ハンセン‐びょう〔‐ビヤウ〕【ハンセン病】
ハンセン病
ハンセン病
ハンセン病は、抗酸菌に属するMicobacterium Lepraeの持続的感染によって皮膚や末梢神経に起こる慢性肉芽腫性病変を特徴とする感染症である。1940年代に近代的化学療法が開発され、体内のらい菌の増殖を阻止あるいは滅菌出来るようになるまでは、不治の病として大変恐れられた疾患であった。しかし、特にリファンピシンを主軸とした多剤併用療法が開発された1980年代以降、ハンセン病は、比較的簡単に治癒可能な疾患となった。1991年以降、世界保健機構(WHO)のイニシアティブの元に世界的な努力が行われた結果、多剤併用療法による感染源対策を戦略としたハンセン病制圧対策は劇的に進んだ。
1980年代初頭に1200万人と言われたハンセン病罹患患者数は、現在では、数10万人にまで減少している。一方ハンセン病は、主として皮膚と末梢神経に病変を持つ病気であり、特に末梢神経に生じる神経炎の結果、目や手足の末梢神経麻痺を中心とした後遺症を残して治癒する可能性がある。世界中で過去に治療の機会を得られなかったり、不十分に治療されたりした多くの患者さんが、この後遺症のために、身体的ばかりでなく、不当な差別や社会経済的に苦しんでいるのは事実である。このため、ハンセン病による身体障害の予防、差別偏見の低減と社会経済的リハビリテーションは、ハンセン病のコントロールと同様に重要である。(石田 裕)
参考URL:WHOホームページ http://www.who.int/topics/leprosy/en/
ハンセン病
ハンセン病
らい(ハンセン病) [Leprosy, Hansen’s disease]
現在、世界的には、インドやタイなどアジアやアフリカを中心に約1、200万人の患者がいると推定されているが、日本では新しい患者の発生は殆ど見られず、予防に成功している。その為に、従来「らい予防法」で隔離されていたらい患者の社会復帰が認められるようになった。
らい菌は非常に感染力の弱い細菌で、生後まもなくの親子間の濃厚な接触以外では感染が起こらない。成人してかららい患者の施設に勤務をしている医師や看護婦、ケースワーカーなどでらいに感染・発症した例は報告されていない。らい菌に感染して発症すると、手などの知覚神経が冒され、熱さや寒さをかんじなくなる。
早期発見できれば、リファンピシンなどの有効な化学療法剤を用いた治療法があるので、日本では以前のように典型的ならいの症状を示す患者はいなくなった。 らいの患者に対する社会の偏見は今でも強く、差別が行われているが、細菌学者からみると滑稽なくらいである。
ハンセン病
ハンセン病
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/18 07:42 UTC 版)
「ハンセン病の歴史」も参照 歴史上では「レプラ」、「らい病」などとよばれてきたハンセン病は、らい菌によって引き起こされる感染症である。感染力はきわめて弱く、器具や動物の介しての間接的な伝染はほとんどなく、進行も遅い病気で、皮膚と末梢神経が冒される。遺伝性はなく、現代では特効薬があり、薬で完治することも判明している。白い斑点が皮膚上に現れるほか、顔面が変形したり、指が欠損するといった患部の変形を引き起こす。運動麻痺や顔面神経麻痺、発汗異常、眉毛・頭髪の脱落をともなうこともある。そのため、世界史上では、感染力が弱く致死性に乏しいという病気の実態以上に、人びとに恐怖感をもってとらえられ、あらゆる疾病のなかで最も、患者が誤解や偏見にもとづいて理不尽な差別にさらされてきた病気である。 ハンセン病はまた、元来は熱帯フランベジアと同様、少人数集団でみられる感染症であり、慢性疾患であることから罹患者はすぐに死亡せず、感染源として生存しつづける傾向にある。ハンセン病の場合、膿汁・鼻汁・唾液などに直接接触することによってのみ感染し、潜伏期間も長く、感染しても発病するのは2〜3パーセントと低かったため、らい菌に繰り返し接触する機会の多い同一家庭内で頻発していた。そのため、かつては遺伝性のものと誤解され、しばしば「業病」とみなされ、患者は穢れた存在とみなされた。一方で、ハンセン病とそれ以外の重篤な皮膚病を区別することは、近代以前においては難しく、「らい(癩)」といった場合、それは単なる皮膚病・感染症というだけでなく、一種の社会的身分を意味していた。 イエス・キリストがレプラの患者に触れて治癒させた奇跡の記述が『新約聖書』『ルカによる福音書』にあり、イエスの絶対愛のあり方を物語っている。日本では、光明皇后が医療施設である「施薬院」「悲田院」を皇后宮職として設置したほか、らい病患者の膿を吸い取り、臭気ただよう患者の背中の垢を擦った伝説が史書にのこっている。 十字軍の東方遠征により、ヨーロッパには多数の天然痘患者とハンセン病患者がもたらされたと考えられている。十字軍遠征において、パレスティナではハンセン病に罹患した兵士を看護するためラザロ看護騎士団が組織され、エルサレムのらい院では患者の救済がおこなわれた。なお、英邁で知られるエルサレム王国の国王ボードゥアン4世はハンセン病患者とみられている。ヨーロッパでは13世紀をピークとして流行し、各地にハンセン病の隔離施設ができた。この時代、全ヨーロッパで1万9000か所ものハンセン療養所(レプロサリウム)が建設されたといわれる。ハンセン病患者は、健常者に対し、自分に近づかないよう警告するためのフラヴェルというカスタネットを携帯することとなっていた。 一方、中世ヨーロッパに暮らす人びとは、同胞の苦しみを敬意と共感をもって見つめること、病人に対する嫌悪感や不快感を乗り越えて兄弟に対するような慈愛を示すことを教えられ、そのように行動することを求められてもいた。13世紀のフランス王ルイ9世は、ロワイヨーモン修道院(フランス語版)をたずねるたびに、病毒のために顔がくずれ、人びとの恐怖感の対象であったレプラの患者の食事の給仕をみずから行うことを自身に課しており、また、フラヴェルを鳴らして自分から遠ざかるよう警告した患者に近づき、その手に接吻したという逸話がのこっている。 アッシジのフランチェスコについても、同様の話は多数のこっている。富裕な家に育ち放蕩生活を送ったフランチェスコが回心したきっかけは、レプラ患者との出会いであったといわれる。レプラの患者は当時、病気が発覚した時点で、教会で死者のためのミサがささげられ、共同体から離れることを余儀なくされ、城壁の外に追いやられた。当時のレプラ患者はあらゆる社会的権利を喪失した存在であったが、「無所有」を標榜するフランチェスコからすれば、ここで逆転が生じ、あらゆる権利を喪失したレプラ患者であるからこそ、彼らはあらゆる権利を所有する存在することとなる。フランチェスコによって組織された「小さき兄弟の会」(フランシスコ会)はイタリア半島中部のアッシジに「らい村」を建設した。そこでは、1つの共同自治が目指され、聖書の精神にもとづく救済がおこなわれた。 日本では、古代・中世にはこの病気は仏罰・神罰の現れたる穢れと考えられており、発症した者は非人身分に編入されるという不文律があり、一般の人びとのみならず、肉親さらに官僧からも忌避される存在であった。これにより、都市では重病者が各地の悲田院や奈良の北山十八間戸、鎌倉の極楽寺などの施設に収容され、衣食住が供された。北山十八間戸や極楽寺は、「非人救済」に尽力した忍性を中心とする叡尊ら律宗教団によって開かれた施設である。戦国武将大谷吉継はハンセン病患者であったことが知られ、面体を白い頭巾で隠して戦場に臨んだことはよく知られる。また、茶会での自らに対する石田三成の振る舞いに吉継が感激し、関ヶ原の戦いでは三成に味方をする決意をしたとされるエピソードも著名である。江戸時代には、発症すると、家族が患者を四国八十八ヶ所や熊本の加藤清正公祠などの霊場へ巡礼に旅立たせることが多かった。このため、これらの地に患者が多く物乞をして定住することになった。 幕末以降に日本に訪れた欧米人は、欧米とくらべ当時の日本では桁違いにハンセン病患者の数が多いことに強い印象を受け、明治維新以降、キリスト者たちが救いの手をさしのべた。日本人仏教者の綱脇龍妙も身延深敬園を設立して、らい病患者の救済に乗り出した。政府も、らい病患者の寺社周辺などへの集住状態を解消すべく療養所への隔離政策が行ったが、そのなかで「救らい」の名目で近世までとは異なった形での患者の迫害も生じた。 1875年、らい菌の発見者であるノルウェーのアルマウェル・ハンセンが英文で初めて発表をおこない、そののち感染症としての感染力の弱さが明らかとなり、治療法も確立した。しかし、その後も患者や既に治癒して身体の変形などの後遺症を持つのみとなった元患者への強制隔離政策は続き、非人道的な人権侵害が行われた。日本では「らい予防法」が1907年に制定され、患者は人権をほとんど認められず、強制隔離、不妊手術の強要が実施された。1996年、ようやく「らい予防法」が廃止された。2002年、小泉純一郎首相が公式に謝罪し、治療法確立後も強制隔離をつづけた国の責任を認めて元患者との和解がようやく成立した。しかし、今もなお病気に対する正確な知識の欠如から、後遺症に対する差別に苦しむ人が多い。
※この「ハンセン病」の解説は、「感染症の歴史」の解説の一部です。
「ハンセン病」を含む「感染症の歴史」の記事については、「感染症の歴史」の概要を参照ください。
「ハンセン病」の例文・使い方・用例・文例
- ハンセン病は、痛みのない伝染病である
- 彼の体は、ハンセン病によって変形した
- ハンセン病の原因
- 類結核型ハンセン病
- ハンセン病に関するもの、に似ていること、またはそれであるさま
- ハンセン病と数種類の皮膚病の治療に用いられる抗菌剤
- 伝染病(特にハンセン病)の人用の病院
- ハンセン病に苦しむ人
- ハンセン病の治療に使われる大風子油を産する油性の種を持つ、東インドの高木
- 通常青白い地に、ベルのような形をした縞模様があり、格子模様のある紫またはえび茶色の垂れ下がった花のある、中世にハンセン病患者によって持ち歩かれたユーラシアのチェッカード・リリー
- 皮膚と皮神経に腫瘍が特徴のハンセン病
- 広がる傷害によって特徴付けられて、多くの身体組織に影響を及ぼしているハンセン病の非常に重度の型
- 腕、脚、および顔面に痛みを伴う皮膚障害をもたらすハンセン病の炎症性合併症
- (ハンセン病のような)多くの、または、すべての末梢神経の炎症
- ハンセン病にかかっている人
- ハンセン病という病気
ハンセン病と同じ種類の言葉
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