御泉水(ごせんすい)自然園は女神湖の近くの蓼科牧場からゴンドラに乗り約5分の蓼科山の中腹、標高1830メートル所にあります。
行く前にホームページで調べましたが、上記のゴンドラに乗ってだけの記述しか記憶が残っていませんでした。
女神湖から蓼科スカイラインを7-8キロ走って駐車場に着きました。ここからゴンドラに乗るとばかり思っていました。
勘違いで、既に自然公園に着いていました。ゴンドラに乗る代金は節約できましたが、牧場の写真は撮れませんでした。
着く前は高山植物が咲き誇り奇麗なお花畑を想像していましたが、思い過ごしだとすぐ分かりました。
自然の花は園芸種と違い季節があり、その時期に行かなければ花は咲いていないのです。
一般の植物園とは違い花は限られています。
都会から森林浴に来る人には喜ばれるでしょうが、日常生活そのものが森林の中で生活している私には物足りない感じを受けました。
湿原や高山植物園や竜ヶ峰周路など2時間程度園内を回りました。
御泉水の森に滝があるので行こうか迷いましたが、この周辺は時々来ますので今回は見送りました。
スカイラインを進むと蓼科山七合目の駐車場に着き、そこから蓼科山頂まで1時間40分なので、いずれ登ってみたいと思います。
【御泉水自然園】
写真表示間隔を15秒と長くしています。
例えば5秒に設定しますと画像が大きいので、ISDNの方は画像を取り込む前に切り替わってしまい表示されません。
私もISDNなので、自分でも見ることが出来ませんので長くしています。
八島湿原は八島ヶ原湿原、七島八島などと呼ばれる湿原で天然記念物に指定されています。
私が、この八島湿原の駐車場に来たのはこれで3回目ですが、過去の2回は湿原を歩いていません。
3年前、旅行を再開したときに始めての旅が霧が峰高原でした。
そして、この駐車場に止めてから気がつきました。
ハイキングのための靴を忘れてきてしまい散策を中止することにしました。
2年前は、ニッコウキスゲの季節にきて、この駐車場に一旦止めました。
早朝なので駐車場はガラガラの状態でしたが、気が変わり先に美ヶ原の方の散策を先にすることにしました。
美ヶ原のテレビ等まで歩いたり、美術館を回って昼過ぎに、八島湿原の駐車場に戻りますと様子が一変していました。
満車状態で車が順番待ちの状態であきらめて別の場所に行きました。
この八島湿原、観光シーズンにマイカー規制がされるとの事ですが、どのような規制なのか分かりません。
6月27日、3回目で始めて八島湿原を回りました。
まだ7時前なので駐車場はガランとしていました。
トンネルを潜りいよいよハイキングでしたが、湿原は霧が出ていて見通しが悪く、霧の少ない沢渡方向に歩き始めました。
2本の木道が整備され快適に歩きました。
花はアヤメなど数種咲いていましたが、期待はずれの感がありました。木道も終ると遺跡がありましたが、写真の様な簡単な看板でした。
ここからが、折り返し平らな石を敷き詰めた道を歩くと広い道に出ました。
この奥にキャンプ場があるのでそこまでは自動車で行けるそうです。
この頃になりますと、霧は完全に消えてしまいました。
キャンプ場か分かりませんが建物を過ぎると再び木道が整備されていました。
そして元の場所に戻りましたが、結果としては霧が出たものの天候にも恵まれよい散策でした。
一周約1時間半と書かれていましたが、写真を撮りながら歩きましたので、2時間はかかったかと思います。
【八島湿原】
後1ヶ月すれば、霧が峰、車山などのビーナスラインはニッコウキスゲが咲き誇り観光客が大勢やってきます。
今の時期は、レンゲツツジが奇麗に咲いています。
レンゲツツジを見に6月27日に行ってきました。
茅野、諏訪は地方都市ですが、ラッシュアワーがありますので、家を5時に出ました。
霧が峰に着いたのが、6時10分と以外に早く着きました。
いつも駐車している売店の場所もガランとしています。
売店前の自然公園レンゲツツジが奇麗に咲いていました。
写真を何枚か撮り次の目的地の八島湿原にむかいました。
八島湿原を回り霧が峰の駐車場に戻ってくると良い天気となりましたので、レンゲツツジの写真を取り直しました。
そして、車山の方に資料なしに歩き出しました。
段々遠くなる売店とビーナスライン、ツツジを見ながら歩き続けるとビーナスラインが段々と近づき、少し上を平行に歩いている感じになって気がつきました。
このコースを歩くと、現在止めてる売店から車山よりの次の売店の所に行って、それから車山登山になるので引き返すことにしました。
つまり、自動車でいける道を歩いていたのでした。
また、ニッコウキスゲの時に来たいし、車山は一昨年リフトで頂上まで行っているので登山は中止しました。
途中のビーナスラインもレンゲツツジが奇麗でしたが、写真は撮らず次の目的地、御泉水自然公園に向かいました。
【霧が峰高原・ビーナスライン】
先日、下田公園に行った時、下岡蓮杖の碑があった。
写真は以前少し勉強したことがあるがこの人物のことは知らなかった。
看板に書かれたものを転記しました。
下岡蓮杖(1823-1914)
わが国写真師の開祖となった下岡蓮杖は、浦賀船改番所問屋である下田町中原町の桜田家に生まれ、久之助と称した。
少年の頃、狩野薫川の門に入りね狩野派の絵を学んだ。
江戸の薩摩藩屋敷で銀板写真を見て、その精巧さに驚歎したことを転機に写真術の習得を志した。
嘉永六年(1853)三十才の時に蓮杖と号した。
安政三年(1856)ハリスが玉泉寺を領事館にすると、下田奉行所の足軽となり、外国人との接触の機会を得た。
オランダ人通訳ヒュースケンから写真の手ほどきを受け、下田開港場が閉鎖されると横浜に出て、米人ウンシンと知り合い、彼の帰国の際写真機を譲り受けた。
そして、実験を重ね、辛苦の末ようやく湿版写真術を習得した。
横浜野毛ついで弁天町に写真館を開業、画家としての心得を生かして人口着色や画像の演出を行い、写真館は繁昌した。
蓮杖の門下からは優れた写真家が輩出した。
写真の他、牛乳搾取業、京浜間乗合馬車の開設、石版印刷等多方面に活動し、明治日本の近代化に貢献した。
なお、靖国神社遊就館に蓮杖の描いた「函館戦争図」「台湾戦争図」の巨大油絵が残されている。
(胸像製作者 重岡健治)
下田市
私が写真を学んだのは、白黒からカラー写真に移行する時期の少し前辺りだと思います。
ミノルタSR1だかSR7だったか忘れました。
望遠レンズ、広角レンズ、接写リングや蛇腹の接写用具などを買い揃え、暗室用具まで買ってフイルムの現像、定着、引き伸ばしの機械まで買い、大分無駄遣いをしてしまいました。
カラーになった頃には写真に飽きてきましたので用具は揃えませんでした。
この頃、絞りがどうの、シャッタースピードなど学びましたが全て忘れてしまいました。
この時の接写リングなどがデジタルカメラに使えるとよいのですが、口径の大きさが違い使えませんでした。
7月に入ったら、少しずつ写真のことを再教育、と言っても老人ボケの現在頭に入るか分かりませんが、挑戦してみたいと思います。