うんこ一漫画賞

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うんこ一漫画賞(うんこいちまんがしょう)とは、1996年から2003年にかけて行われていた、『週刊少年ジャンプ』(集英社)の月例新人漫画賞である。
本来の名前は天下一漫画賞(てんかいちまんがしょう)なのだが、第1回受賞作のインパクトが余りに酷かったのと、出身漫画家の5年生存率が1/4(だいたいそんな感じ)以下に終わるという余りにもウンコな結果に終わってしまったので、通常はこう呼ばれる。

概要[編集]

前身の月例賞である「ホップ☆ステップ賞」(1982年-1996年)をダラダラやり過ぎた上に、『ドラゴンボール』に続き『SLAM DUNK』まで終わってしまいジャンプの発行部数の減少が止まらなくなったので、とりあえずまだドラゴンボールが続いているっぽく見せかける為にマシリト編集長(当時)が考案し、リニューアルした賞である。しかし名前以外にどこが変わったのかはよくわからない。『ホップ☆ステップ賞セレクション』という、受賞者本人以外には絶対売れなさそうな単行本を出さなくても良くなった事くらいかもしれない。

とりあえず(本来の)名前が名前なので、審査員には本家『天下一武道会』でお馴染み鳥山明を迎えてセンセーショナルに行なわれる・・・筈だったが、鳥山御大がドラゴンボールの引き延ばし問題でホトホト嫌気が差していたのと、嫌がるところを無理矢理名古屋から東京まで拉致られて来た為、彼は物凄くいい加減に審査を行なった。結果、栄えある第1回天下一漫画賞準入選を受賞したのが、

うんこデス

というタイトルの、とんでもない糞作品になってしまった。お陰で、第2回以降は「うんこ一漫画賞」と改名せざるを得なくなった。
鳥山先生・・・幾ら『Dr.スランプ』時代に描きまくってた程うんこが好きだからって、そりゃないよ・・・。

これに危機感を感じたマシリトは、第2回より審査員を連載漫画家の持ち回りにし、これ以上「うんこ」と名のつく作品を受賞させない措置をとった。その為、審査に時間をかけ過ぎ原稿を落とす漫画家(特にあのメガネ犬の人)がこの頃から急に目立つようになった。

賞設定[編集]

各賞は、以下のように設定されていた。(あくまでも『当初は』の話)

入選
ヤバそうな漫画家(特にあのメガn(ry)を無理矢理休載させてでも、速攻本誌に掲載される。
準入選
本誌の台割を調整したうえで本誌掲載。因みに『うんこデス』は余りにアレ過ぎたので赤マル送りになった。
・・・ちょっと待て、しょっぱなから約束が違うだろw
佳作
基本的に赤マルジャンプに掲載。しかし後半になると、後述の理由で本誌に掲載されることもあった。
審査員特別賞
だいたいは、審査をした漫画家の名前になる(例:鳥山賞)。
即デビューは出来ないが、飼い殺しデビュー予備軍として担当がつき賞金もわずかながら貰える。
編集部特別賞
最初はそんなの無かった筈なのに、いつの間にか出来ていた賞。

最初は「天下一」の名を取り戻せるよう、糞作品にまで入選や準入選をポンポン出しまくっていたので、次第に集英社の財政を圧迫するようになった。そのため、中盤からはほとんど審査員特別賞、もしくはいつの間にか都合良く出来ていた編集部特別賞でゴマかした後デビューさせるというアコギな選考方法に変わっていった(もっともこれは、編集長が二度も変わるという特異現象が起こったせいもあるかもしれないが)。因みに「受賞作無し」の回も何回か存在する。

結局、入選・準入選作は出ないわ、休載続出で誌面にアナが空くわで、佳作なのに本誌掲載になった新人も存在する(例:ゴリラ)。

おもな受賞者[編集]

先述のとおり「5年以内の生存率が25%以下(だいたいそんな感じ)」なので、既にフェイドアウトしてしまったり、バイバイジャンプしてしまった漫画家のほうが多いが、それでも一応書いておく。

第1回 準入選『うんこデス』(せかいひろし)
賞がうんこ化したすべての元凶。余りに酷過ぎて赤マル送りになった。因みにその後の音沙汰はない。
第3回 準入選『君が見た地球』(やまもとかずや)
後に『I'm A Faker!』というバスケ漫画で突き抜けた漫画家。
だから、ジャンプでバスケ漫画は鬼門だって・・・その後、後輩の連載のアシやったり、自身のパチスロ失敗談を描いたりしながらも何とか漫画で食っている。
第8回 佳作『天翔騎馬』(加地君也
キユに匹敵するコメントでお馴染み、加地くんの伝説はここから始まった。デビューから初連載まで6年、初連載の短期打ち切りから次の連載まで6年かかったが、2作共に全2巻で終わった。しかし、その2年後にも青年誌の新増刊でお色気漫画を発表するなど、未だジャンプに居座っている。
第14回 審査員特別賞『MOON DUST』(矢吹健太朗
はじめて「審査員特別賞で出費を抑えて、その後すぐデビューさせる」が適用された漫画家。そのせいか、現在はパンツ漫画家に成り果てた。その向こう見ずっぷりから一時は「知欠」というあだ名が付いたが、2009年に嫁を寝取られて以来、同情する声も挙がっている。
第15回 佳作『大道芸人 稲月葉子』(竹山祐右
後に『カイゼルスパイク』というバレーボール漫画で突きn(ry
バイバイジャンプをしてからのほうが著作が多い。
第18回 佳作『クレイジー☆キャット』(小野洋二郎)
一作でフェイドアウトしたかのように見えるが、実はコミックバンチに一本釣りされ『ブレイブ・ストーリー』を描いてた小野洋一郎のことだったりして。
第21回 入選『テコンドー師範!!鏡くんのカカト落とし』(吉川雅之
テコンドーしか描けない漫画家。後に(ry 因みにその後の音s(ry
第41回 佳作『左ききのサリー』(河野慶
単独連載は掴めず前作が当たった原作者と『ユート』というスピードスケート漫画をやるが半年も持たなかった。その後は音沙汰ナシだったが、6年後に突然ヤングジャンプで単独連載を開始する。
第46回 審査員特別賞『善妖記』(内水融
やっぱり賞金出費を抑えられてしまったひとり。読切専門作家になってしまったのは、そのせいかもしれない。
第51回 審査員特別賞『ラビングデッド』(松井優征
このときはデビューが見送られたが、当時副編集長だったササキ現編集長の稚児と化した。(証拠資料
第71回 佳作『だんでらいおん』(空知英秋
前述のとおり、佳作にも関わらず大人の事情で本誌でデビューし、本誌でしか活動経験がないシンデレラゴリラ。
その後、『金玉』を連載し、この賞一番の出世頭となった。
田中靖規、衝撃のカミングアウト
第74回 佳作『獏』(田中靖規
生まれて初めて描いた漫画で受賞してしまった超絶シンデレラボーイやよ。デビュー時に右図のようなカミングアウトをした為、多くの才能無し常連投稿者達を絶望させた。
初連載『瞳のカトブレパス』でカトブれ、『鍵人 -カギジン-』でも2クール退場を食らい、糞漫画愛好家を狂喜乱舞させる。
第77回 審査員特別賞『発進!!ストイック兵器ブサイボーグ!!』(川口幸範
何度も最終候補や編集部特別賞貰って十二尻漫画賞など色々あった10年の集大成となった初連載『フープメン』はよりによってバスケ漫画、しかも、一足早く始まった『黒子のバスケ』が予想に反して好調なスタートを切っており、開始前から打ち切りの危機に瀕していた。一時はアフロ君の投入によって多くの漫画評論家から「これ黒子より面白いんじゃね?」と言われていたが、残念なことに現在のジャンプには腐女子に歯向かう者は即殺される運命にあり、フープもその例に漏れず撃沈してしまった。
第80回 準入選『SEA SIDE JET CITY』(北嶋一喜
受賞当時高校生で、この経歴を生かしてバカ田大学に一芸入学した詐欺師漫画家。
後に『大泥棒ポルタ』でスマートに突き抜ける。やっぱりその後の音沙汰はない。結局大卒後漫画家は廃業し、普通に働いているらしい。大泥棒はポルタではなくむしろ、一芸入学したくせに漫画家を辞めた北嶋ではないか?という声が一部で挙がっている。

この節はうろ覚え書かれたものです
誰か、の代わりに僕の記憶の穴を埋めてください。 (Portal:スタブ)

・・・こうしてみると、スポーツ漫画の即死率・作者の失踪率がハンパない。やはりジャンプにスポーツ枠は鬼門なのか・・・。

その後[編集]

受賞作デビューをほとんど出さなかったことで後期はホップ☆ステップ賞以上にgdgdになり、常連投稿者がやる気をなくし始めるわ、冨樫病が他の漫画家にもどんどん感染するわの悲惨な状況になったので、丁度2003年にジャンプが創刊35周年を迎えたのを言い訳にして、常連投稿者を飼い殺す為の『十二尻新人漫画賞』へとリニューアルすることになった。

関連項目[編集]

参考資料[編集]

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