播磨國とは? わかりやすく解説

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はりま‐の‐くに【播磨国】

読み方:はりまのくに

播磨


播磨国

読み方:ハリマノクニ(harimanokuni)

旧国名現在の兵庫県西部


播磨国

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/10/01 16:06 UTC 版)

播磨国

-播磨国
-山陽道
別称 播州(ばんしゅう)
所属 山陽道
相当領域 兵庫県南西部
諸元
国力 大国
距離 近国
12郡98郷
国内主要施設
播磨国府 兵庫県姫路市
播磨国分寺 兵庫県姫路市(播磨国分寺跡
播磨国分尼寺 兵庫県姫路市
一宮 伊和神社(兵庫県宍粟市
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播磨国(はりまのくに)は、日本の地方行政区分である令制国の一つ。山陽道に属する。

「播磨」の名称

木簡では「針間国」・「幡麻国」と表記しているものもある。

播磨国は播州(バンシュウ)とも呼ばれるが、「播」という漢字を「バン」と読むのは「播州」またはその省略形に限られており、本来の音読みは「ハ」である(「播種」・「伝播」など)。

播磨国風土記』冒頭に国名の由来があったと見られるが、冒頭部分が欠失しており明らかではない。

領域

明治維新の直前の領域は現在以下のようになっている。現在の神戸市域においては、須磨区を境に東部(長田区・兵庫区・中央区・灘区・東灘区の全域および須磨区・北区のそれぞれ大部分)が摂津国、西部(垂水区・西区のそれぞれ全域と北区・須磨区のそれぞれ一部)が播磨国であった。

全域

兵庫県神戸市垂水区西区姫路市明石市相生市加古川市三木市高砂市小野市加西市宍粟市たつの市西脇市加東市多可郡加古郡神崎郡揖保郡赤穂郡

一部のみ

兵庫県神戸市須磨区(神の谷・北落合三丁目・北落合四丁目・菅の台・西落合・竜が台二丁目・竜が台三丁目・竜が台四丁目・竜が台五丁目・緑台・弥栄台)・北区(淡河町淡河・淡河町勝雄・淡河町北僧尾・淡河町北畑・淡河町木津・淡河町行原・淡河町神田・淡河町中山・淡河町野瀬・淡河町萩原・淡河町東畑・淡河町神影・淡河町南僧尾)・赤穂市備前国の部分(福浦)を除く)・朝来市(生野町真弓・生野町口銀谷の一部・生野町川尻・生野町栃原)・佐用郡佐用町美作国の部分(奥海・若州・上石井・下石井・水根・桑野・海内・東中山)を除く)

当該地域の2010年国勢調査による人口は230万4449人(男111万3494人/女119万0955人)、世帯数は86万8208世帯、面積は3649.75km2、人口密度は631.4人/km2[1]

沿革

7世紀に成立した。針間国(播磨中・西部)・明石国(東播磨・神明・三木地域(明石郡美嚢郡加古郡印南郡))・針間鴨国(北部(賀茂郡多可郡))が大化の改新以降に播磨国(針間国)へ編入されたと推定されている。

飛鳥池遺跡藤原宮跡などからの出土木簡の中に飾磨郡を「志加麻評」、宍粟郡を「宍粟評」、神崎郡を「神前評」、揖保郡を「粒評」と記しているものがある。郡制の前には評里制の地方行政区画が行われていたことを示すものである。

7世紀の終わり頃、播磨国の長官を「吉備大宰(きびおおみこともち)」とか「播磨国宰(みこともち)」と『播磨国風土記』に記されている。この期の地方長官は、複数国以上を統括する大宰(総領)が任命された[2]

713年和銅6年)に編まれた風土記の内、現在にまで文献が残る五か国の一つでもある(『播磨国風土記』を参照)。

江戸時代には、山崎藩安志藩三日月藩林田藩三草藩龍野藩小野藩姫路藩赤穂藩明石藩福本藩新宮藩姫路新田藩平福藩が置かれた。

近世以降の沿革

国内の施設

全ての座標を示した地図 - OSM
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国府

播磨国府は、『和名抄』によれば飾磨郡にあった。姫路市中心部にある本町遺跡(姫路市総社本町北緯34度50分4.85秒 東経134度41分44.96秒 / 北緯34.8346806度 東経134.6958222度 / 34.8346806; 134.6958222 (播磨国府推定地:本町遺跡))を国衙跡とする説が有力視されており、1984年(昭和59年)の姫路郵便局東側(前記箇所)をはじめとして[3]周辺からは2015年平成27年)には市内中心部の平野町で[4][5]2019年(平成31年・令和元年)には同・大黒壱丁町で[6]も奈良時代の大量の瓦や建物の柱跡が発見されている。

国分寺・国分尼寺

播磨国分尼寺跡
(兵庫県姫路市)

神社

延喜式内社

延喜式神名帳』には、大社7座5社・小社43座42社の計50座47社が記載されている(「播磨国の式内社一覧」参照)。大社は以下に示すもので、すべて名神大社である。
伊和神社(兵庫県宍粟市

総社一宮以下

『中世諸国一宮制の基礎的研究』に基づく一宮以下の一覧[9]

守護所

守護所は鎌倉時代は加古川市加古川町の加古川城に、室町時代は赤松氏によって、姫路市曽左(書写)の書写坂本城に置かれ、また、播磨・備前・美作を統べるためにたつの市新宮町の越部館に守護館を置いていた。嘉吉の乱で前期赤松氏が滅亡し、応仁の乱で播磨守護に復帰後は姫路市夢前町置塩城居城を移した。

地域

播磨国 郡別の略図

※はじめの郡名は『延喜式』による。

江戸時代の藩

  • 姫路藩:池田家(52万石)→本多家(15万石)→松平(奥平)家(18万石)→松平(越前)家(15万石)→榊原(松平)家(15万石)→松平(越前)家(15万石)→本多家(15万石)→榊原家(15万石)→松平(越前)家(15万石)→酒井家(15万石)
    • 姫路新田藩(姫路藩子藩):本多家(10万石→5万石と4万石→4万石と5万石)→松平(奥平)家(3万石)→酒井家(1万石)
  • 明石藩:小笠原家(10万石)→松平(戸田)家(7万石)→大久保家(7万石)→松平(藤井)家(7万石→6万5千石)→本多家(6万石)→松平(越前)家(6万石→8万石:10万石格)
  • 龍野藩:本多家(5万石)→小笠原家(6万石)→岡部家(5万3千石)→京極家(6万石)→脇坂家(5万3千石→5万1千石)
  • 山崎藩:池田家(3万8千石→6万8千石)→松井家(5万石)→池田家(3万石)→本多家(1万石)
  • 赤穂藩:池田家(3万5千石)→浅野家(5万3千石→5万石→5万3千石)→永井家(3万2千石)→森家(2万石)
  • 安志藩:小笠原家(1万石)
  • 小野藩:一柳家(2万8千石→1万石)
  • 平福藩:池田家(2万5千石)
  • 三日月藩:森家(1万5千石)
  • 林田藩:建部家(1万石)
  • 三草藩:丹羽家(1万石)
  • 鵤藩→新宮藩:池田家(1万石)
  • 福本藩:池田家(1万石→7千石→6千石→1万573石)

人物

国司

播磨守

播磨介

守護職

鎌倉幕府

室町幕府

戦国大名

武家官位としての播磨守

江戸時代以前

江戸時代

播磨国の合戦

播州人

武田信玄も好んで愛読したと言われる[要出典]人国記』には、「播磨の風俗智恵有て義理を不知、親は子をたばかり、子は親をだしぬき、主は被官に領地を鮮く与へて好き人を堀し出し度と志し、亦被官と成る人は主に奉公を勤る事を第二に而、調儀を以所知を取らんと思ひ、悉皆盗賊の振舞也。侍は中々不好不及是非也。若き侍の風上にも可置国風にあらず、偏に是国は上古より如此の風俗終に暫くも善に定る事なし」という記述がある。

『人国記』での播州人の基準は、播州人である赤松則村(円心)や赤松満祐など実際に謀反を起こした赤松氏かと思われる。『天正記』での播州人の基準は、播州人である別所吉親別所氏)・黒田孝高赤穂浪士大石良雄)かと思われる。例に赤穂浪士の事が描かれている場面もある[独自研究?]

主な川

明石川住吉神社 (神戸市西区)付近)

自治体名は流域。

現代的用法

現在でも「播磨(播州)」は、兵庫県南西部を指す地域名として用いられる。

東播(とうばん=東播磨)・西播(せいばん=西播磨)・北播(ほくばん=北播磨)・中播(ちゅうばん=中播磨)というような使い方も、日常的になされる。明確な定義はないが、区分はおおむね以下のようになる。

  • 二分する場合
    • 東播:加古川市・高砂市・加西市・多可郡以東
    • 西播:姫路市・神崎郡以西
  • 三分する場合
    • 東播:明石市・加古川市・高砂市・加古郡
    • 北播:三木市・小野市・加西市・西脇市・加東市・多可郡
    • 西播:姫路市・相生市・赤穂市・宍粟市・たつの市・神崎郡・揖保郡・赤穂郡・佐用郡

西播磨のうち、姫路市と神崎郡を「中播磨(中播)」とすることもある。

  • 四分する場合
    • 東播:明石市・加古川市・高砂市・加古郡
    • 北播:三木市・小野市・加西市・西脇市・加東市・多可郡
    • 中播:姫路市・神崎郡
    • 西播:相生市・赤穂市・宍粟市・たつの市・揖保郡・赤穂郡・佐用郡

播磨国の一部で昭和時代前・中期に神戸市に編入された地域として垂水区・西区・北区淡河町・須磨区須磨ニュータウン西部がある。

  • 播磨国域がごく一部しかない北区域と須磨区域は通常は「播州」・「東播」とは呼ばない。北区淡河町は神姫バスが通っているが交通網は北摂地域である。
  • 旧明石郡だった垂水区・西区は明石市とのかかわりが深く、明石市と合わせて「神明」「東播磨南部」と呼ばれることが多い。

兵庫県の出先機関である県民局は4つに分かれている。行政区分はこれを中心に行われる。

  • 東播磨県民局(加古川市所在):明石市・加古川市・高砂市・加古郡
  • 北播磨県民局(加東市所在):三木市・小野市・加西市・西脇市・加東市・多可郡
  • 中播磨県民局(姫路市所在):姫路市・神崎郡
  • 西播磨県民局(赤穂郡上郡町所在):相生市・赤穂市・宍粟市・たつの市・揖保郡・赤穂郡・佐用郡

気象予報区域

播磨地区内で以下のように細分化されている。

神戸市垂水区西区は播磨国に属しているが、予報区域は神戸市の他区と同じ阪神に含まれている。

地震情報では、播磨南東部・北播丹波を「兵庫県南東部」、播磨南西部・播磨北西部を「兵庫県南西部」として発表している。

名産

工芸品、工業製品

食品

米の産地として越前国越後国と並んで知られ、「一播二越」(いちばんにえち)と称された[12][13]

脚注

注釈

  1. ^ ただし、弘安5年(1282年)の文書で、第6代小山宗長が守護として在職したことが記述されている[10]
  2. ^ ここまでの出典[11]
  3. ^ 毛鉤の一種、特に鮎釣りの中の「ドブ釣り」には欠かせない擬餌鉤で、釣り師たちは季節・天候・時刻に応じて多種類の毛鉤を使い分けていて、播州毛鉤の種類は魚種・水深・水質などに応じて多種あり、500種以上におよぶと言われている。[1]

出典

  1. ^ 平成22年国勢調査、小地域集計、28兵庫県”. 総務省統計局(e-Stat) (2010年10月1日). 2014年5月28日閲覧。
  2. ^ 福島好和「大和王権の進出と展開 3内なる国と外なる国」、今井修平・小林基伸・鈴木正幸・野田泰三・福島好和・三浦俊明・元木泰雄『兵庫県の歴史』山川出版社 2004年8月 65-66ページ
  3. ^ 本町遺跡”. 姫路市埋蔵文化財センター. 2023年11月1日閲覧。
  4. ^ 黒田, 祐介『姫路城城下町跡』 12巻兵庫県姫路市四郷町坂元414-1〈姫路市埋蔵文化財センター調査報告〉、2014年3月31日(原著2014年3月31日)。doi:10.24484/sitereports.49119NCID BB1549845Xhttps://sitereports.nabunken.go.jp/49119 
  5. ^ "国府関連の建物跡か 奈良時代の溝や瓦出土 姫路"(神戸新聞NEXT、2015年10月13日記事)。
    "「播磨国府」関連施設か 推定地近く、奈良時代の瓦が大量出土 兵庫"(産経ニュース、2015年10月14日記事)。
  6. ^ 中川, 猛『姫路城城下町跡』 106巻兵庫県姫路市四郷町坂元414番地1〈姫路市埋蔵文化財センター調査報告〉、2021年3月31日(原著2021年3月31日)。doi:10.24484/sitereports.131290NCID BC0989461Xhttps://sitereports.nabunken.go.jp/131290 
  7. ^ 播磨国分寺跡(姫路市ホームページ)。
  8. ^ 播磨国分尼寺跡説明板。
  9. ^ 『中世諸国一宮制の基礎的研究』 中世諸国一宮制研究会編、岩田書院、2000年、pp. 448-453。
  10. ^ 小山市史 1984, p. 495.
  11. ^ 小山市史 1984, pp. 494–495.
  12. ^ いにしえの歴史と文化が息づく・・・ 自然に恵まれたまち、越前市
  13. ^ 北大路魯山人 お米の話

参考文献

  • 小山市史編さん委員会 編『小山市史』小山市〈通史編Ⅰ(自然.原始・古代.中世)本編〉、1984年11月10日。NDLJP:9643282 

関連項目

外部リンク


播磨国

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/19 09:28 UTC 版)

旗本札」の記事における「播磨国」の解説

播磨国では、藩札旗本札寺社町村私人など、きわめて多様な発行確認されている。播磨国は全国でも有数穀倉地帯で、畿内諸国同様に商品作物栽培が盛んであり、人口多く姫路藩明石藩赤穂藩などがまとまった所領有するほかは典型的な非領国地域であった。播磨国のほぼ中央部位置する姫路藩木綿専売などで周辺経済大きな影響力有していたが、周辺地域経済は、西国街道美作因幡街道などの街道や、加古川市川揖保川などの舟運といった物流経路依存する形で、それぞれ緩やかな小経地域形成していた。旗本札発行形態図柄も、それぞれの地域影響が強い。 播磨国の藩札旗本札特徴としては銭匁広く発行されている点が挙げられる。銭匁とは、額面表記は銀の単位である匁・分・厘であるが、一定の銀-銭相場に従って銭で兌換することが明記されたものである備中国永銭勘定九州北部四国西部の銭匁などと並んで江戸時代貨幣経済システムを語る場合興味深い商習慣である。 揖東郡新宮池田氏は、もと東本願寺執事であった下間氏一族である。執事相続の際の内紛原因で、舅であった姫路藩池田輝政家臣となり、更に池田姓を名乗ることを許され新宮藩創設した。のちに無嗣改易となるところを、本家岡山藩主鳥取藩主家の奔走によって、減知の上旗本としての存続許された。陣屋は、新宮藩当時から引き続いて新宮(現・たつの市新宮町新宮)に置かれた。美作街道姫路城城下町のやや西で西国街道山陽道)から分岐し北西伸びて美作国津山城下に達するが、新宮の町は美作街道水運が盛んであった揖保川とが接近する位置にある。新宮池田氏銀札及び銭匁発行した美作街道を更に下ると、佐用郡平福(現・佐用郡佐用町平福)、佐用郡長谷(現・佐用郡佐用町口長谷)、佐用郡佐用(現・佐用郡佐用町佐用)の松井松平氏3旗本知行地がある。これらの家は、いずれも山崎藩主の松井松平氏から、佐用郡内の所領同時に分知されて旗本家として成立した同族である。佐用美作街道宿駅で、更に佐用からは北に因幡街道分岐する因幡街道次の宿駅平福で、長谷平福のやや南に位置するまた、これらの陣屋近傍には千種川水系水運利用されていた。地理的にも近い3家であるが、いずれも独自に紙幣発行した赤穂郡若狭野(現・相生市若狭野町若狭野)の浅野氏知行地千種川下流近傍位置する赤穂事件著名な赤穂藩浅野家の分家で、本家改易となって赤穂藩永井氏、更に森氏支配となっても、赤穂藩領が大部分占め赤穂郡只中所領有した。この若狭浅野氏大坂両替商天王寺屋などが引請人となった銀札、銭匁発行した若狭野の陣屋跡地には紙幣関係業務行った役所建物現存している。 播磨国東部加東郡家原(現・加東市家原)の浅野氏また、赤穂藩主家分家である。また、赤穂藩浅野氏居城存在した赤穂郡の他に、加東郡にも領地有し加東郡穂積(現・加東市穂積)に飛地陣屋置いていたが、赤穂事件に伴う赤穂藩浅野氏改易後幕府に公収され、のちに穂積を含む々が旗本八木氏知行地となった八木氏はこの浅野氏穂積陣屋利用して采地陣屋とした。なお、八木氏は、のちに戦国大名となった朝倉氏から鎌倉時代分かれた支族で、織田氏但馬国侵攻の際には八木城であったが、織田氏毛利氏との衝突により采地失い、のちに関ヶ原の戦いでの戦功によって徳川家旗本として取り立てられた家である。家原加古川支流千鳥川近傍穂積千鳥川加古川合流地点付近に位置する家原浅野氏及び穂積八木氏は、それぞれ銀札及び銭匁発行した美嚢郡高木(現・三木市別所町高木)の一柳氏は、伊予西条藩主家改易となり、のち許され旗本として取り立てられるにあたり高木中心とした々に知行与えられた。高木別所氏が拠った三木城城下町で、豊臣秀吉免税地したため金物の町として発展した三木町近隣位置し、少し北には加古川支流である美嚢川西行している。美嚢郡木綿生産地であり、高木一氏は木綿切手形式紙幣発行した神東郡福本現・神崎郡神河町福本)の池田氏は、鳥取藩支藩として立藩したが、のちに分家創設した際に1万石を割ったために交代寄合御礼衆の旗本となった福本池田氏及びその分家2家(屋形池田氏吉冨池田氏)の所領は、市川の上流域に当たる神東郡及び神西郡北部占め福本市川東岸近傍にあった幕末鳥取藩から蔵米支給受けて再度立藩したが、福本池田氏旗本であった文政5年1822年)及び立藩後の明治初年銀札及び銭匁発行した

※この「播磨国」の解説は、「旗本札」の解説の一部です。
「播磨国」を含む「旗本札」の記事については、「旗本札」の概要を参照ください。

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播磨国

出典:『Wiktionary』 (2021/08/15 08:57 UTC 版)

固有名詞

はりまのくに

  1. 日本旧国令制国)のひとつ。現在兵庫県南西部にあたる。

関連語



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