北山十八間戸とは? わかりやすく解説

北山十八間戸

名称: 北山十八間戸
ふりがな きたやまじゅうはっけんこ
種別 史跡
種別2:
都道府県 奈良県
市区町村 奈良市川上町
管理団体 奈良県(大1411・12)
指定年月日 1921.03.03(大正10.03.03)
指定基準 史5
特別指定年月日
追加指定年月日
解説文: 忍性仁治寛元ノ頃癩患者收容ノ爲メニ創メシモノニ屬ス
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史跡:  勝瑞城館跡  勝連城跡  北代遺跡  北山十八間戸  北山古墳  北斗遺跡  北条氏常盤亭跡

北山十八間戸

作者島村利正

収載図書島村利正全集 第2巻(1958−1975)
出版社未知谷
刊行年月2001.10


北山十八間戸

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/21 22:21 UTC 版)

北山十八間戸(2008年10月北西側より撮影)

北山十八間戸(きたやまじゅうはちけんこ[1]/きたやまじゅうはちけんと[2]/きたやまじゅうはっけんこ[3])は鎌倉時代奈良につくられたハンセン病などの重病者を保護・救済した福祉施設。1921年3月3日、国の史跡に指定された。

所在地

概要

寛元元年(1243年)、西大寺忍性によってつくられたとされる。当初は般若寺の北東にあったが、永禄10年(1567年)に戦災(東大寺大仏殿の戦い)を受けて焼け、寛文年間(1661年から1672年)に現在地に移った。元禄6年(1693年)に修築された。全長約38メートル・幅約4メートルの東西に長い棟割長屋で、内部は18室に区切られ、さらに東西に仏間がある[4]

第二次世界大戦後の一時期、大阪空襲の被災者や大陸からの引き揚げ者が住んだこともある[5]

関連項目

脚注

  1. ^ 奈良市設置の案内板のよみ
  2. ^ 『日本歴史地名大系』のよみ
  3. ^ 『国史大辞典』のよみ
  4. ^ 『国史大事典』
  5. ^ 「ニュース奈良の声」2013年9月30日

座標: 北緯34度41分47.4秒 東経135度50分7.6秒 / 北緯34.696500度 東経135.835444度 / 34.696500; 135.835444




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