日本画家 本田鼎雪
12月14日の三陸新報に、気仙沼市古町の〈車屋〉さんという古美術・骨董店の広告が掲載されていました。
三陸新報12月14日掲載広告より
〈「鰹」10号 本田鼎雪〉と記されています。本田鼎雪(ていせつ)さんは、気仙沼で多くの絵を残した日本画家ですが、私たち気中20回生にとっては同級生の洋子さん(3年3組)のお父様。魚を画題とした絵も得意としていました。本日この広告を紹介したのは、これと同じく鰹を描いた鼎雪さんの絵が気仙沼小学校にかざってあったのを思いだしたからです。場所は教員室の上階にあった〈作法室〉。畳敷きの大広間。全校の学級委員が集まっての〈安波会〉もここで開かれていました。その正面の上部に掲げてあったと思います。
よい機会なので、本田鼎雪さんのことを調べようと、気仙沼市史第6巻「教育・文化編」を開いてみたら、ちゃんとつぎの記述がありました。以下に引用します。
◎本田 鼎雪(1910〜1982)
本名禎太郎。明治43年1月14日生まれ。昭和7年第1回東北美術展(河北美術展の前身)に「神濤」を出品し入選。昭和14から16年まで盛岡市および東北各地に居住し、この間、岩手県護国神社の壁画を作製した。帰郷して第6回、第8回海洋美術展に「蒼浪」「魚河岸」を出品入選したが、戦時中、資材入手困難のため一時画業を中断した。
太平洋戦争後、美術界に復帰し、昭和24年、岩手美術連盟日本画幹事、宮城県美術連盟結成委員となり、第1回岩手県芸術祭美術展に当選、森口多里賞を受けた。昭和30年、日本芸術会会員の中村岳陵の指導を受け、仏画の研究に専念する。同43年には第29回日本画院展に「桜島黎明」を出品して入選し、以後連続して入選した。
昭和52年、本田画塾水墨画教室を開設し、後進の指導にも当たり、日本画院に所属し、宮城県芸術協会会員、市文化財保護委員も務めた。
鰹をはじめ、水産物の画も多く、その画風は静岡・高知・鹿児島にも名が知られ、後援会や展覧会が持たれた。
昭和57年10月2日72歳で没。代表作には記述のほか、「叢竹」「忿怒群像」「立葵」「端午」がある。(引用は以上)
こうして長文を引用したのは、ネット上に本田鼎雪さんの情報が少なかったからです。こうしてブログに書いておけば、鼎雪さんのことを調べる方の目にとまることもあるかなと。
話は代わりますが、気仙沼小学校の作法室正面右側には、ガラス張りの大きな飾り棚がありました。そこには沢山の郷土玩具や民芸品のようなものが陳列されていたのですが、あれはいまどうなったのだろうか。結構なお宝だったように思うのですが。鼎雪さんの鰹の絵を見て、そんなことも思い出しました。
三陸新報12月14日掲載広告より
〈「鰹」10号 本田鼎雪〉と記されています。本田鼎雪(ていせつ)さんは、気仙沼で多くの絵を残した日本画家ですが、私たち気中20回生にとっては同級生の洋子さん(3年3組)のお父様。魚を画題とした絵も得意としていました。本日この広告を紹介したのは、これと同じく鰹を描いた鼎雪さんの絵が気仙沼小学校にかざってあったのを思いだしたからです。場所は教員室の上階にあった〈作法室〉。畳敷きの大広間。全校の学級委員が集まっての〈安波会〉もここで開かれていました。その正面の上部に掲げてあったと思います。
よい機会なので、本田鼎雪さんのことを調べようと、気仙沼市史第6巻「教育・文化編」を開いてみたら、ちゃんとつぎの記述がありました。以下に引用します。
◎本田 鼎雪(1910〜1982)
本名禎太郎。明治43年1月14日生まれ。昭和7年第1回東北美術展(河北美術展の前身)に「神濤」を出品し入選。昭和14から16年まで盛岡市および東北各地に居住し、この間、岩手県護国神社の壁画を作製した。帰郷して第6回、第8回海洋美術展に「蒼浪」「魚河岸」を出品入選したが、戦時中、資材入手困難のため一時画業を中断した。
太平洋戦争後、美術界に復帰し、昭和24年、岩手美術連盟日本画幹事、宮城県美術連盟結成委員となり、第1回岩手県芸術祭美術展に当選、森口多里賞を受けた。昭和30年、日本芸術会会員の中村岳陵の指導を受け、仏画の研究に専念する。同43年には第29回日本画院展に「桜島黎明」を出品して入選し、以後連続して入選した。
昭和52年、本田画塾水墨画教室を開設し、後進の指導にも当たり、日本画院に所属し、宮城県芸術協会会員、市文化財保護委員も務めた。
鰹をはじめ、水産物の画も多く、その画風は静岡・高知・鹿児島にも名が知られ、後援会や展覧会が持たれた。
昭和57年10月2日72歳で没。代表作には記述のほか、「叢竹」「忿怒群像」「立葵」「端午」がある。(引用は以上)
こうして長文を引用したのは、ネット上に本田鼎雪さんの情報が少なかったからです。こうしてブログに書いておけば、鼎雪さんのことを調べる方の目にとまることもあるかなと。
話は代わりますが、気仙沼小学校の作法室正面右側には、ガラス張りの大きな飾り棚がありました。そこには沢山の郷土玩具や民芸品のようなものが陳列されていたのですが、あれはいまどうなったのだろうか。結構なお宝だったように思うのですが。鼎雪さんの鰹の絵を見て、そんなことも思い出しました。
テーマ : 東日本大震災支援活動
ジャンル : 福祉・ボランティア