前倒しで日本がとるべきという意見を持っているけれど、そうじゃないにしても、今回のイギリスのEU離脱は、そんなイメージのリアリティの中でとらえるべきだと思っている。

 本当にイギリスがEU離脱したら、スコットランドはEU加盟に動くだろう。そのことを沖縄の基地問題と重ねあわせて見ることができないとしたら目が濁っている。沖縄県議会が日本離脱、アジア連合加盟となるというのは容易に想像できる。


 3)エンターテインメント、インバウンドが日本の生きる道だよね。


 人口が減り始めていて、少子高齢化が進む日本は、製造業では戦えない。「ものづくり日本」みたいなキャッチフレーズは反対ではないけれど、グローバル市場で、日本的な感覚を「ユーザーオリエンテッドな製造」と読み替える必要はある。従来型の大企業と、下請けの仕組みを守ることに意味があるのではなく、本質的な日本の強さを守ることが大切なのだと思う。

 ざっくり言うと、消費者のわがままレベルが高いことと、それに丁寧に対応できるノウハウが日本の強みなのだろう。空気を読む(=気遣いができる)日本人が観光業に活路を見出すということが国民的コンセンサスになれば良いよね。そして、日本的な価値観をわかりやすく伝えられるのがエンタメ業界だというのが僕の認識で、背筋を伸ばして頑張らなければいけないと思っている。

 個人的な話をさせてもらえば、日本はピンチという危機感でSTARE ME UP AWARDSをやっているつもり。自分のアイデアで世の中変えたいと思っている若者は是非、エントリーして欲しい。危機感を共有する意識の高い「大人」たちが関わっているプロジェクトだから。
 同時に、日本人音楽家のクリエイティビティを信じて、チームに第一線の音楽家が加わるというミュージシャンズハッカソンも始めた。グローバル市場を意識せざるを得ない時代に、日本人がどう生き残っていき、国際競争で勝っていけるのか、真剣に考えたい。

 音楽プロデューサーである自分が、そんな思いになる時代だし状況なんだなと、イギリスの国民投票は教えてくれた。気持ちが重くなる事件だけれど、個人的には感謝したいと思う。

2014年8月20日水曜日

ろくでなし子逮捕と署名運動について

 だいぶ間が抜けたタイミングでの投稿になるけれど、変な論説が多い気がして、書くことにした。前衛芸術家ろくでなし子の3Dプリンターでの女性器頒布と逮捕について、僕の個人的な見解をまとめておきたい。
 その話は何?という人は、とりあえず、下記の記事をどうぞ。

●なぜ「自称」芸術家? 「ろくでなし子」氏逮捕の深層 女性器3Dデータは「わいせつ」か「芸術」か


まずは、前衛芸術家のスタンスについて。

◆前衛芸術家は反体制であるし、反社会的であることが存在意義

 僕は、正直、逮捕が不当と騒ぐ人達の多くの論旨が理解できなかった。「悪いことをしていないのに逮捕されて可哀想」みたいな言説は、芸術家と名乗っているろくでなし子にたいして、むしろ失礼だと思う。
 前衛芸術の定義は人それぞれでよいけれど、基本的には、既存の価値観に対するアンチテーゼ、当たり前と思っていることを疑わせる、認識を改めさせるというのが、本人の意思はともかくとして、社会的には役割であるはずだ。その意味で、3Dプリンターという従来の価値観を揺るがすツールを使って問題定義するというスタンスはとても正しい。
 そもそも「ろくでなし子」って名乗っているのだから、確信犯だと捉える方が自然でしょ?

 一方で、既得権益者は守旧的であるのが前提で、そういう意味で、今回のろくでなし子の表現を見逃さなかったのは、職務熱心であると捉えるべきで、逮捕された側は名誉なことだし逮捕した方は、さぼらずにちゃんと仕事をしたというのが、客観的なとらえ方だと僕は思う。

 その事件を「自称芸術家」という言い方で報道したメディアの責任放棄は、批判されるべきとは思う。「お前は体制側の犬なのね」という烙印を押すには値する。
 一方で、警察に対して、ことさらに、「不当逮捕」だと言いたてるのは、警察に対する期待値が高すぎると思う。体制側のオペレーションを担う役所は、既存の価値観を揺るがす行為は否定するのが、そもそもの立ち位置だ。逮捕自体は、むしろ「正当」だと僕は思う。

◆留置所への長期拘留は不当ということ

 ろくでなし子が、自己の確信犯的な表現で警察に逮捕されたことは、体制側が、しっかり「敵」と見なしたという意味で、芸術家としては、むしろ名誉なことであるはずだ。万が一、逮捕される覚悟がなくやっていたとしたら、それはそもそも、「前衛芸術家」を「自称」する資格が無かったことを意味する。まったく私見だけれど、体制側に抑圧された方が、前衛芸術家の表現のクオリティは高くなると僕は、当然のこととして思っている。
 ただ、それも程度問題で、極論で言うと、体制側が不快なことをしたら即、殺されるみたいなことだとしたら、論外だ。芸術家には成長するプロセスは必要だし、政府の弾圧や、社会の偏見の目を知って、活きる表現もあるはずだ。

 さて、ろくでなし子について、釈放を求める署名運動が行われた。

●「ろくでなし子」の即時釈放もとめる「署名活動」ネットで展開・・・賛同者が急増

 僕が、このネット署名運動に参加して、署名したのは、まず一義的には、たかだか「オ××コ」をつくっただけで、留置所に長期拘留するのは、警察の横暴が過ぎると思ったからだ。日本がこれから文化国家として活きていくしか無い時代に。多様性を認めないのは問題だし、そもそも西洋に対する東洋の知的優位性は、性的なものも含む寛容性であるはずだ。そして、ともかく、牢屋に入れて反省させるという警察のやり方には、しっかりNOを伝える必要はある。
 気分で言うと、風営法によるクラブ摘発問題に対する反感もある。「警察とヤクザは紙一重」という論説に僕は与しないけれど、やみくもに社会浄化を求める近年の警察のスタンスは、ちょっとバランス悪すぎるし、日本の国益にとってマイナスだ。法律を拡大解釈して、カルチャーを抑圧すると、強い批判を浴びるということは伝えたいと思う。

◆ネット署名についての見解

 「.org」の活動はリスペクトするけれど、僕が個人的に気をつけるのは、むやみに「賛同ボタン」を押さないことだ。
 ネットでの署名運動は、良いことだと思うけれど、一ユーザーの立場で言うと、気軽に、手軽に、署名ができてしまって、深く考えたり、調べたりせずに、気分で署名しそうになるのが、マイナス面だ。自分なりにしっかり情報を分析して、立場をはっきりさせてから、署名するかどうか決めた方が良い。
 
◆3Dプリンターが僕らに投げかけていること

 このエントリーからは枝葉になるけれど、今回の「事件」が3Dプリンターで起きているのは事実、3Dプリンターとい存在が、従来の社会常識を揺るがしているのは間違いないし。警察に恐怖感があったから、勇み足的な逮捕になったという側面もあると思う。
 3Dプリンターとそのネットワーク化は、社会を根本から改革する可能性を秘めているのだと改めて思った。

 様々なことを考えさせられる事件で、そういう意味で、前衛芸術家「ろくでなし子」は、まさに定義される意味の前衛芸術家として、功績があったと僕は思う。

2012年7月29日日曜日

何故、大阪市は文楽を守るべきなのか? 〜歴史はお金で買えない〜


 大阪市の文楽協会への補助金の削減が問題になっている。橋下市長の発言も含め、論点がおかしいと思うので、整理したい。


 僕は橋下市長の維新の会や大阪都構想には、基本的に賛成だ。国から地方への権限委譲の必要性は、長らく語られてきたが、具体的になっていない。大阪市と大阪府の二重行政の無駄も大きいだろう。
 大阪市の既得権益の構造は根深そうだし、橋下さんのようにマスメディアを活用して、市民の支持をテコにしないと抜本改革は難しいと思う。優秀なブレーンも集めているし、是非、頑張って欲しい。
 文楽協会への補助金削減も、そこに巣くう大阪市からの天下り役人や、文楽協会の事務局の守旧ぶりを炙り出すという意図もあるのかなと思う。ただ、観客動員数を評価のポイントにしたり、演出までに口を出すのは、基本的な姿勢として間違っている。

 さて、文楽の価値は何か?
 最初に断っておくと、僕は文楽について全然詳しくない。行ってみたいと思いながら、ちゃんと生で観たことは無い。でも、僕にとっても文楽を守ることはとても大切だ、何故か?
 橋下さんの話法に合わせて、短く言うなら「長い歴史があるから」。そして、「国内、海外で、その存在が知られているから」。それだけで理由としては十分だ。実際、ユネスコの世界無形遺産にも指定されている。

 歴史的建築物を文化財として守るという事と基本的に変わらない。文楽を観客動員数で評価するのは、
「五重塔は、ディズニーランドより動員力無いし、スカイツリーより眺めが悪いし、実際に人が住めないから、守る価値が無い
 と言っているようなものだ。
 観劇してみて、退屈かどうかなどという基準を用いるべきじゃ無い。

 商業演劇やポップスのコンサートは観客動員で、ある程度評価できる。市場原理の中で、消費者の支持を集めた作品が「勝者」で良いと思う。僕は自分がプロデュースした作品を売上数やランキングで価値付けされることを潔く受け入れて仕事している。それがポップスの、そしてショービジネスのルールだと思うから。
 伝統文化は全く違う。文楽(人形浄瑠璃)は、既に、数百年単位で日本人、そして世界中の人たちの支持されてきたのだ。それを踏まえて判断しなければいけない。
 今回、もし橋下市長が、文楽協会を潰してしまったら、これからどんな成果を挙げようとも、愚帝として数百年と語り継がれることになる。行政改革の効果は長く持っても100年だろう。文楽は既に、その3倍以上の年月を生き延びてきているのだ。その歴史に敬意を払うべきだ。
 文化の価値は、目先の貨幣的な価値だけでは図れないことを知って欲しい。
 
 橋下市長は「競争力のある大阪」を掲げて、東京と対抗できる都市となれるように活性化したいと言っているという。大阪の価値は何だろう?東京には、江戸開都から数えても、せいぜい500年位の歴史しか無いのに対し、関西エリアには、1500年近い歴史のある街がある。国際的に見ても、歴史のある国や街は尊敬される。幸運にも文楽は大阪で生まれ、育っている。大阪のブランド力をあげるために文楽の存在は有効なカードなはずだ。守旧派のスタッフを追い出して、芸術家を街のブランド力向上に役立つように活用させてもらえば良いと思う。
 「国力」は、総合的なものだ。国際的に評価されている伝統文化を持っていることは、国力向上にも有効だ。重要な国際会議の交渉場面で、文楽の比喩を使うことが、こちらの主張を通す一助になることもあるかもしれない。政治家には総合的に日本の国力をあげていくという視点を持って欲しい。
 
 余談だけれど、経済産業省がクールジャパンで、高尚な文化論を語っているのは、これとは真逆の意味で、間違っていると思う。
 このサイトを見ると悲しくて、泣きそうになる。
 日本のポップカルチャーの文化的な価値に関して、経産省がウエブサイトを運営している理由が全くわからない。大至急、仕分けすべき。
 そんな予算があるなら、海外のコンベンション参加のアーティスト達の旅費を補助する(世界のほとんどの国ではあるからね)とか、航空会社に楽器が壊れないコンテナの研究をさせるとか、海外の興行で円決済をしやすくするための制度研究とか、もっと商いにつながることに労力を使って欲しい。
 フランスでコンサートをやる際は、オープニングアクト(前座)に、フランスのバンドを使わないと罰金がとられるそうだ。自国の文化を後押しする制度は諸外国に様々な例がある。日本もそういうことやれば良い。
 
 大阪市長が、伝統文化を「商売」で語り、経済産業省がポップカルチャーを「文化論」で語ってる。逆でしょ?


<参考リンク>
ドナルド・キーン氏、文楽は「人間より美しい」
⇒日本文化の専門家のインタビュー。文楽の価値が素人にもよくわかる。

“人形遣い”の器量は、分からないもので分かる小田嶋隆 ア・ピース・オブ・警句)
⇒いつもながら切れ味鋭いコラム。同感です。

2011年9月8日木曜日

多国籍バンドThe_AIU登場!アジアコラボの最新型!!




The_AIU(エーアイユー)紹介!


公式プロフィール☞
東京を拠点とする多国籍でドラムレスの3ピースバンド。というエレクトロの要素が入ったロックバンド。
ジャカルタの大規模なロックフェスへの出演、ロック映画の主役をつとめるなどインドネシアで熱狂的な人気を誇る女性シンガー、アユ・ラトゥナ(Vo)と、「サマーソニック」「ジャパンフェス」などに出演した元THE JETZEJOHNSONのギタリスト壮一(Gt&Cho)と、ノイズ&トリートメント担当の国籍不明の謎の美少年ジェシー(Noise&Treatment)がメンバー。日本語〜英語〜インドネシア語の三カ国語を操り、2011年に相応しいカオティックなロック・サウンドを日本発〜世界標準でかき鳴らす!!




インドネシアの人気ロックバンドのボーカリストが、子供の頃から日本の漫画やアニメや音楽が好きで、東京に来て、出会った日本人と一緒にバンドを始めるというのが、とても今日的な出来事だと思う。
 元ジェッジの壮一と謎の美少年ジェシーという3人組の組み合わせも意外性あり

iTunesの「今週のシングル」に選ばれました。無料DL中!


無料DLをして、気に入ったら、アルバム「MINORITY」を聴いてみて

リリース日はJ-popアルバムチャート9位!


リード曲「CPU」のミュージッククリップ


オフィシャルサイトはこちら。
http://www.theaiuband.com/
 CDは、9/21リリース



このバンドの面白さ、今日的な価値と登場の必然、そしてアユとの出会いなどは、また改めて書くつもり。まずは紹介まで。

2011年8月21日日曜日

園子温監督の傑作『恋の罪』と円山町の思い出

 

 1980年代後半、大学には全く行かなくなっていたけど、学生証は持っていた頃、僕が最初に「事務所」として、部屋を借りたのは、渋谷の円山町だった。今でこそ、ライブハウスや映画館が建ち並んで、華やいだ場所になったけれど、その頃はまだ、ラブホテル街とその周辺という怪しいエリアだった。百軒店商店街というアーケードをくぐって、ジャズ喫茶やロック喫茶の前を通り、小径を入ったところにある、今にも壊れそうな木造のアパート、3畳ちょっとくらいのスペース。知人からのまた借りみたいな形だったけど1年半くらいで、取り壊しを理由に追い出された。

 園子音の最新作『恋の罪』1990年頃の渋谷円山町が舞台だ。実際に起きた殺人事件から触発されたオリジナルストーリー。映画で登場アパートのイメージ元は、もしかしたら僕たちが借りていたところかもしれない。追い出された後も、かなりの間、建て直しされずにいて、前を通ると無人になっていたのを覚えている。

 その頃に「立ちんぼ」と呼ばれる娼婦が、路上に並んでいたというのは、ちょっと誇張だけど、隠れて少しは居たと思うし、怪しいマンションの一室を借りた風俗営業が盛んだったのは間違いない。電話ボックスに小さなチラシがたくさん貼られていて、ラブホテルに出張させるのは盛んだったようだ。

 戦前から、娼婦街(それも公営の「赤線」では無く、「青線」街)だったらしいから、年季の入った、怪しい雰囲気を醸し出していた。今は、ほとんど無くなってしまった、ジャズ喫茶やバーがあって、高校時代からよく通っていた。そんな僕が観ても、あの頃の街の空気が見事に描かれている。


 3人の女性の生と性と死の物語、とまとめてしまうのは、あまりにも陳腐だろうか?恵まれているように見える彼女たちが、自分が手に入れられない何かを求めてもがいてる。

 水野美紀、富樫真、神楽坂恵の主演女優三人が、素晴らしい。文字通りの体当たり演技だし、女性の心の奥底が見えそうで、見えない、そんな凄みと深みがある。

 園監督は、男性目線で女を語らないようにシナリオを書いたと言っているけれど、その通りだと思った。女の怖さと強さと、言葉にできない真実がある。強烈なエロスだけれど、半端な男には勃起が躊躇われるような、大胆な女の性。


 詩人でもある園監督の台詞は、言葉の一つ一つに陰影がある。引用されている田村隆一の詩は、既知だったせいか個人的にはそんなに響かなかったけど、女性達が叫ぶ言葉は、心に刺さった。「オマエは、自分できちっと、ここまで堕ちてこい」って凄い台詞だと思わない?

 映画でしか描けない世界。そして、もしかしたら日本人にしか描けない、けれでも普遍的な、映像世界をつくりあげてくれた園子温監督に脱帽。絶賛。

 海外の映画祭でも好評だったようだし、試写会も毎回、座りきれないほどの盛況ぶりらしい。


 普段、ハリウッド映画とアニメしか観てない人には、刺激が強すぎるかもしれないけれど、観る価値がある映画です。デートで女性を誘うのは、かなりチャレンジ。大成功か失敗か、はっきり結果が出るでしょう。女性が男の品定めをするのにはいい映画かもね。もちろんR-18指定の成人映画です。1112日公開だって。


 観逃していたを反省して、今年初めに公開された同監督の前作『冷たい熱帯魚』DVDで観た。

 こちらも凄い。壮絶という意味では、こちらの方が過激。食事の前後に観たりしない方がいいし、精神的にも「持って行かれる」可能性もあるから、観るシテュエーションを考えた方がよいと思う。不快なんだけど、惹かれるという感じ。セックスと殺人シーンが続くのに、何故か詩情がある。本当に園子温監督の世界は独自だな。


 こんな監督が日本から輩出できているのは、日本文化の豊かさとして誇っていいと思う。


2011年8月19日金曜日

最近観た映画『アンダルシア』『コクリコ坂から』『GET LOUD』あと「名和晃平展」

『アンダルシア 女神の報復』
 自宅でテレビをつけっぱなしで観なくなって久しい。スポーツ中継やニュース以外は、仕事と関係のある番組以外は、ほとんど観ない。職業柄、威張れることでは無いし、忙しいというのもあるけれど。

 そんな中で、久々に録画して毎週観た連続ドラマが『外交官 黒田康作』だった。テンポのよい展開と、伏線を張り巡らせて、少しずつ謎が解けていくシナリオが面白かった。織田裕二の新境地のキャラクターもよかったし、草刈民代や近藤正臣、岩松了などの助演陣も光っていた。

 なので、続編的な位置づけの『アンダルシア』は、楽しみにして観にいった、『黒田~』の前に公開された劇場版『アマルフィ』はDVDで観て面白くなかったけれど、今度は違うだろうと。
 期待は見事に裏切られた。面白くないです。脚本がイケてない。物語の展開に驚きが無いし、気の利いた会話も無い。黒木メイサが美しい服を着るわけでも無いので「サービスカット」もない。『ツーリスト』のアンジェリーナ・ジェリーと比べるのは酷かもしれないけれど、見所が見つからない、久々に空振りの映画だった。予算も手間も掛けただろうに、どうして、こういう映画ができるのか不思議だな。


 実は、映画館でジブリ映画を観たのは、もしかしたら初めてかもしれない。宮崎駿アニメは、高校生の頃に観た『天空の城ラビュタ』や『風の国のナウシカ』から大好きだ。ブームになったからって、そっぽを向くほど、へそ曲がりではないつもりだけど「まあDVDで観ればいいかっ」って、毎回してきた気がする。そんな反省も込めて、今回は劇場に。

 宮崎吾朗監督は、宮崎駿の息子さん。偉大な父を持つジュニアが同業者になるのは、本当に大変だと思う。演者なら知名度や人気が武器にもなるけれど、作り手だとシビアに実力が問われて、誤魔化しは効かない。

 いい意味で、ジブリ的な作品になっていたし、佳作だと思う。そろそろ「宮崎駿の息子」では無く、「宮崎吾朗監督」として評価してあげたい。
(それにしても、せめて苗字だけでも換えればいいのにね?そういうことをやらない潔さも嫌いじゃ無いけど。)
 映画は、昭和30年代後半の横浜の歴史ある高校が舞台。『三丁目の夕日』の漫画&映画が典型的だけど、東京オリンピック前後の日本って、日本人にとって一つの原風景になっているんじゃないかな?厳密に言うと僕は生まれる前だけれど、子供の頃の記憶と重なる部分はある。ちょうど高度成長の後期で、社会のインフラが揃ってきて、日本人の気持ちにも余裕が出てきた頃からかもね。

 今更、薦める必要も無いほど有名な映画だけど、良いと思いました。ジブリの世界に浸ると、心洗われる気持になるね。過去作も一通り観なおそう。


 Yeah! Great! で終わらせてもいい? そんな気分。


 三世代のスーパーギタリスト。プレイだけで無く、思想性も含めて総合的な評価が高い3人。レッド・ツェッペリンを含め、50年近いキャリアのジミー・ペイジ。U2のジ・エッジ、そして、1997年にホワイト・ストライプスでデビューしたジャック・ホワイト。彼らの自分の音楽遍歴とギター観を肉声で聞くことができる。ラストシーンの3人のセッションも素晴らしい。

 音楽好きは、絶対に観るべきです。ギターマニアは、ヨダレが出るからハンカチを忘れずにね。9月9日公開。そうはいっても、万人受けの映画では無いから、公開直後に観ることをお勧めします。見逃すのは惜し過ぎる。

 そういえば、この映画は、フジロックで先行試写会をやるのを知って、観られなくて残念とツイートしたら、配給会社の方が、それを見つけて、試写会の案内を送ってくださいました。ツイッターをやってて、良かったと思った^^;

 


 映画じゃないけれど、東京都現代美術館の名和晃平展のことも。

 最近、とても注目されている現代美術家。今回の展覧会では、渋谷の西武百貨店ともコラボしていて、すごくよかった90年代の文化の香りがして、かっこよかった頃の西武みたいだった。渋谷シードホールや池袋スタジオ200というオルタナティブスペースで、毎週公演が行われていた時代。

 東京都現代美術館での展示もすごくよかった。素材を活かして、既成概念を壊し、美術というフィールドでしかできない表現をしている。新しい価値観を提示している態度は、ちょっと口幅ったいけど、自分がコンセプトを立てて新人アーティストを世に出すときのマインドと通じる気がした。村上隆さんをはじめ、現代美術家の方が、新人の音楽家よりもシビアで逞しいよね。甘やかしちゃいけないなと反省もさせられつつ、刺激と元気をもらった。



 ということで、激オススメです。828日までやってます。


2011年8月14日日曜日

文章を書くということ。〜「言葉の力」と「文章読本」〜

 猪瀬直樹著『言葉の力』(中公新書ラクレ)は、良い本だった。現役の東京都副知事が執筆活動を両立させていることが凄いと思うし、作家としての知見、能力を都政に活かしているのが素晴らしい。教育で効果を出すのには時間が掛かるものかと思ったら、フィンランドはしっかり成果出しているそうだ。東京都の改革にも期待したい。「言語技術」を高めることの重要性や、官僚に騙されない方法、古典の紹介など、幅広く「言葉の力」について書かれている名著なのでオススメ。
 猪瀬さんは、小泉内閣の道路公団改革での活躍ぶりも陰ながら応援していた。政治家としても卓越していると思う。今年の都知事選で、暴言失言が目に余る石原さんを止めて、猪瀬さん自身が出馬してくれなかったのか?それだけは不満だな。

 僕は今年の4月に初めて本を出版させてもらった。音楽プロデューサーやアーティストマネージメントという仕事は、いわば裏方で、目立つものではないと思っていたし、先輩達からもそう教わってきた。去年の1月にツイッターを始めるまで、ネット上で自分の意見を発表したことは一度も無い。ただ、今の時代は、黙っていることが、あまりに損で、やらざるを得ないと思ったんだ。

 本を書くことになったのもその延長線上にある。音楽プロデューサーって、ある意味、究極のB to Cビジネスだ。アーティストとファンを結びつける仕事。特に、新人を売り出すときは、どうやってファンをつくるかに腐心する。ユーザー動向には敏感にならざるを得ない。ソーシャルメディアの活用は、職業的な必然だった。現状を把握して、新サービスをチェックして、アイデアを考えて、とやっている内に、自分なりのソーシャルメディア観を持てるようになった。ところが、世の中の「ソーシャル本」は、マーケティング研究家とIT好きの人たちが書いているので、専門的すぎたり、偏愛していたりしているものが多い。ツールとして、その本質を理解することが必要だと思ったのが、出版の動機だ。
(ちなみに、『ソーシャルネットワーク革命がみるみるわかる本』というのは編集者がつけてくれたタイトルです。ちょっと恥ずかしいけれど、気に入っています。)

 それまで、自分が本を出すなんて、考えたこともなかった。書籍のプロデュースはしているし、アーティストプロデュースのプランの中に、書籍企画を入れることはあるけれど、自分となると話は別だし、子供の頃から国語は得意だったけど、実際に本を出すとなると、意味が違う。書き上げるまでは必死で、入稿してから不安になった。文章ってどうやって書けばいいんだろう?
 読者の方にはごめんなさい。順序が逆になるけど、文章を書くと言うことについて考えるようになった。以来、「文章論」を、片っ端から読んでいる。

 まず、野口悠紀夫著『「超」文章法』(中公新書)を読み直した。
 野口さんの本は、ほとんど読んでいる。経済学者らしい合理性が肌に合う。『「超」整理法』には感銘を受けて、ずっと「超整理手帳」を使っていた。一昨年に、グーグルカレンダー&iPadに換えるまで10年以上、使っていた気がする。『「超」文章法』も、論理的に整理されていて、頭がすっきりした。ともかく分かりやすい文章。「名文」は簡単に書けないし、そもそもの定義も難しいけれど、「わかりやすい文」は誰でも到達できるという考え方にも共感。
 全体を俯瞰して、前提を確認して、目的を明確にし、戦略と戦術をブレイクダウンするという構成は、野口氏の得意とするところだ。索引や参考図書も充実していて素晴らしい。強く薦められていた『理科系の作文技術』(中公新書)を読んでみた。
 とても参考になった。木下是夫さんの科学者らしい文章構造の分析。誤解、誤読がされづらい文を書くというのは、とても大切なことだ。

 併せて、文学者の文章本も読み始めた。そこで思うのは、小説家が文章論を書くのは、自分を語ることなんだなと。井上ひさしの『自家製・文章読本』(新潮文庫)、彼の戯曲を読むような洒脱さと、難解さがある。川端康成の『新文章読本』(新潮文庫)は、ノーベル文学賞受賞作家の文壇における立場が窺わうことができた。


 最も感動したのは、谷崎潤一郎の『文章読本』(中公文庫)だ。まず、その文体が美しい。書いてある内容以前に、文章そのものが綺麗なことに魅せられるってあるんだね。美声のボーカリストは、何国語の歌詞でも感動させられるように、谷崎の文体そのものが素敵だった。書いてある内容そのものは、論理的に矛盾があって、「名選手、必ずしも名コーチならず」という気もするけれど、美しい打撃ホームを見せるのが、一番の指導法なのかもしれない。
 スティーブンキングの『小説作法』(アーティストハウス)も良かった。自分の半生と文章論が、溶けあった内容。小説を読んだことは無かったけれど、作品にも人物に興味を湧いた。
 結局、僕がわかったのは、作家が文章について書くと、自己を語ることになるのだということ、そして文章力は、結局はコミュニケーション能力なんだということ。人に伝えるために、身を粉にするのだなと。

 音楽プロデュースも、コミュニケーション能力が問われる仕事だ。時には、自説に固執するアーティストを論理で説得しなければいけないし、スタッフの気持を鼓舞する必要もある。メディアの人たちをその気にさせることも大事。扱っているものが音楽という目に見えないものだけに、楽しそうに思ってもらわないといけない。それらは口頭で行う。べらべら喋るってこと。
だからだと思うけれど、何かについて書こうと思うと、そのイメージは話し言葉だった。口で話すときは、抑揚や音量や仕草の比重も大きい。大きな声で楽しそうに、キーワードを何度も繰り返すみたいなことが、論理よりも重要だったりする。文章を書くときはそうはいかない。飛躍した形容は混乱を呼びかねないし、文同士のつながりも大事だ。ボキャブラリーもあまり陳腐だと、下品な文になる。書き言葉には話し言葉とは違うスキルが必要だと当たり前のことを確認している。

 その意味でも、ツイッターは面白い。リアルタイムメディアというように、ストック(蓄積)ではなく、フロー(流れていくこと)を前提にしているし、反射神経で対応するのは話し言葉的なコミュニケーションだ。ただ140文字以内で簡潔に伝えるのは意外に国語力がいることも感じている。オープンで誰がみるかわからないから、誰が見ても良いという気遣いも必要だ。

 「言葉の力」は人間力の基礎スキル。ソーシャルメディアの発達で、人間力と国語力が重要になっている気がする。デジタルが進んでアナログ的なスキルが求められるのは面白いよね?
 
 そんな事を思いながら、ブログを書いたり、読書したりしています。新しい書籍の企画もいくつか検討中。もちろん、音楽プロデュースもやっている。文章は左脳で、イメージは右脳を使うらしいから、そういう意味では、脳みそはバランスよく活用できているのかもしれない。

 ソーシャル時代に対応して、自分の読書記録は公開しているので、興味のある方はご覧になってください。意見交換などできたら嬉しいです。

2011年8月4日木曜日

極私的タイ論。タイ好きは、ダメンズ好きと似てる? 〜「ハングオーバー2」を観て、バンコクについて書きたくなった。〜

「ハングオーバー2」を観た。独身最後の夜に男友達が集まって馬鹿騒ぎをするのだが、
記憶が無いくらいハメを外して、事件を起こしてしまうというコメディ。好きな映画だ。
前回は、ラスベガスが舞台だったけれど、今回は花嫁がタイ人と言うことでバンコク。
映画自体は、前作以上のハチャメチャで面白かったけれど、そこで描かれているバンコクが矮小化されていて、映画は面白かったんだけど、大好きな街だけに、ちょっと悲しかった。リアリティを求める映画では無いけれど、そんな偏見で捉えるなよって思ってたら、タイについて書きたくなった。

「ハングオーバー2」で出てくるタイは、ごみごみした町並みと、オカマのショーがフューチャーされて、少し前のプロトタイプの東南アジアの都市という感じ。
(後半の重要なシーンででてくるビルの屋上の絶景レストランは、有名な「シロッコ」だと思う。)

僕は、オーディションで選んだ16歳のタイ人女子高生を日本でシンガーとしてデビューさせたという珍しい経験を持っている。(その過程は誠ブログに書いたので、こちらをご覧ください。)
CDリリースやフェスティバルへの出演等、音楽活動をしただけでなく、タイのアーティストとも交流したし、タイのレコード会社や制作会社と直接、契約をして、様々な形で関わった。

その体験を踏まえて、僕なりのタイ観がある。バンコクは、サブカルチャー、都市文化という意味では、今、世界一刺激的なんじゃないかな?
音楽も、バンド系、クラブミュージックなど、幅広く、良い意味で無節操。不良欧米人も多いし、宗教的な禁忌も無い。ゲイが一番のびのびしている街かもしれない。

そもそも、日本人にとって、タイは親しみやすい国だと思う。よく言われていることだけど、
1)西欧の植民地になったことがなく
2)仏教国で
3)王様がいる
というのが、アジアでは、日本とタイだけの共通点だ。
「微笑みの国」と言われるくらい、優しい国民性だし、日本人には付き合いやすいと思う。
ちなみに、今、世界で一番たくさん日本人がいるのは、バンコクだそうだ。数年前にニューヨークを抜いたと聞いた。
大使館が把握している「公式の」滞在者だけの数なので、実際はもっと多いかもしれない。食事も、すごく美味しい。辛いのが苦手な人は、ちょっとつらいかもしれないけど、
タイ料理だけでなく、イタリアンなども安くて、美味しいお店がたくさんある。

 そんなタイに、去年はテロがあった。テロと言っても、イスラム圏の無差別とは違って、当初は牧歌的だった。占拠されているデパート前を歩いたけど、屋台まで出ていてお祭りみたいな雰囲気。後に、お互い引っ込みがつかなくなって、先鋭化していったね。日本の反安保の学生運動とかこんな感じだったのかなと思った。
死者が出たのは、国際的にもイメージダウンだった。空港を占拠したのも驚いた。観光が大きな収入源のはずなのに、国内の政治闘争で大きな損失をつくった。
 自分の仕事にも悪影響があったので、詳しく知りたくなって、タイの政治状況について、タイの友人達にいろいろ取材してみた。

話題の中心である元首相のタクシンは、本当に賛否両論、毀誉褒貶がすごい。話を聞いていて、日本で言えば、田中角栄とホリエモンを合わせたような感じかなと思った。
タイの農村を「改造論」を掲げて、お金をばらまいて、地方の農民から強い支持がある。同時に、旧い経済の仕組みを改革して、経済を活性化させたけれど、その事で旧体制から反発を受けた。王様に対する敬意が足らなかったことも嫌われている理由。価値観のパラダイムシフトをやろうとして、中途で国から追い出された。私欲も強くて、国も豊かにしたけど、私腹も肥やしたらしい。田中角栄+竹中平蔵+ホリエモンという感じかしら?そのくらいの影響力があったと思う。

いろんな話を聞いていて感じたのは、社会としてダメなところも、日本とタイは似ているなということ。既得権益の仕組みを壊せずにいる様子、変な壊し方で不都合がでてる状況が日本をもう少し悪くしたような印象をもった。

長くタイで仕事をしている多くの日本人が、タイ人には「木を見て森を見ない」という特質があると言う。目先の感情論や面子みたいなものに引っ張られて、本質を見失ってしまうことが多いらしい。実際、デモの先鋭化もそういう印象がある。
僕自身、タイの会社とビジネスをしていても、視野が狭くて、半端な感情論から抜けられず結果、その本人も損しているのに気づかないというケースを何度か見た。ずるく立ち回るうとしているなら予測も交渉も可能だけれど、論理を理解せずに、目先の気分で突っ走られると、対処が難しくて困ってしまう。環境をきちんと認識せずに、損な選択をかたくなに選ばれると打つ手が無い。深い嘆息とともに諦める。そんな経験を何度かしている。

正直、ここには書けないようなことも含めて、タイ人やタイの会社からは、理不尽な迷惑を受けたことがあるのだけれど、それでも何故か、タイとタイ人を好きでいる自分がいる。
以前「ダメンズ」と言う、甲斐性の無い男ばかりを好きになる女性のコミックが話題になっていたけれど、そんな気分もあるのかもしれない。暑いところで、辛くて美味しいもの食べていると、「マイペンライ(まあいっか)」と思いがちだよね。シンハービールも旨いしね。

まったく個人的でとりとめの無くなってしまったけれど、タイのことは、今後も時々書こうと思います。違うと思ったら遠慮無く指摘してください。嗚呼、トンローの屋台のバーミーが食べたい!

2011年7月23日土曜日

「同人音楽」は「Do it yourself」なのか? 〜私論の試論ですが、、、

 『HOMEMADE MUSIC』という本をブルースインターアクションズさんから献本していただいた。素晴らしい本だった。よい書籍をつくるのに、編集者の役割が重要なのは、知ってるつもりだけれど、こんなに編集者の思い入れがストレートに感じられるのは珍しい。江森丈晃さんという方の精魂込めた感じが伝わってきた。

サブタイトルに「宅録~D.I.Y.ミュージック・ディスク・ガイド」とあるように、宅録(=自宅録音)というテーマでまとめられた本だ。山本精一や曽我部恵一という企画にぴったりのアーティストのインタビューも非常に興味深い。彼らの生き方が産み出す音楽と同じくらい魅力がある。そして、たくさんのディスクレビューが、宅録というテーマでまとめられている。改めて「俺の知らないアルバムってたくさんあるんだなぁ」と不勉強を反省したし、同時に嬉しくもなった。まだまだ聴く音楽がたくさんあるんだね、当たり前だけど。

僕自身の宅録初経験は、中学生の頃に友達が持っていたカセットMTRだったと思う。高校時代にバンドやってた頃、先輩が買ったTEACの4チャンネル・オープンリールレコーダーを見て、興奮したのを覚えている。その頃は、まだ「宅録」とは、言わなかったような気がするけれど、録音をするという行為の高揚と緊張は、他では味わえないものだった。親と交渉してリビングに機材を広げ、近所に気をつけながらの、特別な行為だった。この本を読みながら、あの頃の興奮の記憶が蘇ってきた。

実は、この本をいただいたのは、フェイスブックがきっかけだった。経産省の「デジタルコンテンツ白書2011」の音楽部分を書かせていただくことになり、今の日本の音楽事情を語るなら「同人音楽の隆盛」は、外せないと思って、資料を探したのだが、データが無い。数値を載せるのはあきらめて、定性的な情報を中心にまとめることにした。そんなことをつぶやいていたら、参考にと送っていただけたのだ。P-VINは、大好きなレーベルで、他では出さないような本やCDがたくさんあり、若い頃から勉強させてもらっていた会社だったから、すごく嬉しかった。
そして、逆説ではなく、ポジティブな意味で「同人音楽」現象と「宅録〜D.I.Y.」の違いについて考える機会になった。

D.I.Y.(=Do it yourself)という言葉が、広まったのはいつ頃からか、覚えてないが、アメリカ西海岸発だったようなイメージがある(詳しい方がいたら教えてください!)。大量生産の工業製品的な音楽に対するアンチテーゼが、そこには含まれている。
宅録という言葉には、秘められた行為というニュアンスがある。孤独と向き合うことともセットだ。
いずれにしても「わざわざ自覚的に選んで行う」のが、宅録〜D.I.Y.なのだ。社会に対する一定の距離感、自己責任、みたいなことはセットになっている。

 一方、同人音楽に、そういう緊張感は無い。ほとんどは、パソコンで完結するDTM(デスクトップミュージック)として作られる。「ニコニコ動画」という共通のコミュニケーションプラットフォームがあり、リアクションをもらうことができる。バンドを組むのは人間関係が面倒だけど、パソコンで初音ミクを使えば、楽だ。同じ一人での作業でも、その気分は、「宅録」とは、ずいぶん違う気がする。その代わりに、ユーザーと同じ目線を持っているのが彼らの強みだ。時代環境と言ってしまえば、それまでだけれど、様々な意味で僕にとって示唆的だ。

 オタクキングこと岡田斗司夫さんの著作に『オタクはすでに死んでいる』(新潮新書)がある。オタクの元祖ともいえる岡田さんが、若い世代を見て「オタクの矜持が崩壊した」との主旨を書かれていたけれど、似た構図を感じる。以前は、オタクであることはプライドだったし、同時に社会的に迫害されるような、白い目で見られる存在だった。だから、アニメのコレクションをしているオタクも鉄道のこともある程度知っていた。「オタクの一般教養」みたいなものがあったというのだ。
昔の「オタク」はもう死んでしまい、一般化して薄まったオタク的な人たちがたくさんいる現状を、良い悪いではなく、岡田さんは静かに受け止めているようだ。
(自分に刺さった部分を古い記憶で書いているので、書籍の主旨とずれていたらごめんなさい。とても勉強になった本でした。今、本棚で見つからないので近いうちに、読み直しておきます。)

特別な人間(と自分で勝手に思っているだけかもだけれど)の秘められた楽しみであった宅録は、デジタル化で手軽に安価になったことで、たくさんの人に広がった。「同人音楽」として、独自の文化圏をつくりだし、新たな経済圏もつくり始めている。この先はどうなっていくのだろう?

D.I.Y.を標榜する思想性も、宅録好きの暗さも、オタクの矜持も無い「同人音楽」の担い手であるクリエイター達に、注目していきたいし、音楽プロデューサーとして彼らと、しっかり関わっていきたいと思っている。多少の違和感は抱えたままだけれど、それが、僕が「時代と付き合う」ということだ。そんな気がしている。