気高 若松武徳先生
仙台近辺を中心とする同年会「KSS42」(昭和42年中学卒気仙沼・仙台三陸会)の新年会が2月13日に開催されました。会場は銀座ライオン 青葉通り一番町店です。KSS42のサイトですでに紹介されていますので、すでにご存じのかたも多いことでしょう。
今回はとてもなつかしい方がゲストとして招かれていました。気仙沼高校の数学教諭であった若松武徳先生です。私にとっては、気高1年3組のときの担任でしたから大変お世話になり、思い出も多い先生です。
まずは当日のメンバー集合写真から。前列右から2人目が若松先生です。
KSS42のサイトには、同会の会長を2018年2月に小山達朗君(気中3年9組)から引き継いだ吉野信雄君(同3年1組)の文章が掲載されていました。了解を得て引用します。
◎KSS42代表 吉野信雄
お疲れ様です。2月13日の新年会の折は、またまたお世話様でした。
今回は、特別ゲストとして、元・気仙沼高校数学教諭だった若松武徳先生をお招きし、楽しいひと時を過ごすことができました。
みなさん、それぞれの話題で思い出に浸っていたかと思いますが、私からは、いろいろな先生方のお名前を交えながら、公立高校管理運営のこと、私立学校管理運営のこと、仙台育英学園の諸事情などをお話しし、先生からは、気仙沼高校勤務の6年間が、その後の仙台三高・仙台一高・石巻高校など、教員生活全体を通しての礎となったことを教えていただきました。
また、高橋泰君から提供された気仙沼高校当時の生徒会誌「香陵」も、生徒会長だった門馬亨君の記事などがあり、花を添えていただきました。
今回の開催に当たり、若松先生の御快諾はもとよりですが、気仙沼高校以外の出身者の方々にも御同意いただき、一同楽しく過ごさせていただいたことを深謝いたします。
さて、今回も、平野君のおかげで、素敵な写真集をお送りすることができました。感謝です。新年会の盛り上がりを存分にお楽しみください。
それにしても、若松先生はお若いですね。私が独身の安養寺時代に、帰途のバスで再会したことも鮮明に覚えておいででしたし、会の後、lineのやりとりで、若松先生より若く見えるのは女性陣だけだという投稿も、なるほどと思われました。
なお、中学時代の二年間だけの同級生だった伊藤知春君(伊藤英造・元気仙沼高校長の御長男)が、若松先生のご媒酌で結婚され、私も同席させていただきました。今は亡き、知春君を懐かしむ貴重なひと時となりました。
ほんでまず。(引用は以上)
お世話役の平野秀明君(3年3組)から送ってもらった写真のなかにあった吉野君と若松先生のツーショットはこんな感じです。公立高校や私立学校の管理運営における諸課題について互いの意見を交換したあとでしょう(笑)。
吉野君の文章中にもありますが、若松先生は気仙沼高校の後に仙台三高、仙台一高、石巻高校などで教鞭をとられたあと、仙台育英学園に招かれています。気仙沼高校のときにも、優秀な先生であるとの評判を聞いておりました。
ネットで調べてみると、仙台育英学園が2003年に設置した中高一貫教育校である秀光中等教育学校の副校長としてのメッセージがありました。そこには「日本一の中高一貫校を目指して」と。若松先生はとても明るく、考え方も前向きでしたから、学校経営や運営においても大いにリーダーシップを発揮されたことでしょう。
その若松先生がこのたび仙台育英学園を完全に退職されたことから、今回の集まりにお招きすることとなったようです。
当日の写真のなかに懐かしい冊子がうつっていました。気仙沼高校の生徒会誌「香陵」。「香陵」とは、気高の所在地旧称「香久留が原」のことだったと思います。生徒会誌「香陵」を手にして、学校教育の現場からみた新時代の教師像を語る泰君と若松先生。左は千葉一夫君(7組)です。
香陵を持参したのは高橋泰君です。陸前高田からの〈汽車通〉。学力優秀で人望もあり応援団長もつとめました。写真をみると、ハンサムぶりにさらに渋い磨きがかかっていますね。
たしか宮城教育大学を経て仙台で中学校の教員に。震災後2012年にメールでやりとりしたことがあったのですが、そのときは仙台市立五橋(いつつばし)中学の校長をつとめていました。五橋中学といえば、仙台を代表する中学のひとつ。五橋中学から仙台一高、そして東北大学に進んで県庁か東北電力へといったあたりが、仙台の秀才が歩む王道だったと思います。いまはまた事情が変わっているかもしれませんが。
今回は高橋泰君の発案でKSS42に若松先生をお招きできたと聞いています。先生と同じ仙台の教育界にいたので、お互いにその消息を知っていたのでしょう。
気高22回生の卒業アルバムに若松先生はうつっていません。先生が気仙沼高校を去ったのはいつだったのだろう。私が気高2年のときまでいたかどうか。いずれにしても先生が転任することを知ったとき、私をはじめ多くの生徒が残念に思ったことをおぼえています。
そうしたみんなの敬愛を受けた若松先生です。約50年ぶりにお会いすることができた仙台/KSS42の皆さんがうらやましい。私はこの場を借りて、中学生から高校生になったばかりの私に多くのことを教えてくださった若松武徳先生に御礼を申し上げます。ありがとうございました。
今回はとてもなつかしい方がゲストとして招かれていました。気仙沼高校の数学教諭であった若松武徳先生です。私にとっては、気高1年3組のときの担任でしたから大変お世話になり、思い出も多い先生です。
まずは当日のメンバー集合写真から。前列右から2人目が若松先生です。
KSS42のサイトには、同会の会長を2018年2月に小山達朗君(気中3年9組)から引き継いだ吉野信雄君(同3年1組)の文章が掲載されていました。了解を得て引用します。
◎KSS42代表 吉野信雄
お疲れ様です。2月13日の新年会の折は、またまたお世話様でした。
今回は、特別ゲストとして、元・気仙沼高校数学教諭だった若松武徳先生をお招きし、楽しいひと時を過ごすことができました。
みなさん、それぞれの話題で思い出に浸っていたかと思いますが、私からは、いろいろな先生方のお名前を交えながら、公立高校管理運営のこと、私立学校管理運営のこと、仙台育英学園の諸事情などをお話しし、先生からは、気仙沼高校勤務の6年間が、その後の仙台三高・仙台一高・石巻高校など、教員生活全体を通しての礎となったことを教えていただきました。
また、高橋泰君から提供された気仙沼高校当時の生徒会誌「香陵」も、生徒会長だった門馬亨君の記事などがあり、花を添えていただきました。
今回の開催に当たり、若松先生の御快諾はもとよりですが、気仙沼高校以外の出身者の方々にも御同意いただき、一同楽しく過ごさせていただいたことを深謝いたします。
さて、今回も、平野君のおかげで、素敵な写真集をお送りすることができました。感謝です。新年会の盛り上がりを存分にお楽しみください。
それにしても、若松先生はお若いですね。私が独身の安養寺時代に、帰途のバスで再会したことも鮮明に覚えておいででしたし、会の後、lineのやりとりで、若松先生より若く見えるのは女性陣だけだという投稿も、なるほどと思われました。
なお、中学時代の二年間だけの同級生だった伊藤知春君(伊藤英造・元気仙沼高校長の御長男)が、若松先生のご媒酌で結婚され、私も同席させていただきました。今は亡き、知春君を懐かしむ貴重なひと時となりました。
ほんでまず。(引用は以上)
お世話役の平野秀明君(3年3組)から送ってもらった写真のなかにあった吉野君と若松先生のツーショットはこんな感じです。公立高校や私立学校の管理運営における諸課題について互いの意見を交換したあとでしょう(笑)。
吉野君の文章中にもありますが、若松先生は気仙沼高校の後に仙台三高、仙台一高、石巻高校などで教鞭をとられたあと、仙台育英学園に招かれています。気仙沼高校のときにも、優秀な先生であるとの評判を聞いておりました。
ネットで調べてみると、仙台育英学園が2003年に設置した中高一貫教育校である秀光中等教育学校の副校長としてのメッセージがありました。そこには「日本一の中高一貫校を目指して」と。若松先生はとても明るく、考え方も前向きでしたから、学校経営や運営においても大いにリーダーシップを発揮されたことでしょう。
その若松先生がこのたび仙台育英学園を完全に退職されたことから、今回の集まりにお招きすることとなったようです。
当日の写真のなかに懐かしい冊子がうつっていました。気仙沼高校の生徒会誌「香陵」。「香陵」とは、気高の所在地旧称「香久留が原」のことだったと思います。生徒会誌「香陵」を手にして、学校教育の現場からみた新時代の教師像を語る泰君と若松先生。左は千葉一夫君(7組)です。
香陵を持参したのは高橋泰君です。陸前高田からの〈汽車通〉。学力優秀で人望もあり応援団長もつとめました。写真をみると、ハンサムぶりにさらに渋い磨きがかかっていますね。
たしか宮城教育大学を経て仙台で中学校の教員に。震災後2012年にメールでやりとりしたことがあったのですが、そのときは仙台市立五橋(いつつばし)中学の校長をつとめていました。五橋中学といえば、仙台を代表する中学のひとつ。五橋中学から仙台一高、そして東北大学に進んで県庁か東北電力へといったあたりが、仙台の秀才が歩む王道だったと思います。いまはまた事情が変わっているかもしれませんが。
今回は高橋泰君の発案でKSS42に若松先生をお招きできたと聞いています。先生と同じ仙台の教育界にいたので、お互いにその消息を知っていたのでしょう。
気高22回生の卒業アルバムに若松先生はうつっていません。先生が気仙沼高校を去ったのはいつだったのだろう。私が気高2年のときまでいたかどうか。いずれにしても先生が転任することを知ったとき、私をはじめ多くの生徒が残念に思ったことをおぼえています。
そうしたみんなの敬愛を受けた若松先生です。約50年ぶりにお会いすることができた仙台/KSS42の皆さんがうらやましい。私はこの場を借りて、中学生から高校生になったばかりの私に多くのことを教えてくださった若松武徳先生に御礼を申し上げます。ありがとうございました。
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