早川徳次
早川徳次とは、シャープ株式会社の創業者である。シャープペンシルの発明者、ならびに国産初のラジオの開発者として有名である。1893年(明治26年)11月3日生まれ。
東京に生まれた早川徳次は、9歳のときに簪(かんざし)職人のもとに丁稚奉公に入る。そうして幼い時分より金属加工に関する技術を身に付けていった。1912年に洋服のベルトを止めるバックルを考案、「徳尾錠」と名づけ新案特許を取得した。長短に関わらず、穴がなくても自在に締めることのできるという徳尾錠は、飛ぶように売れていった。そうして得た売上が資金となり、早川徳次は独立起業する。
創業3年目、早川徳次は金属製の筆記具(早川式繰出鉛筆)を発案する。「エバー・レディー・シャープペンシル」と名づけられたこの製品は非常によく売れた。現在ではシャープペンシルの名称で誰もが知るところである。事業全体も好調であった。しかし1920年、関東大震災によって工場が壊滅する惨事に見舞われる。多くの従業員も、3人の家族も失ってしまった。
早川徳次は、大阪に移って早川金属工業研究所を創設、再起を図った。当時海外ではすでに実用化されていた鉱石ラジオの研究に取り掛かり、1925年には開発・製造に成功する。折しも同年、大阪でNHKによるラジオ放送が開始された。早川製ラジオは海外製品に代わって飛ぶように売れる。その頃から製品ブランド名にシャープの銘が入るようになる。
シャープはその後も需要に好適した製品の開発と製造を繰り広げた。ラジオの民放局が次々と開局する頃には改良型製品「スーパーラジオ」が販売され、戦後テレビ放送が始まる頃にはいち早くテレビ受像機の量産体制を築くことに成功した。現在でも、薄型液晶ディスプレイの生産に関する歩みは、この流れを遺憾なく汲んだ好例であるといえる
早川金属工業は広く電化製品一般に分野を広げ、総合電機メーカーとして成長していった。1970年、社名を「シャープ株式会社」と改め、早川徳次は社長から会長に退く。その後1980年、6月24日に早川徳次は逝去した。
(更新:2006年1月)
参照リンク
シャープ株式会社
創業者 早川徳次の声 (シャープ)
早川 徳次 (はやかわ とくじ)
1893〜1980 (明治26年〜昭和55年) |
【実業家】 シャープペンシルを発明。丁稚から身を起こして、シャープ創業者に。 |
大正・昭和期の実業家。東京都出身。貧困のために小学校2年で中退、丁稚奉公後、1912年(大正元)独特のベルトのバックル徳尾錠を発明して独立。16年(大正5)早川式繰出鉛筆(シャープペンシル)を発明し成功した。関東大震災で工場が壊滅、妻子も失う。24年大阪に早川金属工業研究所(現在シャープ)を設立し、日本でいち早くラジオ受信機、テレビ受像機の試作に成功して社業を伸ばし、その後も太陽電池、卓上計算機などを開発。 |
年(和暦) | ||
●1894年 (明治27年) | ■日清戦争 | 1才 |
●1903年 (明治36年) | ■江戸開府300年 | 10才 |
●1904年 (明治37年) | ■日露戦争 | 11才 |
●1907年 (明治40年) | ■足尾銅山で暴動 | 14才 |
●1910年 (明治43年) | ■韓国併合 | 17才 |
●1918年 (大正7年) | ■米騒動 | 25才 |
●1923年 (大正12年) | ■関東大震災 | 30才 |
●1928年 (昭和3年) | ■初の普通選挙実施 | 35才 |
●1932年 (昭和7年) | ■五・一五事件 | 39才 |
●1936年 (昭和11年) | ■二・二六事件 | 43才 |
●1941年 (昭和16年) | ■対英米宣戦布告 | 48才 |
●1945年 (昭和20年) | ■ポツダム宣言受諾 | 52才 |
●1946年 (昭和21年) | ■日本国憲法公布 | 53才 |
●1951年 (昭和26年) | ■サンフランシスコ講和条約 | 58才 |
●1953年 (昭和28年) | ■テレビ放送開始 | 60才 |
●1956年 (昭和31年) | ■国際連合加盟 | 63才 |
●1960年 (昭和35年) | ■東京タワー完成 | 67才 |
●1960年 (昭和35年) | ■日米新安保条約調印 | 67才 |
●1964年 (昭和39年) | ■東京オリンピック | 71才 |
●1968年 (昭和43年) | ■GNP世界第2位に | 75才 |
●1970年 (昭和45年) | ■大阪で万国博覧会 | 77才 |
●1971年 (昭和46年) | ■環境庁設置 | 78才 |
●1973年 (昭和48年) | ■第1次オイルショック | 80才 |
●1976年 (昭和51年) | ■ロッキード事件 | 83才 |
●1978年 (昭和53年) | ■日中平和友好条約 | 85才 |
●1978年 (昭和53年) | ■成田空港開港 | 85才 |
●1979年 (昭和54年) | ■第2次オイルショック | 86才 |
・柳 宗悦 | 1889年〜1961年 (明治22年〜昭和36年) | +4 |
・古今亭 志ん生 | 1890年〜1973年 (明治23年〜昭和48年) | +3 |
・山川 菊栄 | 1890年〜1980年 (明治23年〜昭和55年) | +3 |
・近衛 文麿 | 1891年〜1945年 (明治24年〜昭和20年) | +2 |
・岸田 劉生 | 1891年〜1929年 (明治24年〜昭和4年) | +2 |
・河合 栄治郎 | 1891年〜1944年 (明治24年〜昭和19年) | +2 |
・芥川 龍之介 | 1892年〜1927年 (明治25年〜昭和2年) | +1 |
・西条 八十 | 1892年〜1970年 (明治25年〜昭和45年) | +1 |
・加藤 シヅエ | 1897年〜2001年 (明治30年〜平成13年) | -4 |
・淺沼 稲次郎 | 1898年〜1960年 (明治31年〜昭和35年) | -5 |
・土方 与志 | 1898年〜1959年 (明治31年〜昭和34年) | -5 |
・溝口 健二 | 1898年〜1956年 (明治31年〜昭和31年) | -5 |
・近衛 秀麿 | 1898年〜1973年 (明治31年〜昭和48年) | -5 |
・吉野 源三郎 | 1899年〜1981年 (明治32年〜昭和56年) | -6 |
・田河 水泡 | 1899年〜1989年 (明治32年〜平成元年) | -6 |
早川徳次
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