罪と罰、そして復讐について考えさせられました。
「Aという条件をクリアできなければ、Bという結果が起こる」という呪いにも似た強制力を言葉に持った小学生のお話。
これはたとえば
「いま行かなければ、一生後悔する」といったもので、後悔をしたくない場合には「行く」という行為を選んでしまうのです。
この条件付けゲームにはちょっと感嘆してしまいました。
Aという条件もBという結果も相手の思考を予測して行わなければならないからです。
作中では動物虐待を行った大学生に対してこの力を行使しようとするのですが、彼に対してどのような強制を課すことが効果的なのかを小学生は悩みます。
彼がおこなったことで、大切な女の子が心を閉ざしてしまったから。
彼女が負った心の傷の分だけ、大学生にもペナルティが与えられるべきだと。
でも、その犯人たる大学生は今風のシニカルなネットユーザーらしく他者への関心が薄く、自らが犯した行為に対してもなにが悪いことなのか理解できていません。
社会正義や倫理観といったものが通用しない相手にとって、動物虐待という犯罪を犯したことを後悔させるにはどうすれば良いのか。
小学生の彼は真剣に悩むのです。
小学生の視線を通して、復讐ということについて考えさせられます。
刑法は犯罪者を罰しますけれど、それは加害者の側に立ったものであって、少しも被害者の気持ちを加味していないのですよね。
動物虐待をしても、器物損壊。
小さなウサギたちを可愛がっていた少女にとって、ウサギはモノではないのに。
では、ウサギを殺した罪で加害者も死刑になればいいのかといえば、それは重すぎると小学生の彼は悩みます。
ウサギの命と人間の命のあいだには明確に線引きがされているのですけれど、だからといってウサギの命を軽んじて良いわけではありません。
両者のあいだにどれほどの違いがあるのかを量的に示すことはとても難しいことです。
さらには加害者は自分のこと以外に関心をもっていないのです。
周囲がどう変化しようとも、自分さえ無事であるならば問題ないのです。
死刑を下せばもちろん彼は悔いるでしょうけれど、それは重すぎる刑として初めから除外されています。
どうすれば彼は自分の行為を悔いるでしょうか。
その行為を罪だと「いまさら」認識させる必要は無いのです。
彼は彼の理由でそれを罪だとは考えないのでしょうから。
しかし失われた命、閉ざされた心に対しての代償を支払うべきなのです。
罪であろうとなかろうと、それを彼が奪ったことは確かなのですから、対価を支払うべきなのです。
物語の最後に、小学生は見事本懐を遂げます。
その答えが正しいのかどうかはわかりませんが、加害者はそれなりの対価を支払ったのではないかと思います。
それをさせた小学生の彼も、読んでいたわたしも、気持ちよくすっきりとしたわけではありませんが、ひとつの答えに達したのだという感慨はありました。
それは復讐の達成感ではありません。
答えを見つけた達成感です。
これは、復讐の物語です。
そして社会が、法が、いかにいびつで不完全であるかを教えてくれます。
復讐は、あらたな復讐の連鎖として繋がっていくモノなのかもしれないけれど、そんな不完全な社会で生きているわたしたちにとって、復讐することもそれをしないことも悲しい現実であることを受け入れるしかありません。
わたしは、連鎖を生み出さない、連鎖を断ち切ることのできるほど強い人間ではないのです。
それでも――。
「あなたのための非力なナイトは、一生懸命でしたよ。必死にあなたを守ろうとしていた。自分を傷つけ、ぼろぼろになりながら、それでもあなたのことだけを考えていた。そこで出した答えは決して正しいものではありませんでしたが、僕は彼のことが好きです。――自慢に思っていいですよ。あなたには、とても素晴らしい友達がいます」
罪と罰、復讐、ルール、モラル……etc。
いろいろと考えることはありましたけれど、行動原理は少しも揺らいでいません。
オトコノコが、囚われのオンナノコを救う物語です。
難しくてうまく伝えられていないと思います。
でも、わたしはこの作品が好きです。