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2006年1月27日 (金)

ライブドア問題考

堀江前社長以下4名が逮捕されたからのライブドアの対応は極めて早いものでした。社長には弥生社長だった平松氏が、代表取締役には熊谷氏が就任、堀江氏らの復帰は「ない」と明言するなど、市場はライブドアの素早い動きを好材料と判断した模様です。

それにしても平松氏はあの渡邊恒雄氏が読売新聞ワシントン支局長を務めていたときの部下。渡邊氏は、平松新社長の仲人も務めるなど旧知の間柄、ライブドア再建に前向きな姿勢を見せています。早くも実現したフジテレビ・日枝会長との「お詫び」トップ会談でも、フジテレビサイドから好感触を引き出せた模様。

平松新社長は、読売OBですが、ソニーAOLジャパン社長→弥生会計創業と、確かに豊富なビジネス経験の持ち主で、それにつけても読売の社風なのか、OBにはジャーナリストとして活動している人が大勢を占める朝日・毎日OBとの差はその辺に感じます。徳間書店も読売OBが設立しましたし、グループで言えば、元SME社長にして元レコ協会長の丸山茂雄氏もそう。興味深いグループのあり方であるのは確かのようです。

さて、今回の株式市場を襲った所謂「ライブドア・ショック」にネットバブル崩壊「光通信ショック」を重ね合わせた人は多かったことでしょう。しかし、あの光通信でさえ、現在復活を遂げていることを考えれば、ライブドアがこれで終わった訳ではなかろうと(現に株価は下げ止まっていますし)思われます。ライブドア最大の広告塔にしてコンテンツであった堀江氏と財務戦略のキーパーソン・宮内氏の逮捕劇は痛手ではあるでしょうが、実はかなりの有形無形の資産は保有している会社。「切り売りはしない」(平松新社長)ことを明言している以上、関係各社との信用回復に努めれば、「被害」は最小限で済みそうです。

個人投資家に多大な損害を与えたとの話もありますが、それが犯罪であるか否かは裁判の審理で明らかにされる事柄であるにせよ、例の「株式100分割」(これ自体は業界から多大なバッシングを浴びましたが、違法ということではない)にせよ、「アグレッシブな」財務的解釈で資産運用を行っているのだろうなぁと言う「ごく常識的な」判断は一般投資家とて可能だったはずであり、ライブドアが犯罪行為に手を染めていたにせよ(裁判の行方を見なければ判じ難いことではあると思います。そもそも経済事犯は複雑です)その可能性も含めて、株式投資は自己責任の下で行われるべきものです。当然、その反面、企業は情報開示に努めなければならないこととなる訳ですが。

ただ、平松新体制の素早い動きを見るにつけ、ライブドア株式を放出した人は判断が早過ぎたのではないかと、余計なお世話ながら思います。本当に、ライブドアのビジネスの潜在性をどこまで評価していたのか。(私はかつて楽天騒動には興味が持てない、と日本の「IT企業」の現状に対する不満を漏らしましたが、具体的サーヴィスの内容からして、ライブドアの方がまだしも「技術志向」ではあると思います。)トップが逮捕されても法人という企業体は存続する訳でして、ライブドアは堀江氏の今や個人商店ではない現状からして、コトの推移を見守った方が賢明ではなかったかと。大きなお世話ではある訳ですが…。マスコミ・政治家も含めて「掌返し」するのはみっとも良いとは言えないと思われます。「推定無罪」と言う建前もありますし。

それにしても分からないのは、直接は関係のない他のIT企業の株価も軒並み下がるという現象が起きたこと。付和雷同というのでしょうか。その株主たちが、今まで何故その株をholdしていたのか、私にはさっぱり分かりません。「時価総額経営に対する批判」も散見されますが、それは法律問題ではなくて、経営手法に対する疑義と認識しています。確かに、一般的には、業容の拡大ペースに応じてM&Aを行った方が、合理的である場合は多いですし、一体どこまで堀江氏は行くのかと関心を持って眺めていました。株は買いませんが。

個人の金融資産がこれだけだぶついている現状、株式市場への資金流入は不可避でしょうし、ライブドアをめぐる一連の騒動が、それに水を指すとは思いません。むしろ、これまでもシステムトラブル続きの東証が心配です。ライブドアの上場廃止問題よりも、東証には取り組むべき課題が山積しているように思います。東証には、健全な新興株式市場のために、猶一層の奮励努力を期待したいところです。

T.D.

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2005年9月30日 (金)

しまむらに学ぶこと

成果主義の誤謬、と言うエントリーを書かせて頂きましたが、まぁ何事もバランスと言うものが肝要で、どこかに偏り過ぎては上手く行かない、と換言することもできます。そのコメント欄での遣り取りで、「成果主義=短期的成果(業績)を定数化し給与・待遇に反映させる人事考課制度」、これに対して「能力主義=中長期的能力を定性化し給与・待遇に反映させる人事考課制度」と説明させて頂きまして、「日本型年功制」は実は後者、と書かせて頂きました。

ある一人の優れたGKがいたところで、それだけではサッカーにはなりません。他の10人の選手、ベンチスタートの選手、それを支えるスタッフが有効に機能して始めてサッカーらしくなるので、「スターシステムは要らない」と言うのが私の組織論です。元々、米国で成果主義(performance-evidenced pay)と言うのは、個人業績に偏り勝ちだった評価の中にチームの中での機能を評価する要素を採り入れようと言う事で、日本で展開された事態とは180℃異なることにも注意が必要です。

何れにせよ、ボランチならボランチ、FWならFWが、チームの中でどのように機能していたかを評価することなしに、人事考課と言うものは成立しないでしょう。手前味噌も何ですので、私とは何の関わりも無い業種から一つ。しまむらを成功事例として挙げたいと思います。

画に描いたような堅実経営を離職率が高いアパレル産業で成し遂げていることは注目に値します。店長のパート出身者比率の高さ、そもそもパートの勤続年数の長さ、これを見ても公平感のある働き易い組織作りに成功していることが分かります。

企業と言う組織を構成するのは人です。ゆえに、人を短期的な成果ではなく、組織の中で果たした機能によって評価する姿勢には大いに学ぶ点があると思っています。例えば、ジョブ・ローテーション。スペシャリスト志向の高まりとは逆行しているとの指摘もありましょうが、しまむらでは積極的に活用しています。社員に仕事を覚えるモチヴェーションを高めさせることに効果があるのは確かです。

ゼネラリスト志向だと昨今の日本社会では評判が高くはなさそうな人事制度ですが、全体の中での自らの役割を知ると言う意味でも、社員にモチヴェーションを与えつつ、長期的視点で人材を育てて行こうと言う理念が、そこにはあります。

優秀な人材が意欲的に仕事に取り組める仕組みを作れば利益はついてくるもの。近視眼的成果主義が、多くの場合、無残な失敗に終わっていることからも、しまむらに学ぶべき点は大きいと思います。

T.D.

(参考):nikkeibp.jp - 新社長を直撃!より

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2005年9月20日 (火)

タリーズとスタバ

昔、やたらとオフィスビルが林立している街で働いているころ、タリーズかスタバかで言えば、タリーズ派でした。 『すべては一杯のコーヒーから』(松田公太著・新潮社)を読んで感動したと言うよりは(なかなか読ませる本です、未読の方は是非!)、やたらとスターバックスの店舗数が多いことが何となく気に食わなかったのです。4104546011


スタバはモードを通り越してバブルの域に達していました。とにかく出店密度が高い!バブルが弾けてどう「手仕舞い」するか、が問われるステージに、来ていました。どこにいってもスタバがある状態は既に去り、戦略的に店舗数を見直したりしている様子の現在ですが、ここにも教訓はありました。「手仕舞い」と「損切り」です。何だか相場みたいですが、いつバブルが収束するかを見切るのも経営者の眼力なのだと。いえ、スターバックスジャパンの経営陣を責めている訳ではなく(『スターバックス成功物語』は面白くなかったですが)、むしろスタバは上手くハンドルしている方です。

鉄火場に繰り出すと人間、平常心を失いがち。私はギャンブルはしませんが、そういう人の方がいざとなると怖いらしいですね。引き際を過つと言う意味では。特に人件費の塊である飲食業のオーナーは、私には怖くてできませんが、傍目に見て勉強させて貰っています。

T.D.

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ハゲタカとは、呼ばないで

新生銀行が東証一部に再上場し、巨額の売買益を手にしたことで「ハゲタカ外資」批判が強まったことは記憶に新しい。リップルウッドを中心としたファンドは(瑕疵担保特約条項等と言う不当な契約条件もあったものの、ともあれ)僅か10億円あまりで旧長銀を購入したことを考えれば、見事に破綻銀行を再生したと言えます。(ただ、元々は国内投資家も旧長銀を買い取るチャンスは充分にあったものの、それを再建する自信も、リスクを取る勇気もなかったのが本当のところ。この点で、彼らを非難するのは筋違いというものです。)

先にも書いたとおり新生銀行というと「ハゲタカ外資」と呼ばれnegative wordingで語られることが多い。しかし、少なくとも功罪の「功」の部分はあろうと言うことで、若干の考察を試みたいと思います。護送船団で横並び体質だった銀行界にとっては新生銀行は脅威だったでしょう。新生銀行に融資を断られたがために、そごう、第一ホテルなどが倒産の憂き目に遭いました。

しかし、リップルウッド他の最大の功績は、日本で「不良債権」と言われているところには暴力団がついていて、外資が入ろうが一向に身奇麗にならないという現状を国際社会に(特に、合衆国政府に)白日の下に晒したことでした。不良債権問題を巡ってもデフレがどうのと学術的論争が繰り広げられましたが、これでは不良債権処理どころではない。バブルの宴の最中、銀行が暴力団の力を借りて業績を伸ばしてきた負の遺産と言って良いでしょう。

郵政マネーを巡っても、またぞろ「ハゲタカ外資論」が幅を利かせるようになってきたようです。しかし、(郵政法案に係る議論は別論)投資をされない国、通貨の将来は明るくないと言うこと。悲観することだけが能ではありません。外資の「功」の部分は確実に存在していて、それが日本社会の負の遺産の浄化に益していると考えるからです。

T.D.

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2005年9月11日 (日)

「成果主義」の誤謬

起業するときに-少なくとも私は-数値目標は立てませんでした。それは、会社が成長フェイズにあるときも一緒。結局のところ、ある商材を世に商品として出して、お客様の評価を解析しつつ、データ・マイニングを行っていく-これに優るマーケティングはないと思っています。

結局のところ、未来に関する予測と言うのはごくごく近い将来の予測に留まる。かといって、過去の実績がそのごくごく近い将来に適用できるか、と言えば、参考意見の域を出ない。同じ状況は、ビジネスには存在しないのですから。

その意味で所謂「成果主義」と言うものも、大きな問題を孕んでいます。勿論、それがどのフェイズの企業であるかによって「成果主義(的給与体系)」の有効性は異なります。この点は、軽視できないポイントです。しかしながら、「成果主義」と言うのは過去を基準に将来の(未知の)事業案件に対する給与評価を予め行うことに他ならない。機動性と言う一点で、過去志向であることは大きなマイナスポイントです。

さて、もう一つの問題。成果主義を導入すれば(1)生産性が向上し、(2)人件費が抑制できる、という論。さて、成果主義が有効に機能すれば(生産性が総じて向上すれば)人件費は高騰します。しかし、そのような幸運な事態と言うのはなかなか発生しない。成果主義の力点は(2)の方にあるのですね。つまり、成果主義的給与体系は「一部の優秀な人材」を優遇する制度に他ならず、割を喰った「その他大勢」の人件費は抑制されます。

経営者としては言うことなしのようですが、結果、全体としてモチヴェーションは低下します。多くの企業で抱えている問題かと愚考します。そもそも、職能によって、「成果」なるものは質的に異なるのが当然です。その質的に異なる成果を管理者がどう公平感を持って評価するか、が管理者の仕事。あらゆる職能の成果を数値化するのは無理がある。これが「成果主義」が導入され始めた頃の私の感想でしたが、どうもそのような事態が各所で発生しているようです。

ただ、この制度も使いようによっては有効だと言うのが私の見解です。その解は既に書きましたので繰り返しは避けますが…。

T.D.

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2005年8月10日 (水)

追悼・小倉昌男さん

今年逝去されました、ヤマト福祉財団の小倉昌男さんの「お別れ会」が今月8日、東京都内で執り行われました。

小倉さんは、憧れの方であり、私は深い畏敬の念を持ち続けていました。非常に質素で、無名の個人にも公平に接する方でもありました。経営者としても一個人としても大変尊敬しておりました。所謂「財界人」といった範疇を超えた方であったと思っています。

小倉さんの書かれた『経営学』を読んだときの衝撃は、今でも忘れ難いものがあります。考えに考え抜かれた発想、「サービスが先、利益は後」という揺ぎ無い理念、そして当時の郵政省が圧倒的な市場占有率を誇った宅配便事業への不退転の決意での参入。コストを度外視したスケールメリットで事業展開が可能な官公庁事業に参入して、小倉さんは揺るぎません。

しかし、当時の運輸省が許認可権限で免許申請を遅滞させます。小倉さんの経営者としての姿勢は「不条理との闘い」であり「使命感を放棄した行政との闘い」でもありました。ヤマト運輸は運輸省を相手に引くことはなく、遂には同省を相手取って行政訴訟を提起します。この小倉さんの決意の前に、運輸省は引かざるを得ませんでした。

ヤマト運輸の経営から退いた後は、自らの寄付によってヤマト福祉財団を設立、今度は働く障害者のための労働条件の改善のために粉骨砕身します。

小倉さんは自らのミッションに忠実にその生を全うされた方であったと思います。私が小倉さんから学んだことはとても短い紙幅では表現することはできません。天に召された小倉さん、安らかにお休み下さいますよう、心よりお祈り申し上げます。

T.D.

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