Ed Schuller / The Eleventh Hour
Label: Tutu Records
Rec. Date: Feb. 1991
Personnel: Gary Valente (tb), Greg Osby (as, ss), Bill Bickford (g), Ed Schuller (b), Victor Jones (ds), Arto Tuncboyaci (per, vo) [on 2, 3, 5]


1. O-Zone
2. The Eleventh Hour (part 1)
3. The Eleventh Hour (part 2)
4. PM in the AM
5. Keeping Still / Mountain
6. Love Lite
7. Shamal
8. For Dodo
[all compositions by Ed Schuller, except track 5 by Gary Valente]
『同時代のジャズ』の平常運転に戻りますが、今回はベーシストEd Schuller(エド・シュラー、リーダーアルバム『The Force』及び『Russ Lossing / Dreamer』で既出)の『The Eleventh Hour』というアルバムを取り上げます。
メンバーはカーラ・ブレイ・バンドの常連トロンボーンGary Valente(ゲイリー・ヴァレンテ)とグレッグ・オズビーとの二管フロントに、ギターBill Bickford、ドラムVictor Jonesが加わるクインテット編成で、三曲にパーカス・ボーカルのArto Tuncboyaci(又はArto Tunçboyacıyan、アルト・トゥンチボヤチャン、アルメニア系アメリカ人)が加わります。言うまでもなくキャリア初期のグレッグ・オズビー参加ということで入手したアルバムです。
本作の三年後に録音された上記『The Force』は、どちらかと言えば緩いアレンジで、御大デューイ・レッドマンに気持ち良く吹いてもらおうというような意図さえ感じたサウンドでしたが、本作ではそれぞれに工夫が施されたテーマが用意され、かつバラエティに富んだ楽曲が揃えられています。
例えば冒頭曲や4曲目は(当時の)M-Baseテイストでテーマ部はやや複雑に書き込まれていて、メンバーが次々にソロを繋ぐパワフルな演奏です。
例えばパーカスが加わる2, 3曲目は、ガラッとムードが変わり、NYサウンドから遠く離れた無国籍風、と言うかいわゆる「ワールド・ミュージック」風のサウンドで、パーカス(プラス・ヴォイス)が効果的に響きます。
例えば6曲目はサンバ・ビート、7曲目は効果音的なギターとベースによるノンビートの導入部からベースがアップテンポの4ビートを刻み始め他の楽器が加わってくる演奏で、各プレイヤーのソロはグッとフリーに傾きます。
そして終曲は、最初にスピーカー中央のベースが導入部を提示し、次に左チャンネルの(ベースによる)和音が加わり、最後に右チャンネルのアルコ・プレイが重なるリーダーの一人三役の多重録音によるトラック、といった塩梅で次から次にタイプの異なる演奏が展開されます。
キャリア初期のグレッグ・オズビーのここでのプレイは及第点プラスαといったところでしょうか。私は彼について冷静な聴き方がなかなかできませんが、1, 3曲目でのアルトの「ウネウネ」ソロにはホッとしますし、7曲目のソプラノも良い味が出ていると思います。
ゲイリー・ヴァレンテについては、このアルバムではとにかく大活躍です。特に1, 3, 5曲目での技巧的でありながらユーモアのセンス溢れるソロは実に「痛快」です。アルバム全体の好感度を上げるのに間違いなく貢献していると思います。
最後はリーダーについてですが、全体にわたって確かなテクニックに裏打ちされた堅実なプレイが光っています。それだけでなく、一人三役を熟した終曲は、メロディアス(マイナー調)でリズミカルな楽しい演奏で、多重録音にありがちな「実験臭」或いは「作り物感」が全くしない、ベーシストとしての腕前、いやむしろ「歌心」がいかんなく発揮されたトラックに仕上げています。
アルバム全体としてはやや「小ぶり」の印象で、バラエティに富んだ楽曲が並んでいる分やや散漫ということも言えるかもしれませんが、ゲイリー・ヴァレンテの(再び申し上げますと)「痛快」なプレイは聴かせますし、ベース多重録音による終曲では「救われた」という気持ちさえする愛すべき作品です。
メンバーはカーラ・ブレイ・バンドの常連トロンボーンGary Valente(ゲイリー・ヴァレンテ)とグレッグ・オズビーとの二管フロントに、ギターBill Bickford、ドラムVictor Jonesが加わるクインテット編成で、三曲にパーカス・ボーカルのArto Tuncboyaci(又はArto Tunçboyacıyan、アルト・トゥンチボヤチャン、アルメニア系アメリカ人)が加わります。言うまでもなくキャリア初期のグレッグ・オズビー参加ということで入手したアルバムです。
本作の三年後に録音された上記『The Force』は、どちらかと言えば緩いアレンジで、御大デューイ・レッドマンに気持ち良く吹いてもらおうというような意図さえ感じたサウンドでしたが、本作ではそれぞれに工夫が施されたテーマが用意され、かつバラエティに富んだ楽曲が揃えられています。
例えば冒頭曲や4曲目は(当時の)M-Baseテイストでテーマ部はやや複雑に書き込まれていて、メンバーが次々にソロを繋ぐパワフルな演奏です。
例えばパーカスが加わる2, 3曲目は、ガラッとムードが変わり、NYサウンドから遠く離れた無国籍風、と言うかいわゆる「ワールド・ミュージック」風のサウンドで、パーカス(プラス・ヴォイス)が効果的に響きます。
例えば6曲目はサンバ・ビート、7曲目は効果音的なギターとベースによるノンビートの導入部からベースがアップテンポの4ビートを刻み始め他の楽器が加わってくる演奏で、各プレイヤーのソロはグッとフリーに傾きます。
そして終曲は、最初にスピーカー中央のベースが導入部を提示し、次に左チャンネルの(ベースによる)和音が加わり、最後に右チャンネルのアルコ・プレイが重なるリーダーの一人三役の多重録音によるトラック、といった塩梅で次から次にタイプの異なる演奏が展開されます。
キャリア初期のグレッグ・オズビーのここでのプレイは及第点プラスαといったところでしょうか。私は彼について冷静な聴き方がなかなかできませんが、1, 3曲目でのアルトの「ウネウネ」ソロにはホッとしますし、7曲目のソプラノも良い味が出ていると思います。
ゲイリー・ヴァレンテについては、このアルバムではとにかく大活躍です。特に1, 3, 5曲目での技巧的でありながらユーモアのセンス溢れるソロは実に「痛快」です。アルバム全体の好感度を上げるのに間違いなく貢献していると思います。
最後はリーダーについてですが、全体にわたって確かなテクニックに裏打ちされた堅実なプレイが光っています。それだけでなく、一人三役を熟した終曲は、メロディアス(マイナー調)でリズミカルな楽しい演奏で、多重録音にありがちな「実験臭」或いは「作り物感」が全くしない、ベーシストとしての腕前、いやむしろ「歌心」がいかんなく発揮されたトラックに仕上げています。
アルバム全体としてはやや「小ぶり」の印象で、バラエティに富んだ楽曲が並んでいる分やや散漫ということも言えるかもしれませんが、ゲイリー・ヴァレンテの(再び申し上げますと)「痛快」なプレイは聴かせますし、ベース多重録音による終曲では「救われた」という気持ちさえする愛すべき作品です。