まとまってないし、この手の考察は幾多の先人が既に綴ったトコロであるのは承知の助。 そこのトコロはご容赦を。
先日「ヤマノススメ 登頂記念パーティ」へ参加してきたのですよ。 イベント自体はとても楽しく、自分のイベント参加歴のなかでも指折りの名イベントでした。
イベント後に自分と同じような参加者や、「ヤマノススメ」を好きな人たちの感想を巡っているうちに、やぱし出てきた「聖地問題」。 今回はそれほど厳しいものではなかったですけれど、「作品が終了してからも聖地で居られるのは、関係者の努力があってこそ」みたいなものがありましたかねー。 んで、その背後にあるのは「あの作品」の失敗例。
自分もあの作品の「聖地」表現を成功・不成功を軸に語るのならば「成功しなかった」としか言えませんけども。
んでも、ここ今回のイベント会場、作品舞台でもある飯能市を比較して成功例なのかっていうと、それはそれであまり実感しなかったな~って印象を持つのです。 地元の人に言わせるとアニメ化以前に当地を舞台としているということで注目していた/されていた…ってことらしいんですけれど、街を歩いてみると一部に限定されていたなあ、と。 もちろんその一部の盛り上がりでも自分程度は楽しかったのですが、しかし殊更に成功例と言うものなんだろうかと疑問も抱きます。
しかしもちろん不成功とは言えません。 じゃあ「あの作品」とここと何が違うのかなー…って考えたのか今回の話(前振り長い)。
結果から言えば「キャラの息吹を感じられるかどうか」ではないかという、これまた曖昧模糊とした考察に。
例えば土地の名跡をキャラとともに登場させれば、そこへ趣くことで私たちは追体験できる。 それもキャラの生活圏であることを真っ当に活かした場所であるのは当然として。 だからこそ私たちはキャラの足跡をたどることができるワケで。
そういう意味では今回、お寺に水着姿のひなたのPOPがあったのは違和感をおぼえたトコロなのですが。 「おい! お寺で水着になるほど、ひなたは痴女なのかよ!」…って。 はい、そうかもしれませんね! その非日常性に興奮します/しました! ありがとうございます神様…お寺ですから仏様ですか!!!
まあ、これは例外か。
アチラの批判に見る「畑の中にただPOPを立てただけじゃあ」っての。 自分はそうかもしれないけれど、イメージの間口としてはアリなんじゃないかなぁ…って考えます。 要はそこにそのキャラが居てもおかしくないって思わせられれば勝ちなワケで。 キャラとのマッチングで是非を問わなければ、「ただの店先」に等身大POPを置いたことが受け入れられることの理由が付かないと思うのです。
だからお寺に水着姿のひなたがいるのはアリなのです(おい
もちろん作中のシーンを再現できればそれにこしたことは無いのでしょうけれど。 しかしなかなか物語の進みとして用意も容易ではないワケで。 日常系でもないかぎりそうそう街中だけで物語を進めるのは難しいかな、と。
「ガールズ&パンツァー」でも実際のところ中盤以降の大会試合になってしまうと大洗の街から離れてしまっているワケで、あの作品の舞台が宇宙へ飛んでいってしまったことと大差ないように考えるのですよね。 ただし「ガルパン」は最後に「大洗へ帰る」という描きかたをした。 この「帰る」というのはかなり大きな違いなのかなーって考えます。 離れていてもキャラの居場所がそこに守られている。 物理的にも、そして精神的にも。
そうした次第で、作品の聖地と認めることや、そこが聖地化していくことの過程や要件などを考えたワケでした。
余談。 あの作品と当地の関係者の努力は認めますが、そもそも作品が聖地化のコンセプトには向いていなかったと思うのです(出来不出来とは別の話)。 だから今後はもうそうした「成功しなかった」ことも歴史と受け止めた上で、あらためてコンセプト作品を追い求めてみたらどうなのかなーって考えます。 京都や鎌倉など有名観光地を別にしたら、複数作品で舞台になるって例はそう多くは無いと思うので。 まして前例を受け入れたという事案は無いのでは?
そうして考えてみても、あのNHKの番組のまとめかたは変だったというか的を外していたんじゃないかなぁ…って今更ですが。
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