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史蹟の捏造①

kage

2020/09/26 (Sat)

史蹟の捏造①

 9/4の山形新聞と9/23の読売新聞に「舘山城跡」発掘調査の記事が掲載された。小生はこの記事を読んで「平成の大ペテン師」の話を思い出した。

 20年前、考古学界で発掘に携わった遺跡から次々と「新発見」をしたことから「神の手(ゴッドハンド)」を持つ人物として、一躍脚光を浴びた藤村新一という男がいた。
 彼の度重なる「新発見」に疑念を持った毎日新聞の記者が、発掘の現場に張り込んで、藤村があらかじめ石器を遺跡に埋め込み仕込んでいる様子の写真・ビデオ撮影に成功した。
 2000年11月5日の朝刊で報じたことにより、過去四半世紀に及ぶ日本の前期・中期旧石器時代研究のほとんどが価値を失い、周知の遺跡の抹消・検定済教科書の書き直しなど、多大な影響が生じた。

 これとよく似た話に、本市の「舘山城跡の発掘調査」がある。
 平成7年山形県教育委員会は「山形県中世城館遺跡調査報告書(置賜地域)」を作成したが、これに手塚孝市職員が大きく関わっていた。
 その後、手塚職員は舘山発電所上部の遺構を発掘調査し、内耳土鍋外数点が出土したことから「これらは伊達政宗時代に使用されていたもので、伊達政宗が主郭(しゅかく=本丸)としていた山城である」とぶち上げた。

 しかし発掘調査を進めると、伊達政宗時代と言っていたよりも下層から石垣が現れ、その石垣は石面をノミで削っているため「これは慶長年間(江戸時代)以後の工法である」との史実から、内耳土鍋外数点の出土を根拠とする伊達政宗時代の主郭説は怪しいものとなった。
 すると、「伊達政宗が築城し、後に上杉景勝が作り直そうとした山城である」との詭弁を弄して現在に至る。

 バカも休み休み言えと言いたい。伊達政宗は家督を譲り受けると、当時勢力の盛んな福島の蘆名(あしな)氏を討ち滅ぼし、須賀川を23,000の兵で攻め入っては焼き討ちを掛けるなど、「東北の虎」として恐れられ、東北では彼に盾つく者が居なかったことから、ちっぽけな舘山城に籠もって戦をするなど考えられない。
 又、上杉景勝が舘山城に手を加えたと言うが、上杉氏は関ヶ原の戦いで豊臣に加担したことから、徳川により米澤に移封されたのであるから、一戦交えるとすれば「徳川軍勢」だ。そうすると犬小屋如き規模の舘山城では戦えないことは容易に分かりそうなものだ。
【続く】