前和光市長 松本たけひろ オフィシャルウェブサイト

前和光市長の松本武洋です。
和光市政での経験を活かして、地方創生や地方自治の研究や教育を通じて世の中のお役に立つべく、教員として地方の現場を歩いています。
市政の現場は離れましたが、和光市を全力応援しています。

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元部長の犯罪のうち補助金事件について、高裁では和光市が完全勝訴

元部長の犯罪のうち補助金事件について、高裁では和光市が完全勝訴(厳密には本体部分は完全勝訴で、訴訟費用の1%のみ市が負担しますが市は責任なし)。市民の皆様には大変ご心配をおかけいたしました。なお、今回の判決はあくまでも補助金返還部分についてのものです。これ以上のコメントは控えます。

社会保険料の制度が国会とは切り離されている理由、そして高い理由

1.社会保険料の制度は財源確保のために、民主主義プロセスからわざと切り離されている

社会保険料の制度は財源確保のために、法律とワンクッション入れて、民主主義プロセスからわざと切り離して設計されている。そして、税よりこちらの値上げが頻繁に行われてきた。
理由は簡単で、民主主義のプロセスを踏んでいると、財源(お金)が集まらないから、国会が直接関わらないところで値上げを決められるような仕組みを作る、ということである。
そこで実質的に決定権を持つのは有識者と官僚であり、政治家は追認することになる。政治家としても、審議会プロセスを経ているから認めざるを得ない、と責任を回避できる。

 

2.民主主義のプロセスを実質的に回避する仕組み
リンク先の記事では、加谷珪一氏がそれをあたかも「審議会の部会が議論しているから、民主主義のプロセスは経ている」と誤認させるように発言したが、実際には、巧妙に政治の関与を排除しているのが審議会なのである。確かに役所のトップは大臣であり、基本的に政治家である。しかし、政治家の人事で選ばれた幹部が審議会や部会の委員を任命し、委員は政治家よりも官僚の方を向かざるを得ない。ここで、民主主義プロセスとの切り離しが実質的に完成している。別にそれは不正でも何でもなく、増税なら国会審議だが、社会保険料値上げは国会を回避する、という、あえてそういう仕組みにしたのである。ただし、この制度は社会保険という、勤労者に重い負担を背負わせるものであるから、公平なものとはいいがたい。ただし、いまのところ、大部分の財源不足は国債で次世代に回しつつ、一部を勤労者に過大な負担を強いることで制度は回っている。

一言で言うと、必要であり必然である、しかしながら民主主義の根本を回避したクソ制度なのである。そして、クソ制度の根源は、国民が負担を拒否しつつ受益したい、というありえない状況ができるかのように言い募るうそつき政治家を選挙で勝たせ続けることによって完成した、と言える。
そして、これまで、このクソ制度はサラリーマンが制度を知らないがために持続してきた。給与明細でサラリーマンが見るのは手取りである。税や社会保険料は「高いなあ」と思いつつ、明細はよく読まなかった。

 

3.総選挙(2024)の結果は制度のほころびがもたらした面も大きいしかし、昨今あまりに負担が大きい。さすがにごまかしがきかなくなり、それが今回の2024年総選挙の結果にもつながった。

氏はそれぐらいのことは知っているのにわざと言わずに「この話はずっと厚労省の部会でやっていて、公開もされているので、これはちゃんと国民の合意形成を得た上で、勝手に進めている訳ではない(=部会でやっているからオッケー)と言い募るのだけれど誰が審議員を選ぶの?国民?という話に当然なるよね。そこを安部敏樹が突っ込めないのは行政の素人なんだから仕方がないとして、問題はなぜこんな姑息な仕組みができたかということ。

 

4.増税が怖い与党政治家、自分たちが政権を取った後のことは考えない野党政治家
それは、自民党が増税するたびに選挙で負けて地獄を見るから、増税はしたくない、というある種の負け犬根性が身についていて、じゃあ増税ではなくて、社会保険料なら制度の大枠だけ法律で決めておけば、増量は部会でいかようにでもやれまっせ、という話になっているというわけ。
玉川某も、姑息な制度は過去の投票者の「増税には落選で報いる」という投票実績が生んだものなのだ、となぜ言わない。そんなこと素人の玉川だって知っているでしょう。
社会の構造が変わり、高齢化したら財源が足りないから消費税にしましょう、という話になった時、「昔は消費税なんてかなった」とか「目先の手取りを増やす(朝三暮四ビーム)」とか言って人気取りをする政治家がいるからこんな姑息な制度がまかり通らざるを得ないのです。

 

5.ダメなのは日本だけではない
とはいえ、日本だけがダメなのではなくて、ドイツでは増税できなくて結局のところ道路などのインフラがボロボロになっている。次世代に修理代という形でツケを回している、というわけ。
民主主義とはことほど左様に不完全なものなのです。そして、特効薬はないので、多分、ドイツではインフラ老朽化で事故死する人が増えていくことでしょう。
日本人はいずれ、インフレ増税なりその他の経済混乱でつけを払うことになるでしょう。


ロシアの経済危機では多数の死者も出ているのだけれど、「わかっちゃいるけどやめられない」のが人間なのである。

中山美穂さん追悼/いくら政府が広報してもヒートショックは減らない、その理由

12月6日の中山美穂さんのご自宅での死亡事案は、同世代の私としては、大変ショッキングな出来事であった。
ましてや、風呂の中で浴槽に浸かった状態で発見されたと言うことであるから、典型的な風呂場での可能性が取りざたされている。

さらに、お酒好きだった中山さんは飲酒後に入浴していた可能性も言われている。


実は、冬の自宅での入浴中の事故は交通事故の2倍以上の死者を出している*。また、高齢者のみならず、40代50代でも死者が出ていることに注意したい。
世間的には、風呂に入る前に、浴室や更衣室も含めて温度を上げておくとか、長時間風呂に入らないとか、熱い風呂に入らないなど様々な対策が言われているが、それを継続的に続けられる人がいるだろうか。実際には、一時的に注意をするようになっても、すぐに止めてしまうというのが実態である。要するに、ハイリスクな住宅の構造自体を変えていかないことには、この種の事故を減らすことはできないのである。
要するに「気をつけろ/る」と言うことは「わかっちゃいるけど、やめられない」人間にとってはできないことであり、基本的に何も言っていないのに等しいのである。この「わかっちゃいるけど、やめられない」は植木等のセリフであるだけでなく、昨今の公衆衛生の世界の常識であり、この観点からの社会構造の変革、特に住宅性能向上の必要性は最新の学術研究**でも報告されている。
11月にこのブログで「政策で国内の住宅の断熱性能を上げよ」と言う記事を書いた。
なぜ私がこの政策に固執しているのかと言うと、実際に断熱性能を上げた住宅の快適性を身をもって知っているからである。といっても、何も家中に対策を施したと言うわけではない。たまたま、マンションの管理組合が二重サッシを導入し、その結果、断熱性能が上がり、それを踏まえて私は実感を話しているのである。
さらに、窓リノベの素晴らしさは、断熱性能だけではない。
例えば、昨今は、1日中救急車が街中を行き交っている。
背景にあるのは高齢化である。正直なところ、救急車のサイレン音はやむを得ない生活音であるが、そうはいっても、道路に近いところで暮らしていると、毎日のように救急車にたたき起こされることになる。
ところが、二重サッシにすると、この救急車の音すらほとんど遮断することができるのである。睡眠の質が上がる事は言うまでもない。
ということで、いくら政府広報で政府が注意喚起をしてもそれでヒートショックによる死者が減る傾向にはならないし、人の命を守ることにもならない。
要するに「言っているだけ」の状態なのである。
ほんとに人命を救いたいなら、現在行っている窓リノベ政策の補助率を上げ、日本の住宅の断熱性能をあげることしかないと断言することができる。

なお、ヒートショックとともに重要なのが浴槽の手すり設置である。手すりがなくて立ち上げれないことが凍死につながる事案も少なくない。手すりは要介護者がいる場合など介護保険で設置が可能な場合もあるので、その点も含めて検討されたい。


*政府広報による

**海塩 渉「高断熱で暖かい家での暮らしによる医療費の低減と健康寿命の延伸効果を定量化」(東京科学大学)

 

図は再掲(埼玉県庁ウェブサイトより)

地方の私大は機能しているか

地方の私大への、現場を知らない、ざっくりした批判が目立つ。
普通科の高校生をそのまま社会に出したら、なんの付加価値もない仕事で一生酷使される可能性が高い。それを、相応に高い自己負担もいただきながら、学問だけでなく、社会の基本的なスキルを教える場として機能しているのが地方の私大。
初年次教育で学び方から教え、ゼミではちゃんと学問的な内容もやる。講義も出て聞かないと単位は昔ほどは簡単には取れない。
そうすると特に地方はマネジメント人材が全然いないから、かなりの割合でちゃんとしたところに収まる。パソコンが使えて、ロジックのロぐらいはわかっている。
むしろこのプロセスあるからこそ、地方の役所も、地元企業も採用にためらいがない。
何より、地方では国公立を落ちた、地元進学しか選択肢のない学生が来るから、いわゆる無名大でも、昔から優秀な学生はいるし、じゃあ地元国立とか有名大に届かなかった学生が推薦組とか、総合型組より優秀かというと、必ずしもそうではない。
大切なのは指導の内容と、学生の頑張り。もちろん差はつく。ただ、多くの学生は高卒で世に出すのとは全然違った人生になるのである。
まあ、大学にもよる、というのは事実だけど。
問題は大量に外国人留学生を受け入れる大学で、外国人留学生の頭数分の補助は本来、下げるべきだろう。そして、その分は学費を上げればいいのではないか。

 

タイトルの答えは、「機能している事例が多くある」である。
 

自治体BPRの取材で東海村役場を訪問

茨城県東海村の山田修村長に、首長から見た自治体BPRの真髄をたっぷりうかがってきました(お忙しい中、ご対応いただいた山田村長、職員各位に感謝申し上げます)。

東海村はもともと事務事業評価にコツコツと取り組んできた自治体だったのが、日立システムズとの実証研究を踏まえて、同社とともに、全庁的なBPRに取り組みます。

4400もの業務フローをすべて書きだし、一つひとつ検証を行い、無駄を抽出したり、業務の進め方を検証したりするなかで、職員の意識も変わって行ったそうです。

また、詳しいところはマガジンの記事に委ねます(ぜひお読みください)が、全国の町村のモデルとなるような取り組みではないかと思います。

また、一部職場にフリーアドレス(役場としてはABWと呼んでおり、正確にはこちらが概念をとらえていまう)が導入され、書類のペーパレスも徹底されており、山田村長自ら、手元には書類を置かず、率先してペーパレスを進めているとのことでした。

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