明治と武士・町人の終焉
まだ歌舞伎における時制の話が終わっていないのですが(苦笑)、駆け足で、大きく「世話」と「時代」に分かれていた歌舞伎のドラマツルギー(らしきもの)は明治に入ってどうなったかのご説明を簡単にさせて頂きたいと思います。
歌舞伎が-例えば「時代世話」などという時制を使って-言わば「時代錯誤」を演じることにより、江戸の町人たちは、自分たちとは異質な世界に生きている武士階級を素材として、時にそれを揶揄したり、軽く言えばからかったりしていたことはお話しました。他方、官許と言う建前の下、自ずから表現上の制約は存在している。
ところが、明治になりますと、状況は一変。そう、「武士」なるものが消滅してしまうという事態を迎えます。他方、歌舞伎の主たる観客であった「町人」も、身分制度の上では消滅します。(もっとも、江戸時代でも歌舞伎を鑑賞して溜飲を下げていた江戸町人なるものも、当時の一般の人々からすればごくごく一部の人々であったことにも注意する必要はあります。)いわゆる四民平等という階層制度の撤廃により、等しく「市民」ということになる。(もちろん、階級制度は残りますが、江戸時代の階層制度がそのままスライドしたものではないことに注意が必要です。)
とは言うものの、何かの「御触れ」で突然歌舞伎における表現が変化したと言うことではなくて、事実上、江戸時代に存在していたような制約はなくなっても、こうした物事は「慣習の変化」によって決定される部分が大きい。その「慣習の変化」には保守的になるのが、世の習いです。
ただ、実は江戸時代の歌舞伎はそれ程には保守的ではなかった。制約に沿って、次から次へと新たな表現を開拓して行ったのが、江戸の歌舞伎の在り方です。それが、恐らくは明治以降、「格式」を重んじるばかりに「伝統芸能」として高い地位に-江戸時代の歌舞伎関係者が想像もしていなかったような地位に-祭り上げられたというのが実情ではないかと思います。
しかしながら、「格式」ある「伝統芸能」もそれはそれで風雅なものだと私は思っています。端的に言えば、時代によって楽しみ方が変わったと言うことでしょう。それは、恐らくは明治以降の構造変革によってもたらされたものなのでしょうが、現代に生きる私にとっては、それはまた一興です。それに、「伝統芸能」だと肩肘張って観るものでもないと私は思っています。舞台が醸し出す一瞬の響きを観るために観劇するのですから。
T.D.
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