高齢者環境の「未来予想図」
~蛙声爺の小説「現姥捨」から見えてくるもの~
高齢者社会の未来予想図を描くことは簡単ではありません。政府や関係官僚でも精確には不可能でしょう。まして1民間人の老人においておや、です。せいぜい「かもしれない」のレベルで語るしかできないと思います。そうならいっそ距離を置いてと考え蛙声爺の小説から1部分を引いて問題の存在を提示することにしました。想定されている年は近未来の2025年です。 若い雑誌記者が福祉課で働く先輩に取材目的でいろいろと聞く形になっていますので読み物風にご笑読ください。
「ところで先輩、このごろ高齢者の破産とか自殺とか心中、あるいは息子、娘、孫などが肉親の高齢者を殺傷する事件が多発していますよね、この社会現象をどう分析したらいいですか、また、その根本原因みたいなもの、あるんですか。マスコミのニュースだけじゃ、あまりにも興味本位なだけで」
「幸田、お前、どの方向からこの高齢者問題にアプローチしたいんだ」
「と、言われても…」
幸田は口籠った。だからその原稿執筆の準備のためにきているのだと。
「例えば、保険や医療という健康や肉体的な側面からか、年金や生活保護という収入面からか、安楽死や尊厳死といった生きているとは何かという根源的な問題からか、あるいは、このところお馴染みの強行採決で改悪された社会福祉、社会保障関連法規の合憲性如何という法的な側面からか、さらにはだな、それら高齢者対策に共通するものがあるとすれば、その理論的側面は何かとか。おい、どうした」
「すいません、そこまで考えていませんでした」
板垣は呆れたと言わんばかりにため息をついて本題に入った。
「2025年現在六十五歳以上が三千六百五十万人。つまり国民の約三分の一が、国がいうところの高齢者なんだ。これだけでもドキドキするのに、働いて稼ぐことが出来る生産年齢人口との比率で行くとな、驚くなかれ一対二・二。働き手二人とちょっとで高齢者一人を支える構造になっているわけだ」
ここらあたりまでは幸田も調べてはいた。十年前でも人口の三・七人に一人が六十五歳以上の高齢者。人口の七・七人に一人が七十五歳以上の高齢者だった。生産年齢人口との比率は一対二・三。それを考えれば、それほど人口構成状況が悪化したとも言えない。そんなことを考えながら、今日会社を出てきたのだった。
「もう一つ頭に入れておけや、今年の国家予算は百二十兆円。その中の何と七十兆円が広い意味での医療費なんだ。分るか、高齢者は傷病のデパート。さらに年金と厖大化する生活保護費。このままにしておいたら国は成り立ちゆかない。国はなあ、日本崩壊を危惧してとうとうルビコンを渡ったんだ。断っておくが俺は政府の弁護をするつもりはない。事実だけをお前に言いたい。それもさわりだけだ。詳しくは自分で数字を確認しろ」
「わかりました」と幸田は取材メモを取り出した。
「まず生活保護の要件をきつくした。要保護者の所定の親族に扶養可能者がいれば生活保護は認めない。これは実はずっと以前からだ。ただ今までは形式的審査だった。簡単に言えば紙に無理ですと書けば済んだんだ。新法はこれを厳格化して、実質的審査をしだした。これを技術的に可能にしたのが、十年前に実施し始めたマイナンバー制度だ。今ではのちの法整備で、保護申請者の扶養、扶助義務者の有形無形の資産を全て職権で調査できる。これは俺の見方なんだけどな、共同生活こそしていないが、実は大家族制度の復活なんだ。親族間の経済的弱者問題は当該親族の中で解決しろと言ってるわけだ、基本的に」
幸田は一つ疑問を抱いた。調査の結果国は申請を却下する。それで申請者は生活保護から見捨てられるわけだが、その理由とされた富裕親族が実際に助けてくれなかったらどうなるのか。
思った通りに質問をしてみた。
「その通りだ。それはまだ、法的に担保されていないんだ。戦後のプラカード事件をパクれば、汝国民飢えて死ね、となるかな。でもそれは国のせいじゃないわけだ」
うまい手だな、と幸田は唸(うな)った。要は国が免責できればいいのだから。
「しかもだ。これはいったん生活保護が認められた後でも生きてくる。国はその後の職権調査の結果、保護受給者に援助可能者がいたと判断したときは、報告を待たずに保護を打ち切れることにした。どうだい幸田、息子や娘に経済的な力が付いたとたんに貧しい親は、生活保護を打ち切られる。親は一気に子どもの荷物になるんだぜ。この先親子関係がどうなっていくか、目に見えてねえか。兄弟姉妹も似た様なもんだ。というか実はもう始まってるんだ、邪魔なものは捨てろって社会現象が、各種の親殺しだよ。あははははっだな」
幸田は聞いていて、もっと恐ろしいことを予想した。もしかしたら将来国は、「生活保護受給者が前年の国民の平均寿命となる年齢に達した時は保護を停止する」という法条を用意するのではないかと。何の根拠もないのだが、やりかねない気がしてきた。
「富裕層だけが生き残れる時代の到来ですね」
「いや、到来というより復活だろう。歴史をみれば、むしろそういう時代の方が長かったんだから」
「お前、治る見込みのない傷病に対して健康保険の適用が無いことは知ってるよな」
「はい、保険の目的はあくまでも治すことですから」
「うん、でも以前は医者の判断一つで、いわば融通がきいたんだ。医者はこう言うと嫌がるけど、患者は病院経営の目で見ればお客さんだからな」
「確かに」
「ところがな、国は無差別抽出で医療機関を臨検するという手に出たんだ。少しでも医療費を圧縮するためなんだが、病院が警戒すると限界事例的な患者は退院させる方向に動くよな。それがほんとに適正ならいいんだが、どうかなぁ。行き所が無くなった患者をどうするよ。ま、これは患者の一部としても、健康保険の自己負担三割が四割になったのは全体に対してだから節税効果抜群だな。これも強行採決で決まった。何でもかんでも病院に行く高齢者対策だそうだが、七十五歳以上の、一昔前に後期高齢者と呼ばれていた人への負担率軽減を撤廃したのは、どっちかというと集団殺人に近いね。それまではずっと一割負担で来たんだからなあ。支えている家族へ負担を転嫁したことになる。これを官僚政治がやった。驚天動地とはこのことだぜ」
「四割負担は厳しいですね。もちろん富裕層には屁でもないでしょうが」
幸田もだんだん深刻さが解かってきた。聞けば高齢者法制と呼ばれた法改正は、殆んど詳細な説明なしに強行採決を繰り返して行われた。『国の破産か、個人の破産か』の二者択一として喧伝(けんでん)だけはされたのだが。
「簡単に言っちまえば、金持ち以外は死ねってことさ。今は紀元二千年代だぜ、紀元前の話じゃねえって。もっとある。自己負担比率が上がるだけじゃないんだ。混合診療って言ってな、公的保険の適用を受ける保険診療と、これを受けることが出来ない自由診療を併用して受けるとな、原則として保険の適用がなくなって全額負担になるという不利益を受けるんだ。先進医療については一部例外的に認められているんだが、原則は変わらねえ」
「と、すると、また高齢者に不利益?」と幸田は眉根を寄せた。正直なところ少し頭が混乱している。富裕でない高齢者は保険診療だけ受けていればいいではないか。そう思ったのだ。
「いいか、金持ちは例外もへったくれもない、立派な医者がいて先進医療の宝庫みたいな自由診療の病院に行く。もちろん保険は受けられないが、金があるんだから痛くもかゆくもない。そういう病院は給与も高く医療機器も先端を走っている。例のTPPで、すでに海外の病院も自由診療で国内に進出しているから、日本の腕のいい医者は当然そっちへ流れる。これを防ぐには日本の保険診療の病院も医療費を上げて医師の待遇をより良くしていかなければならない。政治もこれに沿う。そうなるよな。かくしてだ、高齢者を筆頭に、貧しい人たちの医療費負担は上昇していく。しかも四割の自己負担率で。これで病院に行ききれるか、どうだい幸田。国民個人だけじゃないぜ。国の健康保険財政レベルでも高負担化するんだ。またまたかくしてだな、再び消費税の増税に向かうと、こういうわけだ。今年もまた二十パーセントまで上げた」
そうなら今度は「汝国民病んだら死ね」だと幸田は思った。ここでもいわゆる国民とは「貧民」のことだ。なぜこうなって、なぜそれが許されるのか。
年金の支給開始年齢も、つい最近七十歳に引き上げられた。しかも支給額も手品のような計算式を使って引き下げられている。
幸田は、高速自動車道を西へと疾走しながら、脇坂智志が日日新聞に投稿した文章を反芻していた。枚数規程があったのか、編集部の筆が入ったのかは不明だが、決して長くはない。
『私たち夫婦はやむなく大都会を離れ、近隣県とはいえ僻地に近い山中に居を移します。今回の借家契約更新時に保証保険会社に不適格とされ追い出されたのです。妻は六十五で下半身不随になり、介護のため六十で私も会社を退きました。高額な介護施設は私たちには無理でした。病院も最後には難病として見放しました。自己負担四割の健康保険、受診料の値上がりも堪(こた)えました。さらには治療効果の無い診療は保険対象外との裁定も受けています。医療費全額自己負担になってしまったのです。消費税の二十%化、年金の支給開始年齢が七十になったことも痛手でした。現在は妻が七十、私が六十五です。生憎妻には年金がありません。老老介護で且つ「老人破産」の典型になってしまいました。この五年間来る日も来る日も炊事洗濯、飲食と排泄の世話、絶望的に心が疲れました。たしか昔に習いました。憲法二十五条です。健康で文化的な最低限度の生活保障。これを頼りに福祉課へ行ったところ、三十五の息子に私たちを扶養する資産があると判定され申請は却下されました。国は私たち夫婦に死ねと言うのでしょうか』
先輩にレクチャーを受けた内容に、ほとんどそのまま当てはまる生の声だった。
居酒屋での講義で板垣は言っていた。
「幸田、日本は製造国家から投資国家に変貌したんだ。汗水たらして働くものが貧困の海に叩き込まれ、電子的なマネーゲームの得意な奴が富裕化する。貧富の差は拡大し、国民の大部分を占める貧困層が虚脱感に襲われることになった。十年前頃までの、技術大国日本を支えていたのはいわゆる高齢者だった。国はその高齢者をゴミのように扱ってしまった。一連の高齢者対策法制はな、二人程度で一人の高齢者を支えることはできないという政治的プロパガンダで、生産年齢人口を構成する選挙民の圧倒的な支持を得たうえで強行採決されたんだ。みていろ、いまに全国に姥捨山ができる。形としての山じゃない。法令と人の心で作り上げた老人廃棄のための山々がな。だから大都会にもあちこちに聳(そび)え立つ。国の生産性に見合った人口、これが為政者の理論武装なんだ。だから切るのは非生産年齢人口の構成員、つまり実質は高齢者! 少子化対策も単なる人口増加じゃなくて生産年齢人口の増加が目的だとこうなる。老後の蓄えを怠ったのは自己責任という論理もこれを支えている。どうだ、分ったかい、幸田」
取材の途中で知ってしまった心中未遂事件に幸田は囚われていた。脇坂智志を殺人容疑で告発することは、未だにしていない。このことも悩ましいことの一つだった。
『彼の妻殺しは、単純に「殺人罪」として括っていいのだろうか』
幸田はまた、法学部出の板垣の講義を思い起こした。
被害者の依頼で殺した場合は嘱託殺人、殺人者の行為があり被害者がこれを承諾していた場合は承諾殺人だが、これは犯罪の構成要件の問題で、脇坂の場合も妻菜緒の嘱託や承諾の事実を証明できれば罪も軽くなるだろう。これなら幸田でもそうだろうと理解できる。しかしここで拘(こだわ)ったのが「死人に口なし」ということだった。つまり立証自体が難しいのだ。現場が加害者と被害者の二人だけだった、という場合が顕著だ。たとえそれ自体は立証できなくとも、客観的事情が事情であれば違法としない。そうあってしかるべきではないかと、幸田は思う。
居酒屋では抽象論としてこれと同じ趣旨の質問をしたのだが、板垣は、これを逆さにひっくり返して戻してきた。
「違法性阻却事由として何かを明文化して、財政負担の元凶である高齢者を死なせ、減らそうとしたらどうだ。幸田は諸手を挙げて賛成するか」
「ちょっと話が読めない」
「うん。例えばオイタナジー、つまり安楽死だ。これが成立する要件は厳格にしたとしても、正当防衛や緊急避難のように刑法で違法性阻却事由にすれば、身体的苦痛によって死を選びたい人を救うことが出来るというわけだ。表向きのきれいごとの方で言えばな。実際は高齢者が犠牲になるだろう。医者と患者の近親者が結託すれば案外容易になる。成立要件としてはいまのところ名古屋高等裁判所の判例が参考になる。もう一つは尊厳死というものを阻却事由に加える案だ。世界的なブームみたいなもので、いま真剣に検討されている。たとえばいわゆる植物人間になった患者。延命装置を外せば歴とした殺人になる、現在はだ。だから、法定要件を満たせばこれを合法とする企てだ。安楽死と似た様な感じだが、患者本人の意思が必ずしも重要でない点が、高齢者対策法制的には美味しいんだ。詳しくは、後で資料送ってやるから自分で調べろや」
いかがでしたでしょうか。
そもそも小説ですし、少し最悪の事態を想定しすぎたかもしれません。ただこの先の高齢者を取り巻く環境が厳しいことには変わりがありません。
読んだ本の、たぶん帯だったと思いますが、素敵な言葉がありましたので、締めくくりとしてご紹介します。
『葬儀や墓の準備より先に、するべきことがあります。あなた自身にしかできないことがある。それは人生の幕引きに向けた「生き方」を自分で決めること。それが新しい時代の【終活】です』 (金子稚子「アクティブ・エンディング」)
以上、議論や談話のきっかけになれば幸いです。
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だいぶ昔に細川隆元と小汀利得で時事放談と言う番組がありました。我が兄弟 も顔を合わせると時事放談ではなく、年寄りに関する爺放談をします。その内容に少し手を加え弟が 文にまとめたものを載せたいと思います。
国民年金は国民の生存を保障する制度なのか
「年金」だけで生計を立てられる人は極少数だと推定されるので『年金暮らし 』という表現には違和感があります。個々人の暮しがあって「年金」がそこにプラスされているとい うのが実情でしょう。ここにいわゆる「年金」が国民年金プラス厚生年金でも基本的に事情は同じな のですが、ここでは国民年金(老齢基礎年金)について考えてみたいと思います。なぜなら厚生年金は 名実ともに「保険」だからです。国民年金はゆえあって現在も「保険」の文字が付されていません。 対象年齢の方のもとには今春も「国民年金・厚生年金保険*年金額改定通知書」なるものが届いてい るので確認してみてください。これは国が社会福祉的な側面があることを強調する趣旨だという説が 有力です。ところが国民年金も厚生年金も徴収されるときは「保険料」という名前なのです。ここか ら誤解や不満や増税圧力などのややこしい問題が発生するのですが、これは順を追って考えたいと思 います。
こういう捉え方はどうでしょう。上記「個々人の暮らし」を基本的に支えているものは当人の蓄 え(現金・預貯金・有価証券など)とか親族の扶助です。しかしこれも諸事情で枯渇したり停止された りします。その場合生活難からの「自殺」を救うのは何なのでしょう、とりあえず生活保護しかない かもしれません。ここで思うのです。つまり生活保護支給額レベルの金額が(A)「生きていく最低限 度のお金」だと。もしこの額よりも受け取る(B)国民年金が少ないとしたら、「公的福祉」に頼らず 自力で生きている人が憲法25条にいわゆる『最低限度の生活』未満の暮らしを甘受することになっ てしまいます。「次の列車よりも前に早く出発する列車はない」ように「最低限度の生活より下にさ らに最低な生活は無い」はずです。つまり国民年金は生存できる最後の砦にすらならないのです。
では国民年金制度の『防貧対策』という所期の目的はどこにいったのでしょう。ここで(A)になら ないための(B)という「防貧の嘘」がはっきりとしてきます。生活保護の基幹部分にあたる生活扶助 だけでも月当りの国民年金(老齢基礎年金)を上回るケースがほとんどなのに、生活保護ではこのほか に、住宅扶助・医療扶助・介護扶助・教育扶助などが付加されているからです。そうしなければ『健 康で文化的な最低限度の生活』にならないからに他なりません。
いま国民年金は「防貧対策」からと言いました。国民年金法は憲法25条2項の理念に基づき『
老齢、障害又は死亡によって国民生活の安定がそこなわれることを国民の共同連帯によって防止し、
もって健全な国民生活の維持及び向上に寄与することを目的とする』と謳っています。これを国民生
活の「毀損」を防止すると言い換えても言いでしょう。沿革的には、昭和34年制定で「農民、自営
業者等を対象とする公的年金」として出発しています。これは無拠出の福祉年金でした。しかし昭和
36年、すぐに拠出制に変わっています。つまり保険料をとる年金制度に変貌したのです。さらに昭
和61年4月、国民皆年金体制を実現し全国民を加入対象とした制度に切り替え、基礎年金という概
念を創出しました。つまり公的年金を国民年金(基礎年金)プラス厚生年金(報酬比例部分)としたので
す。破綻した国鉄共済組合を救済する目的だと言われています。どうやら「保険」に「救済」が加味
されて制度が曖昧に見えてきましたが、これは年金は「給付」と言って「保険給付」と言わないこと
からも、保険制度では説明のつかない無拠出の給付が含まれていることからも、現行年金の性格が垣
間見えてきます。さらに「給付費」は、「保険料」収入だけではなく、毎年度予算に付けられる「国
庫負担」や厚生年金保険実施者からの「基礎年金負担金」なども入って賄われています。もちろん「
積立金の運用収入」も加わります。こんなところも理由にして将来の年金破綻が喧伝され、それを防
ぐには消費税増税が不可欠と結論付けられるわけです。
ちなみに平成29年度の月当り国民年金保険料は、下記となります。
16,900円×保険料改定率0.976=16,490円
基本的には国民年金は「保険」だというのが適切なのではないでしょうか。それは「満額の基本
年金額」というもので見えてきます。
その算式は意外に簡単です。もっとも改定率や保険料納付済期間などについてはそれぞれ詳細な決
まりがありますので、実際額を得たいときは注意が必要ですが。
(780,900円×改定率÷480)×保険料納付済期間月数
480という数字は40年間の月数です。ちなみにいま改定率を便宜上1とし、保険料納付済期間
を受給資格ぎりぎりの25年×12で300か月とします。すると数式から、約488,063円
になります。これがこの人のその年の基本年金額です。これを12か月で割る約40,672円が1
か月の年金となります。諸々の改定を経てかなり複雑になった国民年金を、バッサリ簡単にまとめた
学者がいます。いわく『40年間払った保険料と20年間で受け取る年金額がほぼ同じ』である。こ
こから『早く死ぬ人は損をし、長生きをすればするほど得をすることになる』と。そうです。これは
少なくとも老齢基礎年金が全体としてみて損が出ない保険制度であることを示しています。保険なら
ばまた、「年金額が少ない」のは保険料支払いが足りなかったからで、それ以上でもそれ以下でもな
いと言い切れるわけです。ところがこう言い張ればどうなるでしょう。保険制度である老齢基礎年金
は破綻しないことになり、年金破綻を声高にして増税圧力を国民にかけることができなくなります。
年金は厚生労働省、税金は財務省という事情もありますし、厚生年金はもともと保険制度なのですか
ら。増税したい勢力は従って公的年金そのものを「保険」として括りたくない傾向にあります。障害
老齢年金や遺族老齢年金のように保険料との間に拠出との関連性が薄いものが「年金」のカテゴリに
入っているのでなおさら不透明になり、これを助長してしまいます。「福祉」が「年金」に混入して
いるのです。
そもそも憲法25条の『生存権』条項では扱う広い意味での『社会保障』のなかには少しずつ性 質の違う「社会保険」「社会福祉」「公的扶助」「保健医療」「公衆衛生」などが混在しています。 国民年金は「社会保険」、生活保護は「公的扶助」です。計算で出した1か月の国民年金40,67 2円で暮らせないことは明らかです。しかも法はこのわずかな年金から介護保険料や国民健康保険料 などを直接控除するのです。こうなると生活保護との比較をするのもナンセンスでしょう。
この程度の年金支給額でも国はその受給開始年齢を上げていきます。またバッサリ言ってしまい ますが、「会社の定年プラス5年」が受給開始という流れです。一般的定年が55歳のときは60歳 、同様にして60歳になったら65歳、これが少し前。法改正により事実上65歳定年になった昨今 では、すでに関係官庁には70歳開始の目論見もあるとか。そこから20年と言ったら90歳です、 給付終了の推定年齢がです、平均寿命よりもかなり高い。いずれにせよ定年から受給開始までの間、 どうやって暮らすのでしょう。年金なかんずく老齢基礎年金に「防貧対策」の1面があるのなら、立 法趣旨にもとると思うのです。もし「保険」だというのなら、老人福祉のための年金の原資が足りな くなるので増税をという方便はやめてほしいものです。
最後に平成元年の地裁判断がありますので、関連部分を参考引用します。ほぼ最高裁判例に従ってい ます。『国民年金制度は、憲法二十五条二項の積極的な施策としての防貧制度であるといえる。この憲法二 十五条二項の規定の趣旨に答えて具体的にどのような内容をもつ年金制度を採用し、その立法措置を 講ずるかの選択決定は、立法府の広い裁量に委ねられた高度の専門技術的考察と政策的判断に基づく ものであり、それが著しく合理性を欠き、明らかに裁量の逸脱、濫用といえる場合を除きこれを憲法 に適合しないものとは言えない』(京都地裁岡田訴訟1審傍論)
こういう理論を『立法裁量論』といい、さらに裁量の違憲如何は『明白の理論』によって行ってい ます。
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砂防ダムも造っただけでは駄目で、メンテナンスも必要になってきます。この場所も綺麗だったのですがも長い月日の間に川に島が出来木々が生えてしまいました。
これは農業用水です。下の田んぼに石空川から取水した水を供給しています。
昨年か一昨年か忘れましたが、この奥で農業施設を造っていると書いた看板を見ましたので、好奇心がわき見に行くことにしました。舗装はしていませんが立派な道が出来ています。さぞかし凄い物が出来ていると思っていました。
出来ていたのは金網の中の施設、水の量を調節するためのものでしょう。凄い道に小さな施設、道路の方が建設費がさぞかかったことでしょうね。近くの住民の所の道路はガタガタ道、私は出かけるたびに毎回転倒しています。
昨日はご心配かけました。写真は戻ってすぐの左足の膝です。(身体全体で4か所擦りむく)
この程度の傷なので1週間もすれば治るでしょう。これからは無理をしないように自転車に乗ります。
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月日 | 最低最高 | 天気 | 会った人 | メモ |
---|---|---|---|---|
5.24 | 12・19 | 晴れ | 0人 | 昨日行わなかったデータ整理をする。園芸作業を少しする。 |
5.25 | 12・21 | 晴れ | 1人 | ヤマト宅急便・弟から薬が送られてきたので手当。少しだけ園芸作業をする。 |
5.26 | 12・24 | 晴れ | 0人 | カタクリや春菊の種まきをしただけ。後は何もせず。 |
5.27 | 12・25 | 晴れ | 0人 | アルバイトを少しだけ行い後は何もせず。 |
5.28 | 14・22 | 曇一時晴 | 0人 | 好い天気ではなかった。洗濯などの雑用だけ行なった。 |
5.29 | 14・19 | 曇り | 0人 | 少し本を見て調べ物をしただけで後は何もしなかった。 |
5.30 | 14・25 | 晴れ | 0人 | 池に水を入れるなどの雑用をする。転倒事故から1週間だいぶ良くなっているが、まだ痛みはあり。 |
このtableは毎日1行ずつ書いていますが、記事そのものに意味はありません。 山の中の一人暮らしですので生きている事を親族に知らせるための更新です。 |
牧之原の交差点から須玉に向かう途中に日野春トンネルがある。交差点からこのトンネルまで急な坂を登るとトンネル入り口で疲れがでているのに、トンネル内に入っても登りが続く。
視力が三分の一程度の私、トンネルに入ると先が微かしか見えない、登坂なのでヨタヨタ走る自転車の脇をトラックがすり抜ける時、すごい緊張感を覚える。
このまま、自転車に乗ってこのトンネルを通過したら、ここが私の墓場になることは確実なので、時間がかかってもトンネル内は自転車を押して歩くことにした。
日野春トンネル武川側。全ての電燈を点けても他のトンネルと比較して暗いのに、未だに節電のため僅かしか点灯していない。カメラのフラッシュがないと暗い。
追加記入・・誰かがこのブログを見て役所に電話してくれたのか、3月26日病院に行くとき見ると電燈の灯っている箇所が増えていた。更に病院の帰りに見ると朝の時よりほぼ全部の電燈が点いていた。
このトンネルの電燈は歩行者や自転車の通行より自動車のドライバー向けに設計してあり、トンネルの中間の一番暗い所には、僅かしか電燈の設備がない。入口部分は写真のように沢山の電燈の設備がある。
道路わきに高さ20センチ位の段差がある歩道なのか、雨水の排水路が中にあるのか、走っていて自動車に幅寄せされた時、ペタルがこの段差に乗り上げ転倒する危険がある。
今日この上を歩いてみると、見た目より広く自転車を押してギリギリだが歩けることが分かった。
蛍光ベストを着てのトンネル内歩行。買ったが車道ではなく歩道のような所を歩けばこのベストは着なくても大丈夫かもしれない。
残念な事にやっと出かけたが、眼科は火曜日は午前中休診とのこと、午後は医師も違い何時に診察してもらえるかわからないということなので、また出直して行くことにした。残念、腹が立つ。
北杜市立塩川病院には送迎バスがあるが、武川町も北杜市なのに武川町までの送り迎えは行わないようだ。
毎日注ぎ足している文は日曜日更新したものに書く。
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ホームページの雑記帳は今年の始めに中止しました。そして書き始めたのが「新雑記帳」北杜市とのメールのやりとりやデマンドバス停の申し込みなど、プライベートなことが書いてありますので、公開しないで死期寸前に公開しようとしました。 でも、突然の病死や交通事故などの場合載せることができなくなります。そこで、一応アップしましたがリンクの設定は隠しリンクにしていますので通常は見ることは出来ません。前回のものとダブりますが、当たり障りのないデマンドバスをインラインフレームの形で載せます。 病気の事、北杜市とのことは当分の間は書かない事にします。
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