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2007年6月

2007年6月30日 (土)

『科学哲学の冒険』

科学哲学は、分析哲学の一角を占める、英米哲学の高峰。反証可能性を挙げたカール・ポパー、実際のところは科学者の属するパラダイムに決定されているとするトーマス・クーン。クーンに対抗する主流派とクーンも抱え込んだ社会構成主義。こんな図式でしょうか。

そんな科学哲学を、名大・戸田山和久教授が説きおこす本書では、「センセイ」とその研究室の学生二人の議論という形をとって、ヘンペルの「仮説-演繹」モデルから最先端の「意味論」モデルまで、科学哲学の全体像を明晰に切りとってみせてくれます。

センセイは実在論を擁護する立場、対照をなすのは社会構成主義反実在論相対主義、大雑把にいうならポスト・モダニズム。センセイの論理は着実で、衒いがない。難をいえば、ちょっと着実さを出したために、素朴に過ぎるかもしれない。

確かに「電子」は実在する、が量子力学の世界ではその理論が仮定する「存在物」だってあるではないかと。あるいは、現象として見出されるものとか。この辺は、科学哲学の主戦場になっていそうに思った。何れにせよ力作であるので、著者の自作を楽しみに待ちたいと思います。

T.D.

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2007年6月29日 (金)

スピノザを読む

今、古典と戯れています、というよりも、新刊書にちょっと食傷気味のところがあるのかもしれません。さて、そんなときにはスピノザです。彼以外にいない。

『エティカ(エチカ)』はそのままユークリッド『原論』みたいですが、慣れればどうってことはありません。スピノザが「…ということにしておこう。」と定理してしまっているので、それにそって幾何学模様に遊ぶだけです。

そう。読む方が気にしたって仕方ありません。そういうことにしておけ。気にするな。そして、ぐいぐいと読み進みます。

一元的汎神論といわれたらやはりこの一冊でしょう。猛烈なカタルシスもあります。

最近、「本を読んだ」という読書経験の質が低下気味に思います。濫読気味なので、量は増えているのですが。そういうとき、心落ち着くのは、こういった書物たちだったりします。

T.D.

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2007年6月28日 (木)

フジモリ氏、国民新党から参院選出馬

本当に出馬ですか、ペルー元大統領のアルベルト・フジモリ氏。チリで軟禁中(?)のフジモリ氏は、各種容疑でペルーへの身柄引き渡しが時間の問題で、日本の被選挙権も有るため、軟禁状態でも立候補、選挙運動には問題ないとのことですが。Photo_15

南米は、メルコスールで統合の機運が高まっていますが、米国からの何らかの要請でもあったのか、それにしても何故に国民新党なのかが微妙です。比例で出るとしても当落自体が微妙ですから...。

T.D.

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2007年6月24日 (日)

『家族という神話』

「過去から学ぶことは多いかもしれない。しかし、貧困からも、その他社会変動からも人々を守った(標準的なものはあれ)理想的な家族形態など、存在しなかったし、どのような家庭を築くべきかモデルとなる伝統的家族像などない」というのが本書の主張。

クーンツは、家族は自然でも必然的でもなく、個人を社会的に組織化する手段に過ぎぬと断ずる。労働力の再生産機能を担保すること、それが家族の歴史的意義だ、と。

もちろん、それが不自然でも問題なく社会が機能していれば良いが、それが虚構だということを忘れ、あたかも理想的な家族像があるかのように思い込むことが、社会に歪みをもたらすというわけです。社会が「標準的」と認知する家族形態以外のものが、特段高コストだというわけでもありません。といいつつ本書は極論に走らない。

「標準的な家庭ではない」という理由で同調圧力にさらされている人は必読。また処方箋としては、社会福祉の充実とコミュニティでの子育てで、これが日本で一般に受容されるかは疑問。ただ、重要な問題提起として、重く受け止めたいと思います。

T.D.

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