早めの夏休みも終わって今日から再開ですが、 第一週でミニカーネタなので、最近、アメリカから取り寄せたコレ、 NYのイエローキャブで映画は『ティファニーで朝食を』(1961)です。
あまりにも有名なこの映画、主人公ホリーは名前の無い猫と同居していますが、 原作ではこう説明されてます。。 「かわいそうに名前だってないんだから。名前がないのってけっこう不便なのよね。 でも私にはこの子に名前をつける権利はない。 ほんとに誰かにちゃんと飼われるまで、名前をもらうのは待ってもらうことになる。 この子とはある日、川べりで巡り会ったの。 私たちはお互い誰のものでもない、独立した人格なわけ。私もこの子も。 自分といろんなものごとがひとつになれる場所を見つけたとわかるまで、 私はなんにも所有したくないの。 そういう場所がどこにあるのか、今のところまだわからない。 でもそれがどんなところだかはちゃんとわかっている」、彼女は微笑んで、猫を床に下ろした。 「それはティファニーみたいなところなの」と彼女は言った。
ホリーの憧れの場所、ティファニー。有名な金持ちをパーティーで引っ掛けて、 その奥方に収まることを狙ってるホリーは、期待はずれの相手だった場合は、 デートの途中でチップに50ドル建て替えてもらってトイレに立ったままドロン、 というタチの悪い娼婦じみたことを繰り返して日銭を稼いでいます。('A`) 当然ビンボーで、1年住んでるのにロクに家具も無い部屋で猫と住んでますが、 そんな彼女にとっては、ティファニーで買い物するなんて夢のまた夢でしょう。 彼女のフルネームはホリー・ゴライトリー(Holly Golightly)で、Holly は 劇中では「旅行中」という意味らしいですが、原義はセイヨウヒイラギ。 赤い実をつけるけど苦いので鳥は食べないそうです。発音が「神聖な」と同じなのは、 クリスマスの飾りとしてキリスト教に取り入れられたからかもしれません(笑)。 Golightly とはgo+light+lyで、 go lightは「借りた金で賭ける」という意味。 つまり「金を借り倒しては逃亡の旅を続けるクセの強い風来坊・詐欺師」で、 彼女の自堕落な生活そのマンマの名前ですね(笑)。
映画では冒頭、早朝にタクシーで乗り付けたホリーが、閉まってるティファニーの ショーウィンドウの前でパンとコーヒーの質素な朝食を摂るところで始まります。 原作には無いこのシーンは、髪にメッシュを入れ、ジバンシーのファッションに 身を包んだホリーの、その艶やかな外見を際立たせていると共に、 ちゃんと空袋とカップをゴミ箱に捨てるイイ娘だってこともさり気なく描いていますね。 このティファニー前のホリーの行動を「一仕事終えた娼婦」だと決めつけてる 映画レビューも多いですが、劇中では「頭の中が真っ赤になるほど気分が悪くなったときに、 気分を落ち着かせるためにタクシーでティファニーに行く」と説明されているし、 誰とも知れぬ男のベッドから抜け出しタクシーに乗るところは描かれてないので、 このシーンが映画オリジナルである以上、「一仕事終えた後の娼婦」と決めつけるのは早計です。 実際、アパートに戻ったホリーを車に乗った男が待っていて、トイレに立ったまま消えたホリーを なじってるので、あそこは「婚活で期待外れだった男から逃げ出した後」と見るべきでしょう。
ティファニー前のシーンで最初に主旋律を奏でる物悲しい響きは、ずっと何の楽器か 解らなかったけど、楽隊経験のある友人のおかげで、ハーモニカだと解りました。 解ってみれば確かにその音だけど、オケ演奏でハモニカを使ってるとは 思いませんよね、フツー。(°∀° ) どこか物悲しいホリーにピッタシのハーモニカの響きですが、原作では 「ある晴れた朝、目をさまし、ティファニーで朝食を食べるようになっても、 あたし自身というものは失いたくないのね」というセリフがあり、 『ティファニーで朝食を』というのが、そんな無理が効くほどの金持ちになる という意味なのと、たとえオトコの財力でそうなっても心は売らない、という、 ホリーの悲しい決意の言葉になってます…。( TДT)
そんな自堕落ギリギリの生活を送るホリーの上の階に越してくるのが、作家の卵のポールで、 まだ著作は1作しか無く当然食えないから、中年の装飾家のパトロンがいる囲われ者です。 「自堕落な女を清貧の青年が救う」というのが当時のハリウッドラブロマンスの典型だけど、 自堕落ギリギリの女を自堕落な男が救う捻った構成にしてある辺り、原作者カポーティの味でしょう。 女装飾家をパトリシア・ニールが演じてるのは、間違いなく狙った配役で、パットがロアルド・ダールと 結婚しておきながら、愛してたのはずっとポール・ニューマンだったという 当時は周知の事実にかこつけたんでしょうね。
オードリーがあまり美声とは言えない声でギターを弾きながらたどたどしく窓辺で 「ムーンリバー」を歌い、それをポールがニコニコしながら見てるってシーンがあって、 当時就任したてのパラマウント映画新社長が不要だから切れと主張したのに、 オードリーが頑として応じなかったらしいですが、 あのシーンはホリーが無理して艶ぶってることを示す格好のシーンであると共に、 ポールとホリーが「親友」であることを適切に表現しているんだから、 社長に見る目が無かったというべきでしょう。 この「ムーンリバー」という歌もクセモノで、ハッピーエンドに被さるから恋人同士の心象風景の比喩と 思ったら、なんと作詞者ジョニー・マーサーの故郷、ジョージア州サバナに実在する川の名前だそう。 ストレートに歌詞を解釈すれば「いつかこの川に漕ぎ出してどこまでも遠くに行ってやる」って 決意の歌だから、恋人じゃなく、川を旧友に見立てた少年の歌なんですね…。 そういえば歌詞に出てくる「ハックルベリー・フレンド」ってトム・ソーヤの親友のことだし…。 だからいかにもボーイッシュなオードリーがこの歌を唄い、ポールがニコニコ顔で聞いてるのは 二人の仲が清いことを暗示してるんですね。 カポーティはホリーの役にはマリリン・モンローが理想的と思っていたそうで、 オファーはされたけど断られたそうです。 モンローにしてみれば、あらすじだと1956年の『バス停留所』と大差無いし、 また娼婦役なのも抵抗があったとのこと…。 正反対のヘプバーンにしたってすんなり決まった訳ではなく、「娼婦の映画じゃなく 自由に生きようとする女性の役」だと説得されて渋々引き受けたらしいです。 冒頭のシーンを、よく見れば娼婦じゃないように描いてるのは オードリーの要望だったんでしょうね。
ラストも小説では、タクシーから放り出した猫は見つからず、ポールに捜索をまかせ ホリーは旅立ち、たまにハガキが来たりはしてもそのまま行方知れずに…。 それでも律儀なポールはキャットを探し続けるけど、見つからず、 ある日、幸せそうな雰囲気の家の窓辺で、キャットがなごんでるのを見つけ 「ホリーもあんな風に安住の地を見つけてたらいいな」と思うという、切ない展開なんですね…。
カポーティは、ホロ苦い感じの原作のラストを甘ったるいハリウッド的なハッピーエンドに変えられ 立腹していたという話もありますが、映画では結ばれるエンドではあるんだけど、 完全なハッピーじゃなくて、やっとつかんだ大金持ちとの結婚が待つ南米行きが 逮捕でオジャンになり捨て鉢になったホリーが、タクシーを止めてキャットを雨の街に捨て、 そのまま行こうとするので、ポールが怒って降りて探しに行く展開です。 その時にティファニーで無理言って彫ってもらった刻印入りオマケリングをホリーに突きつけ 「キミは自分で作った牢獄に閉じこもってるだけで、それは自分から出ないと一生そのままだ」 みたいなセリフを言うんですね。その直前に女パトロンにホリーのことを告げ、 自分から囲われ部屋から出ていったポールだから言える説得力溢れるセリフなんで ホリーも改心したようですが、やっと作品が売れ始めた駆け出し作家と、 奥さん願望だけの家事オンチ女では、前途多難でしょうねぇ…。(°∀° )
なんでこんなにポールがキャットに肩入れするかは、彼の唯一の著作の題が 「9つの命」なことからすぐ解ります。「9つの命」とは「猫が持つ命の数」で、 そんなタイトルの話を書くからにはポールは相当なネコ好き違いないですからね(笑)。 そう言えばキャットも初対面時にイキナリ、ポールの肩を踏み台にして 上の棚に飛び乗ってたけど、彼が猫好きだって察したんでしょう…。 猫嫌いなオーラを発してる人には普通は猫は近づきませんから(笑) このキャットちゃん、相当調教が行き届いていると見えて、終盤、ホリーが ポールに振る舞おうと料理をしてて、圧力鍋の中身をドッカンと天井まで 飛ばしちゃうシーンがあるけど、鍋の後ろの壁の上のお気に入りの棚に乗ってるキャットは、 その寸前までは二人の動きにチョコマカ反応してたのに、音の瞬間は微動だにしません。 メチャメチャにもがいで逃げ出したブロフェルドのネコみたいになるかと思ったのに 意外だったけど、音がデカすぎて腰を抜かしてたのかもしれないです…( TДT) 映画で猫ちゃんを取り戻したってことは「一つになれる場所を見つけた」ってことで、 映画のラストは、ジバンシーに身を包み社交界で生きていこうとしたホリーは、 雨に打たれてすっかり化粧も流れ、本名のルラメイに戻って 同じように誠実さを取り戻したポールと結ばれるということなんでしょう…。 まぁ、それも悪くないけど、女寅さんでいつも「旅行中」のホリーの方が好きだなぁ(笑)。
つうことで今日のミニカーは、ホリーが多用するタクシーです。
劇中いくつかのパターンがありますが、ラストシーンで猫ちゃんを放り出したのは 黄色いプリムスのサヴォイの1957年型。
この品はディンキーで全長約10.6cmの標準スケール。商品名はPLYMOUTH PLAZAです。 ヴィンテージのディンキーともなると日本では相当高値なんで 他の品とセットにしてセカイモン経由でebayで手に入れました。 劇中と屋根の色が違いますが、こういう色のタクシーも出てくるし、 程度のいいヴィンテージディンキーをリペする度胸も無いのでキニ(゚ε゚)シナイ。
つうことで、再開の今回は、誰でも知ってる名作映画を、 どこの映画レビューアーとも違った角度で突っ込み、 そして極めてオーソドックスなミニカーを取り上げるという、 このブログの基本に帰った記事にしてみましたが、お気に召していただければ幸いです。
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