おとなになるということ。
おとなになるということは、届かないモノがあるということを知ること。 自分には手の届かないモノがあると知ること、願えば全てが叶えられるものではないということを知ること、世界に果てがあるということを知ること――だと思うのです。 本気で、あるいは本気でなくても、自分が叫べば泣けば、優しく願いを叶えてくれた世界。 でも、「誰かに叶えてもらう」時代は終わりが来るのです。 叫んでも、泣いても、誰も自分のことに注目してくれることが無いということを知るのです。
おとなになるということは、誰かになにかをしてもらうことを願うことをやめて、自分で願いをかなえるために動くことを決意することだと思うのです。 他人が願いを叶えてくれなかったからといって嘆くのではなく、叫ぶのではなく、怒るのではなく、自らが動く。
おとなになるということは、願いに順番をつけることだと思うのです。 自分は世界の神ではないのだから、全ての願いを叶えることは難しいのだと知るのです。 であるならば、たくさんある願いのなかで、叶えたい、叶えられる願いのなかで、優先順位をつけていかなければ。 もしかしたらなにひとつ叶えられることがないかもしれない。 それでいいということはないでしょう。 たったひとつでも叶えたい願い。 それを意識することが大人になるということだと思うのです。
誰に願いを託すのでもなく、ただひとつの願いに向けて動き出すことができる。 それが大人であるということだと思うのです。
努力を止め、自らの願いを他人に託すようなことを許す人。 そんな「大人でない人」=「子ども」の意見に耳を貸す必要はないと考えてます。 もしその人にまだ幸運が残っているならば、誰かが願いを叶えてくれるかもしれない。 手を差し出してくれるかもしれない。 でも、わたしは、そんなことを待っていられないのです。 願いは自分で叶える。 どもまでもどこまでも諦めず、ほかの願いを諦めてもかなえたい、たったひとつ叶えたい願いを見つけたのであれば、それは自分の手で決着するしかないと思うのです。
んーと。 わりと周期的に耳にする「同人誌を手に入れられない状況をどうにかして!」意見に対して思うところです。 わたしの答えは簡単です。 自分のちからで精一杯がんばれ、あきらめるな。 それでも無理なことかも知れないけれど、ほかのなにを捨ててでもあきらめるな。 あの同人誌もほしい、この同人誌もほしい……なんて色気を出すな。 本気を出すのは、ただひとつのみ。 たったひとつの願いをかなえられないほど、世界はつまらなくもくだらなくもない。 だけれど、叶えられない願いも世界にはあるのだと覚悟せよ覚悟せよ。 そのときは立ち止まって世界を見てみるといい。 たったひとつの願いで全てが収まってしまうほど、世界は狭くも単純でもない。 残された願いと、一度は捨てた願いと、まだ気付いていない願い。 立ち止まって考えるといい。
大人になるということは、自分のことを見つめられることだと思うのです。
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