米メディアもイチロー引退を続々報道「格好良く去る」「野球界にとって大きな穴」
お疲れ様。
もう、これに尽きるでしょう。
MLBの中継を見ていても、いつもそこに彼の姿があった。
その安心感たるや。
やぱし中継を見るときには何か「核」となるモノが無いと身が入らない。
野手がMLBで成功するか否か。
成功しないという向きも当時あった…と覚えてる。
でも彼はやりとげた。
彼のあとに続いて、幾人かの野手がMLBに渡った。
日本人野手が成功したのは、何もイチローという個人に由来したことではない。
MLBでも日本人野手は働くことが出来る。
いまでは当然のように受け止められるそんな定義も、彼がその扉を開けてくれたからこその話。
でも、彼のあとに続いた野手は、みな彼より先にMLBを去り、残ったのは彼だけだった。
日本人野手でもMLBで活躍できる。
でも、それでもイチローという個人は特別だった。
閑話休題。
イチローは50才まで現役続行を目指してプレーしていた。
にもかかわらず45才で一線を退く決断をせざるを得なかった。
もちろん、日本球界へ戻れば、あるいはどこか別の国、地域、リーグであれば、単に「現役」を続けられることは可能だったかも知れない。
いや、十分に可能だったと思う。
でも、彼はそれを選択しなかった。
彼にとっての「現役」というのはそういう意味ではなかったのだと思う。
彼ほどまでに目標を高く、明確に掲げ、そのためのケアを怠らなかったにも関わらず、道半ばで諦めざるをえなかった事実。
これがスポーツの厳しさであり現実なのだと。
45才といえば、一般的な会社へ20そこそこで入社していれば中堅上位。
管理職にもなってこれからの組織を支える存在にもなっている頃。
同世代の面々ならそうした立場におかれているであろう中で、スポーツの世界ではもう第2の人生を選択せざるをえない。
厳しい、そう思うだけでなく、スポーツを娯楽と介して受け止めている私たちも、そこに生きる人達のことをもっと深く考えて寄り添うべきなのではないかと思えた。
リトルからシニア、高校野球に大学野球、そしてプロ。
そこまでずっぽりと浸らせながら、人生の半ばでその道からは降ろされてしまう。
なんという、なんという…。
山本昌さんとかカズさんとかいるにしても、興行的プロスポーツの世界ではざっくり30代で引退ってのが目安なんかなー。
無事に過ごせたとして、ざっくり現役10年。
それでそれからの生活が担保されるくらいの金銭的保証が目安でないと割に合わないなー。
プロってのは意識だけでなく、それを囲う組織にもその責任があるのだと思う。
…カズはトップリーグ在籍ではないし、スタメンにも安定しないし、もう組織としては荷物だけど切れないってのが本質だと思う。
本人がもう無理だと言い出すまでは。
横浜FCがJ1へ昇格することがあれば、その年が引退年じゃないかな。
J3チームにしたって、あれだけのネームバリューある選手を抱えるのは難しいとしか。
試合外でのケアもできないだろうし。
もっとプロ選手を見る姿勢ってものを、こちらも養っていかなければなー…と考えるのです。
とにかく、イチロー選手、たくさんの楽しみをありがとう。
今後もあの口調で語っていってください。
あと、あのTシャツを販売してくれませんか?w