ジョン・フォン・ノイマン - Wikipedia
20世紀科学史における最重要人物の一人。
数学・物理学・工学・計算機科学・経済学・気象学・心理学・政治学に影響を与えた。第二次世界大戦中の原子爆弾開発や、その後の核政策への関与でも知られる。
ノイマン型 - Wikipedia
計算機の基本的な構成法のひとつである。今日では基本的なコンピュータ・アーキテクチャのひとつとされるが、そもそもコンピュータの要件とされることもありこのあたりの定義は循環的である。
ノイマン型の名は、最初にこれを広めたEDVACに関する報告書 w:First Draft of a Report on the EDVAC(1945)の著者がジョン・フォン・ノイマン(ひとり)になっていることに由来する。誰がなんのためにそうしたかについては諸説ある。このアイディア、特にプログラム内蔵方式のアイディアは、ジョン・モークリーとジョン・エッカートによるENIACのプロジェクト中の検討にその芽があった。ノイマンは(理論的な、とされる)助言役として加わり、執筆者はノイマンであった。誰にどのような功績があったかは諸説ある。
この方式について、以後のコンピュータ研究開発に大きな影響を与えた1946年夏のムーアスクールで講義したのは、ノイマンではなくモークリーとエッカートであったし[2]、ノイマン型という用語は不当だとして、使わない者もいる[3]。一方で、EDSACの設計・建造者であるモーリス・ウィルクスは、ENIACが軍事機密の下にあった時に、ノイマンの草稿がその保護に入らず、多くの人がノイマンを発明者だとみなしたことは不公平な結果だったとし、ノイマンの参加以前に本質的な先進があった[4]、としながらも、数値データと命令を同じ記憶装置の中に置くのは不自然である、とか、そのために必要な遅延記憶装置は信頼性に欠ける、といった、新規技術への疑念[5]に対し、物理学者として、また数学者(計算理論)として、ノイマンが計算機の潜在能力を見抜き、信望と影響力を行使したことは重要だった[6]、とも述べている。
クロード・シャノン - Wikipedia
20世紀科学史における、最も影響を与えた科学者の一人である。
情報理論の考案者であり、情報理論の父と呼ばれた。情報、通信、暗号、データ圧縮、符号化など今日の情報社会に必須の分野の先駆的研究を残した。アラン・チューリングやジョン・フォン・ノイマンらとともに今日のコンピュータ技術の基礎を作り上げた人物として、しばしば挙げられる。
アラン・チューリング - Wikipedia
チャーチ=チューリングのテーゼのチューリング版として広く認識されているチューリングマシンで「アルゴリズム」と「計算」の概念を定式化し、計算機科学の発展に大きな影響を及ぼし、またコンピュータの誕生に重要な役割を果たした[2][3]。計算機科学および人工知能の父と言われている[4]。がっしりした体形で、声は甲高く、話好きで機知に富み、多少学者ぶったところがあった[5]。アスペルガー症候群を暗示する特徴の多くを示しているとの指摘もある
ゲーム理論 - Wikipedia
「相互作用を及ぼしあう複数、又は単独の主体の振る舞い」に関して研究する応用数学の一分野である。
紛争や対立における戦略的局面を数学的に解析しようとする試みは19世紀以前より行われていたが、それらの考えを体系的に整理した人物として測度論の権威であったエミール・ボレルが知られている。フォン・ノイマンはそれらの試みにさらなる理論的意味づけを与え、理論体系を構築し1928年に『ゲーム理論」を、1937年に『均斉成長経路の定式化とブラウワーの定理の一般化』発表した。これらの論文ですでに現在のゲーム理論の主流な手法となっている「対象モデルをコンパクト凸集合として扱い、それに対してブラウワーの不動点定理を適用する」という手法が用いられていた。
ポール・ディラック - Wikipedia
量子力学及び量子電磁気学の基礎づけについて多くの貢献をした。1933年にエルヴィン・シュレーディンガーと共にノーベル物理学賞を受賞している。
ハイゼンベルクによる量子力学の定式化(行列力学)を受け、1925年に量子力学での力学変数の間の交換子と古典力学でのポアッソン括弧の関係を見出した。1926年にシュレーディンガーによって提案されていた波動力学と行列力学との間の等価性を、シュレーディンガーと独立に証明した。また、パウリの排他律を満す粒子の統計力学(フェルミ・ディラック統計)をフェルミと独立に考察した。
1928年に電子の相対論的な量子力学を記述する方程式としてディラック方程式を考案した。この方程式から導かれる電子の負エネルギー状態についていわゆるディラックの海と呼ばれる解釈を提案した。
量子力学に関する洞察をそのまま記号形式に置き換えたようなブラベクトル、ケットベクトルを駆使して記述した著書『量子力学』は、名著と言われている。ファインマンはこの著書からヒントを得て経路積分を考案した。
レオンハルト・オイラー - Wikipedia
解析学(無限小解析)においては膨大な業績があり、微分積分の創始以来もっともこの分野の技法的な完成に寄与した。級数や連分数、母関数の方法、補間法や近似計算、特殊関数や微分方程式、多重積分や偏微分法などなど、古典的な解析学のあらゆる部分に、基本的なものから応用にいたるまでの業績があり、自身の発見を教科書を通して広く一般に普及させた。あまりにも膨大な量のため、彼の解析学における仕事、例えば公式ひとつひとつまでも完全に伝わっているということはなく、あらたな公式の発見などしばしばオイラーの再発見に過ぎないことも多い。その名前は、指数関数と三角関数の間の関係を与えるオイラーの公式、オイラー=マクローリンの和公式、オイラーの微分方程式、オイラーの定数などに残っている。
カール・フリードリヒ・ガウス - Wikipedia
ドイツの数学者、天文学者、物理学者である。彼の研究は広範囲におよんでおり、特に近代数学のほとんどの分野に影響を与えたと考えられている。数学や磁気学の各分野には彼の名が付いた法則、手法等が数多く存在する。
18-19世紀最大の数学者の1人である
ニールス・ボーア - Wikipedia
量子論の育ての親として、前期量子論の展開を指導、量子力学の確立に大いに貢献した。
20世紀初頭の物理学に対して様々な貢献を成しとげており、量子力学分野の確立において、相対性理論の確立者であるアインシュタインと双璧を成すと称される。
エンリコ・フェルミ - Wikipedia
統計力学、核物理学および量子力学の分野で顕著な業績を残しており、放射性元素の発見で1938年のノーベル賞を受賞している。実験家と理論家との2つの顔を持ち、双方において世界最高レベルの業績を残した、史上稀に見る物理学者であった
正確な計算ではなく、おおよその値を計算する「概算」の達人であったといわれ、原子爆弾の爆発の際、ティッシュペーパーを落とし、その動きから爆風を計算し、爆発のエネルギーを見積もったという逸話がある。
マンハッタン計画 - Wikipedia
第二次世界大戦中、枢軸国の原爆開発に焦ったアメリカ、イギリス、カナダが原子爆弾開発・製造のために、科学者、技術者を総動員した計画である。計画は成功し、原子爆弾が製造され、1945年7月16日世界で初めて原爆実験を実施した。さらに、広島に同年8月6日・長崎に8月9日に投下、合計数十万人が犠牲になり、また戦争後の冷戦構造を生み出すきっかけともなった。
エンリコ・フェルミ炉 - Wikipedia
アメリカ合衆国ミシガン州デトロイト郊外のエンリコ・フェルミ原子力発電所内にあった高速増殖炉試験炉である
1966年10月5日に、炉心溶融を起こした。事故の原因は炉内の流路に張り付けた耐熱板が剥がれて冷却材の流路を閉塞したためである[4][5]。原子炉の炉心溶融事故が実際に発生した最初の例とされている。
ジュリアン・シュウィンガー - Wikipedia
アメリカ合衆国の理論物理学者。繰り込み理論によって量子電磁力学を完成させた功績で朝永振一郎、リチャード・P・ファインマンとともに1965年のノーベル物理学賞を受賞した。
ジョン・フォン・ノイマンとは - 逸話
・IQ300以上だったのではないかという疑惑がある。
・電話帳のページを適当に開いてほぼ一瞬で数の総和を計算する遊びをしていた
・ある日、水爆の効率概算の計算で、フォン・ノイマンはフェルミ、ファインマンと計算の速さを競った。その際フェルミは大型の計算尺を使い、ファインマンは卓上計算機を使い、フォン・ノイマンは天井を向いて暗算した。結果、ノイマンが最も早く正確な値を出した。
・ENIACとも計算の速さを競い、ENIACに勝利した。「俺の次に計算の早い奴が出来た」と喜んだとか。
・ノーベル賞を受賞することはなかったが、フォン・ノイマンが発案したゲーム理論は経済学分野で多くのノーベル賞受賞者を生んだ。また、「フォン・ノイマンがノーベル賞を受賞できなかったのは、ノーベル賞の受賞資格に「人間であること」とあったからだろう」というジョークが作られた。
・とある大学の数学者がとある問題を3ヶ月苦心して解いた。狂喜乱舞した数学者は、フォン・ノイマンに聞いて貰おうと、フォン・ノイマンの家へ飛んで行った。フォン・ノイマンが扉を開けるなり数学者は問題をフォン・ノイマンに説明したが、暫くしてフォン・ノイマンはそれを遮って考え込んだ。数分後、フォン・ノイマンは数学者に「君が出した結論は…(中略)かい?」と尋ねた。フォン・ノイマンが数分で出した結論は、数学者が3ヶ月の苦心の末に出した結論そのものであった。
・マンハッタン計画に参加し、爆縮レンズの設計に従事した。また、原爆投下に際し、京都への原爆投下を進言したことでも知られている。これらのエピソードから、スタンリー・キューブリック監督の映画『博士の異常な愛情』の登場人物の一人のモデルとされることがある。
・極端な暴食をすることがあり、「計算は出来るのにカロリーだけは計算できない」と評された。
・興味が無いものには全く無関心で、数十年住んだ家の食器の位置も、昨日あった人の名前すらも覚えていなかった。
・後にノーベル経済学賞を受賞したジョン・ナッシュのナッシュ均衡に関する論文を一目見て、「くだらない。不動点定理の応用ではないか」と評した。
・クルト・ゲーデルの不完全性定理を、ゲーデルの次に理解した人物とされる。ゲーデルについては例外的に尊敬して居り、高く評価していた。また、アインシュタインについては「私のことを天才という人がいるが、周知の真の天才がいる。それはアインシュタインである」と評している。
・下品なジョークを好み、女性の脚をしつこく眺めるのが好きであった。
・晩年には癌が脳にまで転移し、3+4の計算すら出来なくなっていた。
・あまりの天才振りに、死後「彼は人間の振りをするのが非常に巧い悪魔だったが、余りに上手過ぎて自分を人間だと思い込んでしまった」というジョークが口にされた。
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ノイマンはあらゆる分野でAランクのことをした人物だな