ごき‐しちどう〔‐シチダウ〕【五畿七道】
五畿七道
五畿七道
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/04 11:04 UTC 版)
詳細は「五畿七道」を参照 日本全国は畿内と七つの道に区分され、それぞれ複数の国単位で設置された。 畿内は当初大倭(やまと)・河内(かわち)・摂津(せっつ)・山背(やましろ)の四カ国からなり、四畿内と称されたが、のち河内の国から和泉(いずみ)の国が分立して五畿内となった。 七道は京を中心にして四方にのびる幹線交通路(水路も含む)に沿った行政区分で、東海・東山・北陸・山陰・山陽・南海・西海である。このうち西海道には大宰府(だざいふ)が筑前の国に置かれ、国境の防衛や外交事務に当たるとともに、管内諸国島を国、郡、里の三段階で統轄した。東北には多賀城(宮城県多賀城市)を置いて、周辺諸国を統率する広域行政を敷いた。これを道制と呼んだ。
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