30日付エントリ;『 ガザ空爆の報道メモと現地レポート転載 』の補遺として。 30日付エントリが元もと長いので、それ以上は長くせずに、独立したエントリにしました。 ・「 みんななかよく」さんが『 ガザ停戦を求める署名フォーム』のトラックバックでお知らせ下さっているのが以下の署名フォーム。 『 GAZA: STOP THE BLOODSHED』(avaaz.orgによる、ガザ虐殺停止を求めるネット署名を送れるページ)。 以前、avaaz.orgの署名をしたヒトならEメールアドレスのみ記入して「SEND」ボタン、初めて署名する人はその下も埋めろって事だと思います。 ・「 シートン俗物記」さんの2008-12-30付エントリ『 非対称の中東』、ガザ事情にかんする詳細なエントリ。ごくごくごく一部引用すると、
イスラエル軍はガザ地区にしばしば侵攻しては、家屋もオリーブの木も何も平気で破壊する。(パレスチナ+ブルドーザーで検索してみるといい)。その破壊に抗議したアメリカ人女性さえひき殺した*1。
また、ガザの町中でミサイルを利用したハマス幹部の暗殺さえ行う。当然、巻き添えを喰らう住民も出るがイスラエル軍は活動を正当化する。
イスラエルのこうした行動は当然パレスチナ人の強い反発を呼び込むが、それを指して日本の主要メディアでは「衝突」「暴力の応酬」と呼ぶのだ。こうしたイスラエルに対する特別扱いはこれだけではない。 ・「 Like a rolling bean (new) 出来事録」さんの27日付エントリ『 ガザの惨事=戦争を報道しない「財界主義国家」のNHKニュース』、ごくごくごく一部引用すると、
いっぽうでこちら日本ですが、昼前後のBSのニュースでは、新幹線のシステム障害でどれほど帰省ラッシュに由々しき影響が出ているかということを熱心に伝えて、この事件の片鱗にすら触れていませんでした。 ・「 vanacoralの日記」さんの2008-12-30付エントリ『 パレスチナ人虐殺を正当化する「フリーチベット」の人』のコメント欄経由、「 !うにまろ!日記」さんの27日付エントリへの「 「ysbee」氏のコメント: ところで、以前コメントで イスラエルがガザを追い込んでいるって書きましたでしょ。 ガザ封鎖 って書いたと思うんですが、あれはやはりガザからの反撃を誘い出す手だったんですね。
国境封鎖でにっちさっちも行かなくなったガザが(というよりもハマスが)業をにやしてロケット砲撃に出た訳ですよ。 そこで、イスラエルは「待ってました!ガザが休戦協定を破ったよ」という言い訳が作れたので、そのまた反撃として堂々とガザ空爆に踏み切った訳ですよ。
・時事ドットコム2008/12/30-15:22付『 「ガザ空爆は大虐殺」=救援物資を発送-イラン駐日大使』より、イランのアラグチ駐日大使がこの日、時事通信と単独インタビューに応じて語ったところによると (強調は引用者による); (略)「戦闘機で空爆を加えるなど過剰な武力行使で多数の民間人が犠牲になっており、大虐殺だ」と強く非難、国際社会が介入して軍事行動を止める必要があると訴えた。 同大使はイスラム原理主義組織ハマスがロケット弾を発射している点に関しては、「ハマスは選挙(2006年1月の評議会選)で勝利したにもかかわらず、国際社会から制裁を科されて追い詰められた。ロケット弾は彼らが唯一手にする抵抗手段だ」と擁護。「ロケット弾に対して100トンと伝えられる爆弾投下は到底容認できない」と強調した。 また、イスラエル指導部は来年2月の総選挙を前に国内的に強硬姿勢を示す必要があったほか、米政権移行期という政治空白を利用したと分析した。(後略)
・朝日 2008年12月30日21時15分付『 イスラエル軍、空爆続行 4歳と11歳の姉妹も犠牲に』より、 (強調は引用者による)イスラエル軍は30日、パレスチナ自治区ガザでイスラム過激派ハマスの政府庁舎や幹部宅などを空爆し、現地からの報道によると4歳と11歳の姉妹を含む12人が死亡した。空爆は4日連続で、ロイター通信によると死者は計380人を超えた。ハマスもロケット弾や迫撃砲弾による報復攻撃を強めており、イスラエル側の死者は4日間で計4人となった。 (中略) ロイター通信によると、ガザ北部では自宅の外にいた2人の姉妹が空爆に巻き込まれて死亡。国連によると、死者は女性と子供だけで少なくとも62人に上る。イスラエル側では29日夜、ガザから約30キロ離れたアシュドッドにロケット弾が着弾、警報を聞いて近くのバス停に避難した女性が破片の直撃で死亡した。 (中略) イスラエルの世論調査では、29日までの空爆を「成功」と評価する声が8割を超え、現政権与党の支持率が上昇した。(後略)
クラスター爆弾を正当化する軍事思想がある。(中略)市民をも標的とする無差別攻撃が戦勝に役立つという戦略だ。市民に恐怖感を広げ、戦意を失わせるテロリズムである。敵国を「文明化されていない劣った人々」と蔑視(べっし)する差別意識が背景にある。 (中略) 爆撃を命じる将軍や政治家は、子供の苦痛は想像しない。それを考えていては戦争に勝てない、と発想する。(中略)高空から見えない地上の人々を破壊する将軍の視点を否定し、名もなき死者が最後に見た家族やふるさとの緑、空の青さを想像する。それが、爆弾を禁止する市民の視点だ。
これは、毎日新聞 2008年12月4日 東京朝刊の論説『 クラスター爆弾:禁止条約 市民の視点が新しい地平開いた』の一節。 ガザが大変なことになっていると報道されている。 イスラエル軍は29日、パレスチナ自治区ガザに対する3日連続の空爆を行い、AFP通信は現地医療関係者の話として、これまでに少なくとも345人が死亡、1550人が負傷したと伝えた。(中略)国連パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)はこれまでに、少なくとも57人の民間人が死亡したとしている。ハマス側は300人以上の死者のうち180人がハマスのメンバー、残る死者の多くが民間人だと主張している。子どもも犠牲になっている。
イスラエル軍はまずハマスの治安拠点を集中的に空爆したが、その後、標的をモスクや大学、行政庁舎に拡大しており、市民の犠牲が増えている模様だ。
そのガザに在って、5年前からNGOとして援助活動で、今年2月から国連パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)の職員として難民救援に取り組まれている日本人国連職員の寺畑さんが、29日に朝日新聞の電話取材に応じたという報道がでていた。 (略)今は国連施設に避難しているが、周辺で爆音が響き、隣の学校や道路への空爆で生徒らが死亡したという。 (中略) 空爆の始まった27日は休日で自宅アパートにいた。午前11時半ごろ、ドーンという爆音が続いて建物が激しく揺れ、窓をのぞくと警察署から黒煙が上がっていた。国連の無線で避難命令が出され、防弾車でガザ本部へ。
途中の道路では多くの男性が右往左往していた。小中学校の期末試験が行われていたため、父親たちが子供たちを捜し回っていたようだ。
国連施設では、事務所の床で雑魚寝している。27日には隣の職業訓練学校の生徒6人が、学校のすぐ外で空爆にともなう金属片などを受けて死亡。うち2人は女性だった。死亡した国連職員や家族を失った職員もいる。
国連は外国人職員のガザ脱出を試みているが、イスラエル軍が境界を閉鎖していて出られない。29日もイスラエル軍の境界検問所へ向かったが、ガザの武装勢力がイスラエルへ撃ち込もうとした迫撃砲弾が100メートル先で爆発し、断念して引き返した。(後略)
これは、軍事目標に絞った精密爆撃なんかじゃなく、市民も標的にした無差別爆撃だろう。 直接の被害者だけではなく、封鎖されているために食糧も大幅に不足し、停電は続いて市民が凍えて、もちろん病院も機能麻痺で、遺体安置所も足りないという。 30日の13時に配信されていた報道では、4日連続の空爆が実施され、AP通信による空爆開始以来のパレスチナ人死者数は29日夜までに364人、イスラエル人の死者はイスラエル軍が27日に大規模空爆を始めてからは計4人という (共同通信30日付『4日連続の空爆、10人死亡 ガザの死者360人超に』より)。 国連安保理が28日未明に暴力停止を求める声明を発表し、国連の潘基文事務総長も同じ日に暴力の即時完全停止を求める声明を発表したというが、イスラエルは素無視のようだ。 アッバス自治政府議長が28日に「虐殺は回避できた」として、空爆を誘発した責任はイスラエルとの停戦延長を拒んだハマスにあると非難したとも報道されているが、加害に口をつぐんで「 誘発した責任」って、なんだこの既視感漂う論法は。 以下、転載歓迎とあったレイバーネットの記事。 改行は適宜変更し、一部に付いていた原文は略させてもらってます。送信日時の日本語分は転送者が受けたメールの送信時、英語分はアブデルワーヘド教授の送信時となります。 「 空爆下ガザ、アブデルワーヘド教授からのメール」
みなさま、
空爆下のガザのアブデルワーヘド教授のメールを転送します。 同教授はガザ・アル=アズハル大学の英文学科の教授です。 電気が切れたガザで、発電機でかろうじて電力を維持しながら、世界に向けて発信しています。
イスラエルがハマースの攻撃に対する報復としてハマースの拠点を攻撃しているという日本の報道は偽りです。 これは、非戦闘員、民間人に対する大量虐殺です。
重慶・ゲルニカ・ドレスデン・東京大空襲、そして、ヒロシマ・ナガサキ、同じことが2008年12月の今、起きています。(京都・O)
****** 転送歓迎 **************** Sent: Saturday, December 27, 2008 8:03 PM Subject: FW: Christmas News
25の建物がイスラエルに空から攻撃された。建物はすべて地上レベルに崩れ去った。死者はすでに250名に達する。負傷者は何百人にものぼるが貧弱な設備しかないガザの病院では、彼らは行き場もない。電気も来ないが、ディーゼル発電機でなんとかこれを書いている。世界にメッセージを送るために。携帯電話もすべて使用できない!
==2==件名:ガザより(2) 27日午後6時 Sent: Sunday, December 28, 2008 1:03 AM Subject: Gaza at 6:00 p.m.
なんという光景だ。数分前、パレスチナ側のカッサーム・ロケットが飛んでいく音が聞こえた。続いて、もう一つ、そして爆発音。2発目は、パレスチナ人を標的にしていたイスラエルの機体から爆撃されたものと思われる。今、聴いたニュースによれば、イスラエルのアパッチ・ヘリが攻撃したのは、釣堀用の池のあるリクリエーション・グラウンドだという。シファー病院は、195人の遺体、570人の負傷者が同病院に運ばれていると声明を発表している。刻一刻と死傷者の数は増え続けている。これはガザ市だけの数字だ。 ほかの町や村、難民キャンプからの公式の発表はない。自宅アパートの近くで末息子がスクール・バスを待っていたところ、以前、国境警備局があったところが攻撃された。息子が立っていたところから50メートルしか離れていないところで、男性二人と少女二人が即死した! 真っ暗な夜だ。小さな発電機を動かして、ネットを通じて世界と交信している。
==3==件名:ガザよりガザより(3) 27日午後8時 Sent: Sunday, December 28, 2008 3:03 AM Subject: Gaza at 8:00 p.m.
今宵、ガザの誰もが恐怖におびえている。完全な暗闇。子どもたちは恐怖から泣いている。死者は206人。遺体はシファー病院の床の上に横たえられている。負傷者は575名をうわまわるが、同病院の設備は貧弱だ。病院事務局は市民に輸血を要請している。教員組合は虐殺に抗議し3日間のストライキを決定。イスラエルの機体がガザ市東部を爆撃、大勢の人々が死傷した。犠牲者の数は増え続けている。瓦礫の下敷きになっている人々もいる。一人の女性は二人の幼い娘と一人の息子を亡くした。彼らは通学途中だった!
==4==件名:ガザより(3) 27日午後11時 Sent: Sunday, December 28, 2008 6:09 AM Subject: RE: Gaza Crisis
11:00pm。イスラエルのF16型戦闘機による、複数回にわたる新たな爆撃。ガザでは3つのテレビ局を視聴できるが、これは電力をなんとか確保できた場合の話だ。空爆はガザ市東部に集中。
ある女性は10人の家族を失った。生き残ったのは彼女と娘一人だけだ。娘はメディアに向かって、何も語ることができなかった。何が起こったのか見当がつかない、と彼女は言う。町のいたるところでパニックが起きている。最悪の事態が起こるのではないかとみな、恐れている。エジプト、ヨルダン、レバノンで、この残虐な空爆に対するデモが行われた。死者数は、219以上にのぼる。 225という説もある。(アブデルワーヘド、ガザ)
==5==件名:ガザより(4) 空爆下、冷たく暗闇のなかで 送信日時:2008/12/28 11:51
今晩、爆破のせいで窓ガラスが砕け散った家庭にとっては冷たい夜だ。ガザの封鎖のため、窓ガラスが割れても、新たなガラスは手に入らない。私が居住するビルでは、7つのアパートが、凍てつく夜をいく晩もそうした状態で過ごしている。彼らは割れた窓をなんとか毛布で覆っている。何百軒もの家々が同じ境遇に置かれているのだ!私に言えることはそれくらいだ。他方、ハニーエ氏は地元テレビでハマースについて話をした。彼の話は、士気を高め、ハマースは屈服しないということを再確認するものだった。死者の数は210に、重傷を負った者もも200人に達した。今また、ガザの北部で新たな爆撃が!(アブデルワーヘド、ガザ)
==6==件名:ガザより(5) ガザに対するイスラエルの攻撃を中止させる行動を! Sent: Sunday, December 28, 2008 6:40 AM Subject: FW: Emergency Alert: Take Action to End Israeli Attacks on Gaza
今、10分のあいだに5回の空爆。標的は人口密集地域の協会や社会活動グループ。モスクもひとつやられた。もう30時間、電気が来ない。なんとか小さな発電機でこらえている。 インターネットで世界に発信するためだ。
==7==件名:ガザより6) イスラエルから脅迫電話が!! 送信日時:2008/12/28 11:55
今しがた、イスラエルから何者かが電話してきた。末息子が応答したが、電話の主は、私が武器を所有しているなら、住まいを攻撃すると脅しをかけてきた。 ガザからのメール(その2)==8==送信日時:2008/12/29 13:25
今のところ無事だが・・
私も家族も無事だが、緊張が続き疲労している。自家用発電機のトラブルのせいで、依然、電気なしの状態。2時間前、隣接するビルがヘリから小規模なロケット砲で攻撃された。標的は7階のアパート。私のアパートは4階だ。それから、通りの向かいにあるビルの5階のアパートも攻撃された。耐え難い状況だ。住民は正真正銘のパニックに襲われている!昨晩、F16型戦闘機がアル=アクサー衛星放送局を攻撃した。同局は粉々になり、周囲のビルも多くが居住不可能になってしまった!ビルの持ち主も住人たちもよそへ移らなければならない!シファー病院の向かいにある小さなモスクも粉々になり、その攻撃のせいで周りの住宅も深刻な被害を受けた。私の友人の家もその一つだ。何が起きたのか、言葉では言い表せないと?! ?[この文字化けは「彼」と思われる(寺尾記)]は言う。彼の家は重篤な被害に見舞われた。56歳になる姉は重傷を負った!さらに英国の委任統治時代に英軍が建設した庁舎(アル=サライヤ)もやられた。標的になったのは刑務所だった。収容されているのは政治犯や一般の囚人だというのに! メディアは死者280名と報道しているが、シファー病院で医師をしている友人の一人は、死者は約500名に達し、負傷者も1000人以上にのぼるという!ラファの国境地帯でも攻撃はエスカレートしている。トンネルを破壊するための作戦が展開されているのだ。何百人ものパレスチナ人が怒涛のようにエジプト国境に徒歩で押しよせているが、エジプト人官憲の発砲に遭って、誰もエジプト側に入れないでいる。
==9==件名:ガザより(8) 送信日時:2008/12/29 13:26
数分前、複数の地点を狙ってまた空襲があった。死傷者多数。 うちの窓ガラスも砕け散った。税関事務所と入国管理事務所も先刻、破壊された。飛行機やヘリがまだ上空で作戦を継続中。
==10==件名:ガザより(9) 破壊 送信日時:2008/12/28 11:48
F16型戦闘機がガザ最大の、公安関係のビルを破壊した。アラファトの身辺警護のためにEUが建設した一群のビルだ。4発のミサイルを受けてビルは粉々になった。各地の警察署も攻撃され、今日、すべて破壊された。230もの地点がイスラエル軍用機の標的になっているという話だ。今日の攻撃で、子どもを含む大勢の民間人が死傷した。ラファの国境地帯ではパレスチナ人が一人射殺された。さらに発砲があり、エジプト人官憲が一人撃ち殺された。国境の状況も悲惨だ。イスラエルによる地上攻撃もありうる! ガザからのメール(3)Subject:[AML 22906] ガザより(10) 攻撃さらに Date:Mon, 29 Dec 2008 21:40:22 +0900
京都の岡です。 ガザのアブデルワーヘド教授からのメールを転送します。 昨晩から今日にかけて攻撃を受けた地点のレポートです。
イスラエルの攻撃目標がこうして列挙されると、社会が社会として成り立つためのソフトウェアの部分を狙い撃ちしていることが 分かります。イスラエルの総選挙をにらんでの、内政の延長線上にある戦争、という専門家の指摘はそのとおりなのかもしれませんが、その戦争にかこつけて、イスラエルが何をなぜ破壊しようとしているのか、まで深く考えるべきだと思います。
以下のレポートはその示唆を与えてくれるように思います。
同教授宅にイスラエルから脅迫電話がかかった旨、すでにお伝えしましたが、事実を外の世界に報道しようとするジャーナリストや 記者たちも攻撃の標的になっています。
******転載・転送歓迎******
昨晩、ガザ市内だけで20ヶ所が空襲された。爆撃について私が知るかぎりのことをお伝えする。
1.自宅近所に3回目の攻撃。元公安局。うちミサイル1基が不発のまま、自宅アパートのあるビルの正面、救急ステーション から数メートルのところ、に落ちる。 2.ガザのイスラーム大学の主要校舎二つが粉々に。建物の一つは実験室棟、もう一つは講義棟。いずれも地上4階、地下1階建て。 3.ビーチ難民キャンプ、イスマーイール・ハニーエ氏の住まいの隣家が空と海から同時攻撃され崩壊。 4.モスク2つが空襲され粉々に。中にいた10人が死亡、うち5人はアンワル・バルーシャ氏の娘たち。自宅が危険なのでモスクに避難していたのだろう。これで、破壊されたモスクは計6つに。 5.内務省のパスポート局の建物も今朝、破壊された。 6.文化省のビルも今朝、こなごなに。 7.首相執務室のビルも空襲され完全に破壊。 8.民事行政の主要ビルも完全破壊。 9.地元メディアが報道していないため私が把握できていない複数ヶ所に何度かの攻撃が実行されている。夜間、 ヘリコプターが複数回にわたり攻撃するのを目撃。 10.ジャバリーヤ青年スポーツセンター(UNRWAの施設)が、空から直撃された。 11.サライヤ政府センター近くの空き家が空襲され破壊。 12.ゼイトゥーン地区で移動中の車体が攻撃され破壊、男性2人、子ども1人が死亡。 13.下校途中の高校生の姉妹2人が、空爆を受け死亡。 14.いつかの警察署が再度、攻撃される。 15.イスラエルはジャーナリストおよび記者に対し自宅もしくはオフィスにとどまること、従わない場合は攻撃目標にすると公式に伝達。ガザで起きていることをメディアに報道させないためだ。 16.病院二つが標的に。ファタ病院はまだできたばかりで操業していなかったが、空から攻撃された。もう一つのほうは小さな個人経営の病院。テル・エル=ハワーのアル=ウィアム病院も標的にされた。 17.ベイト・ハヌーンの庁舎も昨晩、破壊された。 18.ラファの自治体のビルも昨晩、破壊された。 19.ラファの庁舎も昨晩、標的にされた。 20.ラファのハシャシュ地区が昨晩、二度にわたり攻撃された。いずれもミサイル2基によるもの。2回目の着弾で周囲15軒の家々が破壊される。 21.ゼイトゥーン地区のグランドにミサイル一基、着弾。 22.ラファ国境地帯にある40個のトンネルに対し空から攻撃、トンネルすべてを破壊。 23.ビーチ難民キャンプの警察署、完全に破壊。 24.旧エジプト・ガザ総督の邸宅も空と海からミサイル攻撃を受け完全に破壊。
続報 ガザの負傷者のための民間協会が破壊された。ガザとハーン・ユーヌスにあるアル=ファラフ慈善協会の二つの建物も破壊された。
続報2 数分前、ウンマ大学の新しい小さな校舎が1棟、攻撃を受け、破壊された。
追記; このエントリの補遺として、『 ガザ空爆の報道やブログ記事等メモ、31日分追記』
記事を読んでいて目が泳ぎ、はてぶしたもののの、 コメントを一言で済ませてしまった、とある報道。 時系列を遡って報道を読んでみると、さらになんだかなーと思ったのでエントリにしてみることに。 2008/12/26 11:49の報道。 大阪府の橋下徹知事がこの日の報道陣の取材に応じて、「府幹部への指示や連絡に使っている電子メールが情報公開請求を受けている」事について幾ばくかの見解を述べたとのこと。 (略) 橋下知事は、請求に対応するには、「印刷や確認のため、職員を100人は雇わないといけない」との考えを示した。さらに「電子メールが公開対象となるのであれば、使わないようにしないと。そうなると今のスピード感持って仕事はできない。メールはメモ書きと同様のものと思う」と述べ、メールの使い方について検討するとした。
2008/12/26 16:53の報道; 大阪府の橋下徹知事が、業務の指示や連絡のため幹部職員らに送った電子メールが情報公開請求の公開対象となる公文書とみなされると、府情報公開室が判断したことが26日、分かった。 (中略) 府情報公開室は19日、庁内会議で「知事のメールは多数の職員が共有する行政文書にあたり、公開の対象となる」と伝えた。 同室によると、橋下知事が送信したメールを対象とした情報公開請求は、26日までに10件が出されている。ただ、府の文書管理規則では、メールは保存対象となっておらず、請求時点で削除されたメールは「不存在」として公開の対象外となる。 (中略) 橋下知事は26日、記者団に「メールの段階から全部公開しなければいけないのか、メールを元にして出来上がった資料の公開でいいのか、議論させてもらいたい」と語った。
…この時点の報道では、既に削除しちゃったメールもあるけどどうしようと発言している、 府の幹部がいるという話だった。 26日の夜、22時14分になってから出た報道。 大阪府の橋下徹知事は26日、府幹部と送受信したメールの一部について、情報公開請求を受けた後に削除したことを明らかにした。これらは「不存在」として開示されない見込み。(中略) 橋下知事の説明によると、削除したのは(1)9月以前のすべてのメール(2)10~11月のメールのうち、幹部と一対一でやりとりしたもの。
削除した時期は明確にしなかったが、10~11月分のメールについては、今月に入って就任後のすべてのメールの公開請求が相次いだため、府の行政文書管理規則で保存義務がないことを確認したうえで削除したという。
橋下知事は「個人対個人のメールは組織共用文書(行政文書)ではない。組織共用のメールは残している」と説明。削除理由については「面倒くさいから消しちゃおうという軽い判断。残せという話になれば、ごめんなさいするしかない」と述べた。(後略)
27日に出た報道。 (略) 大阪府の橋下徹知事は26日、情報公開の対象となっている「知事メール」について、府民から情報公開請求を受けた後に、パソコンから今年9月以前分をすべて削除したことを明らかにした。橋下知事は府庁で報道陣に「めんどくさいから、メールを消しちゃいました。残せということになったら、『ごめんなさい』するしかない」と釈明した。 (中略)情報公開の対象となっているのは、橋下知事が就任した2月6日以降、知事のパソコンに残っている幹部への指示メールなど。
橋下知事は「保存義務がないことを確認してから、メールを消してしまった」と述べた。削除した理由について「(請求を受けて)メールチェックさせられ、頭に来ていた。何時間もかかってしまうんで、『めんどくせえや』って消しちゃった。たぶん、いろいろ批判があるかと思う」と話した。(後略)
全国市民オンブズマン連絡会議幹事の井上善雄弁護士の見解より抜粋(読売報道より)「 情報公開請求に対応するのが面倒というのは知事の行政姿勢そのもので、荒っぽすぎる。削除は情報公開に反し、公にできないメールを消しているのでは、と疑われる。」 全国市民オンブズマン連絡会議事務局長の新海聡弁護士の見解より「重要なのは、あて先が不特定多数か否かではなく、目的だ」「幹部1人に指示したメールでも組織として用いたら公開対象になる。廃棄は究極の情報隠しだ」 共同配信の記事では『府の文書管理規則では、メールは保存対象となっておらず、 請求時点で削除されたメールは「不存在」として公開の対象外』とある。そして、『橋下知事が送信したメールを対象とした情報公開請求は、26日までに10件が出されている』とも。 26日夜の報道では『今月に入って就任後のすべてのメールの公開請求が相次いだため、府の行政文書管理規則で保存義務がないことを確認したうえで削除』。また、削除を報じる記事はどちらも、請求後にメール削除との記述がある。 保存義務がないから、請求されたのに削除してしまったという話の方だが、しかし『請求時点で削除されたメールは「不存在」として公開の対象外』とある。請求時点で存在していたメールの削除はあかんのじゃないのか? すくなくとも、この件において、この人物が、他者の模範となる行動をとっていると考える人はいまい。
当ブログの 12月17日付エントリで、その前日 2008年12月16日の、第170回国会 外交防衛委員会の質疑で、共産党の井上哲士議員が田母神氏の「論文」から始まった問題の追及をしたことを紹介した。 その時の答弁で、浜田靖一防衛相はこんな見解を述べていたものだ。 そもそも、その前に、田母神さんの件に関して大変、逆に言うと、井上先生のお話を聞いているといかにも影響力があってすごいなというようなあれがあるわけですが、私はそうは思っていませんで、そもそも、だからこそ私は責任取って辞めていただいたというのもあるわけで、私はそんなに影響力のある人間だとは思っておりませんし、(後略) (強調は引用者) 一方、当の田母神氏、講演で忙しそうである。 講演に先立ち記者会見した田母神氏は「(講演では)一民間人の立場で話すが、前空幕長として見られるだろう」と発言。「日本は自衛官に発言させまいとする力が常に働いているが、自衛官はもっと自分の思ったことを言っていい」とぶちまけた。
講演では「専守防衛は抑止力にならない。自分の国がより強い方がより安全だ」「核ミサイルの発射権を日本に与えてくれという(米軍との)交渉は、私はできると思う」などと、核武装を容認する考えを並べ立てた。
「ぶちまけた」「並べ立てた」の表現に、絶句してしまったのは私だけだろうか。そこまでの表現を使う、この記事を書いた人の心情が興味深い。 そして、同じ記事の別の箇所; 「制服自衛官の99%が私を支持していると思う」と自身の影響力を強調した。
…浜田防衛相とは、かなり見解が違うようである。今後も、共産党の井上議員はじめ、議員の皆様の追求に期待したいと思うのであった。 ちなみにこの講演は、 『日本会議熊本が主催した「村山談話の撤回を求める熊本県民集会」』で行われたものだそうな。 さて、 公表と報道としては19日付で、 歴史教育者協議会のホームページに公開されたのは24日のようだが、143名の連名による『 田母神・前航空幕僚長問題についての歴史家有志の見解』が公表されている。
かなり長い文章だけど、読んでおく価値があると思うので、是非。 『 田母神・前航空幕僚長問題についての歴史家有志の見解』 一部引用すると、 (強調は引用者による)この「論文」の結論は、日本は侵略国家ではなかったという点にあるのだが、その論拠はきわめて杜撰で批判にも値しないものである。このような「論文」が最優秀賞に選ばれたことは、政治的な作為によるものと感じないわけにはいかない。さらに、このような「論文」の著者が航空幕僚長という地位にあり、その下で自衛隊の幹部教育が行われ、それに桜井よし子氏や「新しい歴史教科書をつくる会」のメンバーが講師を務めていたことも明かになっており、その影響力は無視できないものがある。この懸賞論文に多数の自衛隊員を応募させたことも、このような教育の一環と見てよい。
この問題が大きく報道されると、田母神説を支持する意見が自衛隊以外にも意外に多くみられ、ヤフーのネット調査では58%の支持があったと本人が誇っている。だとすれば、この問題の背景にはかなり深刻な事態が潜んでいると考えざるを得ない。政府や自民党内にも田母神説に半ば共感する空気があるといわれ、政府は過去の戦争についての歴史認識を明確にすることなく、田母神氏を懲戒免職ではなく定年退職とすることで幕引きをはかったのである。その意味で、戦後の歴代政権が過去の戦争責任をあいまいにしてきたことが、この問題の根底にあるといえよう。こういう状況を見ると、論文の名に値しない感想文ともいうべきものに過ぎないとはいえ、安易にこれを支持する風潮もみられるので、基本的な論点について批判を加えておくことが歴史研究者・教育者の責任であると考え、ここに私たちの見解を公表することとした。
…論文がカギ括弧に入っている辺りに、にやりとしてしまった(^^; なお、18日の日刊スポーツの報道によると、浜田防衛相は18日の参院外交防衛委員会で、『田母神俊雄前航空幕僚長を定年退職させたことについて 「過去の処分例からすると、免職までにはとても至らない」と述べ、懲戒手続きを取っても免職は不可能だったとの認識を示した』とのこと。 以下で、5つの論点に整理して、逐次、田母神「論文」を論破しているが、その一部は、 田母神氏は、相手国の了承を得ないで一方的に軍を進めたことはないというが、1931年の「満州事変」における「満州」全土への進撃、盧溝橋事件以後の中国全土への攻撃、1940年のフランス領インドシナへの進出、1941年以後の太平洋地域への進撃など、いずれも相手国の了承を得ていないからこそ戦争になったのである。これらはとうてい条約に基づく「駐留」などと言えるものではない。
コミンテルン陰謀説は冷戦時代のアメリカでつくられたものだが、何の根拠もない
そして、まとめとして、 田母神氏は「我が国の歴史について誇りを持たなければならない」と言う。しかし、日本はあの戦争に敗北し、「再び戦争の惨禍が起こることのないようにすることを決意し」(日本国憲法前文) 新しい平和国家としての道を歩みはじめたのである。このことにこそ我々は誇りを持たなければならないのであって、戦前の歴史に誇りを持つことは「再び戦争の惨禍が起こること」に通ずる危険がある。そればかりでなく、このような見解を持つ人物が自衛隊のトップにいたことが世界に知られるならば、日本の国際的信用を失墜させ、日本への警戒心を高めるだけであって、日本にとって何のプラスをももたらさないであろう。 …既に、「このような見解を持つ人物が自衛隊のトップにいたこと」は国際的に知れ渡っています。 参考;当ブログ12月2日付『田母神氏@外国特派員協会、その後(追記有) 』 11月13日付『朝日新聞』の「私の視点」欄で、志方俊之帝京大学教授(元陸将)は、この「論文」が自衛隊内の「長年の鬱屈」を示したと言い、これを解決するためには憲法を改正して自衛隊の存在を明記する以外にないと主張している。これは田母神「論文」の狙いが改憲キャンペーンの一環であることをあらわしているといってよい。 (中略) このような時期に過去の侵略を美化する言説が、こともあろうに自衛隊の最高幹部によって主張されたことには、日本の将来を誤らせるものとの強い危惧の念を抱かざるを得ない。私たちは、すべての国民の皆さんに対し、歴史の事実を学ぶことを通して、このような動きに対する厳しい監視の目を注がれるよう訴える。
と、訴えで「見解」が閉められていたので、それに応えてエントリにてご紹介してみたのでした。
人に飼われる生き物の内で歴史の古いもの、犬や猫、馬、牛、豚などと身近につきあってみる機会はそこそこある方なのだが、野生動物を一時飼育(保護とか)する機会が何度かあった時、昔から人に飼われている動物たちがいかに人と馴染んでいるのかを実感して驚いたことがある。野生動物でも、賢い生き物(と一般に呼ばれる種)であれば、自分の面倒を見ようとする生き物に害意はない状況を認識し、それなりに気を許してくれたりもするが、犬猫たちの比ではないようだ。 何しろ彼ら、犬猫馬牛豚が、、、一応、鶏も (何故か一応が付く(^^;)、人と共に暮らしている時間は一世代や二世代や数世代といった短いものではない。そして、その重ねた世代の間、人と馴染めない個体は人の元から去ることもあったろうし、人と親しむ個体の方が美味しいモノがもらえたり優遇され、後代を残す機会により多く恵まれていたりもしただろう。もちろん、人が積極的に、人の要望を汲む個体により多く繁殖の機会を与える側面もある。 そうして今、相変わらず人に飼われて生活している歴史の古い動物は、人と仲良くする、ことが初期設定のようにすら見える。表現を変えると、同居している人が喜ぶことをしようという意思を、彼らはもれなく持っているのでは無かろうかと思ったり。これが逆に、人が嫌がることを積極的にした場合には、個体の安全保障上の問題があるといえるので、人と仲良くしようとするのは合理的だとも考えられる。そして、同居している彼らがやらかしたことに対し、それを私は不快だと思うという意思をはっきり伝えた場合、それをやらないように努力はしてくれているようでもある (どうしてもやっちゃう場合も、隠れてやろうとする場合もあるが(^^;)
そんな歴史を背負った (大げさ)うちの猫様、二匹。 お嬢様は、家族になる前に怖い目にあった小心者なので、相変わらずの怖がりさんではあるが、怖くなければ少々痛くても平気な顔をしていたので、驚いたことがある。 …深爪で悲鳴を上げさせてしまったのだ(^^; 痛かったはずなのに(^^; ごめん(^^;;; でも、悲鳴を上げただけだった(^^;;;;;; こんな、どこの野生猫?みたいな容姿をもっているのだけど。 呼ばれたのでカメラ目線 そして、猫の自覚にも欠ける坊っちゃんの方になると、さらに一生懸命、人の要望に応じてくれる。 ある時、某所で盛り上がった、とある祭りの期間。それは、参加者が一斉に同じ箱に猫を入れて、画像を撮るという祭だった。それに参加したくて画像を撮ろうとした。この場合の正しい撮影ポーズは、箱中で仰向けというのがお約束だった。そこで、坊っちゃんにお願いした。 もちろん頑張ってくれた。 顔が緊張(^^; 頑張った後。 お願いされたからやっただけで、面白くなかったらしい(^^; またある時。 台湾旅行から帰った知人が、ペットボトルカバーというふれこみの、ミニサイズの中国服をくれた。ペットボトルに服を着せて何が面白いのだろう?と思ったわたくし、猫に着せようと思いついた。 猫に服を着せた方が、ペットボトルに服を着せるより面白いという着想に賛成してくれる世間の人が多いかどうかは、私は知らない。多分、あまり多くないような気がするが、細かいことは気にしない。 しかし、残念なことにサイズが小さくて、そのままでは袖口を前足が通らなかった (実際に試した(^^;)。仕立て直そうと思うほど酔狂ではないので (既に十分酔狂だという説もあるが)羽織ってもらった。 なんじゃこりゃ、と思ったようではあるが、 可愛い、すっごく格好いいと褒めちぎったので、得意げな顔。 でもやっぱり、 口先で誤魔化されているような、微妙な違和感を感じないでもないらしかった。 …でも、お願いされたら頑張ってしまう坊っちゃんなのであった。 ……車の準備がそもそも無理だけど、さすがにねこぐるまは無理だろうなぁ(ぼそっ)
アメリカ製のバソコンを愛用し、中国製の漢字を使い、もちろん中国製の漢字を崩してできた平仮名や片仮名も使い、原種が大陸起源の米から炊いたご飯も大好きで、これまた原種は中国からきたお茶も愛飲し、インド洋からきたマグロの寿司も大好きで、当然のように 鈴木邦男氏の提唱する定義(?)でも余裕できっちり「反日」なわたくし、中華料理も大好きである。 以前、ふとした弾み(笑)で、 なんちゃって北京ダックを作製してみると大変美味であり、その後、北京ダックの 皮に使っているクレープ皮のレシピを改良してみて、これまた美味であったのだが。。。 クレープ皮は、少し扱い辛い面があった。焼いてすぐに食べないとくっついたりなんやかやだったのだ。 そこで、
なんとなく、本物の北京ダックの皮って作り方が難しいのだろうかと探してみた。 春餅とか鴨餅とか呼ばれているようで、レシピは、探せばいろいろ公開されていて、簡単そう(^^; だいたいこんな所か。 ・ 中華への道 マイナーレシピ 北京ダックの作り方・ Yoshida家の北京ダックのレシピ・ 簡単で豪華!鶏肉でなんちゃって北京ダック - [アジアごはん]All About 要領はどれも似たようなもの。小麦粉は強力粉と薄力粉を混ぜたりするようだが、特にグルテンがたくさんである必要も無さそうな作り方のようなので、薄力粉のみで作ってみる。メインに参考にしたのはAll Aboutのレシピ。 薄力粉130gに熱湯を100ccを一気に入れ、糊化した状態なのを捏ねて、まとめて一休み。 この分量だと八等分して、丸め、押しつぶして片面にごま油を2-3滴垂らして塗り広げ、 ごま油を塗った面をあわせて重ねて、 そのまま、直径15センチ強ぐらい、厚みは3ミリほどに伸ばして、 油を塗ってないセラミックプレートで焼いて、粗熱が取れたぐらいに、重ねていた二枚をはがす (<-これが楽しい^^) できあがったのは半分ぐらいに折って、ジップロックなどに入れて、そのまま数日は冷蔵保存できるようだ(食べるときには再度温める)。 それで、鴨ならぬ鶏の皮を自家製甜麺醤付きで巻いて食べたり、 中華風肉味噌を巻いたり、 ぼんじり(チキンテイル)をこんがり焼いて (油をできるだけ焼き落として(^^;)、加熱したもやしと自家製甜麺醤とで巻いたりで、 この春餅、いろいろと大変、美味しくいただけるのでした^^ 簡単にできますよー。 ついでに見つけた、美味しい参考サイト; 中華への道 裏技
(22日、加筆有り) 南京大虐殺記念館(侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館)が、産経新聞19日付「主張」欄にて、報じられた内容が捏造だと抗議している件について、メモ(の続き)。 産経の「主張」(2008.12.19 03:59)では、「連行される慰安婦たち」とされる写真をはじめ3枚の写真について 日本の外務省は同記念館が南京事件から70年にあたる昨年12月に再オープンして以降、この3枚を含む複数の写真について、史実に反するなどとする日本の学問状況を非公式に中国に伝えてきた。
「連行される慰安婦たち」以外の二枚について、19日の主張内では明記がないが、これに先立つ17日の報道で「連行される慰安婦たち」「日本兵に惨殺された幼児たち」「置き去りにされ泣く赤ん坊」と明記されている。 19日夜に、記念館側が産経「主張」の内容が捏造だとして抗議声明(2008年12月19日 19时50分)を出し、日本語の情報としては、サーチナニュース『 南京大虐殺記念館が産経新聞に反発「写真撤去はない」』(2008/12/20(土) 11:09配信)とレコードチャイナ『 記念館が「信ぴょう性乏しい写真撤去」報道に反論―中国』(2008-12-20 11:28:55 配信)が伝わる。 20日夜になって、記念館の朱成山館長の見解を、中国語紙が2社報じている。 中国新闻网 2008年12月20日 20:23付 「 朱成山驳日媒:三历史照片从未纳入南京大屠杀展」 内容を、自動翻訳複数にかけて、原文と見比べて、表現を調整したメモとして保存。 産経報道と、記念館の抗議声明を紹介した後で、
南京大虐殺記念館は1985年に最初に開設され、1995年と2007年に増築された。館内には一万二千件の文化財を収蔵しており、昨年の70周年の新館開館時からは、館内には三千五百枚の写真と三千あまりの展示物を陳列している。 (中略) 朱成山館長によると、「連行される慰安婦たち」は1938年7月、当時の国民政府政治部第三庁が編纂した《日寇暴行实录》に掲載されていたもので、記載された説明によると、蘇州と江南の日本軍に暴行された女性たちとなっている。産経はこの写真を「農作業を終えたあと、兵士に守られて帰宅する女性」としたが、戦争初期、庶民はパニック状態で農作業どころじゃなかったし、写真の背景が冬景色で農作業時期と考えるのには無理がある。この写真の説明において、日中の見解はとても大きく異なる(*)。
「置き去りにされ泣く赤ん坊」は、以前に「日本軍は上海から南京に向かった」展示に出したことがあるが、この子は南京にいるわけではないので、南京大虐殺の歴史の展示中に出したことはない、とのことだ。
「日本兵に惨殺された幼児たち」は、朱館長は18年前から館に勤務しているが、この10数年来展示していないので、最近、撤去されたという話はでたらめだという。
この三枚の写真は以前、日本の右翼学者が編集した《検正 南京事件の歴史写真》に掲載されて、2005年通过草思社から出版されている。それから随分になるが、何故日本のメディアがこの三枚が最近撤去されたと報道するのか訳がわからない、と館長は語った。
新華網 2008年12月20日 22:20:56付 「 侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館抗議日本有關媒體不實報道」 内容を、自動翻訳複数にかけて、原文と見比べて、調整したメモとして保存。 こちらも、産経報道と、記念館の抗議声明を紹介した後で、 朱成山館長は、今回の報道は、日本の右翼学者、過去に何度も南京大虐殺の歴史歪曲を企んだ東中野修道氏や小林進氏らの歪曲史観を含んだ誤謬の論拠によっていると語った。 (中略、声明の説明) また、朱成山館長は、この三枚の写真は全て、それぞれの歴史事実を示したものだと語った。けれど、記念館新館はこの3枚を展示したことはなく、新館開館以来一枚の写真も撤去していないので、日本外務省が中国側に伝えて写真を取り除いたという事実は、元から存在しないとも語った。新館に陳列されている3500枚の写真は、中国社会科学院、江蘇省社会科学院、北京大学、南京大学、南京師範大学などの学術機関で、数十人の専門家による論証を繰り返し受けたものであり、日本の専門家にも全ての写真の考証を依頼しており、一枚一枚全て、歴史の事実に即したものだという。
記念館は開館以来20数年来、館内外で南京大虐殺の歴史研究に深く関与しており、過去何回も展示内容の調整も行っている。これはごく正常なことで、記念館は数年来、12000数件の文化財や写真を収集しており、展覧内容を供給する選択肢は豊富なのだと、朱成山館長は言い添える。
新館開館前後、日本メディアは何社も、故意に史実を歪曲し、南京大虐殺の歴史について間違った報道をしたが、産経新聞は今またこのように事実を捏造している。彼らの目的は実は一つで、部分的に歴史を否定することを通じて、南京大虐殺全体の歴史を否定することを望んでいる。並行して、日本国内では「記念館の展示内容は嘘ばかり」と悪意の宣伝をして、日本の国民、特に青少年が南京を訪問して歴史の真相を学ぶことを阻止しようとしている。
これは責任から逃れる、心の狭い行為だと、朱館長は指摘する。日本の関連メディアが、このようなことに加担して、中日両国の国民の友好的言論を阻害しないことを望むと、館長は語る。
南京大虐殺の歴史は、人類全体への警告である文化財産であり、歴史の教訓とするため、歴史の悲劇を繰り返さないため、この歴史を陳列するのだと館長は語る。この歴史に対し納得がいかない者、意義のある者はみな、記念館を見に来てみればいい「事実は雄弁に優る」。人は皆正義感をもっているものだ。 *について。 当エントリ公開当初、「这说明双方文字标注出入很大(と、この後にこの文が書いてあるけど、ちょっと意味がわからない)」としていたが、 コメント欄におけるni0615さんのご示唆、および、サーチナニュース2008/12/21(日) 13:23付で『 南京虐殺記念館「問題の写真、日中で異なる見解ある」』とあるので、現行の記述に変更(12/29)。 20日付エントリのコメント欄にてni0615さんから御教授いただいたが、『 中国の抗日記念館の不当な写真撤去を求める国民の会』の『 最終更新 平成20年8月15日』のホームページ (*欄にてni0615さんに御教授いただいた方法で確認すると最終更新「2008年8月28日09:48:12 」)には、「置き去りにされ泣く赤ん坊」「連行される慰安婦たち」とされているはずの写真ともう一枚の写真をあげて「上記3点の写真はこれまで展示されてきましたが、議連の働きかけにより撤去されました」と書いてあるようである。 また、20日付の当ブログエントリで紹介したように、 平成20年6月19日の「第四回 中国の抗日記念館から不当な写真の撤去を求める国会議員の会」記録(上記『 中国の抗日記念館の不当な写真撤去を求める国民の会』内のコンテンツ)には、「小原外務省アジア大洋州局参事官」の報告として、 前回は(注;新館の)開館当日、その後関係者(国内・在外)および専門家にも訪問・分析してもらった。その報告をまとめると、 (中略) ・別紙①②③の写真は撤去された。 (中略) ・中国に対し疑わしい展示・青少年に悪影響を与えるものを撤去するよう申し入れをしてきたが、写真①②③の撤去のように一定の成果はあったと考える。
とある。 17日付の産経報道「 南京大虐殺記念館、信憑性乏しい写真3枚を撤去」で記念館から撤去したとされる3枚の写真は、「連行される慰安婦たち」「日本兵に惨殺された幼児たち」「置き去りにされ泣く赤ん坊」であるとの記述があり、「置き去りにされ泣く赤ん坊」の写真として、 『南京のものとして展示されていた「上海南停車場」の写真』のキャプションを付けて掲載されている。これは、『 中国の抗日記念館の不当な写真撤去を求める国民の会』さんの ホームページに掲載されている写真と同じに見える。 再度、19日の産経『 【主張】南京大虐殺記念館 問題写真撤去を第一歩に』から引用すると (強調は引用者による) 中国・南京市の南京大虐殺記念館に展示されていた3枚の写真が撤去されていることが分かった。(中略) 例えば、「連行される慰安婦たち」とされる写真は、南京戦の前に発売された「アサヒグラフ」に「兵士に守られて帰宅する女性や子供」として掲載されていたものだ。また「日本軍の空爆を受けて泣き叫ぶ赤ん坊」とされる写真は、中国側が反日宣伝のために演出して撮影し、米誌「ライフ」に載せた写真である。
日本の外務省は同記念館が南京事件から70年にあたる昨年12月に再オープンして以降、この3枚を含む複数の写真について、史実に反するなどとする日本の学問状況を非公式に中国に伝えてきた。3枚の問題写真の撤去は、こうした外交努力の成果といえる。
…『 安禅不必須山水』さんの2008/12/22 10:16「 産経新聞は『旧聞』を、ニュースと偽ってスクープする?!」経由でしった、産経の片山編集長のご意見(2008/12/22 00:24)は、 僕を含めて知らない人が圧倒的ではないかと思います。従って、時期に関係なくニュース価値はあると考えます。それより、ご自身のブログでは記事が誤報だといわれていますが、半年前に知っていたという内容と整合しないように思うのですが。
17日の記事だけなら、それで、もしかしたら、かろうじて通ったかもしれないが。 記念館が抗議している対象は19日付の『主張』なのだ。
(21日、1:45追記有り) メモ(^^; 17日。 21:04付で、MSN産経が、「 南京大虐殺記念館、信憑性乏しい写真3枚を撤去」として、 中国・南京市にある南京大虐殺記念館が、信憑(しんぴょう)性が乏しいと指摘されていた写真3枚の展示を取りやめたことが17日、政府関係者の話で明らかになった。「連行される慰安婦たち」「日本兵に惨殺された幼児たち」「置き去りにされ泣く赤ん坊」の3枚で、日本の研究者らは南京事件と無関係だと指摘していた。(後略)
と報じていた。 (強調は引用者による) いきなり、少し脱線してしまうが、この記事にに付いた 「はてな」のブクマコメで、「 はてなリング ー 歴史修正主義に反対します」に言及する人がいたり等々で、こそっと (でもなく?)興味深く見ていた(^^; 一方、なんだか不可解なコメントもついてたので、どういう意味だろうと不思議に思っていた。産経新聞記事に共感を持っていると覚しき立場から「修正主義」云々書いている人が結構いて、何を意図したコメントか解らなかったのだ。すると、 D_Amon [歴史], [南京事件] 歴史修正主義批判は歴史の修正に対する批判ではなく、歴史の捏造・歪曲・否定に対する批判であって、学術的手順を踏まえた修正は当然のことなのに、それを理解していない人が存外多いことがブクマコメから分かる。 2008/12/18
hokusyu [歴史認識], [南京事件], [歴史] ↓研究の進展による「修正」は「歴史修正主義」とは呼ばないの。/ていうか、南京事件に無関係だから撤去したわけであって、信憑性関係ないじゃん!何だこのタイトル。http://www.nextftp.com/tarari/nanshi/nanshibakugeki1.htm 2008/12/18
…そういう「修正主義」に対する理解をしている人がいるとはそもそも思っていなかったので、なんのこっちゃと不可解だった点がようやく腑に落ちた(^^; 「研究が進展した成果による修正」と「歴史修正主義」を混同する人もいるのか、と。 D_Amonさん、 hokusyuさん、ありがとうございました、と秘かに感謝しつつ。 と書いておきたかったのが脱線の目的だった(^^; 18日。 「 Apes! Not Monkeys! はてな別館」さんの「 産経新聞の「捏造」」が公開。
(略) 撤去されたという3枚のうち「置き去りにされ泣く赤ん坊」は「南京の旧日本軍とは関係ない」とは言えないのだが(上海に上陸した日本軍が南京へと進軍したのだから)、「撮影場所が南京ではない」と言えばそれはその通り。
さて問題は「事実無根だったと判明している“百人斬り”」という一句。最高裁で原告(「百人斬り」の両少尉の遺族)の敗訴が確定した素量の高裁判決は、次のように事実認定している。 (中略) すなわち、あたかも白兵戦において「斬った」かのような報道、および東京日々新聞第4報(例の有名な写真が掲載されているもの)でそれぞれ106人、 105人とされた「戦闘戦果」については「甚だ疑わしいもの」とされているわけであるが、他方この報道の背後に「「百人斬り貌争」として新聞報道されることに違和感を持たない競争をした事実」があったことは否定できないとされてもいるのであって、裁判所の結論はどう考えても「事実無根ではない」である。産経新聞が独自の主張として「事実無根だ」というのであればそれは単なる誤謬であるが、こうした裁判所の判断を無視して「事実無根だったと判明している」などと書くのはそれ自体が事実無根の捏造と言うべきだろう。 (後略)
19日。公開の時間は03:59。 MSN産経『 【主張】南京大虐殺記念館 問題写真撤去を第一歩に』 (略) 日本の外務省は同記念館が南京事件から70年にあたる昨年12月に再オープンして以降、この3枚を含む複数の写真について、史実に反するなどとする日本の学問状況を非公式に中国に伝えてきた。3枚の問題写真の撤去は、こうした外交努力の成果といえる。
外務省が歴史問題で中国にこのような働きかけを行ったことは極めて異例だ。当然とはいえ、その努力を評価したい。(中略) 今回、中国が3枚の写真を撤去したのは、明らかな誤りだけを認めたにすぎず、歴史問題で軟化したとみるのは早計である。(後略)
同じく19日。 中国網 「 日媒称南京大屠杀纪念照片不符事实被撤 (日本メディア、南京大虐殺記念館の事実に反した写真を撤去したと報じる)」 日本の右翼新聞である《産経新聞》は、19日付の「主張」と銘打った記事において、南京大虐殺記念館の3枚の写真が、歴史的事実に反している為に撤去されたと、日本外務省の官吏が、最近語ったと報じた。 (中略) 報道が伝えるところによると、この三枚の写真は広く研究者や新聞記者から、日本の戦争犯罪の証拠と考えられてきた。しかし、一部の研究者はこれらの写真が、事実と符合しないと発見した。そして、2007年12月13日の、70周年記念の記念館再開時に、これら写真が再度展示されていたのが、日本の研究者らによる、これら写真が事実と符合しないとの指摘が外務省を通じて伝えられ、写真の撤去に至ったという。 (後略)
この報道は、ほぼ、産経の報道をそのまま(結構マイルドに)伝えた内容だった。 ところが、さらに同じく19日。 完全に当事者の 侵华日军南京大屠杀遇难同胞纪念馆が、「 严正声明」を公表。 今天,日本《产经新闻》在其“主张”栏目中称:“2007年12月13日南京大屠杀70周年纪念日时,这些照片被再次展出,日本学者通过日本外务省向中国通报了其研究结果,侵华日军南京大屠杀遇难同胞纪念馆随后撤去了这三张图片”。 对此,本馆严正申明:自去年12月13日本馆新馆扩建开展后,没有撤换任何一张照片。对《产经新闻》别有用心捏造事实,诋毁本馆声誉,表示强烈抗议!
(今日、日本の《産経新聞》はその「主張」欄にて「2007年12月13日の南京大虐殺70周年記念日の時に再展示されていた写真について、日本の研究者らが日本外務省を通して中国側に彼らの研究を伝え、その結果、南京大虐殺記念館はそれら3枚の写真を撤去した』と報じた。
これに対して、当館は、去年12月13日の当館の新館開設後、1枚の写真の入れ替えも行っていないと、厳正に明らかにする。下心を持って事実を捏造する《産経新聞》が、当館の名誉を貶める事に対し、強く抗議を表す!)
侵华日军南京大屠杀遇难同胞纪念馆 2008年12月19日
まとめ。 ・産経が「明らかになった」としてこの件を報じた情報源は、「政府関係者の話」。 ・中国網によると、その「政府関係者」は「日本外务省官员」(日本の外務省の役人)。 ・当の侵华日军南京大屠杀遇难同胞纪念馆(南京大虐殺記念館)は、産経報道は捏造だと抗議。 …産経さんには、 (産経記事だけ読むとどっちの政府関係者か解らない人からの)伝聞に基づくのではなく、実際に現地におもむいて取材した事実に基づく、実際に起こった出来事がなんなのかを明確にする、続きの記事をお願いしたいと思った。 撤去された写真が「南京事件」に関係しない写真とか、そういう話以前で引っかかるのではなぁ。
参考; 『 黙然日記』さんの2008-12-19付『 産経また捏造、現実保守の論拠、他。』 (下線と強調は引用者による。) どうして「また」がつくのかなぁ?(棒)
以下、21日、1:45追記分; 『 安禅不必須山水』さんが2008/12/20付『 お粗末<主張>で産経新聞は謝りたくない相手に頭を下げる羽目に!』で、情報をまとめて下さっていました。 一部引用; 「第4回 中国の抗日記念館から不当な写真の撤去を求める国会議員の会」に呼びつけられた、外務省の小原参事官は、質問に答えて次のように述べている。 前回は開館当日、その後関係者(国内・在外)および専門家にも訪問・分析してもらった。その報告をまとめると、
(中略)
・別紙(1)(2)(3)の写真は撤去された。 ・別紙(4)(百人斬り)の写真は残っている。ただし以前より展示は小さくなっている。 ・各種写真はまだ残っているものが多いが、パネルではなく切り替えができるモニターにして展示している。 http://www.mukai-noda.com/20/20a.html 別紙(1)(2)(3)の写真とは、今回産経が報じたもの。 小原参事官は、昨年12月のリニューアルのときに既に3枚の写真は無かったと報告している。外務省の参事官がである。
したがって、外務省が「リニューアル後に3枚の写真の撤去を要請する」などということはあり得ない。
この「第四回 中国の抗日記念館から不当な写真の撤去を求める国会議員の会」は、平成20年6月19日となっていた。「別紙(1)(2)(3)の写真とは、今回産経が報じたもの」に関して、元情報の確認を取り切れなかったが、「「中国の抗日記念館から不当な写真の撤去を求める国会議員の会」第三回全体会議」(平成19年9月12日)に、以下の記述が 外務省との主なやりとりは以下の通り。
上海の駅で泣いている赤ん坊の写真など間違い写真は撤去するよう申し入れている、と外務省から前回の返答があった。
どうも、やはり産経に疑問符が付いてしまうような。
中国律师网(中国弁護士ネット)が2008年12月18日付で「中国原“慰安妇”受害事实调查委员会发布第二阶段调查结果」(中国人「慰安婦」被害事実調査委員会、第二次調査結果)を公表したと、ロイター電と即時新聞で報じられているのを見つけた(19日2時現在)。 REUTERS INDIA (Thu Dec 18, 2008 10:37am IST付) 「 China finds new "proof" of Japan's WW2 sex slaves」 自由電子報 即時新聞 (12/18 20:59) 「 二戰強徵慰安婦 發現日兵新罪證」 (19日12時追加) REUTERS UK (Thu Dec 18, 2008 4:42am GMT付) 「 China finds new "proof" of Japan's WW2 sex slaves」 China Daily (2008-12-19 08:23付) 「 New report on 'comfort women' published」 The Irish Times (Friday, December 19, 2008付) 「 New evidence of wartime sex slavery set to heighten tensions with Japan」 REUTERS 路透 (2008年 12月 18日 星期四 14:04 BJT) 「 中国发现日本强征“慰安妇”罪行新证据」 星洲日報(大陸新聞経由) (2008年12月18日 02:53) 「 中國‧就二戰強征慰安婦‧發現日官兵新罪證」 搜狐新闻(2008年12月19日05:27) 「 两名“慰安妇”幸存者被确认 曾受暴行令人发指」 というように、英語圏と中国語圏ではそこそこ配信されているようだ。韓国語報道の配信はまだ確認していないが、中国人「慰安婦」被害者に関する話題が韓国で報道されるのが遅い目なのは、良くある傾向であると確認している。おそらく、もうじき報道されるだろう。 ただし、日本で報道されるかどうかは非常に心許ない。 以下、自由電子報の記事を主に、ロイター電や星洲日報その他で補いながら、報道された内容をメモ。
中華全國律師協會(中華全国弁護士協会、政府出資の組織)は、18日に、書類では未公表の日本軍士官と兵士の供述を含む、第二次世界大戦下の日本軍が女性を「慰安婦」になるよう強制した新しい証拠を発見したと明らかにした。
調査報告には33名の戦犯と、2名の「慰安婦」となるよう強制されたと申告する女性の姓名が含まれている。
日本政府は、第二次世界大戦後の平和条約によって全ての問題は解決したとして、20万名にもおよぶと考えられているアジアの「慰安婦」被害者への直接賠償を拒み続けている。日本は93年に、韓国と中国女性を「慰安婦」とする強制に日本政府が関与したことを承認し、また、95年に生存「慰安婦」に賠償する基金を創立した。
しかし、多くの被害者は、この基金からの金銭受け取りを拒絶し、日本政府からの直接賠償が当然だと認識している。日本の極右政治家や学者は、政府の直接賠償に反対し、「慰安婦」のほとんどは実は売春婦だと主張している。
慰安婦事件は、中国に、日本による昔の戦争犯罪行為に関する記憶を鮮明にさせるものだ。
調査に参加した弁護士の一人、康健(Kang Jian)氏は、「日中関係は既に改善されています。ただし、これら被害女性の正義の実現のためには賠償は非常に重要であり、絶対に問題を覆い隠してはいけない」と語った。そして、「これらは矛盾しません。事実を、真相を解明し、謝罪することをもって問題は解決します。これは両国の国民の関係をよくするために役に立ち、両国の未来の友好関係を確保します」と述べた。
新たに供述が見つかった帝国陸軍兵士33名の詳細はウェブ上に公表された報告書に含まれている。しかし、その人達を追求することは意図していないと康弁護士は述べる。「彼らは既に供述済みです。私は、彼らはこの問題を認めていると考えています。我々は、どんな圧力も彼らにかけたいとは考えていませんし、日本に彼らを探しに行くつもりもありません。」康弁護士は付け加えた。
日本の法廷は、多くの「慰安婦」被害者の賠償訴訟を却下している。康弁護士は、それでもくじけることはないと語り、来週、別の案件を日本に持ち込むと語った。
「我々は、歴史がより確かなものになるよう、法律を使いたいのです。」「我々は恐らく、多くの他の被害女性を見つけ出せずにいるでしょう。被害女性には多くの精神的な圧力がかかります。被害者らは認めることを望みません。」康弁護士は付け加えた。 「我々は調査を続けます。」
どの報道も、だいたい、こういった内容を報じているが、The Irish Timesのみ、先に報じられていた 67名の「慰安婦」被害者の写真集発行に関する情報や、南京事件を比較的詳細にこの件と共に報じ、こう付け加えていた。 The evidence will form the basis for another legal claim against the Japanese government later this month.
大元の情報は、 中国律师网の「 中国原“慰安妇”受害事实调查委员会发布第二阶段调查结果」で閲覧できる。2007年7月の 第一次調査結果も衝撃的だった。報告書の内容も、余裕があったら別エントリにしてみたい。
MSN産経2008.12.18 08:22付『 【紙面批評】関西大学教授・木村洋二「田母神論文、メディアは多角的議論を」』の一節。 常識の欠落といえば、いちばん大切な常識を欠いているのは、日本のメディアではないだろうか。なにしろ、この国はよい国だ、誇りをもって守りにつこう、と主張した「航空幕僚長」、他国なら「空軍司令官」に相当する人物が解任されても、平気というより当然という顔をしている。
…いや、 「この国はよい国だ、誇りをもって守りにつこう」とだけ、主張したのなら更迭されないから。それを主張するために、 コミンテルンの陰謀とか、常識の欠落した根拠をもってきたからだから。 と、取り急ぎ突っ込まずにはいられない文章でした。 なお、この文章の冒頭にはこうある。 昔から、医者と坊さんと先生は人格ができない、といわれてきた。「先生」たちは、ヨイショはされても本当のところは言ってもらえないので、自分の欠点を学習しにくいのであろう。
執筆者は、関大社会学部の教授だそうな。そして、 日本笑い学会の副会長のお一人のようだ( 参考)。 …あ~、 「先生」でいらっしゃいますね。 なんで、こんな後頭部直撃ブーメランの記事をわざわざのせるのだろう? 産経って。 独創的な感覚だ。
こういう報道を見かけてしまったら、また、つい、田母神氏がらみをエントリに取り上げずにはいられない。 航空自衛隊第二術科学校の学校長らが、田母神俊雄空幕長(当時)の方針を受け、東京裁判でA級戦犯として処刑された七人の軍幹部を埋葬している「殉国七士廟(びょう)」(愛知県)を訪問し、今後、同地への研修を進めようとしていることが十六日、分かりました。(中略)
井上氏が示したのは、同校のある空自浜松基地(静岡県)の新聞「遠州灘」(五月二十日付)。「英霊を訪ねて」という見出しで、「空幕長の歴史教育重視の方針を受け…、学校長以下七名で現地偵察を行いました」と報道。今後、「使命教育」の一環として同地への「現地研修」を予定していると記述しています。(後略)
井上哲士議員が16日の参院外交防衛委員会で示し、そして、「 田母神氏が主張した旧軍と自衛隊を連続したものととらえ、かつての侵略戦争を正当化する考えが自衛隊内に広く存在しているのではないか」と、指摘したとのこと。 しんぶん赤旗でも、その懸念を裏付ける例として、以下と同じ件を井上議員が挙げたと報じているが、ここでは『 世界の片隅でニュースを読む』さんの2008-04-27 12:40付エントリ (主なソースはしんぶん赤旗27日付だそうなのだが(^^;)から引用させていただこう
(略)三重県津市にある陸上自衛隊久居駐屯地の「駐屯地創設100周年記念行事」の一環として、昨日(4月26日)駐屯部隊のパレードが行われたという。
自衛隊の前身の前身である警察予備隊が占領軍の命令で創設されたのが1950年だから、今年は58周年のはずなのに、なぜ100周年?と思ったら、旧帝国陸軍の久居駐屯地の開設が1908年で、それから起算して100年だというからふざけた話だ。 言うまでもないが、帝国陸軍と自衛隊はその設置の法的根拠は全く異なる。しかも敗戦による旧軍解体後、駐屯地は数年間とはいえ大蔵省が管轄し、制度上は断絶している。(略) 今まではどうだったのか簡単に調べてみると、久居駐屯地の開設記念行事は毎年行われているが、昨年までは警察予備隊発足から起算していて、昨年は「57周年」となっていた。それが今年唐突に「100周年」と銘打って、40年ぶりに市中でのパレードを大々的に行ったのである。(略)
「赤旗」によれば、駐屯地司令で第33普通科連隊長の甲斐芳樹一等陸佐は、地元新聞に「創設百周年を迎えて」と題した一文を寄稿し、戦前久居に駐屯していた旧陸軍歩兵第33連隊を「日露戦争、支那事変に参戦し数々の戦果をあげ精強部隊として名をとどろかせた」「輝かしい歴史と伝統を後世に継承したい」と述べたという。 危うくスルーしそうになったが、歩兵第33連隊といえば、日中戦争時に上海攻略戦や南京攻略戦に参戦した部隊である。(中略)無抵抗の敗残兵(実際は非戦闘員の難民を大量に含む)の一方的殺害のどこが「輝かしい歴史」なのか。そんな「伝統」を現在の自衛隊が引き継ぐなど言語道断だ。
このニュースは「赤旗」以外では地元三重の報道だけで、全国向けには全く報道されていないようである。しかし、現在の自衛隊幹部の歴史意識を知る上で重要な事件である。(後略)
16日の参院外交防衛委員会においての、井上議員によるこの件の指摘に対して、浜田靖一防衛相は「旧軍と自衛隊に連続性はない」という答弁を繰り返したそうで、そう言うしかないにしても随分と虚しく響くものだ。 ちなみに、こんな報道も出ていたし。 防衛省の外薗健一朗航空幕僚長は21日の記者会見で、自身が統合幕僚学校長時代の「歴史観・国家観」講座に「新しい歴史教科書をつくる会」のメンバー2人を講師に招いたことについて「私の責任で実施した。当時は適当だったと思った。偏っているという意識は持っていなかった」と述べた。
同時に「今になって考えると、見方によっては、ややバランスを欠いているとの印象を受ける方がいるかもしれない」と釈明した。(後略)
指摘される機会がないと、そういうものだと素直に受け取るということだろうか。 「使命教育」の一環として「現地研修」しに行く地に葬られた方の一人って、原爆を投下された後の降伏直前である8月13日に 「もろくも敵の脅威に脅え簡単に手を挙ぐるに至るがごとき国政指導者及国民の無気魂なりとは夢想だもせざりしところ、これに基礎を置きて戦争指導に当りたる不明は開戦当時の責任者として深くその責を感ずる」
と、随分な発言のあった方ではなかったのか。だいたい、『「 使命教育」の一環として』『七人の軍幹部を埋葬している「殉国七士廟」』に研修に行くという着想時点で、「旧軍と自衛隊に連続性」がある発想が前提にあると見えるのだが? 自衛官さん達が危なっかしく見えて仕方ない…orz
こんなのあったのでURL保存。 辻元清美議員による『 前航空幕僚長の論文「航空自衛隊を元気にする一〇の提言」についての麻生首相の認識に関する質問主意書』(平成二十年十一月六日提出)、および、 内閣総理大臣臨時代理 河村建夫国務大臣による答弁(平成二十年十一月十四日付)。
そういえば、こんな話もあったことを思い出したので、関連エントリを一覧。 『 Apes! Not Monkeys! はてな別館』さんの2008-07-21付『 「毎日新聞の英語版サイトがひどすぎる」まとめ@wikiの翻訳は別にひどすぎたりしないが、残念ながら陸上自衛隊第三三普通科連隊の連隊長殿は、南京事件に関わった旧陸軍歩兵第三三連隊の「歴史と伝統」を「継承」したいとおっしゃっているので「後継者」と言われても弁解しにくいかな、という件(追記あり)』 『 駄文』さんの2008-07-01付『 パールハーバーと南京大虐殺の後継としての自衛隊』 『 ホドロフスキの記録帳』さんの2008-06-30付『 パールハーバーと南京大虐殺の後継』 …今となっては、なんと表現したら良いやら、、、の微妙な感慨が。
一民間人としての発言ではあるが、この方が相変わらず展開して回っている持論ってば、制服を着ていた当時ときっぱり変わってなさそうなので、拾った新しい発言は保存しておく気になった。 防衛省が、田母神氏が退職後にあちこちで講演することに戦々恐々として、対策に苦慮とかなんとかって話もあるようで、それって要するに、自衛隊というのが、こういう人物が出世できる組織であることを知られたくないという意図だととられても仕方なかろう。実際、こういう人が、自衛隊で制服を着た偉いさんだったのだと、感慨深いものである。 そんな田母神前航空幕僚長が、12日に、出身地の福島県郡山市で、地元月刊誌(河北新報の報道による、毎日新聞によると「財界ふくしま」が時局講演会として招いたと)が主催した講演で、400名ほどの聴衆の前でお話になったそうだ。 田母神氏が統合幕僚学校長時代に新設した 「歴史観・国家観」講座を、浜田靖一防衛相が廃止検討していることに触れて、
「村山談話に基づいた教育訓練を徹底するというが、あんなものを徹底されては、自衛隊はこの国のために命を懸けて戦う気になれない」
…「あんなもの」って(^^; シビリアンコントロール(文民統制)については、 「政治家と文官の言うことを何でも聞いていると、軍は弱体化する」「戦争をやりたがるのは文民。ヒトラーもムソリーニも近衛文麿も文民。軍人は自分の部下が死ぬので戦争をやりたがらない」
別紙から、「歴史観・国家観」講座に関し、 「学校で何を教えるかは制服組に任された分野で、文民が関与すれば、どんどん自衛隊は弱体化する」
公演後、記者会見があったらしく、そこでタモ氏の言動をめぐってシビリアンコントロールへの懸念が出ているとの質問を受けて、 「自衛隊が独走すると言うが、自衛隊には内局があり、文民が人事にまで口を出す。これ以上、文民統制を強化すれば隊員がやる気をなくしてしまう」
あるいは、 「日本が侵略国家だったから戦争になった訳ではない」
「文民統制が絶対の『善』とはいえない。文民統制をこれ以上強化すると自衛隊はやる気をなくし、動けなくなる」
なんだか、ネトウヨそっくりな言い回しがいっそ微笑ましくなってくるが。 …いやぁ、自衛隊って、とっても簡単に弱体化したり、やる気を無くしたりするんですねー。コミンテルンにばれないように気をつけないと。宣伝してまわるのは控えた方が良いのではないだろうか。なお、本日見かけた別の方の説によると、 『日中戦争はドイツが仕組んだ』のだそうな。戦前の日本は、いろいろと陰謀に引っかかりまくったようである。 こういう方が航空自衛隊の前航空幕僚長で、制服組ってこういう方が出世できるのかーと感心していると、拾うのが遅くなってしまったこんな話が。 防衛省が前事務次官守屋武昌被告の汚職事件など一連の不祥事を受け取りまとめた省改革の「基本的考え方」(基本方針)の全容が十日、判明した。自衛隊運用の所掌事務を内局の運用企画局から、制服組主体の統合幕僚監部に移管。統幕の副長級に背広組を充てるが、内局(背広組)の役割は大幅に縮小される。 (中略) 基本方針は「運用企画局が所掌する『自衛隊の行動の基本』は内局の所掌として維持しない」と明記。一方、内局と陸海空各幕僚監部の防衛力整備部門を一元化して、新たな部局を内局に設置。防衛政策局の次長級に制服組を充てる。自衛隊の運用に関しては「抑制的に管理する時代から的確に運用する時代に変化している」との認識を示し、統幕の権限を強める内容。具体的には運用の企画、立案や他省庁との連絡調整に制服組が当たるとしたが、国会答弁については今後の課題として持ち越した。
制服組の権限強化って見間違いかと思ってしまったが、 防衛事務次官による汚職事件後に防衛省改革有識者会議から7月に出された、「シビリアンコントロール(文民統制)が機能しているとの前提に立」った報告書に基づいて立てられた方針だから、そういう方向になったらしい。 しかし、 (略) 基本方針によると、防衛省設置法と防衛省組織令が規定する「自衛隊の行動の基本に関する」事項を運用企画局から統合幕僚監部に移す。これにより武器使用基準など自衛隊行動の立案や、ほかの府省や与野党幹部との調整、米国や国連との協議で、制服組が主導権を握ることが予想される。
「業務の重複を合理化するため運用企画局は廃止」とした有識者会議の報告書は「防衛省・自衛隊は文民統制を重視している」「自衛隊は文民統制を内面化した」と、文民統制の定着を評価する内容となっている。
田母神問題が起きて以降、防衛省内局では「前提そのものが誤っていたのに、このまま組織再編が国会の理解を得られるのか」「唯一の武力組織である自衛隊の運用を制服組に任せていいのか」(背広組幹部)との声も上がったが、流れを変えるに至っていない。関連法案が二〇一〇年の通常国会に提出された場合、慎重な審議が不可欠だ。
…「文民統制」が定着してるって認識は誤解だったらしいと身を以て体現し続けている方がいるのだし、前提が力一杯間違っているんで、そのままの組織再編は国会もだけど、国民も理解しないぞと言いたい。 中国新聞では「流れを変えるに至っていない」とのことだが、少しだけは修正はしたようだ。再度、東京新聞の同じ記事の別の箇所から、 基本方針は、取りまとめ途中で田母神氏の問題が起きたため省内であらためて調整したが、官邸に設置された防衛省改革会議の七月の報告書を大筋で踏襲した。ただ「人事、教育・訓練部門」の項目は修正。田母神氏が統合幕僚学校長時代に「歴史観・国家観」の講座を新設し自身に近い歴史観の講師を招いたことを問題視し、バランスの取れた中立的な教育の必要性を追加する方向だ。
ということは、改めて調整する時間は、あるにはあったらしい。 しかし、田母神氏の場合、不安なのは歴史認識だけじゃなかっただろう。クラスター爆弾発言、「そんなの関係ねえ」発言もある。 さらには、 防衛省の田母神(たもがみ)俊雄・前航空幕僚長(60)が投稿したアパグループの懸賞論文「真の近現代史観」に94人の空自隊員も応募していた問題で、航空幕僚監部教育課長から懸賞の紹介のため各部隊にファクスされた書類に「部隊長の承認を得ること」と明記されていたことが、防衛省の調査でわかった。
94人は指示通りに手続きを取ったが、田母神氏は「職務に関しない」と一人だけ無届けで投稿していた。対応の矛盾が浮かび上がった。(中略)空幕長の場合、官房長に届ける必要があったが、田母神氏は「職務に関しない」として事前に届けず、投稿後に口頭で伝えただけだった。(後略)
また、 昨年7月の参議院選挙で初当選した元陸自1佐・佐藤正久参議院議員(自民)の政治資金管理団体に、田母神俊雄・航空幕僚長や折木良一・陸上幕僚長ら制服組トップを含む7人の現職幹部自衛官が、計46万円の政治献金をしていたことがわかった。政治的中立を求めた国家公務員法違反の疑いがあるだけでなく、隊員の「政治的行為」を厳しく制限した自衛隊法に違反する可能性が極めて濃厚だ。 (中略) 田母神俊雄・東京都目黒区・公務員…とある。イラク派遣の違憲判決の際に「そんなの関係ねえ」などと発言して物議をかもした現役の航空幕長の名前だ。MNJでも、先刻、自衛隊機を独占した豪華出張ぶりについて疑問を投げかける記事を掲載したばかりだった。
献金の日付は2007年6月7日。参議院選挙投票日の1ヶ月ほど前だ。この日、田母神氏は「さとう正久を支える会」に10万円を寄付した、と記載されている。
現職の空幕長が特定の候補に政治献金していたとは、予想だにしなかった。自衛隊員の政治活動は厳しく制限されていると聞いている。(後略)
というように、率先してルールを守ろうという意欲に不安のある人物が、制服組で出世できたという実績がある訳だ。そういえば、 「身内の恥は隠すもの」と、常日頃説諭されていたとも聞いている。 …制服組の権限強化って、なんの冗談だろうと思ってしまうんだが。
参考にさせてもらったいろいろ; 『西日本新聞』の2008年11月12日 21:09付『空 自隊員3人無届けで応募 処分も検討、計97人に』『 安禅不必須山水』さんの2008/11/14 12:18付『 田母神サマ 身内の恥は隠すもの』 『 かめ?』さんの2008年11月28日付『 「日本はろくな国ではなかった」=「日本はろくな国ではない」じゃあないよ、田母神さん 』 山陽新聞 12月10日14時18分付『 防衛省組織改革基本方針の要旨』
(なんて曖昧なタイトルだっ!) 国籍法改正がらみの騒ぎは、 12月5日に改正法が成立して既にたいていは静まったし (知っている範囲ではここと、ここ関連は例外かもしれないけど)、私がこっちの騒動を追い出したのはかなり遅かったのだが、ネットの方々で反対する人達の意見をながめていて、以前読んだ本の一節が、なぜか連想されてきた。 どの本だったかを探すのに、ちょっと手間取ったが、ある保守派論者の言を紹介した、こんな一節。 この人はドイツの外国人問題に言及し、「前車の轍を踏むなかれ」と、日本の労働開国に反対してきた。保守派の現実感覚には(アタマの固い右翼や左翼とはちがって)聞くべきものがあるが、わたしはこの人の次のような発言が忘れられない。戦前の日本には朝鮮半島の出身者や中国人がごろごろいたのは、ほんの近過去のことだと指摘して、日本にアジアからの移民労働者がどっと入ってくると「日本人は差別と抑圧の蜜の味を、あっというまに思い出すであろう」とつけくわえたのだ。
あまりのリアリティにわたしはぞくり、とした。そういえば「みんな中流」の大衆社会など、せいぜいここ数十年の経験。使用人を使い慣れない日本人の「中流感覚」など、人権意識でもなんでもない。こんなもの、時代が変わればかんたんにふっとんでしまうだろう。
これは上野千鶴子氏の「国境お構いなし」(あさひ新聞社2003年7月30日 第1刷)の「"It's his business" 階級社会の現実」の章で、上野氏がインド旅行中に知り合いになったブラフマンの女性と共に「リキシャ」 (日本の人力車が語源で自転車で牽く、と紹介されている)に乗った際のエピソードとして言及される。坂道であまりにも前に進まなくなった時に「降りよう」と提案した上野氏に対して、ブラフマンの女性が"It's his business"と、にべもなく言い放ち、これが階級社会というものか、と上野氏は得心した、との下りに続いての記述。だから、「使用人」云々はそういう流れだから出てきた言及。 「日本人は差別と抑圧の蜜の味を、あっというまに思い出すであろう」って、でも、朝鮮半島や中国から来た人が「ごろごろいた」時代に生きていなかった者が「思い出す」訳ではない。まるで、日本人が一体のものであるような記述はどうかと思える。 とはいえ、その時代を知っている者が、例えば「三国人」等と公的な場で発言すれば、その時代に生きていなかった者の中には倣ってしまう者もいるだろう。 また、この「ある保守派論者」の名を見れば、つい、割り引いて考えてしまったりするかもしれない (ので、姑息にも後回しにしてみた(^^;) 西尾幹二という保守派のおじさんがいる。「国民の歴史」の著者としていちやく有名になり、昔は何をしていた人か忘れられているけれど、もとはドイツ文学者だ。この人はドイツの外国人問題に言及し、「前車の轍を踏むなかれ」と、日本の労働開国に反対してきた。
あ~、あの人かと、この文章を確認したとき、私も思った(^^; この人が「アタマの固い右翼」と違った分類なのか?!とか(爆)。 でも、どうにも印象に残った一節なのだ(誰の発言として紹介されていたのかは忘れてたって訳)。 自分自身に差別感情が無いだなんて脳天気に思えるわけもない。自覚的に、よほど手綱を付けて抑えておかないと、足を取られる可能性があると思えて仕方ないから、気になるのだろうか。身近に、日常的に、複数で多様な海外から来た人達と接する機会がない状況だから (私は、だけど)、余計に。 国籍法がらみの騒ぎと引用した一節には、あまり直接の関係はないとは思いつつ、ゼノフォビアの表現をたくさん見てしまったせいか想起されてきたようだ。
ちょうど、去年見ていたこんな記事が、なんで今頃か解らないがここ数日引っかかってくるので、なんとなく引用。 オーマイニュース 2007-12-20 11:40 『 「小姐」は現代の従軍慰安婦か 中国人女性を囲う日本人駐在員の実態』 趙 秋瑾氏による記事より; (略) 実は日本人が買春などを理由に国外追放される事件は、今も中国各地で連日のように起こっている。また、若い中国人女性を愛人として囲うことが、日本人駐在員の間で広く行われていることも、日本ではあまり知られていないようだ。
(大幅に中略、愛人として囲われる若い中国人女性が「小姐」とよばれる、とのこと)
中国駐在の日本人男性たちがこの類の情報交換に使っているインターネットの掲示板がある。(略)
小姐を見下す日本人男性たち (中略) 私が一番心が痛み、腹が立つのは、日本人男性が中国人小姐を見下す姿勢だ。小姐をほとんど動物並みにしか見ていないことが、書き込まれている言葉の端々から伝わってくる。日本に帰ってからの彼らが日本人女性に対し、同様の姿勢でいるとは思えない。
中国で小姐を囲う行為をしているのが日本人だけではないことは言うまでもない。韓国人も、香港・台湾の人も、そしてお金のある中国人自身もやっている。(中略)
一番の問題解決法は、中国経済が発展して、愛人を囲う「人件費」が値上がりすることだと思うが、その時、本当に日本人男性が小姐を見下す姿勢が変わっているだろうか。また日本人男性が見下しているのは小姐たちだけなのだろうか。
今年、2008年は盧溝橋事変71周年で侵華日軍南京大屠殺71周年、そして 12月13日が日本軍が南京を占領した日ということで、12日付で、中国網日本語版は『 南京大虐殺の新しい証明』として「侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館」の朱成山館長がこの1年で「816件の新しい史料を収蔵したと明らかにした」記事を掲載したり、杜雅莉報道は 駐香港日本総領事館前で、日本の香港統治下に市民に強制的に香港ドルと両替させた軍票の弁償を要求し、南京大屠殺に関する教科書記述改竄に抗議するデモが起こっていると報じている。 でも、それよりも中国紙で昨日以来大きく取り上げられているのは、あらたに「慰安婦」被害者が名乗り出られた件だ。 新華網 2008年12月11日 17:32:11 『 《世紀吶喊──67位幸存慰安婦實錄》在南京發行 (《世紀の叫びーー67人の生き残った慰安婦実録》を南京で発行)』 中國新聞網 2008-12-11 『 15位中國籍慰安婦首次公開身份 (15人の中国籍女性が『慰安婦』であった経歴を公開)』 以上が昨日時点で見つけていた報道。中国網日本語版で翻訳記事が出るのを期待していたのだが、出ないようなので仕方ない。自動翻訳さんたちにお願いして、まとめてメモ。 なお、その他の報道はざっとこの辺で、同内容が複数の新聞から配信されているようだ。内容は上記2報道と、ほぼかぶっているのでリンクのみ。 大公報 2008-12-11『 15位中國籍慰安婦首次公開身份』 央視網 CCTV.com 2008年12月12日 10:09『 中國"慰安婦"李金魚老人在江蘇南京公開身份(圖)』 新華網江蘇頻道 2008年12月12日 15:15:42 『 哭訴血與淚的經歷 67位幸存慰安婦的"世界吶喊"』 そして以下が、新華網と中國新聞網の自動翻訳にかけた記述をまとめ、他報道と原文の漢字を参照してまとめたもの。
盧溝橋事変と中国を侵略した日本軍の南京大虐殺から71周年の今年、中共黨史出版社と侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館は共催で、11日に《世紀吶喊──67位幸存慰安婦實錄》の発行とその記念シンポジウムを記念館で開催した。また、その際に、「慰安婦」生存者であり発行書籍の主人公の一人、山西沁県の李金魚さんが報道陣の前で「慰安婦」であった経歴を明らかにして、中国侵略日本軍の当時の暴行を告発した。
《世紀吶喊──67位幸存慰安婦實錄》は、転業軍人である李暁方氏による作で、氏が3年間かけて自費で、中国の東北、内モンゴル、山西、江蘇、上海、浙江、湖北、海南のなどの中国の半分以上、それに韓国を実際に独りで調査して、何百人にも聞き取りを行って、生き残っていた「慰安婦」を訪問して作成したものだ。最終的に、李暁方氏は70数名の生存被害者の取材に成功し、数十万字の筆記した調査記録と、万枚近くの写真に、大量の録画資料を得た。そして、2008年の初めに、この400数枚の被害者写真と10万余字からなる調査結果をまとめた。
その文章は、個別聞き取りによって作製されており、全ては直接得た資料であり、非常に人を動かす、生き生きした具体的な記述だ。また、当事者の状況を示す収録写真は、非常な迫力と衝撃を受けるものだ。 なお、聞き取りを行った生存「被害者」は70数名であったが、さまざまな理由によって、資料への収録は67人となった。山西沁県、武郷県などの15人の被害者は初めて「慰安婦」であった経歴を明かしており、李金魚さんはその中の一人だ。
実録の主人公の一人である現在79歳の李金魚さんは、1944年、満14歳の旧暦2月1日の朝、従姉妹の李金娥さんと遊んでいた時に、突然ドアを破って押し入ってきた日本兵に拉致され、山西漳源鎮交口村南の山頂にあった望楼を兼ねたトーチカに連行され、2ヶ月間、監禁されて日本軍「慰安婦」とさせられた。その間の虐待のため、李さんは不妊となった。
この発行された資料に収録された67人という「慰安婦」の人数は、現在、中国学会が「慰安婦」であったと確認している人数に比して、多いと考えられている。2005年には、上海師範大学の中国慰安婦問題研究センター主任の蘇智良氏と曾披露氏が、現在存命の「慰安婦」被害者が35名と公表していた。
《世紀吶喊──67位幸存慰安婦實錄》の作者である李暁方氏は、その話を聞き、17年着ていた軍服を脱いで、道義上後に引けない思いで「慰安婦」調査に向かったと語る。李暁方氏は、訪問した「慰安婦」被害者の多くが貧しく、屑拾いなどで生計を立て、民間の固定的でない生活補助程度しか受けられていないと語った。
李暁方氏は、書籍出版後にも北京、武漢などを訪問し、引き続き史料収集を継続するという。 (注; これは、あくまでも、自動翻訳を主に頼った意訳なので、翻訳に間違いがあるかもしれません。もし、このなんちゃって訳を参照なさる方がいらっしゃいましたら、その点にお気を付け下さい。 また、訳の間違いにお気づきになった方がいらっしゃいましたらご指摘いただけましたら幸いです。) 被害を名乗り出られない被害者は多い。なぜ被害を名乗り出られないか、容易に想像が付く人は、それなりにたくさんいるとは思える。しかし、なぜ被害を名乗り出られないか想像もできない様子の、心ない発言も多い。 ちょうど昨日、 「Apes! Not Monkeys! はてな別館」さんで、 「上田亮」氏によるコメントを見て、激怒していたところだ。多少方向が違うかもしれないが、この際(?)ここでも引用させていただこう。 ちょっと今更なんですが『思想地図vol.1』では東浩紀氏はこんな発言をしています。
>誤解を受けそうな例ですが、僕は最近従軍慰安婦問題については、それがあったのかなかったのか、あまりにも情報が錯綜しているので考えるのをやめる、というか「考えるのをやめる」ところからスタートしないと何も始まらないと考えるようになりました。。一方に慰安婦はいたと怒っている人がいて、他方に慰安婦は存在しないと主張している人がいる。ぼくに、というか、たいていの人にわかるのは、そういう両者がいるという事実だけであり、あとはそこから出発して、日本という国家に最適なのはどのような選択なのか合理的に粛々と考えるしかない。 『慰安婦はいたと怒っている人がいて』?ポモってこういうの?…あ、Apemanさんがエントリ上げてらっしゃるので、そっちにもリンク。 12日付「 『思想地図 Vol.1』における東浩紀の発言について」 …東氏はアカポスにお付きのようだが、少なくともセクハラやパワハラ(アカハラ)相談は受ける立場にならない方がいいだろうな。被害を訴える人がいて、加害を否定する人がいて、情報が錯綜したら、所属大学にとって利益のあるように計らうって事になりそうだ。それって、被害を無かったことにするって話になりかねん(<-完全にエントリ内容から脱線している)。
参考; 「 Stiffmuscleの日記」さんの2007-06-26付記事、『 中国で新たに「元慰安婦」が名乗りでる』 レコードチャイナ2007年5月8日付「 90歳女性、元「慰安婦」であったと公表―江蘇省如皋市」 レコードチャイナ7月8日16時34分配信「 <訃報>実名公表の元「慰安婦」が死去、91歳―江蘇省」 当ブログ2008/07/10付、『 江蘇省唯一の実名公表「慰安婦」被害者、死去』
『 調査会法情報』さんが12月10日付『 調査会法情報081210(強制連行・沖縄戦・公文書)』で取り上げてらっしゃったのを、後追い(^^; なお、当ブログでの先行エントリは、2008/05/29付『 第2次不二越訴訟控訴審第1回口頭弁論が28日に開催』、、、って、あれ?第二回が飛んでしまった。 『戦時中に「女子挺身隊(ていしんたい)」として強制連行され過酷な労働を強いられたとして、韓国人女性ら23人が機械メーカー「不二越」(本社・富山市)と国に慰謝料など1億380万円の損害賠償と謝罪を求めている』、「第2次不二越訴訟」の控訴審第3回口頭弁論が8日に名古屋高裁金沢支部で開かれた、という話。それに先立つ12月5日時点で、 「第2次不二越訴訟」を支援する北陸連絡会は4日、控訴審の第3回口頭弁論(8日)で、国際法などを研究する教授ら2人の証人採用を求める署名を名古屋高裁金沢支部に提出した。前回と合わせて署名は1万人を超えた。 (中略)8日に採否が決まる。同日、証言する予定だった原告の成順任(ソンスニム)さん(78)は体調を崩し来日できなくなった。
ということだった。 そして、8日に出た報道で (略) 口頭弁論で弁護団は「日韓の協定の解釈に誤りがある」として学識者を証人採用するよう求めました。これに対し名古屋高裁金沢支部は、朝鮮近代史が専門の新潟国際情報大学の吉沢文寿准教授を証人として採用することを認めました。次の弁論は来年3月4日に開かれます。
続いて、9日に出た報道で (略) 原告側はこの日までに、日韓請求権協定締結当時の外務省が「放棄されるのは国の請求権であって個人のものではない」との見解を示した内部資料を提出した。また、学者2人のうち、吉澤文寿・新潟国際情報大准教授が証人として認められた。 (中略) この日、原告側は準備書面で「同協定締結当時の日本政府の公式解釈は、放棄されるのは国の請求権のことだった」と主張。「個人の請求権自体を直接放棄することが目的だった」とする国側の主張は、当時の政府の意思に反しているとした。(後略)
9日の報道がもう一つあって、 (略) 渡辺修明裁判長は原告側から証人請求があった新潟国際情報大の吉沢文寿准教授(朝鮮現代史)を採用、来年三月四日の次回弁論での尋問を認めた。もう一人、神戸大の五十嵐正博教授(国際法)の証人請求は留保した。
国側が「サンフランシスコ平和条約と日韓請求権協定で韓国の国民には日本への請求権はない」と主張。これに対し、原告側は「条約と協定は法的性格が異なる」と反論。同条約は請求権放棄の枠組みに当てはまらないとして「意図的な混同だ」と訴えた。(後略)
請求権云々の辺り、司法に強いどなたかが説明に来てくれるのを期待しつつ、見つけた情報を保存。
『 不条理日記』さんの2007年06月04日付『 「日韓請求権協定」と個人の請求権について』 (略) しかし、「財産及び請求権に関する問題の解決並びに経済協力に関する日本国と大韓民国との間の協定」(1965年6月22日 署名)によって、大韓民国の国民が日本政府や日本企業に対し補償を求めることは出来ない、と判断することは誤りである。
この協定の第二条は、 (中略) となっている。たしかに全ての補償問題が「解決」されたと述べているようであるが、日韓の両国民に対し請求権を失わせるものではない。 (中略) さらに、この日韓の協定について1991年8月の参院予算委員会で当時の外務省条約局長が次のように答弁している。 121 - 参 - 予算委員会 - 3号 平成03年08月27日 100/297 ○ 政府委員(柳井俊二君) ただいまアジア局長から御答弁申し上げたことに尽きると思いますけれども、あえて私の方から若干補足させていただきますと、先生御承知のとおり、いわゆる日韓請求権協定におきまして両国間の請求権の問題は最終かつ完全に解決したわけでございます。 その意味するところでございますが、日韓両国間において存在しておりましたそれぞれの国民の請求権を含めて解決したということでございますけれども、これは日韓両国が国家として持っております外交保護権を相互に放棄したということでございます。したがいまして、いわゆる個人の請求権そのものを国内法的な意味で消滅させたというものではございません。日韓両国間で政府としてこれを外交保護権の行使として取り上げることはできない、こういう意味でございます このように「いわゆる日韓請求権協定」に於ける「個人の請求権」の扱いは、 日本政府が韓国政府に対し、あるいは韓国政府が日本政府に対し、 自国民の財産の返還や被害の補償を要求することはない、ということを宣言しただけなのである。 日本国民が韓国政府に対し、あるいは韓国の国民が日本政府に対し、財産の返還や被害の補償を求めることは、この協定とは無関係なのである。(後略)
『 関釜裁判を支援する会』さんの『 「日韓協定によって解決済み」論に対する山本弁護士の反論』 (略) しかし、1991年8月27日以降の国会答弁においては、政府は日韓協定の規定は外交保護権の放棄にすぎず、個人の請求権は消滅していないことを認めるようになった。 (中略) 2 日韓協定二条三項の趣旨 政府が個人に代わってその請求権を消滅させる協定を結ぶことはできない。一審被告の主張の通り、日韓協定二条三項は個人の権利を消滅させるものではなく、外交保護権の相互放棄を定めた規定にすぎない。 このことは実は協定締結当時から日本政府は十分に意識していた。(後略)
『 47ニュース』2005/01/17 01:23付『 日韓外交文書の要旨 韓国政府が公開』 【ソウル17日共同】韓国政府が17日公開した外交文書の要旨は次の通り。 【1964年3月11日 外務省から駐日大使あて訓令】協定で請求権が北朝鮮地域まで及ぶことへの可否は協定文に明文化せず、代わりに両政府が適切な説明で自国民を納得させる。 (大幅に中略) 【同年6月19日 韓国代表が外相に向けた至急暗号文】(請求権問題解決を定めた)二条がまだ妥結できない。打開に向け訓令を願う。
『 [AML 6246] Fwd: [renko-ml][04535] 「日韓会談文書・全面公開を求める会」ホームページからも入会手続できます!』2006年 3月 10日 (金) 付の一部、 日韓協定によって解決されたのは、日韓双方の政府が保有する外交保護権のみであり、個人の請求権は消滅していません。
日韓協定によって個人請求権まで解決されたというのであれば、日韓会談で何が話し合われたのか、そしてどのようにして協定が締結されたのかが明らかにされるべきでしょう。しかしながら、日本政府は、日韓協定締結から40年以上経過しているにもかかわらず、日韓会談文書を実質上非公開にしています。
2005年に韓国政府は日韓会談にかんする外交文書を全面公開しました。 しかし、日韓会談の全貌を知るためには、日本政府による文書公開が必要不可欠です。
それで、今現在は日韓会談文書の公開がどうなったのかと探してみると、、、2008年 5月 11日付で、 私達は2006年4月に外務省に対して情報公開法に基づく日韓会談文書の全面公開を請求していましたが、この程、多数の部分開示、不開示部分があるとは言え、5万ページに上る文書開示を実現しました。韓国で開示された文書が3万5千ページですので量的にもそれを超えるものです。特に日本政府の内部検討の文書も相当数開示対象に入っていることは極めて重要だといえます。
『 日韓会談文書・全面公開を求める会』ホームページを確認してみると、第2次不二越訴訟控訴審第3回口頭弁論に焦点を絞った情報は見当たらなかったのだが、この会の請求によって公開された文書が、 日韓請求権協定締結当時の外務省が「放棄されるのは国の請求権であって個人のものではない」との見解を示した内部資料を提出した。
の内部資料なのかもしれない。 ということは、この裁判の行方、今までと違った方向に行く可能性は結構それなりに、、、あるのだろうか。
韓国の「慰安婦」被害者の方が、またお一人亡くなられたとの訃報が、韓国紙で配信されていた。 ・CNB NEWS 2008-12-06 22:33:56 『 ’정신대 피해자’ 한도순 할머니 타계 (「従軍慰安婦被害者」ハン・ドスンさん他界)』 ・Tongilnews 2008년 12월 06일 (토) 18:16:27『 일본군‘위안부’ 피해자 한도순 할머니 운명 (日本軍「慰安婦」被害者ハン・ドスンさん他界)』 ・ソウル新聞 2008-12-08 『 [부고] 마지막 순간도 눈 제대로 못감은 채… 일본군 위안부 피해자 한도순 할머니 한많은 생 접어 ([訃告] 最後の瞬間にも目を静かに閉じられぬまま… 日本軍慰安婦被害者ハン・ドスンさん逝去)』 ・アジア経済 2008-12-07 19:55『 '위안부 수난' 한도순 할머니 타계 (「慰安婦受難」ハン・ドスンさん他界)』 ・聯合ニュース(毎日経済 経由)2008.12.07 19:30:00『 '위안부 피해자' 한도순 할머니 타계계 (「慰安婦被害者」ハン・ドスンお婆さん他界)』 これら報道の内、聯合ニュース配信分が 東亜日報その他広く再配信されているようだ。 ハン・ドスンさん(ハングルで한도순さん)の他界を報じる各社記事を自動翻訳にかけてまとめると、
第二次世界大戦当時、日本軍『慰安婦』としての苦痛を体験したハン・ドスンさんが、5日、老衰にて他界した。享年87歳。
故人は、1921年に全北(チョンブク)完走で3男1女の長女として生まれ、19才の時に、山に薪をとりにいった際、日本軍関係者に強制連行され、満州に連れて行かれて「慰安婦」として悲惨な体験をした。
日本敗戦時に帰国したが、一旦は故郷に帰ったものの、「慰安婦」であった経歴を噂される等あって、故郷には定着できず住まいを転々としていた。93年に生活保護対象者との指定を受けたが、その後も苦しい生活を送っていた。
ハンさんは自身の過去を、なかなか口には出せなかったが、偶然知った甥(姪)らが、2000年に慰安婦被害者として申告し、ナヌムの家に居住することとなった。故人は、生前、交通事故や慢性関節炎などで行動が不便でありながらも、病状が悪化する前までは水曜デモなどには積極的に参加してきた。
甥のお一人は「故人は生前、どこに行っても苦しい胸の内を一度も現すことができませんでした」としながら「常に穏やかな方だったが、時々、お酒が入ると大泣きしていました」と語った。ナヌムの家の看護師は「ハンさんは、当時、ナヌムの家の最年長者で、笑う姿が赤ちゃんみたいに純粋な方でした」と話した。
韓国挺身隊問題対策協議会の、カン・ジュヘ事務局長は「2005年からは療養院での生活となったが、お見舞いの度に、ソウルの水曜でもの現場に行きたいとおっしゃっていた。もう、永遠に水曜デモの現場には行けなくなってしまった。」「被害者に対する日本政府の謝罪発表を聞くことが故人の一生の願いであったのに、御覧になれずに亡くなられてしまいとても残念だ。」と故人の冥福を祈りつつ、「政府に登録された『慰安婦』被害者はもはや94人しか存命でいらっしゃらない」としながら「日本政府は一日も早く積極的な賠償努力をしなければならない」と語った。
そして、ハン・ドスン(韓道順)さんの生前の消息を探してみた。もし、同姓同名の被害者の方と間違えてしまっていたら、とんでもない失礼で申し訳ないのだが、、、2000ー2005年にナヌムの家にお住まいだったハルモニのことなら、まず間違いはないだろうから、記憶しておくための記録とさせていただきたいと思う (もし、間違いの情報にお気づきの方は、ご指摘いただけましたら幸いです)。 「ナヌムの家」第57号 消息誌(2001年1月1日)ハルモニたちの近況 ハン・ドスン ハルモニ(83歳)
ムン・ミョングムハルモニが亡くなると、一番上の姉さんになられたハン・ドスンハルモニ。東京で開かれる2000年の法廷に参加され、帰ってこられた。出発する前だけでも、ハルモニはもちろん周りからさえちゃんと行って来られるのか大変心配をしたが、ハルモニは立派にその日の行事を執り行って帰ってこられた。(後略) 「ナヌムの家」第58号 消息誌(2001年2月1日)「ナヌムの家」第59号 消息誌(2001年4月1日)[fem-events 1909] 第 600 回韓国水曜デモアップデート (Mon, 15 Mar 2004 ) ★ハルモニたちからのメッセージが届きました★
「小泉総理、日本の歴史教科書から私たちのことが削除されているというのはどういうことなのでしょうか?教えることはきちんと教えてください。早くこの問題を解決し、隣に住む者同士が何のわだかまりもなく過ごせるようにしてほしい」(キム・スンドク)
「私たちの問題が解決されないということは、今後も同じような悲劇が起こるということです。私たちの世代が負った傷は私たちの世代で解決し、後世の人たちまで持ち越すべきではありません。私たちがこの世を去る前に一日も早い名誉の回復を望みます」(カン・イルチュル)
「私たちに時間はありません。公式謝罪と法的賠償を日本の皆さんの手で早く実現してください。私が言いたいのはそれだけです」(パク・オクスン)
「国がちゃんとやれ!」(ハン・ドスン)
「息が詰まりそうな思いでいます。日本の国民の皆さんが政府を動かして、早期の謝罪と賠償を実現してください」(イ・オックム)
「謝罪と賠償を早く実現してということ以外、日本政府、国民に対して言うことはありません(パク・オンリョン)
「私たちが望むような形での早期解決を願うだけです」(キム・グンジャ)
「国民基金は認めない。国民基金がこの問題を解決したと思ったら間違いだ。私たちをもう一度殺そうとするものだ。私が望むのは、国民から集めたお金ではなく、日本政府による法的賠償だ」(イ・オクスン) Yahoo!グループ : ひろしま草の根メーリングリスト メッセージ : 4642 件中 987 件目> 「中央日報」01・12・26 > > 「日本の謝罪聞けず6人があの世に」従軍慰安婦ら490回目の抗議 (略) > 「日本政府の正式謝罪と法的賠償」を要求し、毎週集会を行ったのがこの日で490回目。 > この日は、今年亡くなった女性のための質素な追慕会があった。 (中略) > 行事が終わった午後5時。歩行が不自由なハン・ドスン(90、京畿道広州のナヌムの家)さんは「年を取れば亡くなるもの、だけどそう簡単に逝くことができるかい」とつぶやいて席を立った。
『 はげしく学び はげしく遊ぶ(石川康宏研究室)』さんの2008年1月 4日 (金)付『 2004年9月 はじめてゼミで「ナヌムの家」へ』 『 Mitsuba's Diary』さんの2005年12月09日付『 ナヌムの家のハルモニ・・・韓道順ハルモニ』も、若干出生地 (当方がハングルを自動翻訳しているので、こっちが間違えている可能性は大いにあるし)と家族構成が違っているような記載もあるけど、恐らくは同じ方だと思われるので、お借りしておこう。 1918年(戸籍上は1921年)4月19日、全羅北道完州(チェルラプットワンジュ)郡で4男1女の一人娘として生まれる。 14歳のとき、家が貧しくて口減らしのため嫁に出された。結婚しておよそ3年間暮らしたものの、夫が亡くなり、実家に戻ることになった。
19歳の春(1936年頃と推定)山に行こうとして家を出ると、見ず知らずの年配の男性が、お前は本当に可愛いといいながら、自分についてきたら贅沢をさせてやると言った。嫌だと言ったら、髪を引っ張ってむりやり連れていかれたところが満州だった。それから9年間、『慰安婦』として監禁されたまま生活した。
慰安所の主人は、日本人夫妻で、民間人だった。他の女性も10名ほどいた。その家に暫くいた後、他の慰安所に移った。平屋建ての家だった。軍人たちは、歩いてやって来た。平日にも週末にも来るが、休日や土曜日に多かった。
多くの軍人の相手をしなければならず、辛くてとても嫌だと拒否しようとすると、激しく殴られた。 (中略) 慰安所の主人や軍人からお金を受け取ったことは1度もない。後でくれるという話もなかった。月に一度は休みの日があり、その日は一日中寝た。
ある日、主人夫妻がすべて終わったから村に行けといい、汽車賃をくれた。汽車賃のほかには1銭も持っていなかった。他の女性たちは何処へいったのか分からないが、汽車に乗って故郷に向かった。眠ることができなかった。汽車には同胞だけが乗っており、故郷までは3日間ほどかかった。
家に帰るとすでに冬だった。(1945年推定)村の人たちからは『満州に行ってきたいわくつきの女』と陰口をたたかれて蔑まれた。 (中略) 93年11月に夫に先立たれ、その後、生活保護対象者となる。甥の申請で『慰安婦』対象登録をして、2000年4月からナヌムの家に入り生活している。
ナヌムの家の中では最年長者だが,2000年12月『女性国際戦犯法廷』にも参加し、水曜デモにも1度も欠かさず出席するなど、ナヌムの家の対外的な行事に黙々と参加している。(後略)
今年だけで、韓国政府登録者の被害者の中で、15人もの方が亡くなっているという事実に、改めて衝撃を受けている。被害者がご高齢であるのは解っているのに。 日本国内では、ようやく、地方自治体からも「慰安婦」問題解決を要求する意見書が出るようになってきた。…でも、間に合わない被害者が多すぎる。 故人の冥福をお祈りします。
あまり………どころか、全然、自慢にはならないが、人の顔を見分けるのが苦手だ。就いている仕事がそういうものなので、年に1回か2回、定期的に顔を合わせる仕事がらみの知人が相当数いたりもするのだが、その大半は、ほぼ確実に顔を覚えていない (<-きっぱり書いている場合でもないのだが…orz)。 しかし、どうやら、世間一般の大多数の人達は、私より遙かに人間の顔を見分ける能力を備えているらしく、大抵は先方が目上であるにもかかわらず私を見かけて声をかけてくださるのだが、、、その場合、こっちは相手が誰だか解らないという困った事態が発生する(^^; 名札が付いている場合だと、こっそり名前を確認するという手段も使えるのだが、名前を見ても誰だか心当たりがない場合すらある(爆)。 人間の顔や名前を覚える意欲が低いのではないかと推測しているのだが (<-自分のことなんだけど…orz)、これが、別の場合で、相手が犬や猫を連れている場合だと、その犬猫の方は見分けているので言い訳に苦慮する羽目になる (<-自業自得だけど…orz)。 …えーっと、だから、ここを見ているリアルで顔を合わせている数少ない皆様、もし何かの機会で町中ですれ違って無反応だった場合、別に無愛想なんじゃなくて、単に気がついてないだけです本当です。 そういえば、私の勤務先の部署には、いつも営業に来る保険会社の人(女性)と、いつも営業に来る銀行の人(女性)が各一人ずついる。この前、保険会社の人にある相談をし、、、そのしばらく後に、営業に来た女性に「この前はありがとうございました」とお礼を言ったら、別の、銀行の人の方だったということがあった。同じ部署の橋本さん(仮称)に、「どうして間違うのっ?! 全然違う顔でしょっ」と怒られたので、次にそれぞれ来たときに確認したら、本当に全然違う顔だったりしたこともある(<-ぉぃ)。 というぐらい、私は人の顔の見分けを付けるのが苦手なのだが、これはこれでたまには良いこともある。 というのは、このところ見ている武侠ドラマでの話。
これがまた、オープニングとエンディングで、ドラマ中の名場面がいろいろと示されるのだが、、、軒並みどの場面も力一杯ネタバレなのである。 だがしかし。 人の顔の見分けが付かないと、そのとんでもないネタバレのシーンであっても、実際その場面にならないと、どのキャラがそういう羽目になっているのかが、あらかじめ解っていないのである(^^; これまでで一番、「えー、この人がこうだったのか!!」とビックリしたのは、笑傲江湖のエンディングで胸に短刀を突き刺されて倒れている女性と、碧血剣のエンディングで木の下で髪をなびかせていた橙色の服を着た男性だろうか。 しかし、人の顔を見分けるのがとことん不自由な私であっても、かれこれ4作目の武侠ドラマを見ていると、脇役の人達の中に「この人は見覚えがあるぞ」という人がでてくる。 一番最初に気付いたのは、笑傲江湖で嵩山派の掌門の右腕として働いていた陸柏というおじさんで、射英雄伝で丐幇の汚衣派長老だったし、天龍八部では大理国で働いていた。天龍八部では他に、主役級キャラの一人らしい「北の喬峯、南の暮容」 (注;喬峯が主役)と並び称される暮容復が、射の欧陽克と同じ顔だ。天龍に出てくる王夫人は、碧血剣の安大娘と中の人が同じようだ。 (この辺、堂々と書いてみたけど配役は確認してないので違ってるかも(^^; 多分、同じ役者さんだと思うんだけど(^^;)。 というように、たまに見たような人がでてくるのも楽しく見ていた天龍八部。 さらに、この人は?!という方が登場した。 それがこの人。…どこかで見たお方だ。どこだっけ? とりあえず、役者さんのお名前を確認。 ふむふむ。 そして、見覚えのあった笑傲江湖の某キャラクターの方も確認。 あ、やっぱり同じ人なんだ(笑)。 …そんなこんなの天龍八部。6枚目のDVDでは、このお方ともう一人のお年寄りが、いたいけな若い僧侶を欺して拉致して監禁し、改造人間にしてしまったのであった。 …あれ? 多少違ったかな?
3日から始まった「クラスター爆弾禁止条約(オスロ条約)」の署名式は、日本を含む94ヶ国が署名し、4日に閉幕したという。今後、手続が間に合わなかった国の署名をニューヨークの国連本部で受け付ける、とか (asahi.com 2008年12月5日11時50分『94カ国が署名し閉幕 クラスター爆弾禁止条約』より)。 「米国は対人地雷禁止条約に入っていないが、実際は、条約の(不使用)義務を100%守っている。中国も地雷輸出をやめた。クラスター爆弾でも、同じことが期待できる」。対人地雷禁止条約締結への寄与で97年のノーベル平和賞を受賞したジョディ・ウィリアムズ氏は、クラスター爆弾禁止条約の署名式出席のため訪れたオスロで語った。
条約の狙いは加盟国を増やし、非加盟の米露中など大国への包囲網を作って圧力をかけ、クラスター爆弾の使用を国際的なタブーにすることだ。たとえ大国でも国連加盟国(192)の半数近い国々が加盟する条約を無視するのは難しい。 (中略) 非政府組織(NGO)によると、今年8月のグルジア紛争では、ロシア、グルジアがクラスター爆弾を使用したが、両国は互いに使用を非難した。既にクラスター爆弾は「使ってはいけない」(NGO)兵器と位置づけられている。
国立国会図書館調査員(安全保障)・福田毅氏によると、 日本は当初、署名に消極的だった。日本と同スタンスだった英仏独が方針を転換し、参加への流れが形成され、日本も加盟せざるを得なくなったというのが実情だろう。
大阪女学院大教授(軍縮国際法)・黒澤満氏によると、 将来、大国が加わる方向性を示したことは意味がある。対人地雷も禁止条約(99年発効)の影響で「使えない兵器」になっており、「クラスター爆弾は良くない兵器」という国際規範を徐々に浸透させることが重要だ。
対人地雷に続きクラスター爆弾でもNGO(非政府組織)とノルウェーなどミドルパワー(中級国家)が禁止条約作りを主導した。軍縮条約の歴史に従来の大国主導とは別の流れができた。
だが、2008.5.29時点にダブリンでの『オスロ・プロセス』国際会議に関して、『 専守防衛に空白 クラスター爆弾全面禁止合意』で 確かに、着上陸侵攻の可能性は冷戦時に比べ低いが、国土防衛は確率論ではない。国家の決意を示し、途切れることのない抑止力につなげることが大原則である。禁止の背景である不発弾による非戦闘員の殺傷多発は痛ましい。だが、国家・国民の安全が損なわれる事態も悲劇ではないか。
確率論ではなく 決意を示すってそれっていわゆる特攻精神みたいなもの?!とか、大原則って産経の?!とか、非戦闘員の殺傷多発がって、イコール国民の安全をそこなっている事態だろ?!、とか疑問符の大量発生する文章を公表し。 あるいは、『 【主張】クラスター爆弾 日本の安全が損なわれる』として 国際会議では、ノルウェー、アイルランドなどの全面禁止派と一部の規制にとどめるべきだとする日本、英独などの部分規制派が対立している。主な論点はクラスター爆弾の定義や非加盟国との共同作戦をどう取り扱うかなどだ。
議長案は、軍事目標だけを正確にとらえるとともに不発弾を残さない自爆機能を持つ最新型を禁止の例外とするようだ。これにより各国が保有するクラスター爆弾の90%以上、とくに日本の保有分はすべて禁止の対象となる。
日本は侵攻してきた敵を撃退するため、クラスター爆弾を防御手段としている。海岸線が長く、離島の多い日本にとって敵の上陸を食い止める有力な手段はほかにない。冷戦が過去のものとなった欧州などとは環境が異なる。
と、論旨が田母神氏発言とそっくりだけど、それって、 田母神俊雄・航空幕僚長が「不発弾による(日本人の)被害も出るが占領される被害の方が何万倍も大きい」と同爆弾の必要性を強調した点について、同会議に出席していた英国のエルトン上院議員は「日本国内で使えば市民の犠牲は免れない。軍の論理より民間人への犠牲を最大に配慮すべきだ」と疑問を呈した。また非政府組織(NGO)の連合体「クラスター爆弾連合」のコーディネーター、トーマス・ナッシュ氏は「信じがたい発言。日本を占領できるほど軍事力を持つ敵だったら、クラスター爆弾程度で撃退できるわけがない」と語った。
なんてツッコミが既に入っていたもんだけど、、、、、の産経はやはり、だった。
pr3さんが期待の 『主張』は 理想論が先行して、署名という結論が導き出されたことに危惧(きぐ)せざるを得ない。 (中略)海岸線が長く、離島の多い日本にとって敵の上陸を食い止める有力な手段はほかにない。しかも中国、ロシア、韓国、北朝鮮などの周辺国、それに米国も今回の条約に参加していない。冷戦が色濃く残る北東アジアで日本だけが有効な兵器を持たないという構図である。
非参加国が持つクラスター弾は世界の保有数の7割以上を占めるようだ。対人地雷全面禁止条約の発効後、米国などの非署名国も対人地雷を実戦で使わなくなったことから、クラスター弾も使えなくなると論じられているが、禁止の実効性は担保されていない。
…と、書いてはいるものの、今ひとつ勢いには欠ける、ように見える。 しかし、今回の本命はこれではなかった(爆)。 『 【産経抄】12月5日』(^^; 冒頭で、 それほど、「めでたい」ことなのか。
そして、 きのうの毎日新聞は「『市民主導の軍縮外交』が新たな地平を切り開いた」などと祝賀ムード一色だった。小欄とてこの爆弾が、広範囲に損害を与え、不発弾によって多くの民間人が被害に遭ってきたことを承知している。
…毎日新聞名指しである(^^; もはや隣国から攻撃を受ける可能性がほとんどなくなった英、仏、独の参加には、驚かない。英、仏2国にとっては、本来核兵器も必要ないはずだ。もっとも国連常任理事国であることを示す“勲章”を手放すつもりはないようだ。
驚かないって(^^; 勲章って(^^; そして、 島国日本の海岸線が異様に長いという特殊事情も悩ましい。約3万5000キロもあり、中国の2倍、米国の1・5倍に達する。
と来ると、論旨はアレだなと思ったら、やはり。 森本敏拓殖大学大学院教授によれば、自衛隊が保有しているクラスター爆弾は、何より相手が海岸に着上陸したときに、効力を発揮する。つまり日本になくてはならない兵器だった。
森本氏の意見は「効力を発揮する」までで、「なくてはならない」は、産経症の中の人の意見のようだ。 でも、だから民間人に被害が及ぶような兵器をばらまくべき事態のまえに(以下略)。そして、今回の目玉はこの後。 こんな危ない状況へ、日本を導く旗振り役となったのが、やはりこの人、河野洋平衆院議長だった。
…爆(^^; 麻生首相が『これ、歴史的にすごいことなんだよ。』『クラスター弾というのはものすごく大きなことだと思ってたんですけれどもね。』とご発言なのになぁ。麻生首相の感覚も凄い (主に言語感覚が…orz)と思っていたものだが、産経の感覚は遙かに独創的であることを確認してしまったのであった。 ところで、国籍法関係で、河野太郎議員のブログが炎上したのって、やはり、河野洋平氏は無関係じゃないんだろうなぁ。 ほんで、クラスター爆弾禁止条約がらみは、本当に静かですなぁ。>gegenga師匠
毎日以外では、朝日・日経なども報道しているけど社説ならこの辺。 中日新聞2008年12月5日 『 社説;集束爆弾禁止 この流れ定着させたい』 沖縄タイムス 2008年12月05日 社説 『 クラスター弾条約』
クラスター爆弾を正当化する軍事思想がある。多数の子爆弾を広い範囲にばらまき、その地域を制圧する。市民をも標的とする無差別攻撃が戦勝に役立つという戦略だ。市民に恐怖感を広げ、戦意を失わせるテロリズムである。敵国を「文明化されていない劣った人々」と蔑視する差別意識が背景にある。
米軍が日本空襲で使った焼夷弾もクラスター型の兵器だった。ベトナムからアフガニスタン、イラクと世界中で使われた。不発弾にさわっただけで手足をもがれ、命を失う。爆撃を命じる将軍や政治家は、子供の苦痛は想像しない。(中略)高空から見えない地上の人々を破壊する将軍の視点を否定し、名もなき死者が最後に見た家族やふるさとの緑、空の青さを想像する。それが、爆弾を禁止する市民の視点だ。
20世紀は、戦争を制限する国際法に取り組んだ世紀でもある。戦闘の手段や方法はもはや国家が勝手に選べない。たとえば、発効から30年たつジュネーブ条約第1追加議定書は住民と軍事目標を区別しない無差別攻撃を禁止した。 この国際法の原則をクラスター爆弾に適用し禁止する。 (略) 人間は愚かな戦争を繰り返した。だが、誤りを防ぐ意志も持つ。「共同の意識」と死者の側に立つ想像力が21世紀の平和をつくる。
田母神問題の報道を見て回っていた折に、田母神前空幕長が日本本土防衛のために必要と主張していた クラスター爆弾に関して、日本は福田首相の元で禁止条約に同意していたことを知った。その禁止条約の署名式が、3日からオスロで行われたそうだ。 3日の夜までに日本を含む92カ国が署名し、続く4日にも署名式は行われて、最終的には100ヶ国以上が署名したという。 有志国と非政府組織(NGO)が主導する軍縮条約としては、対人地雷禁止条約(99年発効)に続き2例目。「市民主導の軍縮外交」が新たな地平を切り開いた。 (略)主催国ノルウェーのストルテンベルグ首相が「クラスター爆弾が永久に禁止されることを確認する日になる」と開会を宣言。同国に続き、条約作りに尽力したニュージーランド、アイルランド、オーストリアなどが署名。中曽根外相も署名した。 (略) ノルウェーとアイルランド、バチカン市国の3カ国は3日の署名式で、同条約の批准書を国連に手渡した。対人地雷禁止条約は発効まで1年3カ月かかったが、今回は来年にも発効するとの見方が出ている。
条約に参加していないのは、アメリカ、ロシア、中国、イスラエル、 韓国、北朝鮮、ポーランドなど。「署名式参加国でもロシアに対する安全保障上の懸念を持つフィンランド」も署名を見送ったという (上記の二つめに引用した毎日新聞報道より)。中国も「解決に努力する」とは発言しているらしい (サーチナニュース 2008年12月4日『クラスター爆弾禁止:中国「解決に努力」も署名はせず』より)。 米国務省は「同爆弾の製造・保管・使用を包括的に禁止する条約は、米国や同盟国の兵士の生命を危険にさらす」として改めて不参加の方針を表明した。 (略) 非政府組織「クラスター爆弾連合(CMC)」のメッテ・エリスッセンさん(43)は本紙に電話で「同爆弾は依然として使用されている。条約の署名国を増やすことで“非人道兵器”という烙印(らくいん)を押したい」と語った
一方、 3日の署名式では、米軍主体の国際治安部隊(ISAF)が展開中のため、被害国でありながら署名しないと見られていたアフガニスタンが方針を転換して署名した。また、シエラレオネが即日批准の手続きを取ったと表明し、これで批准は4カ国となった。
日本の場合は、
河村建夫官房長官は記者会見で「署名を行えば次は批准ということになる」と述べ、来年の通常国会で批准を目指す考えを示した。
どうやら、早期の批准を目指すようであり、今回の報道でも、それよりも前の報道でも「 被害者支援を含む不発弾対策に日本が協力していく方針を表明」しているようなので、 2007年5月のリマ会議の時にはクラスター爆弾に対するたるい認識で国際的に孤立していた状況より前進しているようで、この件に限っては日本の人権後進国っぷりに( - -)をしないですみそうなのが嬉しい (その会議の開催中にでた田母神発言の報道はこちら)。 …ところで、上述の時事ドットコム報道でちらっと触れられていた麻生首相の発言はというと Q総理!総理!クラスター爆弾について、お願います。
Aクラスター爆弾?
Qクラスター爆弾。
Aクラスター爆弾?ああ、今日サインしたやん。
Qええ、禁止条約への署名について。
Aおん、サイン、サイン、もう終わりましたよ。うん。
Qそれで日本として今後どうしていきたいかと言うことを総理にお伺いしたい。
A日本としてはこのクラスター、クラスター弾に、サインに入っていない国というのがありますから、そういった国々に関して、クラスター弾の禁止条約に1カ国でも多く入ってもらうように働きかけて行きます。
(秘書官「はい!終わります!」)
A(立ち去るところをいきなり振り返って)これ、歴史的にすごいことなんだよ。
Qおお!(記者団びっくり)
A分かっていないみたいな、分かってないみたいな、これ一番最初に聞いて欲しいなって思っていたんだけどね。クラスター弾というのはものすごく大きなことだと思ってたんですけれどもね。一番最後に忘れたように聞くから、一番最初に聞いて欲しい。フッフッフッフッフ。
「クラスター弾の禁止条約に1カ国でも多く入ってもらうように働きかけて行きます」は、それは、是非とも頑張っていただきたいのだが。。。 一連の発言の軽さが、なんだかなぁ……orz なお、肝心の条約要旨は以下の通り。 ■禁止事項
いかなる場合も使用、開発、製造、入手、貯蔵、保有、移転(輸出)せず、条約で禁止された行動を支援、助長しない。
■定義
重量20キロ未満の爆発性の子爆弾を散布する爆弾を指す。子爆弾が10個未満で、1個あたりの重量が4キロ超あり、攻撃目標探知機能、電子的な自己破壊・無能力化装置を備えたものは例外。
■在庫の廃棄
条約発効後8年以内に、保有するクラスター爆弾すべてを廃棄する。最長4年までの期限延長を締約国会議などに要請できる。
■不発弾処理
条約発効後10年以内に、自国管理地域に存在するクラスター爆弾の不発弾処理を完了する。最長5年の期間延長を締約国会議などに要請できる。使用国は処理への技術的、財政的、人的資源の援助提供が求められる。
■被害者支援
被害者に年齢、性別に配慮した援助(医療、リハビリ、心理的支援を含む)を適切に提供し、社会復帰を支援する。
■国際協力
国際機関やNGO(非政府組織)などを通じ、在庫廃棄、不発弾処理、被害者支援などで(支援を必要とする国に)協力する。
■透明性
発効後180日以内に自国内のクラスター爆弾の情報、廃棄計画の進展状況などを国連事務総長に報告する。
■国内実施
条約で禁止されている行動の国内での防止、抑止のため、立法上その他条約実施のための適切な措置をとる。
■発効の要件・留保
批准国が30カ国に達してから6カ月目の月初めに発効する。特定条項を留保(して署名・批准)することは認められない。
■非加盟国との共同軍事作戦
加盟国の軍人、国民は条約で禁止された行動を行う可能性のある非加盟国との軍事協力・作戦に関与することができる。ただし、クラスター爆弾の開発、貯蔵、使用などは認められない。
参考; 『 かめ?』さんの2008年03月04日付『 珍しく、やっぱ9条は守るべきだな、などと考える 』経由; 毎日新聞2008年3月4日 東京朝刊 『 クラスター爆弾:米が英独加に警告、「条約案、共同作戦に支障」』 不発弾が市民に被害をもたらすクラスター爆弾について、今年中の条約締結を目指す「オスロ・プロセス」と、北大西洋条約機構(NATO)の双方に加盟する国に対し、米国が「(条約案は)受け入れがたい内容だ」と警告する書簡を送ったことが分かった。アフガニスタンなどでの共同作戦への支障を理由としている。禁止条約に消極的な米国が、急成長するオスロ・プロセスを警戒し、圧力をかけたとみられる。
その他参考; 『 かめ?』さんの2007年05月27日付『 だよね~ 』 <-タイトルでは解りませんが、リマ会議に関するエントリです(^^;
魚拓その他保存w 後で、整理できれば、、、いいなぁ (<-無理(^^;) 中国新聞ニュース12/2付 『 「この人が空自トップ?」 驚き、あきれる外国人記者』 外国特派員協会での田母神氏の講演には200人以上出席者があって、外国人特派員や日本人ジャーナリスト20人ほどとの…「あなたの考え方は、自衛隊内で多数派なのか」等を初めとする質疑があったとか。 (略)田母神氏は自衛隊を「言論弾圧社会」と表現。「(隊員は意見を)表明できないが、多数は支持していると思う」と胸を張った。
講演後、取材に応じた、香港のフェニックス・テレビの記者李〓り・びょうさん(33)は「このような人が、自衛隊のトップにいたこと自体が驚き。日本で本当にシビリアンコントロール(文民統制)が機能しているのか疑問だ」と感想を述べた。
「論文も引用が多く素人の文章で(懸賞で)なぜ高く評価されたのかわからない。自衛隊員の多くがこうした考え方を持っているならば、驚きだ」とした上で「日中の信頼醸成に悪影響を及ぼす」と強調した。
「シンガポールビジネスタイムズ」特派員の英国人記者アンソニー・ローリーさん(69)は「正しい歴史の知識を持っているとは思えなかった」と首をかしげた。
米国人ジャーナリストのサム・ジェームソンさん(72)は「集団的自衛権の行使容認など、賛成できる部分もあるが、戦前の日本の行動がすべて正当だったかのように述べる彼の議論は、あまりに一面的。米国人は、相手にしていないだろう」と突き放した。
田母神氏の発言は、JCASTニュース12月1日付『 核攻撃「やられれば、やる」 田母神氏持論を改めて主張』に詳細。MSN産経 2008.12.1 21:03『 間違った歴史観、自衛隊行動の制約に 田母神氏が講演』も、一応、面白いのでURLを保存。 で。
中国新聞ニュース12/2付 『 原爆投下「報復」も言及 田母神氏、特派員協会で』より一部。 日本は唯一の被爆国として非核三原則を堅持しているだけに、前空自トップの田母神氏が核武装を求め、仮定の話とはいえ、核による「報復」にまで言及したことは、新たな波紋を広げそうだ。 (強調は引用者による) そして、以下は現在出ているところを、ざっと拾っておいた英語報道。 配信元はAP電かな、イギリスの報道1日付。 『 Sacked Japan air force head defends WWII actions』 AP電がインドで配信されているような。1日付。 『 Sacked Japan air force head defends WWII actions』 …内容は同じではありますが(^^; 新華社電英語版、1日付。 『 Sacked air force general calls for debate over nuke weapon』 ブルームバーグ紙@アメリカ、1日付。 『 Ousted Japan Air Force Chief Calls for Nuclear Weapons Debate』 テレグラフ紙@イギリス、1日付。 『 Japan 'should develop nuclear weapons' 』 …波紋が広がっているようだ。でも、その人そのものは、既にクビになってるのですけど、一応。。。 そして、東京新聞1日付 『 防衛相耐える日々 不祥事続き』 (略) 海上自衛隊の特殊部隊養成課程で起きた三等海曹の死亡事件、田母神俊雄・前航空幕僚長の論文問題、空将補のセクハラ(性的嫌がらせ)問題。就任からの二カ月間、不祥事続きで、国会では野党議員の厳しい追及にさらされる「人生修行の場」(同省首脳)に。(中略) 一連の不祥事で浜田氏が指示したのは情報の公開。(略)ところが、空将補のセクハラ問題では、同省が長く更迭の事実を隠していたことが発覚するなど、浜田氏は指導力を発揮しきれていない。(後略)
あと、これもURL保存。 asahi.com 2008年12月1日13時49分付 『 田母神氏の応募、審査前から認識 アパ代表』
12/3 追記; 『おこじょの日記』さんの2008-12-02付『 日本核武装論その他を開陳する田母神氏』にて、1日付のテレグラフ記事『 Japan 'should develop nuclear weapons'』の訳を上げて下さっていたのでリンク&一部引用; …田母神氏の発言部分は略。 (おいおい、この人日本の戦国時代や江戸時代をまるっと無視しちゃったよ。文禄・慶長の役もガン無視だよ。)
田母神氏発言部分は、やっぱり略。 (おいおい、あなたの言う白人国家では、近頃ちゃんと謝罪をしてるんだけど?オーストラリア政府の歴史的謝罪 - おこじょの日記とかカナダ首相、先住民に謝罪 - おこじょの日記とか)
田母神氏発言部分は、ここでも略。 (おいおい、なんで近隣諸国から抗議され続けるのか、ちったあ考えてみたりしないのかね。はあ。)
「白人国家」を連発してて、すげー感じ悪いんだけど。
この人のおかげで、世界の多くの人々が日本に憲法9条があってよかったと、胸をなでおろしてることでしょう。田母神氏は護憲派だった!
…田母神氏を、国家機密漏洩罪に問えそうな気がしてきた。 (こんなんが自衛隊のトップにいられたんですって、ばらすなよな)
JANJANニュース12月3付 『 田母神前幕僚長にクーデターは無理!?』より、記者との質疑応答部分; 記者(ドイツ):政治家、官僚の多数が自分を支持していると思うか? 田母神氏:表向きは支持できないが、実際は支持している人の方が多いのではないか。インターネットの世論調査では6割が私を支持している。
記者(中国・香港):田母神さんクラスで現状に不満を持っている人はどれぐらいいるか? 歴史認識を自衛隊の中で議論するのか? 田母神氏:彼ら(幹部自衛官)は締め上げられているので正しいことは言えない。自衛隊は『言論弾圧社会』ですから。「自衛隊(私の説)は特殊ではない」という世論の盛り上がりからして日本国民の多くがそう思っている(私を支持している)。
記者(イギリス):1945年当時、あなたが司令官で日本が原爆製造能力を持っていたらアメリカに対して使ったか? 田母神氏:やられたら、やり返すでしょうね。
中略 『新潮45』(12月号)によれば、田母神氏はあやうく『M資金詐欺(※)』のお先棒を担ぎそうになったという。
田母神氏は、詐欺の首謀者である大富豪夫人が宿泊する東京・品川のホテルのスイートルームに防衛産業社長を連れて行った。だが、防衛産業社長は大富豪夫人が持ち掛ける4800兆円もの戦後復興資金や30兆円もの巨額融資話に「おかしい」と気づき警察に被害届を出したのである(以上『新潮45』より引用)。
大富豪夫人が仕掛けた罠はあまりにも見え透いて、詐欺というには稚拙なものだった。田母神氏を大富豪夫人に紹介したのは、懸賞論文を主催したアパグループの元谷外志雄代表だ。
記者会見でこの件を追及したのは、元朝日新聞社会部記者で防衛庁に詳しい田岡俊次氏だ。田岡氏は厳しく詰め寄った。田母神氏は「その質問は止めてほしい~っ」と身をよじらせて嫌がった。(後略)
この記事の執筆者氏は「詐欺のお先棒をそれも気づかないまま担がされそうになるような人物が用意周到なクーデターなど起こせるはずはない」と書くが、起こすだけなら起こせるのではないか? 起こした後に失敗したところで、取り返しの付かない事態を招くことはできるだろう。この記事における「さほどの危険人物でない」という評価には、とてもじゃないが納得はできない。
このエントリの前に、「 イギリス下院外交委員会から慰安婦問題へのアクション」として、イギリス下院外交委員会の「 Global Security: Japan and Korea (リンク先はPDF)」レポートに関する報道をお持ち帰りした。 この報道に関しては、「 Stiffmuscleの日記」さんがレポートそのものを探し出した上で エントリを上げて下さっており、前述のPDFはStiffmuscleさんのエントリ経由だ。レポート本文のhtmlバージョンへのリンクはStiffmusclさんがエントリに貼って下さっているし、該当部分は引用して下さっている。麻生首相への言及の下りなんか大変に興味深いが、おそらくもうじき、 Stiffmuscleさんが翻訳を添えてくださることだろう (と、期待中(^^;)。 そうしてアクセスが容易になっている「Global Security: Japan and Korea」レポートだが、これそのものの内容を確認しても、イギリス議会は「慰安婦」問題に対して、かなり重く注目しているとみてよさそうだ。 だが、日本の国内の報道は、何か変だ。
MSN産経(共同配信)2008.12.1 01:19付 『 北の日本人拉致、国際社会が認識を 英下院外交委が報告書』 英下院外交委員会は30日、日本と朝鮮半島に関する報告書を発表、北朝鮮による日本人拉致問題について「日本国民と政府にとって感情的な問題であるのは当然で、国際社会はそれを認識すべきだ」と強調、平壌の英大使館を通じるなどして北朝鮮に圧力をかけ、日本への支援を継続するよう英政府に勧告した。
一方、第二次大戦中の旧日本軍の従軍慰安婦問題は「韓国民と政府にとって痛ましい感情的問題」であり「その重要性は日本を含め国際的に理解されるべきだ」とした。 (後略)
「慰安婦」問題に関しては、この約2行のみ。この後、「慰安婦」問題とほぼ同じ文字数を割いて、『竹島』問題に言及している。 このエントリ前の「 イギリス下院外交委員会から慰安婦問題へのアクション」で言及したようにAFP配信の報道における主要な重心は「慰安婦」問題と見て良さそうなのに、この違いは一体何事? 産経オリジナルでなく (<-産経オリジナルなら力一杯納得するらしい(^^;)、共同配信の様子なのに? 意外に感じつつ他の報道を探すと、それどころではなかった。 時事ドットコム 2008/11/30-20:55付 『 拉致問題、日本の感情理解を=竹島めぐる対立は「遺憾」-英外交委報告 ( 引用魚拓)』 約二行かけて北朝鮮による日本人拉致問題に関し「日本国民と政府にとって、当然の感情的な問題であることを国際社会が認識すべきだ」としてイギリス政府へ日本に支援継続するようにと記述し、1行半で竹島問題に関して言及した後に、最後の二行で 一方で、第2次世界大戦中の従軍慰安婦の問題について、「韓国国民と政府にとって依然、苦痛を伴う感情的な問題であり、日本を含めて世界がその重要性を認識すべきだ」と明記した。
この記述のボリュームは、ほぼ「日本人拉致問題」と同等ほどである。 冒頭に「日本と 韓国に関する報告書を公表し」とあったので、「北朝鮮」の話であるはずの「拉致問題」にばかり言及するのっておかしくないかと少し混乱したが、元のレポートタイトルは「Global Security: Japan and Korea」。元もと必ずしも韓日関係だけの話ではないから、その点はともかく。…もちろん、日本人拉致問題解決のためイギリス議会の力添えはある方がいいのは間違いはないだろうし。 でも、元のレポートや国外の報道の重心の置き方と比較すると、重心を変えている様子に、どうにも不可思議感が先に立つ。そしてさらに。 時事ドットコムの報道が「まるごと魚拓」を取れないので、こっちで魚拓を撮ろうかとYahooやGooやInfoseekで配信された報道も確認したのだが、そうして気付いた件も不可解だ。 (Yahoo、Goo、Infoseek、それぞれ、サムネイルをクリックすると原寸大に拡大)時事配信記事がこれらのサイトで再配信される場合に、記事が短くなること自体は良くあることだ。でも、今回の場合、大元の情報が歪んで伝えられているのではないだろうか。 再配信記事では、記事のタイトルは同じ (拉致問題と「竹島」問題のみに言及)、内容は拉致問題へのイギリス政府の支援継続と「竹島」問題までしか言及されておらず、最後の二行がそっくり省略されて、 「英外交委報告」で「慰安婦」問題への指摘を受けた話が無かったことになっているのだ。 …各国の「慰安婦」公式謝罪要求決議の多くからは、「慰安婦」問題に関する歴史教育を要求されているのだが、歴史教育どころの騒ぎではないようだ。そういえば、 宝塚市議会による『日本軍「慰安婦」問題に対して、政府の誠実な対応を求める意見書』に以下の一節があったものである。 今、世界中で、日本軍「慰安婦」問題を解決するための運動が広がりを見せています。 しかし、これらの世界の動きは日本では必ずしも十分に報道されていません。
産経・読売だけがそうなら納得…するのもなんだが、それだけではないようだ。 もちろん、「英外交委報告」の指摘の重心がそんなことになっているのは日本の国内報道の大半だけだ。 これの前のエントリで紹介した後で見つけたが、中国語紙がさらに2紙報じていた。 自由時報 即時新聞 11/30 18:58付 『 英議員:日本應正視慰安婦對亞洲傷痛』 短い記事だが、この報道は「慰安婦」問題への指摘しか報じていない。 そして、もう一紙。 星洲日報/國際‧2008-11-30 16:15付 『 英國‧外交事務委會報告指出‧日應正視慰安婦課題』 …これも、記事タイトルから見るからに「慰安婦」問題に関してだと解るわけだが。自動翻訳さんの意見を集約すると、記事題名は「イギリスの外交事務委員会報告が、日本が「慰安婦」問題を正視するのが当然だと指摘する」といったところだろうか。内容も自動翻訳を使って見てみるに、AFPの英語版がほぼそのまま(「慰安婦」問題の記述が詳細な方)だ。つまり、 20万人にもおよぶ女性が、朝鮮、中国、フィリピン、インドネシアやその他の国から拉致され、第二次世界大戦下の日本軍用売春宿で働くことを強制されたと、運動家達は語る。
「日本を含む国際社会は、その重要性を認識すべきだ」
日本は女性に対する犯罪における軍の関与については謝罪したが、1945年に連合国に降伏する前に軍用売春施設を運営した責任は否定している。
といった記述はきっちりある様子。 なお、解る人には即座にわかることなんだろうけど (私はしばらく気付きませんでした(^^;)、この新聞は中国語だが中国の新聞ではない。星洲とはシンガポール(^^; …そういえば、最近 タイで、ビルマで、インドで、シンガポールで、インドネシアで、大東亜戦争を戦った日本の評価は高いのだ。
というような意見を、 どこかで見たような気がするなぁ。評価は結構厳しいような気はするんだけど。 ちなみに、 平成14年に実施された「18歳以上の識字層の男女800~895名」を対象にしたアンケートで、第二次世界大戦中の日本について、「悪い面を忘れることはできない」人が、フィリピンやシンガポールの回答者に3割程いらっしゃるそうである。
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