…タイトルはイメージです。
ちなみに、
騎士と書いた後に括弧して「ナイト」と書かないといけないのがお約束らしいのだが、「獅子牙騎士団」をどう英訳したらいいか解らなかった。ミラージュ騎士団ならミラージュナイツの筈なんだけどなぁ。
与太はともかく。
このエントリは
(っつか、ブログそのものがそうなんだけど(^^;)はちらしの裏。この件については、今後、自分でエントリを上げることはまず無いだろうと思っていたけど、どうにも気になる点が出てしまったので、人目に触れるところにメモっておきたくなった。だから、解る人にだけわかるであろう訳の解らない文章なので、それでも読もうという物好きな方はそのつもりで
(ひどい前置きじゃ)。
言及リンクのお知らせにトラックバックをお送りしてしまう方々には申し訳ありません。
また、私が今回気になった点は、とある方(一応複数の筈)の提示しているらしい論点ではありますが、もし、その論点を提示した心当たりのある方がコメントにお越しになっても、多分、私はその方と意思疎通可能な言葉を使いこなせないだろうと予想します。これは私の資質や能力が足りないからに他ならないので、あらかじめお断りしておきます。
前置きでしつこく指示代名詞で示している件とは、いわゆる『左の方の水伝騒動』。
水伝騒動と呼ばれているわりに、実は、かなり初期段階から水伝、というか、「水からの伝言」の真偽なんて偽の方で決着ついているので、この名称は誤解を招き
(と言うか、実際誤解した様子のニセ科学批判の人達がいたような)、あまり適切ではないように思われるので、ここでは無駄な抵抗ではあるがHM騒動とでもしておく。
この件に関して、私が最も早くにあげたエントリは、
2008/01/14付の『
RE;謎の独り言』。
もう、ずいぶん前になってしまった様な気がする。そして、これがその後も延々くすぶり続けるとは、さすがに予想していなかった。
あのエントリでは諸般の事情を考え合わせ、最も摩擦の少ない形になることを願って、『共感』し同意する他所様のブログを紹介するという、かなりためらいがちの意思表示の形をとった。同意するブログエントリを片っ端から列挙する形をとったので薄まってしまったが、このHM騒動に関して、私が最初に、そして最も重く「それはまずい」と感じた点は、それに先立つエントリの
コメントに2008/01/09付でgegengaさん宛に書いた
科学的なあるいは論理的な「根拠」より「感じとる気持ち」を優先する…それは靖国史観への一里塚。
と、謎の独り言返し(笑)。ね、じゃばさん?
だった。つまり、「
くりずの雑感」さん述べるところの『
自分の考えに都合の良い話であれば真偽は問わない人々』への疑問だ。
この疑問は払拭されずに継続している。
感情に心地よい話であれば真偽を問わずに、というより偽りの可能性が高いことを承知
(これはかなり婉曲な表現だが)で自分の意見を補強する材料として採用する行動を、批判の目で見ないわけにはいかない。「我々日本人は優れた民族だ、だから(以下略)」と言った考えを政治指導者が広めた時代があった記憶を、私は語り継がれている。
だから、自分の意見を補強する材料として真偽を問わないエピソードを採用した人物であるV氏と、その行動を批判したT氏がいた場合、そのいずれかを正しいと判断するかと考えると、T氏が正しいと判断する。この場合、T氏の批判手法を問題とするのは枝葉末節のことだろう(ただし、私はT氏の批判手法に問題があるとは考えていない、
このkirikoさんの意見に同意)。
しかし、いまだにT氏の批判手法について議論をし続けている人達がいるらしい。私には正直、その議論が何を目的としているのかよく解らない上に、大変読みづらい文章が続くのではあるが、どうやら「あるブログ主からあるブログ主への批判に『愛』がなかった事はよくなかった」(批判に愛が必要)という発想であるらしいことは読み取れる
(kojitakenさんによる200/6/14付の記事を参考にさせていただいている)。
では、「批判に『愛』が必要」と考える人は、『愛』が感じられる批判なら受け入れるという発想であると解釈しても無理はないだろう。ならば、『愛』が感じられる批判であれば、その批判の妥当性は問わないのだろうか。
このケース(*)において出てきた「ブログからブログへの批判に『愛』が必要」という発想では、批判を受け入れるかどうかは、妥当性より『愛』であるということになってしまうのだが。
ということは、言葉の受け手として『愛』を感じとれば「愛する人を守るためにテロとの戦いに赴くように」とか「懲役刑を宣告されて、刑が終わって出所してきたら、愛する人を傷つけるかもしれない犯罪被疑者に死刑を」とか「もしかしたらあなたの愛する人を害したかもしれない被告人の弁護士はけしからんから懲戒請求を」とかの声にも、妥当性を検討せずに応じるのだろうか。
T氏の批判の手法の巧拙や、謝罪要求していると相手に感じさせたコメントを問題視する文章を見かける度に、疑問が湧く。
では、この人は、自分の意見を補強する材料として偽りの話を採用する態度を、是とするのだろうか? と。
V氏よりT氏の方が間違っていないとの立場をとっている者の中に、T氏が無謬であると考えている人物などいないだろう。神様じゃないんだもの、誤読が皆無であるとは思ってない
(私のコメントも誤読されている…笑)。書き間違いがないとも思わない。
でも、それをT氏の言葉に集中して検証する態度とはなんだろうと、1月以来のHM騒動を見て、不思議に思う。
繰り返しになるけど。
いまだに批判手法の巧拙を取りざたしている人を見かけると、つい、思ってしまう。
この人にとっては、"自分の主張を補強する為に、偽りの話を偽りでもかまわないつもりで採用し、それと指摘されて非を認めようとしなかった"行動って、優先度の低い問題なんだ、と。
附記1;
ちょっと見かけて気に入ったので引用。
タンポポ魂
踏みにじられても
食いちぎられても
死にもしない
枯れもしない
その根強さ
そしてつねに
太陽に向かって咲く
その明るさ
わたしはそれを
わたしの魂とする
坂村真民--詩集 「念ずれば花開く」 より
たんぽぽ、英名ではdandelion。これは、ギザギザした葉が
ライオンの牙を連想させることによるフランス語の「ライオンの歯」に由来する。
附記2;
私個人の見解だが、言葉に込める『愛』、ましてやネット上で不特定多数に向けたテキストの言葉に込める『愛』なんて、いくらでも偽れると考えている。
そして、有りもしない『愛』など装わない事が誠実さだろうと考える。ちなみに、私がもちあわせている、今年度分計上の「誠実さ」はそろそろ底をつきそうである。
* V氏は自身の主張を補強するために言及した「水伝」がニセ科学であることを早い段階で認めているし(
08/01/07の追記で明記)、それ以前でも
「科学的には証明はされていないということらしいですが・・私的はそれはどちらでもいいことです」との言及がある。
前置きでしつこく指示代名詞で示している件とは、いわゆる『左の方の水伝騒動』。
水伝騒動と呼ばれているわりに、実は、かなり初期段階から水伝、というか、「水からの伝言」の真偽なんて偽の方で決着ついているので、この名称は誤解を招き
(と言うか、実際誤解した様子のニセ科学批判の人達がいたような)、あまり適切ではないように思われるので、ここでは無駄な抵抗ではあるがHM騒動とでもしておく。
この件に関して、私が最も早くにあげたエントリは、
2008/01/14付の『
RE;謎の独り言』。
もう、ずいぶん前になってしまった様な気がする。そして、これがその後も延々くすぶり続けるとは、さすがに予想していなかった。
あのエントリでは諸般の事情を考え合わせ、最も摩擦の少ない形になることを願って、『共感』し同意する他所様のブログを紹介するという、かなりためらいがちの意思表示の形をとった。同意するブログエントリを片っ端から列挙する形をとったので薄まってしまったが、このHM騒動に関して、私が最初に、そして最も重く「それはまずい」と感じた点は、それに先立つエントリの
コメントに2008/01/09付でgegengaさん宛に書いた
科学的なあるいは論理的な「根拠」より「感じとる気持ち」を優先する…それは靖国史観への一里塚。
と、謎の独り言返し(笑)。ね、じゃばさん?
だった。つまり、「
くりずの雑感」さん述べるところの『
自分の考えに都合の良い話であれば真偽は問わない人々』への疑問だ。
この疑問は払拭されずに継続している。
感情に心地よい話であれば真偽を問わずに、というより偽りの可能性が高いことを承知
(これはかなり婉曲な表現だが)で自分の意見を補強する材料として採用する行動を、批判の目で見ないわけにはいかない。「我々日本人は優れた民族だ、だから(以下略)」と言った考えを政治指導者が広めた時代があった記憶を、私は語り継がれている。
だから、自分の意見を補強する材料として真偽を問わないエピソードを採用した人物であるV氏と、その行動を批判したT氏がいた場合、そのいずれかを正しいと判断するかと考えると、T氏が正しいと判断する。この場合、T氏の批判手法を問題とするのは枝葉末節のことだろう(ただし、私はT氏の批判手法に問題があるとは考えていない、
このkirikoさんの意見に同意)。
しかし、いまだにT氏の批判手法について議論をし続けている人達がいるらしい。私には正直、その議論が何を目的としているのかよく解らない上に、大変読みづらい文章が続くのではあるが、どうやら「あるブログ主からあるブログ主への批判に『愛』がなかった事はよくなかった」(批判に愛が必要)という発想であるらしいことは読み取れる
(kojitakenさんによる200/6/14付の記事を参考にさせていただいている)。
では、「批判に『愛』が必要」と考える人は、『愛』が感じられる批判なら受け入れるという発想であると解釈しても無理はないだろう。ならば、『愛』が感じられる批判であれば、その批判の妥当性は問わないのだろうか。
このケース(*)において出てきた「ブログからブログへの批判に『愛』が必要」という発想では、批判を受け入れるかどうかは、妥当性より『愛』であるということになってしまうのだが。
ということは、言葉の受け手として『愛』を感じとれば「愛する人を守るためにテロとの戦いに赴くように」とか「懲役刑を宣告されて、刑が終わって出所してきたら、愛する人を傷つけるかもしれない犯罪被疑者に死刑を」とか「もしかしたらあなたの愛する人を害したかもしれない被告人の弁護士はけしからんから懲戒請求を」とかの声にも、妥当性を検討せずに応じるのだろうか。
T氏の批判の手法の巧拙や、謝罪要求していると相手に感じさせたコメントを問題視する文章を見かける度に、疑問が湧く。
では、この人は、自分の意見を補強する材料として偽りの話を採用する態度を、是とするのだろうか? と。
V氏よりT氏の方が間違っていないとの立場をとっている者の中に、T氏が無謬であると考えている人物などいないだろう。神様じゃないんだもの、誤読が皆無であるとは思ってない
(私のコメントも誤読されている…笑)。書き間違いがないとも思わない。
でも、それをT氏の言葉に集中して検証する態度とはなんだろうと、1月以来のHM騒動を見て、不思議に思う。
繰り返しになるけど。
いまだに批判手法の巧拙を取りざたしている人を見かけると、つい、思ってしまう。
この人にとっては、"自分の主張を補強する為に、偽りの話を偽りでもかまわないつもりで採用し、それと指摘されて非を認めようとしなかった"行動って、優先度の低い問題なんだ、と。
附記1;
ちょっと見かけて気に入ったので引用。
タンポポ魂
踏みにじられても
食いちぎられても
死にもしない
枯れもしない
その根強さ
そしてつねに
太陽に向かって咲く
その明るさ
わたしはそれを
わたしの魂とする
坂村真民--詩集 「念ずれば花開く」 より
たんぽぽ、英名ではdandelion。これは、ギザギザした葉が
ライオンの牙を連想させることによるフランス語の「ライオンの歯」に由来する。
附記2;
私個人の見解だが、言葉に込める『愛』、ましてやネット上で不特定多数に向けたテキストの言葉に込める『愛』なんて、いくらでも偽れると考えている。
そして、有りもしない『愛』など装わない事が誠実さだろうと考える。ちなみに、私がもちあわせている、今年度分計上の「誠実さ」はそろそろ底をつきそうである。
* V氏は自身の主張を補強するために言及した「水伝」がニセ科学であることを早い段階で認めているし(
08/01/07の追記で明記)、それ以前でも
「科学的には証明はされていないということらしいですが・・私的はそれはどちらでもいいことです」との言及がある。
No. 4476
jabberさんに騎士団認定してもらえた。
ただし、たんぽぽさんと会話したことはない(笑)
まとめようまとめようと思っているけれど、
人様の発言の方が優れているので未だにアップできない。
そして、また、ひとつここに……
テキストに込められる「愛」はいくらでも偽れる。
いい人だって、いくらでも偽装できる。
人畜無害も、っていくとお笑いになってしまうか。
「そこに愛があるか」
その判断基準は普遍的にあるものじゃないのにどう判断すればよい?
少なくとも私にはそれを判断する自信がない。
その愛が偽りでないと判断するのは誰なのだろう?
愛の解釈なんて、そんな人類が未だにたどり着けない様な境地を持ってこられても困ります。
だから、論理という普遍的なツールによる判断をしただけです。
これなら、同じツールを使って反証できる。
愛は解釈するものではありません。感じるものです。
うう、自分で言って鳥肌が……
No. 4477
TVKで木曜夜8時から、東京MXで金曜夜11時30分から
大阪より2週遅れで放送してますよ。
(何故こちらに書くのか>自分)
>その議論が何を目的としているのかよく解らない
まったくもって同意です。
論破されても、しばらくすると再びやってくる人も複数名いて
その「打たれ強さ」に驚きます。
>そして、有りもしない『愛』など装わない事が誠実さだろうと考える。ちなみに、私がもちあわせている、今年度分計上の「誠実さ」はそろそろ底をつきそうである。
ってことは、碧猫さんはもう少しすると
「有りもしない『愛』」を装うことになるんですね。
騙されないように気をつけないと。
ところで、HMって何の頭文字ですか?
No. 4478
・・・冗談です。こうでも言ってないとやってられない感じが。
「HM」は「左の」「水伝」では?
今後言及することがあれば採用させていただこうかな。
No. 4479
>ひでさん
>たんぽぽさんと会話したことはない(笑)
<
それはいけません。一度、
肝試し…ごほごほごほ、もとい、ご挨拶しなくちゃ。
>その愛が偽りでないと判断するのは誰なのだろう?
<
判断するのではありません、感じるのです。心がそう震えるのです。
…orz
>人畜無害も、っていくと
<
ブログ開設当初から書いてまして、ブログ開設当初から私は親しいリア友若干名にここの存在を告げているんです(^^;
V氏に思い入れがあったら、この、最初からおかしかった肝心な点はスルーなんですかねぇ。
やっしゃんは大したものだったなぁ、と今にしても思います。
>さくらさん
>ナイトスクープ情報
<
あ、一時期ぜんぜん東京圏で放映してなくて投げてました。情報ありがとうございます^^
まぁ、前の局長時代に比べると面白味がちと減ってますけどね(だから探し方が甘かった…と言い訳(^^;)。
>騙されないように気をつけないと。
<
ん魔っ。なんてことを。
こんな愛に満ちあふれたブログの、書きたいことも書けないほど気の弱い、温和しい人畜無害で地味な、師兄の皆さまにいじめられっぱなしのブログ主を捕まえて。
>驚愕の「打たれ強さ」
<
また来てますね…。
>HMって何の頭文字
<
Heavenly Miracleです(嘘)。
>north-poleさん
>愛よね!愛!
<
はぁ…orz
あまり直接エントリ上げたくなかったのですが、沈黙しきれなくなるインパクトがありました(^^;
ただでさえ、あの、毒にあてられてたし。
No. 4480
>では、「批判に『愛』が必要」と考える人は、『愛』が感じられる批判なら受け入れるという発想であると解釈しても無理はないだろう。
「批判に『愛』が」必要条件である、とする立場から次の反論がなされます。
”『愛』は批判のための第一関門であり、合格したからといって無条件に受け入れるわけではない。妥当性は次のステップで検討する。”
えー、冗談はさておき。
仮にたんぽぽさんの批判の仕方を問題があるとして、では上手な批判にどんなメリットがあるのかな、と思うんです。蓋然性の高いシミュレーションを提示して「このように事態は推移し、よってこれこれのご利益があったはず」と論じている方をご存知でしたら教えてください。
私の価値判断ですと、相手の正しさを拒むために方法論に固執する(*)人々を炙り出した事が画期的な大金星となります。
(*)ご存知と思いますが、一応参考まで
http://d.hatena.ne.jp/D_Amon/20080430/p1
http://d.hatena.ne.jp/D_Amon/20080412/p1 No. 4481
>書を守るものさん
>『愛』は批判のための第一関門であり、合格したからといって無条件に受け入れるわけではない。妥当性は次のステップで検討する。
<
冗談の方に乗っておきますが(笑)、
『すでに、妥当性のない某方の主張の論評することを避けつつ、妥当性のある某方の主張における批判の手法ばかりを論評している実績がある。』
ってとこで、いかがでしょう。道徳的相殺じゃないかといぶかしくも思います。
>蓋然性の高いシミュレーションを提示して
<
寡聞にして知りません。
がち理系と呼ばれた方達がそうしようとしていたのかもしれませんが、蓋然性の検討が不十分すぎました。
>画期的な大金星
<
HM騒動は、本当に役に立ちます。。。
取り扱い要注意ですね。評価を変えざるを得なかった人が本当にたくさん出ました。
D_Amonさんのエントリでは、こちらも。
http://d.hatena.ne.jp/D_Amon/20080524/p1
あれで仕方なかったんだなぁと思っています。
それに、後知恵なら、いろいろと言えるのが世の常です(この件では、後知恵でも、はっきりこれを論評したものとして目を見張るような意見は見かけませんけど)。
No. 4482
身も蓋もなく言えば、たんぽぽさんとぶいっちゃん氏のキャラクターに対する好悪の違いだけじゃないかなあ。「時には凹んでみたりする気のいいにいちゃん」と「ガチな女性論者」のどちらに好感を持ってしまったか、と言うベタなとこじゃないかなと思ってるのです。
で「なんだかお前ムカツク!」を一生懸命言語化しようとするから意味のわからん文章が多発するんですよ。「愛がない」も「お前の言い方がムカツクんじゃ!」も同じこと言ってるだけなのに。
もっとも好悪の感情をなんとか理屈づけて正当化しようとするのはわたしもやってしまいがちですが...。
No. 4483
一週間ばかり、プログラマーにとってのアルカディアにて、修行に励んでおりましたが、やっと俗世(?)に戻ってまいりました(笑)
ところで、SIVAさんのコメントを読んで、昔書いたエントリーを思い出したりしたのでした。
こんなの
http://uchya.blog109.fc2.com/blog-entry-257.html
No. 4484
>SIVAさん
身も蓋もない意見で(^^;
特に、今現在の「愛がない」の人達は、まぁそう、、、なんですかねぇ。
でも、それに引きづられてなんでしょうけど、さらに巻き込まれる人がでるし…
人によっては、ちょっと何処まで行っちゃうの?な人まで。
「気のいいにいちゃん」を凹ます「ガチな女性論者」がむかつくんだろうが、いや、だから、嘘でもええから都合ええ事ゆっとけな態度でいいのかの疑問は残るんですけどね。。。
ずれた感想でしょうけど、振り込み詐欺がなくならないはずだなぁと思ってしまいました。
>うちゃさん
おかえりなさい。吸星大法を習得してきたんですよね?
自分の中の排除の衝動に思い至って、直視できる人もいれば、できない人もいるんでしょうね。
…手持ちのフェミ本のどれか(どれだろう?(^^;)で、読んだエピソードを思い出しました。
『娘が黒人男性を結婚相手として連れてきた、白人の年配女性がいた。
そのお母さんは、非常な嫌悪感をもってしまったが、自分の中に生じた嫌悪感に驚き、それが何に由来するのか考え、資料を読んで考察を続け、ついに歴史的背景やらを含む嫌悪感が発生するシステムに思い至って、差別の感情を克服した』と。
…誰にでもできることではないでしょうけど。
No. 4488
ご存じかもしれませんが尾辻かな子さんの母上のインタビューがすごく面白かったです。おっしゃってる白人の母親の話で思いだしました。
http://jp.youtube.com/results?search_query=%E5%B0%BE%E8%BE%BB%E5%AD%9D%E5%AD%90%E3%81%95%E3%82%93%E3%81%AB%E8%81%9E%E3%81%8F&search_type= No. 4494
>SIVAさん
ご教授ありがとうございます。
YouTubeはアクセスがちょっと大変(^^;なので、後でゆっくり拝見します。
No. 4497
碧猫さんとこの環境を配慮しない紹介をして申し訳ありませんでした。
インタビューの内容は、尾辻さんのお母さんが尾辻さんに「自分はレズビアンでありそれを社会に公表する」という決心を告げられた時、彼女は「自分の娘がそんな気持ち悪い変態だったなんて、もう表を歩けない、勤め先にも行けない。」と思い詰めたそうなんですが、それが今や性差別反対運動をやってるのが楽しくて仕方ないという心境になっている、そのプロセスを述懐されておられるものです。お話を聞いているとなんだかこちらまで元気が出てくるインタビューです。(昨年のレインボーパレードに参加されておられたお母さんと直接しゃべったことがありますがすごく楽しい方でした。)
No. 4500
>SIVAさん
どうもありがとうございます。
すみませんでした、現在いるところのネット環境が、YouTubeを初めとする動画サイトへのアクセスがブロックされておりまして(^^;
…FC2だと、コメント投稿時にパスワードを入れておいていただければ、後から[編集]をクリックして、パスワードを使ってコメントの書き直し可能ですから、必要に応じて、この機能をお使い下さいね。
No. 4504
ルビコン川をこえたよね。
今度こそ、犀は投げられたっていうやつ(大人になって1tオーバー)
これからは、セクハラ容認派と、激怒派と呼ぼうか。
No. 4505
碧猫さま
>「批判に『愛』が必要」と考える人は、『愛』が感じられる批判なら
>受け入れるという発想であると解釈しても無理はないだろう。
>ならば、『愛』が感じられる批判であれば、その批判の妥当性は問わないのだろうか。
おそらく、どんな内容であっても、自分たちが気に入らなければ、
「愛がない」となるんじゃないかな...?
(「反証不可能」というものですね。)
ひでさま、はじめまして。
「たんぽぽ」です。
>ただし、たんぽぽさんと会話したことはない(笑)
それじゃあ、いっぱいお話しようか? こわくないから。(笑)
No. 4506
書を守るものさま
>では上手な批判にどんなメリットがあるのかな、と思うんです。
>蓋然性の高いシミュレーションを提示して
>「このように事態は推移し、よってこれこれのご利益があったはず」と
>論じている方をご存知でしたら教えてください。
わたしの見たところ、「批判の仕方にモンダイがある」と言うばかりで、
うまく会話になりそうな、「対案」を示したかたは、いないですね。
前に「Light」さんというかたが、「対案を出してほしい」と、
何度か訊かれていたことがあったけれど、
結局まともな「対案」は出さなかったのでした。
http://intermezzi.blog25.fc2.com/blog-entry-13.html#comment
jabberwockさま
>(22)でルビコン川をこえたよね。
わたしが、犀を投げちゃった、というわけね。(笑)
No. 4507
重かったでしょうね。
冗談は、さておき。
>>わたしが、犀を投げちゃった、というわけね。(笑)
創意です。
No. 4512
総意
でした。
どうして、わたしは、こうなんだろう。
No. 4518
碧猫はじめまして。
獅子牙騎士団ですか、はあ・・・
話は変りますが、地下に眠るM氏には三歳の娘さんが居るのですが、今年オフ会で娘さん自身の口から『○○ちゃん(娘さんの名前)、たんぽぽ組なの』と聞いたときは一瞬のけぞりました。しばらくして、それは保育園の所属クラスのことで、決してたんぽぽの代紋バッジをつけた怖いお兄さんお姐さんの集まりではないことに気が付きましたが。
No. 4521
>jabberさん
ルビコン川を何処まで超えるのやらという心境に…(^^;
「創意」を、どういじろうか一晩考えている内に先手を打たれてしまった(悔)。
「御意」かと思ったのに、「総意」だったとは、さすが騎士団長。
>たんぽぽさん
もー、この際だから、たんぽぽさんに質問に来る人達にも
『あなたたちの質問に愛が感じられませんから、おこたえはごえんりょさせていただきます...』でいいんじゃないですかー?
…で、「自己愛」って「自己申告する愛」の略なんですよね?
>NORTON3rdさん
ようこそ、いらっしゃいませ。
なんですか、その溜息は(爆)
あんな素晴らしく面白い発言が出たのに、放置するなんてもったいないことはできません。
「たんぽぽ組」…(^^;
しばらくしないと気が付かないところが、とてもかっこよくてダンディです^^
No. 4524
>前に「Light」さんというかたが(中略)
>結局まともな「対案」は出さなかったのでした。
>
http://intermezzi.blog25.fc2.com/blog-entry-13.html#comment
あらためて怒りがフツフツと沸いてきました。
なんて偉そうなものの言い方。なんて馬鹿げた勘違い。
なんて見事な南郷さんへのスルー・・・
あらためて笑いもこみあげました。
っと冗談はさておき、ブログというツールを使って、たんぽぽさんが「こんな人(ブログ・記事)がいますよ」と第三者に向かって紹介・批評するのと、ぶいっちゃん氏が「こんな政治家(政党・政策)がいますよ」と第三者に向かって紹介・批評するのとどこが違うのだろう? という疑問を持ったのが、私のこの騒動に関心を持ったそもそものきっかけでした。
ぶいっちゃん氏はほぼ毎日、ブログで人 or 団体の悪口を書いてましたが、そのすべての対象者に「愛」を持ち、「対話」を前提としたTBを送っていたとは思えず、そのことを NewsOLさんあたりはどうして悲しまないんだろうかと今はそちらに関心があります(嘘)。
No. 4525
>たんぽぽ様
お初にご挨拶させていただきます。
と言うか、何で挨拶すらしてなかったかな、オレ。
当ブログでは人畜無害仲間として、遊んでもらっております。
そして、あちこちのブログでブログペットになっております。
役にも立ちませんが、邪魔にもならないと思いますので
なるべく、取り扱いはやさしくお願いします。
ちなみに、褒めたら伸びる子なので「よくがんばったね~」が合い言葉です。
(ふぅ、こわくない、こわくない)
No. 4527
>柿の木さん
>件のエントリーを読み返
<
…そうとして、挫折しました。ノイズが強力すぎ、電波酔いしそう(^^;
>どうして悲しまないんだろうかと今はそちらに関心があります(嘘)。
是非とも訊いてみてくださいませ。私は逃げ腰。。。
ついうっかり、最近のぽこぽんにーさんの文章が少し解読可能と書いたばっかりに、強烈な謎かけみたいなTBが飛んでくるから、こっちを考えるのに忙しい(^^;;;;
>ひでさん
横レスですが。
>あちこちのブログで
ブログペットになっております。
<
何もそこまで、底なしに謙遜しなくても。。。
http://blog.livedoor.jp/gegenga/archives/51214809.html#comments
の「21. 2007年12月08日 08:44」とか、
http://blog.livedoor.jp/gegenga/archives/50795910.html#comments
の「4. 2007年05月29日 01:35」とか。
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