「山田大名行列」
10月20日(土)21日(日)の両日、気仙沼市本吉町で、市の無形民俗文化財にも指定されている〈山田大名行列〉が開催されます。気仙沼観光推進機構のサイト「気仙沼さ来てけらいん」のイベントページではつぎのような写真を掲げて紹介しています。この写真がすばらしい。
気仙沼さ来てけらいん/イベントページより
気仙沼さ来てけらいん/イベント/山田大名行列
山田大名行列は、現在の気仙沼市本吉町山田地区で197年前の文政4年(1821)に疫病が流行したとき,御嶽神社(みたけじんじゃ/本吉町津谷舘岡)に平穏を祈願したところ疫病がおさまり、住民がその御礼として大名行列をつくり神社に奉納したのが始まりとのこと。両日の行列コースは、10月18日(木)の三陸新報に案内広告が掲載されていますが、概略はつぎのとおりです。
◎10月20日(土)
中道線交差点付近 14:00~15:00頃
◎10月21日(日)
本吉総合支所前 9:00~9:20頃
津谷街往路 11:10~12:00
津谷街復路 14:00~14:50
山田大名行列は通常は3年に1度の開催ですが、2007年のつぎは翌年2008年にも開催されています。これは観光キャンペーン/仙台・宮城デスティネーションキャンペーン(DC)の一環として特別に開催されたようです。そしてその2008年の3年後であれば2011年開催となるはずでしたが、東日本大震災のために中止となり、一年遅れて2012年に。その次は2015年、そして今回2018年の開催となりました。
ちょっと記憶に自信がないのですが、私が小さな頃の気仙沼みなとまつりで、一度この大名行列を見たような気がするのです。当時の港まつりはトラックの荷台にしつらえた舞台での踊りもあれば、自動車の後ろにつくられた木のフレームに太鼓をくくりつけての打ちばやし行列など、なかなかのものでした。私は魚町坂口の坂の上から下の国道をながめていたのですが、その中に大名行列の一群もあったようなないような(笑)。その後に見た記憶はありません。
なお、「気仙沼さ来てけらいん」サイトをはじめ、多くの紹介サイトで神社名を御岳神社と表記していますが、正しくは〈御嶽神社〉。〈岳〉は新字で〈嶽〉が旧字(正字)です。三陸新報の記事や案内広告の地図では正しく〈御嶽神社〉の表記を用いています。
三陸新報の山田大名行列の案内広告には、疫病平癒への感謝にかわり〈大震災鎮魂 復興祈願〉の文字がありました。山田地区の人々はその時々の願いを胸に、200年近くにわたり祈り続けてきたのでしょう。
気仙沼さ来てけらいん/イベントページより
気仙沼さ来てけらいん/イベント/山田大名行列
山田大名行列は、現在の気仙沼市本吉町山田地区で197年前の文政4年(1821)に疫病が流行したとき,御嶽神社(みたけじんじゃ/本吉町津谷舘岡)に平穏を祈願したところ疫病がおさまり、住民がその御礼として大名行列をつくり神社に奉納したのが始まりとのこと。両日の行列コースは、10月18日(木)の三陸新報に案内広告が掲載されていますが、概略はつぎのとおりです。
◎10月20日(土)
中道線交差点付近 14:00~15:00頃
◎10月21日(日)
本吉総合支所前 9:00~9:20頃
津谷街往路 11:10~12:00
津谷街復路 14:00~14:50
山田大名行列は通常は3年に1度の開催ですが、2007年のつぎは翌年2008年にも開催されています。これは観光キャンペーン/仙台・宮城デスティネーションキャンペーン(DC)の一環として特別に開催されたようです。そしてその2008年の3年後であれば2011年開催となるはずでしたが、東日本大震災のために中止となり、一年遅れて2012年に。その次は2015年、そして今回2018年の開催となりました。
ちょっと記憶に自信がないのですが、私が小さな頃の気仙沼みなとまつりで、一度この大名行列を見たような気がするのです。当時の港まつりはトラックの荷台にしつらえた舞台での踊りもあれば、自動車の後ろにつくられた木のフレームに太鼓をくくりつけての打ちばやし行列など、なかなかのものでした。私は魚町坂口の坂の上から下の国道をながめていたのですが、その中に大名行列の一群もあったようなないような(笑)。その後に見た記憶はありません。
なお、「気仙沼さ来てけらいん」サイトをはじめ、多くの紹介サイトで神社名を御岳神社と表記していますが、正しくは〈御嶽神社〉。〈岳〉は新字で〈嶽〉が旧字(正字)です。三陸新報の記事や案内広告の地図では正しく〈御嶽神社〉の表記を用いています。
三陸新報の山田大名行列の案内広告には、疫病平癒への感謝にかわり〈大震災鎮魂 復興祈願〉の文字がありました。山田地区の人々はその時々の願いを胸に、200年近くにわたり祈り続けてきたのでしょう。