1: Mogtan ★@\(^o^)/ 2015/01/04(日) 16:42:04.79 ID:???.net
掲載日:2015年1月4日
星の進化の最終段階で生じる大規模な爆発「超新星」の発見数で日本一を誇る山形市のアマチュア天文家、 板垣公一さん(67)。豆菓子の製造販売会社「豆の板垣」社長として働き、忙しい日々を過ごす中、12月13日に100個目の超新星発見という偉業を成し遂げた。 「一つの新聞記事があってね。本当にかっこいいと思った」。世界的な超新星ハンター・板垣さんは 新聞の切り抜きのコピーを取り出した。1963年1月の紙面。静岡県の少年が新しい彗星(すいせい)を発見したと報じたものだ。「手作りの望遠鏡」という文字が見出しに躍った。
小学生の頃は、太陽の光を集めると火が出たり、ものが大きく見えたりする「レンズ」に興味津々だった。
月を見るなど、少しずつ天体への関心が高まっていた中、目に入ったのが新聞記事だった。星を「見る」ことから
「探す」ことへシフトしていった。 高校卒業後、家業の豆菓子会社を継いだが、星を追い求める気持ちは衰えなかった。
2002年には「彗星・新星・超新星」の三つを発見した「天体発見3冠」を日本人で2番目に達成した。
一つの星が進化の過程で2度にわたって爆発する様子を世界で初めて観測したのは04年から06年にかけての業績。
英科学誌ネイチャーに掲載された。「たまたま、撮っていただけ。すべて偶然」と謙遜するが、04年に観測した超新星が約10日で光を失った後、2年間継続して同じ場所を撮影し続けた。そして06年10月、再び超新星を観測した。
01年の1個目の超新星発見から驚異的なペースで発見を続け、06年度には文部科学省・科学技術政策研究所の「科学技術への顕著な貢献(ナイスステップな研究者)」に選ばれた。
新聞記事に触発された日から半世紀以上がたった。ハンターとしてのモチベーションは依然として高い。
「大物を見逃してしまって。超新星を探し始めて最も悔しかった」と話すのは、14年3月に別の機関が発見したと発表した「100年に何個も見つからないほどの超新星」(板垣さん)。観測される1週間前からずっと撮影し続けていた板垣さんだったが、見つけることはできなかった。「もう1段階コントラストを下げていれば」と後悔はやまない。
これまで「星探し」に掛けたお金は「家1軒ほど」。山形市内だけでなく、栃木県内などにも遠隔操作できる望遠鏡を設置しているという。「天体には国境がなく、世界中の人がライバルだから、効率よく観測することが大切」だそうだ。 板垣さんがそこまでのめり込む超新星探しの魅力とは?
「仲間との交流が一番かな。超新星を探していること自体が楽しい。学者が振り向いてくれるような星を見つけると、さらにうれしい」と笑顔で答えた。
<画像>
超新星を追うようになった経緯を語る板垣公一さん=山形市内で2014年11月27日、山中宏之撮影
<参照>
板垣公一 | とても静かな場所 | 見上げるプロジェクト | MITSUBISHI MOTORS
http://www.mitsubishi-motors.com/jp/events/star/interview/interview01.html <記事掲載元>
http://mainichi.jp/select/news/20150104k0000e040159000c.html 元スレ:http://anago.2ch.sc/test/read.cgi/scienceplus/1420357324/