少し前から、気になってた報道がある 。私が訪問するブログあたりでは常識となっている様子だが、日本の(社会教育費は除く)教育支出額はGDP比にして3.5%ほどであり、これは、経済協力開発機構(OECD)加盟国の平均である5%よりは、はっきり少ない。 この日本の教育投資額を、OECD加盟国並みにしようとしている動きがあるが、それが迷走している、らしい。 この度、遡って探した報道を日付の古い順に情報の多そうなところを、まず、チェックし直す。 2008年5月1日付の読売新聞で、 『 文科省と財務省が教育支出で衝突 教育支出に数値目標GDP5%、リンク切れ時用の スクリーンショット(読売080501分)はこちら』 「中央教育審議会」 (文科相の諮問機関)による教育振興基本計画の答申が、4/18にまとめられたそうで、この時点で出た内容は「欧米主要国と比べて遜色ない教育水準を確保すべく、教育投資の充実を図ることが必要」という文言が入っていただけだったそうである。しかしその後、文部科学省は、教育支出額を今後10年間かけてOECD加盟国平均である5%まで引き上げるという数値目標を「教育振興基本計画」に盛り込む方針を決めた、と。しかし、財務省は歳出削減の観点から教育投資額の目標の明記に強く反対中で、いろいろやりとりがあったり、自民党文教族議員が首相官邸を訪れたりとややこしいことになっているらしい。この報道で気になる記述は、 (以下、強調等は引用者による)
(略)文科省が打ち出したGDP比5・0%という数値は、経済協力開発機構(OECD)諸国が教育支出にかけている公的資金の平均値。日本は現在3・5%で、日米の大学生を比較した場合、一人あたりの公財政支出(年間)は、日本の67万円に対し、アメリカは106万円と39万円の開きがある。 中教審の審議では「教育投資の充実は国力の維持・向上に最低限必要」(安西祐一郎慶応義塾長)といった意見が相次いだが、財務省との事前折衝で数値を入れることを拒まれて断念。自民党文教族からは「この答申では教育水準は上がらない」などと強い不満があがっていた。(略)しかし、4月30日に自民党議員約20人と面会した額賀財務相は「教育への投資も重要だが、投資より効果が上がる方法もあるのではないか」と慎重で、先行きは不透明だ。 この件の報道が次に集中するのは9日。渡海紀三朗文部科学相が、この日の午前に、自民党政調の文部科学部会が主催した文相・文科相経験者との会合をもったことを受けての話。森喜朗元首相が「教育振興基本計画」は「教育予算を取るものだから」と数値目標明記を求め、渡海文科相が「教育支出を経済協力開発機構(OECD)諸国平均の対GDP比5.0%並みに引き上げる」としたそうだ。そうして、文科省原案は、教育投資について「教育への公財政支出が個人、社会の発展の礎となる未来への投資であることを踏まえ、5.0%を上回る水準を目指すべきだ」となったそうである。 9日周辺で集中した報道で面白い記述のあったのは、2008.5.9 18:43付のMSN産経。 『 教育投資はGDP比5% 振興計画で文科相 財務省の反発必至、 リンク切れ時用のスクリーンショット(産経080509分)はこちら』
(略)計画実現には新たに年間約7・4兆円の追加支出が必要になる。政府は5月中に閣議決定したい考えだが、財務省の反発は必至で調整は難航しそうだ。 渡海文科相は同日の閣議後会見で「与党でも数値目標を入れるべきだとの意見が出ており、入れる方向で考えたい。早急に文科省案をまとめたい」と述べた。(略)教育界や自民党文教族には、教育水準を高めるために投資増額を求める声が強い。
一方、財務相の諮問機関、財政制度等審議会(財政審)は「日本は小さな政府で子供も少ない。生徒1人当たりの公教育支出は主要先進国G5(日、米、英、独、仏)の平均を上回る」と反論している。(後略) …確認しておくと、文科省が外国(アメリカ)と比較しているのは大学生、財務省が外国(G5)と比較しているのは生徒(中学生、高校生)。 そして、20日には 教育再生懇談会が「グローバル化に伴って国際的な人材育成競争は激しさを増しており、財政的基盤の確保が不可欠」として、 「教育投資額を国内総生産(GDP)比5%に引き上げる数値目標の明記などを求めた緊急提言」を発表。 というのが前振り。 ようやく、私がお持ち帰りして展示したい意欲に駆られた報道に辿り着く。 2008年5月29日14時39分 読売新聞より、 『 教育予算7兆増なら幼稚園無料・私大生に30万…文科省検討、リンク切れ時用の スクリーンショット(読売080529分)はこちら』 29日に文部科学省が、教育支出がGDP比で3.5%から5%になった場合の増額分の予定使途を公表したことについての報道。これの表現がすごかったので感心したのだ。 (略) 低所得者世帯の大学生の授業料免除や私立の高校・大学生などへの授業料減額などに約2・2兆円をつぎ込むなど大盤振る舞いが目立つ。財務省は反発を強めており、振興計画の閣議決定は6月中旬以降にずれ込みそうだ。 (略)自民党の文教族議員から「教育にかけるお金をきちんと書き込むべきだ」など“激励”の声があがり、文科省は計画原案で数値目標を織り込んだ。
一方、財務省は「財源や使途が不明」と反発。このため、文科省は増額分約7兆円の使途を急きょまとめた。
年収200万円未満の家庭の大学・短大生の授業料は免除、500万円未満は半額免除する。すべての学校施設の耐震化に約1兆円、3~5歳児までの幼稚園と保育所の無償化費用として計約7700億円を盛り込んだ。また、文科省は同計画に教職員定数の2万5000人増員を盛り込んでおり、この人件費を1750億円と試算している。
…「大盤振る舞いが目立つ」そうで、激励をわざわざ“”でくくってましてよ、奥さん。この報道単独だと、現行のGDP比で3.5%を何故5%に増やそうという動きが出てきたのか、理由が述べられてないですねぇ(他社報道を見比べたら解るにしても)。 それに、どこかで少子化を問題視するオコトバを見かけるような気がするんですけど、幼稚園や保育所の無償化、結構な事じゃないのですかねぇ。 だいたい、来年即やりますってわけじゃなくて、今後10年間かけての数値目標って報道が、これに先立ってあったような? そう言う訳で。 この記事を書いた読売新聞の記者氏や財務省のお役人の皆様が、以下の様な件をご存じかどうか、とても不安になったのでした。 『 日本私大教連ホームページ』の『 国際人権規約・高等教育無償化条項の留保撤回を!』の出だしのみ引用、 日本政府は、国際人権規約「経済的、社会的及び文化的権利に関する国際規約」(社会権規約。A規約とも言われる)を1979年に批准しましたが、そのうち、高等教育の漸進的無償化を定めた第13条2項(c)をはじめ、4つの条項について留保し続けています。 高等教育無償化条項を留保している国は、締約国151カ国(05年1月25日現在)のうち、日本、マダカスカル、ルワンダの3カ国のみです。 批准から25年あまりの間、日本政府は、留保撤回を求める私たちの声に背を向け、国会審議や附帯決議も無視して、留保に固執する姿勢をまったく変えようとしていません。 こうした政府の姿勢は、世界的にみて日本の高等教育予算が最も貧困(対GDP比でOECD加盟国平均の約半分の0.5%)であること、私立大学への経常費補助がきわめて低い水準であることと直結しています。
国際人権規約「経済的、社会的及び文化的権利に関する国際規約」第13条2(b)及び(c)とは、同ページから、 (b) 種々の形態の中等教育(技術的及び職業的中等教育を含む。)は、すべての適当な方法により、特に、無償教育の漸進的な導入により、一般的に利用可能であり、かつ、すべての者に対して機会が与えられるものとすること。 (c) 高等教育は、すべての適当な方法により、特に、無償教育の漸進的な導入により、能力に応じ、すべての者に対して均等に機会が与えられるものとすること。
『 学費無償化関連資料』より「ニ)批准の際の日本の書簡」より一部引用、 3 日本国は、経済的、社会的及び文化的権利に関する国際規約第十三条2(b)及び(c)の規定の適用に当たり、これらの規定にいう「特に、無償教育の漸進的な導入により」に拘束されない権利を留保する。 (略) 千九百七十九年六月二十一日 国際連合日本政府代表 特命全権大使 安倍勲(署名)
えーっと、日本という国は、確か、国連人権理事会の理事国で、ついさいきん、普遍的定期審査も受けてましたね? 一応、人権をないがしろにしている国と対外的に見られるのは避けたいはず、なんですよね? その他に読んだサイトやブログの参考、 ・『 捨身成仁日記』さんの2008-05-27付『 確かにOECD加盟国としては夏時間不採用は少数派だね、でもね……』 ・毎日新聞 2008年5月29日 東京朝刊、 教育予算:「GDP5%」で攻防 文科省増額方針、財務省は反発、リンク切れ時用の スクリーンショット(毎日080529分)はこちら』 ・2008/05/30 01:59 共同通信、『 さらに1万人教職員増要求 主幹配置や学習障害対応に』 ・『 国際人権A規約第13条の会』 ・『 全国国公私立大学の事件情報: 国際人権A規約第13条の会 アーカイブ』 ・2005年1月13日(木)「しんぶん赤旗」、『 大学評価学会が外務省に要請 高等教育無償の国際原則実現を』 ・2004年11月1日(月)「しんぶん赤旗」、『 「高等教育無償化」条項留保撤回を国連が勧告』 憲法が保障する教育の機会均等が損なわれています。(略)これは、世界の常識から見れば異常事態です。(略)欧米諸国では、学費は無償か安価で、奨学金も返還義務のない「給付制」が主流です。高等教育をうける権利を保障するために、その無償化をすすめる ――これが世界の流れとなっています。これに対し、日本は(略)高等教育をうける権利保障という面で後進国となっています。(略) これが二〇〇一年の国連社会権規約委員会で問題となり、同委員会は、日本政府に対し、「高等教育の漸進的な無償化」条項の留保の撤回を検討することを勧告し、二〇〇六年六月末までに勧告にもとづいてどういう措置をとったのか、NGOや市民とどのような協議をしたのか、報告を要請しています。(略)いま、大学関係者の間で、これを「二〇〇六年問題」と呼び、高学費を人権問題として広く告発しようという議論がひろがっています。
「挺身隊対策協」の略称で知られる韓国の団体は、「慰安婦」被害者の方たちの支援団体として、すっかり目に馴染んでいる。しかし、「挺身隊」とよばれた組織は、本来は「慰安婦」としての労働を強いたものではない、という話は一応、知識としては知っていた。 そして、その、挺身隊に関する報道を見つけたのだが…。 KNB WEB 2008 年 05 月 28 日 16:31 付、 『 第2次不二越訴訟控訴審口頭弁論 』 および、 毎日新聞 2008年5月29日 地方版、 『 勤労挺身隊訴訟:控訴審第1回口頭弁論 原告の羅さんが訴え--高裁金沢支部 /富山 』(魚拓無し)の報道より。 太平洋戦争中に苛酷な労働を強いられたとして、韓国人女性や遺族ら23人が、当時軍需工場だった機械メーカー「不二越」(本社・富山市)と国に、損害賠償と謝罪を求めた「第2次不二越訴訟」の控訴審第1回口頭弁論が28日、名古屋高裁金沢支部で開かれたとのこと。 今回が第2審であり、第1審は去年九月の富山地裁にて、被害事実は認められながらも、例によって65年締結の日韓請求権協定に基づき「個人の請求は認められない」として、原告の訴えは退けられていたそうである。以下、今回の第2審に関する報道をKNB WEBから引用すると、
(略) 28日の控訴審の第1回口頭弁論では、韓国から来日した原告の羅贊徳(な・ちゃんどく)さん(79)が出廷し、「女子挺身隊として連行され不二越では言葉に尽くせない苦労をしたが、韓国では挺身隊が従軍慰安婦と混同されているため、帰国してから60年間、その苦労を家族にも言えなかった」などと訴えました。(後略)
そして、毎日新聞から (略)この日に合わせて来日した原告の羅贊徳(ナチャンドク)さん(79)が「どうか弱者に目を向けて、正義に基づいた判決を」と、絞り出すように訴えた。 原告の平均年齢は78歳。既に3人が亡くなっている。この日、羅さんは証言台の椅子に座ると、虫眼鏡を持ち上げ、準備書面をのぞき込むようにしてゆっくりと読み上げた。戦後ずっと胸の中にしまっていたが、黙っていてはいけないと、提訴に踏み切った経緯を説明した。 1枚の集合写真が掲げられた。入社式で撮影した若い羅さんの姿があった。古里の家族に送ったその写真は右端が切り取られていた。羅さんは「挺身隊と書いた旗が写っていました。両親が驚くと思い、私が切り取りました」。そうつぶやいた。 他の原告の仲間たちについても「夫や子に、慰安婦だったと誤解されて崩壊した家庭もある」と証言した。(後略)
この裁判は第二次訴訟であり、これに先立つ第一次訴訟では、平成12年に最高裁判所で不二越側が韓国人女性7人に対し3千数百万円の解決金を支払うことで和解が成立しているという。第二回口頭弁論は9月8日に開かれる予定だそうだ。 追加情報を探していると、こんな魚拓が残っていた。 毎日新聞 2007年9月4日、 『 勤労挺身隊訴訟:「第2次不二越訴訟」判決控え、上野千鶴子さんが富山で講演 /富山』 (略) 戦後生まれの国民が増え、「生まれていない時の責任を取る必要はない」との声があることについて、上野教授は、ドイツのナチ政権とは違い、日本の政権には戦前からの連続性があり、戦時中の負の歴史を背負う義務があると主張した。
慰安婦被害者が半世紀も沈黙せざるを得なかった理由について、「汚された人」と見る風潮が貞操観念の強い韓国内でも強く、身内から「家族の恥を外にさらすな」という風潮が強かったことなどを挙げた。そして挺身隊員が従軍慰安婦と混同されたため、提訴が遅れたと説明。提訴に踏み切った勇気に触発され、支援していることなどを話した。 さらに95年に設立された「アジア女性基金」が中途半端な形で今年解散してしまったこと、在日コリアンへの就職差別が現在も続き、選挙権もないことなど、今も残る人権問題について触れた。
主催した人権問題を考える市民グループ「クローバーの会」では、判決を前に「苦労して帰り着いた故郷でも“日本協力者”として冷遇された人たちの立場を理解し、人道的な見地から自発的に被害者を救済してほしい」と訴えている。
一審判決はカナロコ2007/9/19より、 『 強制労働認定、請求は棄却 不二越2次訴訟で富山地裁』 (略)富山地裁は19日、原告の請求を棄却した。強制連行と強制労働の事実は認めた。佐藤真弘裁判長は判決理由で「挺身隊への勧誘は虚偽や脅迫によるもので、不二越での労働は賃金が支払われず、外出が制限されていた」などと述べた。 一方で、サンフランシスコ平和条約と1965年の日韓請求権協定により「韓国とその国民は日本に対し、請求権を主張できないとされたのは明らかだ」と指摘。被告側は、請求に応じる法的義務はないと判断した。 (略) 判決によると、李さんらは12-19歳だった1944年5月から翌年3月にかけて「上級学校に通える」などとうその説明を受け、朝鮮半島から日本へ渡航。
そして、このサイトを見つけて読み、どう表現していいやら言葉が詰まった。 『 関釜裁判ニュース第46号 女子勤労挺身隊訴訟の経過と現状』から一部 (強調は引用者による); 「挺身隊」被害者の名乗り出を促した時に、「慰安婦」被害者と勤労挺身隊被害者がともに名乗り出たことにこの問題の深刻さがありました。呼びかけた支援者たちは勤労挺身隊被害を想定しておらず、「挺身隊」=「慰安婦」の認識のもとに呼びかけたのです。その韓国社会での認識の混乱が勤労挺身隊被害者を長く苦しめ、沈黙させ、韓国社会に被害事実を知らせることができませんでした。名乗り出てからも日本軍「慰安婦」被害者の名乗り出の衝撃性のなかで、韓国のマスコミはあえて勤労挺身隊被害を無視し、多くの勤労挺身隊被害者は二次被害を恐れ再びの沈黙を余儀なくされました。
…「日本軍慰安婦」被害の悲惨さについては、これまで、できる限り知るように努めてきたつもりだ。だが、こちらはこちらで、もうなんと表現していいやら途方に暮れるしかない。いい加減、未清算の戦争責任を目にして暗澹たる思いをしなくてすむようにならないものだろうか。 …でも、「慰安婦」被害に関してさえ、国際社会が要求しているにもかかわらず、公式謝罪等から逃げ回っている政府だもんな。 『 第二次不二越強制連行強制労働訴訟』から「不二越による強制連行・強制労働に対する第2次訴訟を支援する北陸連絡会声明」の一部; この裁判で原告の求めているものは不二越で働いた自らの賃金と賞与を払って欲しい、不当な差別的労務と厚生管理に対する謝罪と補償をして欲しいという人間として当然の要求であります。
私たちは日本国民一人一人にも、戦後60年近くにわたり、わが国の戦争責任と企業責任を直視せず、被害者の解決のために立ち上がってこなかった共同責任があることを明らかにしていく必要があります。
その他、参考; ・『 関釜裁判ニュース第53号 判決の問題点と今後』
さらに追記で参考; 「 Apes! Not Monkeys! はてな別館」さんの2007-09-20付「 [戦後責任]第二次不二越訴訟」 CHUNICHI Web 2007年9月19日付報道への魚拓リンク有り。 原告支援団体のサイトへのリンクもあるが、現在はこちらのリンクからアドレスが移転しているようだ(誘導有り)。 新アドレスへのリンク;「 第二次不二越強制連行強制労働訴訟」
「 妄想科學日報」さんの「 意向に沿うべきか諫言すべきか」経由でみた、 人力検索はてなのとある質問。 血液クレンジング療法なる 、名前からしてアレな療法が話題なんだそうで、それの問い合わせに対し、親切な人が質問者に回答しているのだ。 で、 血液クレンジング療法のサイトがこちら。説明から一部引用。
もし、血液が不健康だと、十分に酸素や栄養素を運ぶことができないので、大病を引き起こす恐れがあります。動脈硬化をはじめ、狭心症、心筋梗塞、脳内出血、脳梗塞などになることもあります。実は、血液の状態が悪いと、老化の促進に繋がります。そして最悪の場合、免疫不全によってガンになることもあります。なので、人間にとって血液とは、本当に大切なものなのです。
…えらく飛ばした説明である。 そこで、今最も注目を浴びているのが、血液クレンジング療法なのです。血液クレンジング療法は、オゾン療法と言われています。この血液クレンジング療法をすることによって、血液やリンパ液が浄化され、疲労を感じなくなり活力が回復します。そして、活性酸素が取り除かれるのでストレスの解消にもなります。新陳代謝も活発になるので、精神的にも肉体的にも老化を防ぎ、若返りの促進をします。また、免疫細胞の活性化で、細胞内ATP濃度が上がり、病気が治りやすい、病気の再発予防、老化防止にもなります。
(^^;;;;; 間を飛ばして、じゃ、その療法は、と見てみる。 最後に、血液クレンジング療法の副作用についてお話します。結論は、副作用はありません。というのも、血液クレンジング、一般的にはオゾン療法ですが、オゾン自体は薬ではないので副作用はありません。副作用がないので、気になる方は血液クレンジング療法を受けてみて下さい。
…オゾンを治療薬として用いた話って聞かないが、、、だが、 オゾンで殺菌するぐらいなんだから、生きた細胞にオゾンは害だぞ。 そして、その療法を施す 銀座の某クリニックがこちら。 テレビ等にもかなり取り上げられているらしい。 アンチエイジングのための検査として、血液解析検査、血管年齢検査、血液ライブ検査、活性酵素体質検査、有害重金属検査をしてから、アンチエイジングのための治療法として、キレーション(血管を柔らかくするためにキレート剤を点滴する、、、って、大丈夫なのか?)、血液クレンジング(動脈を若返らせる最先端医療として血液をオゾンによって洗浄、、、って、おいおい)、血流改善療法(日本で唯一の米国栄養療法認定医だからできるんだって)をするらしい。 また、その他に上げられている治療法では、肩こりや腰痛に行うらしい『 血の巡りが劇的によくなる「オゾンツボ打ち注射」』で、 このオゾンツボ打ち注射を行うと、その直後から患部の血行が劇的によくなります。これは、オゾンに血の巡りをよくする働きがあるからです。オゾンを患部に注入すると、すぐに注入した部分の皮膚に赤みがさします。これをサーモグラフィという温度を感知する検査器械で測ると、患部の温度が上昇していることがわかります。つまり血行がよくなっているのです。オゾンツボ打ち注射は、このように、たちどころに効果が表われるのも特徴です。
…それ、局所にむやみやたらな (*)急性炎症起こしてないか? あるいは、「ホルモンの原料を与えることによって、若返りホルモンの値を高めていく」「患者様ご自身がすでにお持ちの“自分のホルモン”を刺激して、分泌を促」すという『 薬に頼らない「ホルモン補充療法」』とか(動物性タンパク質を食事に取り入れるんだろうか…)。 はたまた、 「非常に画期的なのがDNA癌検査です。自分の体が将来癌になるかどうか、まったくその心配がないのか、遺伝子によって調べることができ」る、DNA癌検査とか。 ……将来 癌になる心配が全くないって、それまず無理だから。 ちなみに、このページには文字を大きくして、こう書いてある。 しかし、このDNA検査では、PET検査で癌だと診断される10年前に、将来癌が起こるか否かわかります。
これまでにない、非常に画期的な検査方法なのです。
…………10年前の検査対象をトレースして、ちゃんと検証しているのだろうか? …………どこを見てもすごいサイトですので、当ブログのお客様に是非ともご紹介したくなったのでした。 見るだけで疲れたから、皆様におすそ分け(^^;
ついでに見つけた関係サイト;「 ウイスマー研究所/株式会社ウイスマー | ウイスマーニュース | vol.14」 *; コメント欄での、もっともなご指摘を勘案しつつ、端的さを維持しつつ(?)より適切なつっこみになるよう、一言追加。
昨日のエントリに追記しようかと考えたけど、長くなりそうなので独立。 毎日新聞 2008年5月24日 地方版の 『 アイヌ民族:「先住民族」国会決議案まとまる 政府、将来の補償懸念 /北海道』で決議案の要旨を見つけたので、お持ち帰りで保存。 我が国が近代化する過程で、アイヌ社会や文化の破壊が進み、「同化政策」により伝統的な生活が制限、禁止された。法的には等しく国民でありながらも差別され、貧窮を余儀なくされたアイヌの人々が多数に上ったという歴史的事実を厳粛に受け止めなければならない。
アイヌが民族としての名誉と尊厳を回復し、その文化と誇りを次世代に継承していくことは、国際的な価値観の共有であり、我が国が21世紀の国際社会をリードしていくためにも不可欠である。
政府は左記の施策を早急に講じるよう、決議する。
(1)政府は、アイヌの人々を北海道に先住し、独自の言語、宗教や文化の独自性を有する先住民族として認めること。
(2)政府は、高いレベルで有識者の意見を聞きながら、これまでのアイヌ政策を推進し、総合的な施策の確立に取り組むこと。
しかし、上記報道には、以下の言及もあった。
政府内では「宣言に規定される権利を要求されると困る」という意見が根強く、先住民族の認定は消極的だ。
政府内の懸念について、議員の会世話人の鈴木宗男・新党大地代表は「ウタリ協会は大所高所にたって判断してくれている。政府や行政が懸念しているような話はない」と否定。代表世話人の今津寛・自民党道連会長も「加藤理事長は『土地の問題などはいっさい要望しない』と町村信孝官房長官にはっきり伝えている」と述べ、先住民族の認定と具体的な権利要求を切り離しているという考えだ。
『国会決議に向けた動きについて(北海道ウタリ協会の)加藤理事長は「言葉にならない。うれしくて言葉にならない」と涙を浮かべながら感謝の意を示した』という。 なお、「北海道ウタリ協会」というのは、 アイヌ民族の社会的地位の向上と文化の保存・伝承を目的に1946年、社団法人北海道アイヌ協会として設立された。「『アイヌ』が差別的に使われている」との会員の意見で、61年にアイヌ語で同胞を意味する「ウタリ」を使った現在の名称に変更した。 (西日本新聞2008年5月26日づけ、『「先住民族」認定 アイヌに追い風 今国会 決議採択へ 政府は慎重姿勢 土地や資源の権利主張警戒』より)ということで、「ウタリ」という単語の意味と、何故この単語が使われているかを知りませんでした、すみません。 そして、この西日本新聞の報道でも 政府は慎重な姿勢を崩しておらず、教育や生活支援などアイヌが求める具体的な施策も実現するのかは不透明だ。(略) 先住民族との認定は、長年にわたるウタリ協会の念願だ。1997年に北海道旧土人保護法が廃止され、アイヌ文化振興・伝統普及法(アイヌ新法)が制定されたが、そこでもアイヌは先住民族とは位置付けられず、政府は今も認めていない。 認めると「先住権」として土地や資源などに対する権利などを主張されかねないとの懸念があるためだ。
と報じられている(溜息)。 だが昨年9月、国連総会が「先住民族の権利に関する宣言」(国連先住民族権利宣言)を採択。これを受け国会議員が「議員の会」を結成し、風向きが変わりつつある。 (略) 加藤理事長は今月16日、札幌市での総会で「いよいよ名称に民族名をかざす時が来た。歴史的な大転換点だ」と呼び掛けた。来年4月から名称を設立当時の「北海道アイヌ協会」に戻すことを決定。
…ちなみに、日本は、2006年年5月10日の選挙では、アジアグループで、173票のインド、165票のインドネシア、160票のバングラデシュについで、第四位の158票を獲得して当選した、 国連人権理事会の理事国なのだそうな。 公式謝罪はしないのかな?
参考ブログエントリ; ・『 vanacoralの日記』さんの2008-05-25付『 チンピラnekoponはどの口で「フリー・チベット」、って言えるのか』 上記を経由して、 ・『 捨身成仁日記』さんの2008-03-26付『 そもそも日本政府はアイヌを先住民として認めないときっぱり言ってるじゃんか?』 ・『 NC-15』さんの2008-03-25付『 チベット問題との温度差をすげえ感じた』
各紙で23日頃に一斉に報じられていた、こんな報道があった。 ここではリンクをasahi.com 2008年05月23日15時04分付の 『 アイヌ民族は「独自性有する先住民族」国会決議案 』に貼っておくとする。 自民・民主・公明・共産・新党大地各党の道関係の超党派議員6人(世話人代表は、自民党の今津寛衆院議員)による「アイヌ民族の権利確立を考える議員の会」が23日、今国会での採択を目指す「政府はアイヌの人々を独自性を有する先住民族として認めること」などを求める国会決議の文案をまとめたとか。 決議案の軸が、 《1》先住民族として認める 《2》名誉や尊厳、権利の確立を図る 《3》政府にも先住民族の認定を働きかける であるという 報道(北海道新聞05/15 06:41付)もあり、上記リンク先の朝日新聞報道ではさらに、 (略) 決議文案は、アイヌの人々について、近代化の過程で労働力として拘束、収奪されたため社会や文化が破壊され、同化政策で伝統的な生活が制限・禁止されたとして、「法的には等しく国民でありながらも差別され、貧窮を余儀なくされた歴史的事実を厳粛に受け止める」と明記。そのうえで、独自の言語・宗教・文化をもつ北海道の先住民族と認め、「高いレベルで有識者の意見を聞き、これまでのアイヌ政策をさらに推進」するよう政府に求めている。各党は党内調整に入るが、世話人の一人は「自民党内の調整に時間がかかる」と語った。 政府は96年の有識者懇談会報告書でアイヌ民族の先住性・民族性を認めたが、土地補償などの権利主張が頻発する懸念から、先住民族と明確に認めることには後ろ向きだ。(後略)
この日の町村官房長官記者会見の言によると、2007年9月に国連総会で採択された「先住民族の権利に関する国連宣言」に、日本も賛成票を投じていることから、 決議が採択されれば有識者会議の設置などには前向きに対応する考えを示したとの話だった。 政府は、それなりに前向きのようだ (サミット前だからかもしれんけど)。 しかし、北海道新聞の24日付社説にあった記述が、興味深かったので魚拓付きで保存。 『 先住民族決議 次は政府が応える番だ 』
エントリタイトルで「その後」と付けているが、当方で取り上げていた話題ではない事をまず、お断りしつつ。 そもそもは、こんな事件。 既に大元のサイトからは削除されている報道で、キャッシュも見当たらなかったので引用元は 2ちゃんねる、リンクは切れているけど本来のURLに貼っておきます。 毎日新聞2007年10月13日付で 「 セクハラ:生活保護申請の女性に 大阪・羽曳野市に賠償命令 」 判決によると、女性は一昨年5月、生活保護の受給を申請。その際に担当のケースワーカーの男性職員から度々電話がかかり、性に関する話題を向けられたほか、「男性を紹介してやる」などと言われた。谷口裁判長は「職員は職務上知ったプライバシー情報を利用した。話を聞くのを拒めば、女性は生活保護で不利益を受けないかと悩み、女性のうつ病やパニック症候群を悪化させた」と述べた。この職員は今年9月、2カ月以上無断欠勤したとして懲戒免職になっている。
被害者は、元職員と市に計340万円の損害賠償を求めたのだが、判決は市に110万円を支払うよう命じたという。 元職員への請求は「国家賠償法により公務員個人は責を負わない」として、棄却されたのだそうだ。 このセクシャルハラスメントの詳細は、「 maroon_lanceの日記 」さんの「 命綱 拒めぬセクハラ」に詳しい。この記事を読むのは、血圧が高い人にはお勧めできないかもしれない。読むと、頭に血が上るんじゃないかと思う (私はこめかみの拍動を自分で感じましたよ、まったくもう)。もちろん、maroon_lanceさんのせいではない(maroon_lanceさん、ご紹介ありがとうございます)。 …そして、これの後日談で、さらに腹が立ったので、報道を持ち帰った次第。 asahi.com 2008年05月24日03時00分付で 「 生活保護費から賠償金差し引く セクハラ敗訴の羽曳野市」 生活保護の申請をした女性(44)への職員のセクハラ行為をめぐる訴訟で敗訴し、110万円の損害賠償を支払った大阪府羽曳野市が、訴訟費用を除いて女性の手元に残った約24万円を「収入」とみなして生活保護費から差し引いていたことがわかった。専門家は「嫌がらせとしか思えない」と指摘している。 (略) 女性の代理人弁護士らによると、市は判決に従って賠償金を支払い、女性の手元には訴訟で証拠採用された電話の録音テープの声紋鑑定費や弁護費用などを引いた24万2千円が残った。市はこれを女性の「収入」とみなし、昨年11月~今年4月、女性の生活保護費(月約6万6千円)から月1万~5万円を分割して差し引いた。
一方で、市は国家賠償法に基づき、元職員に女性への賠償金と同じ額を市に支払うよう請求。元職員が応じたため、市は生活保護の減額に加えて賠償金も結果的に取り戻した形になった。
自治体は生活保護法に基づき、受給者が交通事故や離婚などで保険金や慰謝料を受け取った場合、それを「収入」とみなして保護費を減額することができる。一方で旧厚生省は61年、受給者の自立や更生のために使われる分については収入とみなさない、とする通知を出している。
女性の代理人は羽曳野市に「24万円は女性の自立や更生に必要な費用とみなすべきだ」と抗議。「そもそも、訴訟で負けた市が勝訴した側から賠償金を事実上取り戻すのは信義則に反する」と主張している。 (後略)
…躾の悪い職員を雇用していて被害者に苦痛をしいた癖に、いじましい「嫌がらせ」に見える真似をやらかすのが、羽曳野市という地方自治体であるらしい。
昨日の夏淑琴さんの名誉棄損裁判の原告勝訴報道をメモ。 2008年5月22日(木)「しんぶん赤旗」、 「 南京大虐殺 生存者が勝訴 二審も名誉棄損認める 侵略美化 教授らに賠償命令 東京高裁」 (強調等は引用者による)(略) 控訴審で東中野教授側は、米国人宣教師が虐殺現場を記録したフィルムは夏さんの事件とは「別件」でねつ造されたものと主張。フィルムの解説文は宣教師の「創作話」で、「八歳の少女」は「空想の産物」なので、実在する夏さんとは別人であり、記述は名誉棄損にあたらないと新たな主張を展開しました。
判決は、一審の口頭弁論などで被告の著者らが解説文の内容や「八歳の少女」の存在を認め、東中野教授もその趣旨の陳述書を作成していたと指摘。被告側の主張は「採用できない」として棄却しました。
引用中断。 …例によって、自爆したって事ですね。 (略) 弁護団は声明で、日本の侵略戦争を美化する勢力を批判。「過去と向き合い、事実をありのままに受け入れることからしか、侵略の歴史への反省はありえないし、真のアジアの平和の構築も実現しない」と同訴訟の意義をのべています。
中国で判決を聞いた原告の夏さんは「今日の勝訴は大変感動した」「私一人だけではなく、南京大虐殺被害者を代表し、事件の事実が認められたことを心からうれしく思う」とコメントを寄せました。
中国の弁護士は「本日の勝訴は歴史の事実を抹殺することはできないことを改めて証明した」とコメントしました。
中国でも多数報道されていました。
その一つ、來源:新華網の2008-05-21 23:40:30付 CRI onlineを自動翻訳で一部を大まかにメモ。 「 夏淑琴反訴日本右翼案二審勝訴」から一部。 新華社電によると、日本の東京高等裁判所は21日昼、南京大虐殺生存者の夏淑琴氏が日本の右翼を訴えていた訴訟の二審判決として、第1審と同様に夏淑琴氏の勝訴とした。報道によると、これは日本の裁判所がまた法の場で南京大虐殺の史実を守る判決を下したことであり、意義が重大である。 80歳の夏淑琴氏は「日本の裁判所はこのように公正な判決を下したことは、30万の犠牲者に対する一種の慰めである。」と語った。 (略) 「このは勝訴は意義が重大だ。中国侵略日本軍の南京大虐殺について、東京高等裁判所が再度判決の方式で南京大虐殺の史実の存在を確認した、いっそう歴史の抹殺は許されないのだ」と、記念館の朱成山館長は語った。 もし東中野修道氏が2週間以内に上訴しない場合、夏淑琴氏による日本右翼の名誉毀損訴訟は終了する。
全球新聞 2008年05月21日 06:50付からもメモ。 「 東京高法維持原判 夏淑琴訴日右翼侵權案二審勝訴」から一部。 今日の判決が出た後、夏淑琴氏の日本弁護団は約1時間の後、結果を南京に知らせた。これは、ここ数日間、四川の大地震災害被災者を案じていた夏淑琴氏の元に届いた。氏は、二審勝訴の知らせに感動しつつ、これは私個人の勝訴であるだけでなく、同様に南京大屠殺で亡くなった三十万の同胞を慰謝することだと述べた。そして同時に、日本弁護団の仕事に感謝の意を表した。 南京大屠殺遇難同胞紀念館の朱成山館長は、二審が一審判決を維持したことは、実際には歴史の事実を守り、公平と正義を守ったことであり、真実の歴史は否定することができないのだと語った。
ところが。 なぜか同じタイミングでこんな話も拾った。 『 「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」平成20年(2008年)5月22日(木曜日)通巻第2196号』の『読者の声1』より、 雑誌『WiLL』で、渡部昇一先生が指摘しているように、石破防衛大臣の歴史認識はまさに自虐史観そのものです。 そこで一昨日(20日)、下記の質問状を石破大臣宛に出しました。 胡錦濤への公開質問状も同封し、これに答えられますか、ということで問いかけてみました。 返答ありやなしや、楽しみではあります。 △ 平成20年5月20日 防衛大臣 衆議院議員 石破 茂 先生
既に大臣のところには、<世界新聞報>に掲載された大臣のご発言に対しての抗議・苦情等が多々届いているものと推察いたします。 私もこの記事のことを読みまして、大きなショックを受けた一人です。 いろいろな問題について大変勉強されている大臣のご発言なので、愕然たる思いがいたしました。 いろいろなポイントがありますが、私は今回南京問題に絞って私見を申し上げ、ご質問したいと思います。 是非とも大臣のご見解をお伺いしたいと存じます。
《日本には南京大虐殺を否定する人がいる。30万人も殺されていないという。何人死んだかと大虐殺があったかは別問題だ》 これはよく言われることですが、南京問題につきましてそれなりに研究してきたものからしますと、とんでもない見当違いといわざるを得ません。 南京問題の研究は近年急速に進んでおりまして、もはやそのようなことは到底いえない状況になっております。
先日、胡錦濤主席が来日されましたが、「南京事件の真実を検証する会」(会長:加瀬英明、事務局長:藤岡信勝、小生もメンバーです)では、南京事件に関する5か条の公開質問状を提出しました。 これは昨年温家宝首相に提出した6か条の公開質問状に回答が無かったので、改めて提出したものです。 同封の質問状(実際に出したのは中国語版です)をご覧いただきたいと思いますが、5つのポイントはどれも南京大虐殺が大臣がおっしゃるように実際にあったとしたら、とても考えられないことを指摘しています。 これはいずれも確実な一次資料に基づいていますので、如何に中国共産党が一方的な言い分で言いくるめようとしましても、まず「絶対に」反論できないであろうとわれわれは考えております。
失礼な言い方かもしれませんが、大臣が胡錦濤主席に変わってこれに答えることができますか? われわれは、これに英文を加えた3カ国語版を用意しまして、5月8日に外国人特派員協会で記者発表しました。 産経新聞にはこのことが報じられましたのでコピーを添付します。(朝日新聞等がこれを報じなかったのは残念です。多分、虐殺論を自論のように主張してきたその論拠が崩れるのを恐れてのことでしょう。)
英文版をEmail で、海外に発信しましたところ、反論をしてきたアメリカの大学教授が何人かいましたが、われわれが、一つ一つポイントに答えられるかと反論すると結局誰も全く答えられませんでした。
ある教授は、Holocaust denier だと非難するので、冗談ではない、ホロコーストを否定しているのは、ポイント一に見るように、毛沢東であり、又ポイント2で見るように国民党(政府)自身であって、われわれはこの事実を指摘しているのだ、というとさすがにそれ以上答えられませんでした。
特に決定的なのは、国民党宣伝部国際宣伝処が外国人記者を招いて漢口で南京戦を挟む約一年間に300回も記者会見をして日本の暴虐を針小棒大に発表しているにもかかわらず、ただの一度も南京で市民虐殺があっただとか、捕虜の不法殺害があっただとか発表していないということです。 中国政府が当時から南京虐殺非難をしていたと誤解する方が多いですが、中国政府は一度も正式に南京虐殺非難をしたことは無かったのです。
ポイント3の南京の人口、そしてポイント4のただの一件も不法殺人が訴えられていないことは、南京市民全員が収容されていた安全区を管理した国際委員会の活動記録である、Documents of the Nanking Safety Zoneにはっきり載っていることです。 コピーが添付してありますので、お分かりかと思いますがこれは1939年に上海のKelly & Walsh 社が、国民政府の国際問題研究所(Council of International Affairs, Chungking=重慶)の監修の元で刊行したものです。 日本の資料ではありません。 こういう状況だったのですから国民党宣伝部が300回も記者会見を開きながら一度も南京虐殺などといわなかったのも当然のことでしょう。
すなわち、南京虐殺などというものはそもそもなかったのです。 南京戦はありました。日本軍も多くの死者を出しましたが、中国軍は途中で最高司令官である唐生智防衛司令官が部下に指示を出すことなく逃亡したこともあって、混乱し壊滅的な打撃を受けたというのが実際に起こったことです。
戦死者は大量に出ましたが、これは戦闘による死者であり、当然のことながらこれを虐殺などと非常識なことを言うものは蒋介石政府を含めて、誰も「当時」いなかったのです。
大臣に是非お願いします。 もしこの公開質問状と私の説明に疑問な点がございましたら、それをご指摘ください。どんなご疑問にもお答えするつもりでおります。 これは日本国家の名誉にかかわり、また外交そして国防上もきわめて重要な問題ですので、私的な問題ではないと考えます。 日本国家の重職を担われております大臣のご見解を是非ともお伺いいたしたく、お願い申し上げます。ご返答を鶴首いたしております。 敬具
「南京事件の真実を検証する会」監事 「史実を世界に発信する会」事務局長 茂木 弘道 拝
情報を見つけたのは今日だが、お手紙発送は判決前であったらしい。 …多分、お返事が来ることはないだろう。
関連で見つけた情報;『クライン孝子の日記』で『 2008/05/19 (月) 渡部昇一氏「石破防相の国賊行為を叱る」』
参考を追加; コメント欄で poppo-xさんに教えていただいた、bluefox014さんによる『茂木弘道氏(自由主義史観研究会/南京事件研究会メンバー)の言説』のメモと分析; ・ (メモ1)茂木氏の言説にチェックを入れる ・ (分析)茂木氏の言説の短絡性・ (メモ2)茂木氏、2つもデマ連発・ (メモ3)茂木氏が無視した(知らなかった?)日高信六郎参事官の証言・ (メモ4)茂木氏が無視した(知らなかった?)稲葉師団長・牛島旅団長の発言・ (メモ5)茂木氏が無視した(知らなかった?)第十六師団兵士・外賀関次氏の日記・ (分析)茂木氏の2月2日~4日言説とその問題点・1・ (分析)茂木氏の2月2日~4日言説とその問題点・2・ (分析)茂木氏の2月2日~4日言説とその問題点・3
エントリタイトルだと、まるで月に一回しか衝動買いをしないように見えるかもしれないが、もちろんそんな事はない(と、胸を張って主張する事でもない)。 それはともかく、近頃は油断のならないことに、本を買いに行って違うものを買ってしまうのである。何処の事かといえば、 Amazonのこと。いつの間にやら気がついたら、キッチン用品やその他もろもろを売っている。そして、ついうっかり覗いてしまった。 へ~え、これって便利そう。と思ったら運の尽き(^^; だって、「1500円以上国内配送料無料」なんだから、待っていた新刊の文庫を一冊買いたい時なんかには、つい、ついでに買ってしまうという恐ろしい罠である。
そういうわけで、買ってしまった(^^; 衝動買いアイテムの外箱。 プリンを作る場合って、蒸し器を使ったり、鍋で湯煎にしたり、オーブンで蒸し焼きにするものだけど、これは電子レンジで1個あたり1分というのがウリ。 箱から、肝心の物を出してみたところ。内容量が150mlだそうなので、小さい目。 これが一箱あたり二つ入り。蓋の外周に金属を埋めてあるところがキモなのだそう。 レシピも箱に入っていたので、まずは基本のプリンを作製してみる。 卵を一個、牛乳を120ml、砂糖を大匙一杯。作り置きのカラメルタブレットも底に沈めておく。 完成。 ちょっと表面近くにすが入りかけなので、もう少し加熱加減を調整すべきだったか。 …もともと、プリンは好きで作る事もあったのだが、大量にできてしまうという難があるので、少し遠ざかっていたのだけど、これはすごく便利。 ちなみに、プリンの基本レシピとして前から愛用していたのは、こちらの「 家庭でできる極上プリン」。カラメルタブレットもこちらの情報から。 そしてこのほど、この衝動買いアイテムに付属してきたレシピで作ってみたわけだけど、カラメルタブレットを入れると、ちょっと甘すぎたみたい。蜂蜜を大匙2/3ぐらいが丁度いいかな、って感じか。 そして、ちょっと見映えの悪い写真だけど。 醤油で味を付けた出汁120mlと卵一個、それに小松菜と舞茸とエビを入れて、加熱してみたり(^^; ちょっと小さい目なのが難だけど、茶碗蒸し用にもなかなか好都合なのでした。 …250ml入りぐらいの、同仕様の容器が欲しいなぁ。
東京都中央卸売市場の移転が予定されている豊洲地区で有害物質が検出された問題について、土壌汚染対策専門家会議が追加対策の基本方針を19日に発表したので、その報道を集めてお持ち帰り。 「対策費の総額は1000億円を超えるとみられ、国内では最大級の土壌汚染対策となる見通し」という凄い話で、私が採る前に採られた魚拓がきっちりありました(^^; まず、2008年5月20日 07時39分配信 東京新聞より、 「 築地移転 豊洲予定地の汚染 地下2メートルまで土壌交換」 リンク先魚拓には、有害物質検出地点の図解があります。ベンゼンとシアンがもっとも高濃度で検出された地点は、水産仲卸売り場建設予定区域内。。。orz (以下、強調などは引用者による、漢数字はアラビア数字に書き換え)(略) 予定地は、東京ガス工場跡地。都の調査では、調査地点4122カ所中、1475カ所で基準を超える有害物質を検出。このうち基準の43000倍のベンゼンと860倍のシアンが同一地点で検出された。タールを入れたドラム缶が腐食し、地下に浸透したと推測している。 (中略) 会議は、土壌中の高濃度汚染は「局所的」としたが、地下水を通じて汚染が広がっている可能性を指摘。都が「基準の十倍」とした浄化目標の基準達成を目指すよう求めた。 (中略) 豊洲の汚染を追及している日本環境学会の畑明郎会長(大阪市立大大学院教授)は「土壌調査は表層でしかやっていない。地下の土壌汚染は、もっとひどいはずだ」と調査の甘さを指摘。(中略) 豊洲地区は土壌汚染対策法の施行前に廃止された工場の跡地で、同法の適用除外。民主党が国会提出した同法改正案をとりまとめた川内博史衆院議員は「対策ができるといいながら、技術や金額も示さない。メンバーには食品の専門家もいない。これでは食の安全は守れない」と主張。(後略)
2008年5月20日(火)「しんぶん赤旗」では、 「 築地移転 シアンも検出 860倍 東京都専門家会議 調査公表、対策提言へ」から一部。 表層土壌から発がん性物質のベンゼンが環境基準の43000倍の濃度で検出されたのをはじめ、35カ所で基準を超えました。本来検出されてはならない猛毒のシアン化合物も、1カ所で基準の860倍が見つかるなど、90カ所で基準を超えました。ヒ素は最大で7倍など307カ所、六価クロムが10カ所で基準を超えました。
また、地下水からもベンゼンが基準の一万倍を最高に、561カ所で基準を超過。シアン化合物は基準の130倍を最高に、966カ所で基準を超えました。ヒ素は43倍を最高に、177カ所で環境基準を超えました。
毎日新聞 2008年5月20日 東京朝刊より、 「 予定地の汚染対策、1000億超も--専門家会議」から一部。 施設建設予定地の土壌について専門家会議はこれまで、基準を超えた場合のみの入れ替えを提案していた。だが、汚染の広がりを示す調査結果を受け、施設の床からベンゼンが侵入するのを防ぐため▽地下2メートルまでの全土壌の掘削▽ベンゼンの濃度が環境基準に適合することを目指した地下水浄化--などを提案した。
都は今後、環境基準を超えた土壌と環境基準の10倍を超えた地下水についてさらに1メートル間隔で調査を行い、6月末に終了。7月末には専門家会議が最終提言をまとめる。
ところが、産経新聞は食べ物よりオリンピックの方が気になる様子(^^; MSN産経2008.5.20 02:29より 「 豊洲の土壌汚染問題 五輪プレスセンター建設にも影響」 (略) 当初の移転時期は平成24年度。(中略)詳細な調査が必要になったため、25年度に変更されたが、28年開催の東京五輪には影響がないとされていた。 しかし、今回の再調査で都は、さらに多くの地点での浄化作業が必要になったとして、「開設は平成28年度以降」と話す。 そうなると、28年の五輪招致が実現した場合、築地市場でのプレスセンター開設は難しい。代替案として、都では移転先の豊洲地区にプレスセンターを建設する予定だが、この場合、豊洲移転はさらに30年度以降にずれ込むとしている。 都では「五輪への影響を最小限にしたい」と話すが、具体的な対応策は出されていない。
…なお、日本環境学会会長が2月に、都知事と、都専門家会議の座長に出した 公開質問状には、いまだに返事がないのだそうだ。 という訳で。 個人的に、 やっぱり、中央卸売市場築地市場の豊洲移転に反対します。そして、オリンピックを誘致するより、ここの汚染除去に予算を割く方が先決。
なんでも、東京の築地にある中央卸売市場を2013年3月には豊洲に移転して、築地の市場跡地を誘致したオリンピックのメディアセンターにするとかいう話と、その移転予定地の豊洲はやばいという話を「 かめ!」道場で、以前、目にしていた。やばいというのは、2007年8月に実施された豊洲の市場予定地の調査で、一部の土壌から環境基準濃度の1600倍のベンゼンが、一部の地下水からも環境基準濃度の1000倍のベンゼンが検出されていたらしい。 そして、それを受けて実施された詳細調査の結果が出た、という報道を見かけた。 詳細調査の結果は…
都が今年2月以降に再調査した約4200カ所の3割の地点から、環境基準を超えるシアン化合物などの有害物質が検出されたことが16日、分かった。
とか、 調査地点を増やして調べた結果、より高い比率で、基準を上回るベンゼン(4万3000倍)やシアン化合物(860倍)のほかヒ素や鉛が検出された。
とか、 予定地の安全を確保するため、都が土壌の入れ替えや地下水の浄化処理などにかかる費用を試算した結果、当初予定していた670億円のほぼ倍額の約1300億円に上った。
という話だ(呆)。 そして、 この調査の結果は、5月19日に開く「豊洲新市場予定地における土壌汚染対策等に関する専門家会議」(座長:和歌山大学システム工学部の平田健正学部長)で一般にも公開する。
のだそうな。 ちなみに、 イシハラトチジは16日の定例会見で、 (略) この豊洲新市場予定地における土壌・地下水調査の結果ですが、これがものすごくショッキングなデータが報告されまして、今年の2月から豊洲新市場予定地で実施してきました。えー4122カ所、これはあのちなみにですね、10メートル平方のメッシュでやってるわけですけども、その詳細調査において、既に一部報道されましたように、敷地の一部、これはあくまでも1カ所ですね、1ポイントでありますけども、環境基準の4万3000倍という高濃度のベンゼンが土壌から検出されました。しかしその、敷地全体までこういう高濃度の物質で汚染されているわけではありません。
その濃度は1箇所であっても、調査地点の約3割から、環境基準を超える有害物質が検出されたという報道が出ているのである。 そしてさらにイシハラトチジは(略)専門家会議では、この調査結果を基に、生鮮食品を扱う市場用地としての対策を検討してもらい、7月に提言をとりまとめる予定であります。また対策については、全く新しい発想や技術の可能性も広く考えていく必要があると思います。いわゆるその土木工学の中にはですね、既存の方法論だけではなくて、新しい技術の開発も兼ね合わせたですね、もっと費用のかからないしかし効果の高い、そういう技術があるかもしれないということで、そういうものを模索していきたいと思ってます (イシハラトチジの会見における強調は引用者による)…現状の技術では、汚染除去が無理との前提の発言に見えるのは気のせいだろうか。 という訳で。 個人的に、 中央卸売市場築地市場の豊洲移転に反対します。今日、開かれているはずの専門家会議の報道を見つけたら 追記、、、できればいいな。 20日付のエントリにて報道をメモ。 ネタもと; 日経BP 2008年5月13日 10時41分『 東京・豊洲の新市場予定地で土壌から基準濃度の4万3000倍のベンゼン』 日経NET 2008年5月17日『 築地市場移転有害物質汚染、予定地の3割で基準値超す』 読売新聞 2008年5月16日14時31分『 「築地」移転3年遅れに、豊洲の汚染対策で…五輪招致に影』
「 絵ロ具。」のアメンバー限定記事、「 現実は陰謀論よりバカで残酷」および「 正直者なのでわざと嫌われる(笑」において、前者には陰謀論やニセ科学を批判する立場において留意しておくといいのではないかと評価した意見、後者には私を含む個人に対する批判(記事公開時点で20人であったはずのDoX氏のアメンバーのうち2名、および非アメンバーの個人も含む可能性がある)があったため、当該記事および箇所について公開を提案した。 後者については 該当箇所を公開していただいたのだが、前者についてはDoX氏による要約であり限定公開時の含意が消失しているように見受けられたので、「公開して多くの方に問うにたる内容と考えてらっしゃらないことは、残念」とお伝えしたところ、 返信コメントで、 前の記事の「残念」と思われる部分をご自由にお持ちください。「現実は陰謀論よりバカで残酷」を限定にしたのはコメントくれた人のURLを紹介して笑いものにしちゃったところだけだから(笑)そこが残念な部分だったら残念ですが
とご了承いただいたので、限定にした理由の箇所を除いて自ブログにてご紹介させていただく事とする。 なお、本業多忙のため、ご了承いただいたにもかかわらず持ち帰らせていただくのが遅くなった事に関し、謝罪させていただきたいと思う。 申し訳ありませんでした。
「 現実は陰謀論よりバカで残酷」から、 うちゃさんから、
パンダ暗殺説(爆) が出てるそうですよ。 http://d.hatena.ne.jp/hagakurekakugo/20080512/p1 もはやこの人たちをなんと呼んだらいいのやら。 毒デムパじゃ足りないよね
とコメントを貰ったのだが、 (いきなり死んだタイミングがおかしいって、去年退職した飼育員の人が何年も前から「そろそろ寿命なんで上野のパンダの火を絶やさないようにパンダ借りてください」ってイシハラバカチジにお願いしてたじゃねーかよ!あほか!!)
俺はそれより前にもっとすごいのを発見していた。
引用もと意向により、一部略 とそのときは笑っていたのだが、今度の四川省の惨事で
被災をさておきオリンピックを非難する
姿勢に気持ち悪くなるくらいの嫌悪を覚えた。 俺も「オリンピック開催できるか?」とは思うが、国際的なイベントで目前に迫っているということもあり、開催国の都合で予定を変更もできがたいのだろう、と「なんとか、参加国が手弁当のような形で、オリンピック開催にかかる莫大な費用を四川の地震災害救済にあてられないものか」と記事に書こうと思っていたところだが。
クサクサネチョウヨの連中は、地震災害にも中共の陰謀を唱えるのだろうか。
現実は残酷だ。 虐げられた人たちの上にさらに災難を起こす。ミャンマーや、四川で。
そして、政治家や大衆が理論や科学に基づいて行動するのではなく、利口な人々が「陰謀」と感じるよりさらに直感的で単純でバカだったりすることも悲劇だ。
たとえばイラクにあるとされていた「大量破壊兵器」 大量破壊兵器の存在の根拠とされるものが、イギリスの大学院生の論文に似ているというのは、はなゆーさんやnofrillsさんが開戦当初から記事にしていたのだが、その論は「現実的」だという人々から「バカですか?」などと揶揄されていた。
しかし、大量破壊兵器はなかったし、根拠となったものが論文の引用だったことは「事実(THE FACT(笑いごっちゃねえけど笑う)」だったのだ。
しかし、ブッシュが謝ろうと、事実大量破壊兵器が見つからなかろうと、ビンラディンに連なる人物などイラクのどこからも見つからなくても、アメリカ国民の半数以上が「大量破壊兵器はあった」「イラクは911と関係がある」と「現実に」思っている。
現実は陰謀論よりバカで、間抜けで、残酷。 イラク戦争開戦の真意を誰もが疑うけど、おそらくブッシュがイラクを攻撃したかったのも「ただイラクは悪いので攻撃してアメリカの正義で懲らしめてやりたかった」「軍需産業がもうかる」程度のことではなかったのか。
仔細な陰謀などあったら、アメリカがここまで国内を疲弊させ、市民生活が崩壊するほど原油が高騰している訳がない。
ロシアは「金持ち文句言わず」状態で原油高騰のあおりで自国内の人権侵害やチェチェンに対する人道に反する行為の非を問われることなく、与党が自国内の(そこそこ富める)国民の支持を得ているし。
科学的で論理に基づいて発言する利口な人たちにしばしば驚かされるのは、
いわゆる「大衆」や、為政者などが論理的には行動・思考しない、というのを忘れている、そしてその行動を予想しない、というところだ。
たとえば、911直後に、「アメリカ人がテロによって殺されてことに快哉を叫ぶイラクの民衆」という「象徴的な」映像が何度も何度も流された。 この映像によってイラク人に対するどのような感情が引き出されるか、イラクにどのようなことが起きるかを予想して俺は頭を抱えていたし、イラク人のリバーベンドさんも「その映像」には同様の予想をしていたと思う。
そして、公式に「大量破壊兵器はなかった」「911とイラクは関係ない」と現在公表されているにも関わらず、それは現実のものとなってアメリカ人は「イラクは911と関係がある」「報復の戦争だった」と非論理的な思考に陥っているのだが、
独善的なアメリカは911でイスラムに快哉を叫ばれて当然
とした人がいる。 なんでこんな万単位の人間が命を落とした悲惨な戦争が現実に起こった後で、「攻撃の象徴」であった行動を肯定するかなあ!
というのが俺の怒りだが、「こういう映像やこういう発言によって、どういう感情が引き出されるか」充分予想がつくのに、
主張が論理的だから、科学的だから
と、その中身を吟味することなく肯定されるべきだとされるのは論理村の理想論でしか過ぎない。
で、最近「オバカな陰謀論に加担しない知的言論」がもてはやされているわけだが、
現実のほうが陰謀論よりメチャクチャなのに、「陰謀論」をわざわざ取り上げて見下して何をしたいんだ?
と、カマヤンさんの立場を支持する所存。
http://d.hatena.ne.jp/kamayan/20080512#1210544323
俺もブログを立ち上げて何年かになるし、前のブログ開設当初は「イラク戦争反対派は『感情』でものを言っている、『現実的でない』」とかいくたびも揶揄されてきたが、そういうことを言っって非難してきた人たちが実際に「現実的」だったとは今になっても思わない。
(某所でしたやりとりが「この言葉や行動でこの人からどういう反応が引き出せるか予想はつくはずだ、だったら自分が引き起こしたその結果を潔く(嫌いな言葉だが)受け入れろ」とだけ言ったのに「ひどい言葉を言ったことが悪いか」に捻じ曲げられてぐずぐず言い訳されたのは非常に不愉快。だって俺「ひどい言葉」なんか全然問題にしてねーし。 http://ch02148.kitaguni.tv/e74921.html )
↑ここらへんのやりとりをみると今も昔も変わりないことをやっているようだ。 ある一点だけをとって、いつまでも「ものを語る資格」など他人に値踏みされる筋合いはない。ましてや、ブログの開設・閉鎖など誰かが指図できる類のものでなく一個人の自由だろう。あー、むかつく。
以上、改行、フォント指定その他、原文ままを移植できているはず。 引用元スクリーンショット(引用不可部分をフィルター処理済み) 1枚目、 2枚目、 3枚目、 4枚目、 5枚目。 まず、「主張が論理的だから、科学的だからと、その中身を吟味することなく肯定されるべきだとされる」とあるが、論理的であろうとしている人がそのように振る舞っていた事例は、私個人は見た事がない。しかし、もし実際に、中身が吟味されずに「論理的」な主張ーーそれは論理が破綻しているのじゃないかとも考えるがーーが肯定されているシーンがあったら、批判されてしかるべきだと考えている。 また、『現実のほうが陰謀論よりメチャクチャなのに、「陰謀論」をわざわざ取り上げて見下して何をしたいんだ?』ともあるが、現実が陰謀論よりメチャクチャであることは、陰謀論を批判的に読み解くことを停止する理由にはならない。 というような点はあっても、このエントリには「陰謀論」や「ニセ科学」批判の行動がもたらす印象を語る言論として、「陰謀論」や「ニセ科学」へ批判的な目を向けている個人にとって、今後の発話を考える上で参考になる意見だと考えた。 限定公開記事内容を「ご自由にお持ちください」と快諾いただいたDoX氏に感謝する。 ありがとうございました。 なお、DoX氏には、私が2008/04/29にアップロードしたエントリ『 既視感の「女の子」』を対象に含むと判断できる批判を、当初、アメンバー限定記事にて(後に「 知的選民階級の言論占有に抗議する(笑」として公開) 付き合いがあったときいくらでも直接指摘する機会があったのに、相手が接触を絶ってから「あのひとはああだった」と言い合ったり、
あてこすりや揶揄したエントリーを上げて「私たちは正しかった」ことをいつまでも互いに確認しあっているのは
「女の子」なんてかわいいものどころか「ネチネチイヤミババア」(笑
自己像は「女の子的なものからかけ離れたさっぱりした性質」なんだろうけど、長年野良猫氏の様な品行方星イヤミ村と戦ってきたエロガッパ星タフガイ村出身(自己申告)の俺からすると、陰湿この上ないね!
その都度「こういうのはいくねーんでないかい」って指摘すりゃあよかったじゃんかよ。俺なんか入り込むの気が引けるほどベッタリなアマゾネスごっこ遊びで付き合ってたんだし!
との内容で頂いているが、私が『 既視感の「女の子」』を4/29時点でアップした理由はそのエントリの締め部分に明記してある。そしてもう一点、この批判そのものが、批判発言者をも射程に収める発言だろう。 4/29時点でアップした理由は、一連の出来事に関し誠実な考察を続けている玄倉川さんが、もしかしておもちでない視点かもしれないと察しをつけたからだ。たまたま見かけた玄倉川さんのブクマコメで。トラックバックをお送りして、ご訪問いただいた玄倉川さんにはその旨をコメント欄でお伝えしている。 そして、そのブクマのついた記事を例に、こういう行動をする個人がある程度の頻度でいることの認識を、(玄倉川さん以外(?)の方には改めて)共有していただく事は、この、思いもかけないほど波及した水伝受容批判に始まる出来事の読み解きや、今後に起こるかもしれない似たような出来事で不本意な思いをする個人を減らす事につながるかもしれないと考えている。 でも、どうやら、こう言ったことは明記しているしていないにかかわらず、解る人には容易に解ってもらえるし、そうでない人にはずっと解りえないものの、の様な気がしきりとする。 「 HERIKUTSUなる日々」さんの「 ネットと性差。」 …まぁ、仕方のない事なんだろう。 そういえば、nagonaguさんの『 「やさしさ」の全体主義についてのメモ』コメント欄にて、 kojitakenさんがとある方に関して「女性だって今日初めて知った。だってあんなに感情的になるのって、男かとしか思えなかったから」とお書きだったのが興味深かった。kojitakenさんの経験則においては、 男性の方が感情的になるものなんだろうかと。
実は先日、テロ攻撃を受けていた。悪辣なテロリスト側に攻撃の意思があったのかどうかは不明だが、急所にクリティカルヒットを喰らって、しばらく立ち直れなかった。
わーん、 若竹、おいしそう。 …反応するポイントは、魚偏に春ではなかったようだ。 なんといっても、そこら中、竹藪だらけの土地で育った私。自分で竹藪に掘りに行く機会はないが、シーズンにはそこらで皮付きのタケノコが売っているのが当たり前の環境だった。自分ちでもよく食べていたわけで。。。でも、東京に来てから売ってるのを見た記憶がなかったので忘れていたのに、思い出さされてしまった。 そして、テロ攻撃に倒れた数日後に、ふと見ると通りすがりのスーパーで山積みに皮付き竹の子が売ってたりするのだな。千葉県産と書いてある。 パック詰めの水煮の竹の子より、絶対こっちが美味しいし、、、と思って、ついふらふらと近寄る。 でも、竹の子だけ買ってもねぇ。コメ売り場を覗く。米糠がおいていない。 …もしかして東京では竹の子のあく抜きには米糠は使わないのだろうか? と思いながら、通りがかった店員さんに「米糠ってありません?」と訊いてみた。一瞬、不思議そうな顔をされたので、また妙な質問をしてしまったのだろうかと危惧してしまったが(<-よほど慣れているらしい)、すぐに、「竹の子ですね」といってくれた。どうやら東京でも竹の子に米糠はつきものだったらしい(キャーぶたないで、と謎のボケをしておく)。 すぐに担当らしい人に言ってくれたら、、、米糠の詰まった袋が出てきた。ざっと見、10kgぐらいはあるだろうか。その袋 だけ が、どん、と置かれた。 これを一体どうしろと?と思いながら、持ってきてくれたヒトに訊く。 「どうやっていただいたらいいんですか?」数回、質問と、不思議そうな表情付きの回答のやりとりで判明した。どうやら、普段はこの袋がズドンと山積み竹の子の横に置いてあるもので、客は、その周囲の野菜つめ放題用においてある袋を勝手にとって、何もことわらずに欲しいだけ米糠を詰めて持って帰るものであったらしい。 …そんなん、異邦人には解りませんって(^^; あっちも解りきった(筈の)事を訊かれてとまどったろうが、こっちもどうしようかと思った(^^; という苦労の末(<-ものすごく大げさ)、若竹の完成。 この、根元のこれから根っこがでますってあたりの固いところが、一番好き。 ちょうどワカメも新ものがでていたので、実に美味しゅうございました。 以下、謎の言い訳。 春の季節ものつながりって事ですよ。 ライオンの歯。
国連人権理事会の普遍的定期検査における実務グループ会議第二次セッションが、日本、韓国を含む16ヶ国の人権状況を審査している日程は、たしか5月5日ー16日の間。そろそろ何か話が出てくるかと探していると、韓国語報道が一つあったので、とりあえずお持ち帰りして自動翻訳なんちゃって大まか訳で保存。 ブレイクニュース 2008/05/13 10:33付より、 「 유엔 인권이사회 위안부 해결 보고서 채택 예정 (国連人権理事会「慰安婦」解決報告書採択予定)」、サブタイトルで「프랑스, 네덜란드 등 일본정부 향해 권고와 질의 (フランス、オランダなどが日本政府に向かって勧告と質問)」 以下、私が初見と思った情報に下線有り。
国連人権理事会の国家別人権状況の定期検査(Universal Periodic Review, UPR)における実務グループ第二セッションで9日、日本に対する定期検査が行われ、韓国政府のみならず、フランス、オランダ、北朝鮮が日本政府に向かって日本軍「慰安婦」問題解決を要求した。また、フィリピンや中国なども、人身売買と歴史問題に対して言及した。
今回の会議で「慰安婦」問題に対して公式意見を初めて表明したフランスは、「慰安婦」問題が第二次世界大戦中に発生した強制売春であり、恒久的な解決策を模索することを勧告した。
オランダも、国連人権条約機構など、国際社会の関連勧告を守るために日本政府がどんな措置を取ってきたかを質問した。
北朝鮮は「慰安婦」問題はもちろん、過去に日本政府が被害をもたらした国家らに対して具体的な措置を取ることを強力に促し、韓国もやはり「慰安婦」問題に対する国連女性差別撤廃委員会 (CEDAW) と国連拷問禁止委員会 (CAT) そして特別報告官の勧告を、誠実に履行することをより強力に要求した。
国連人権理事会実務グループは、現地時間で14日午後5時30分に日本軍「慰安婦」問題解決を求める各国の要求が入れられた報告書を採択する予定だ。
この実務グループ報告書は、各国の追加的な答弁と論評を受けた上で、来月2日から13日まで開かれる全体会議で議論された後に最終報告として採択される。日本はこの席で、提起された人権問題に対して、自発的な公約 (Voluntary commitments and pledges) を提示することができる。
韓国挺身隊問題対策協議会は『日本軍「慰安婦」問題に対する国連人権理事会の勧告と決議および履行要求は、日本政府の態度変化のための重要な契機になる』と見ている。
そして、最近イ・ミョンバク大統領とクォン・チョルヒョン駐日大使が「日本に謝罪要求をしない」という発言で、国民と被害者らを憤激させている韓国政府が、これからこの問題の解決のためにいかなる後続措置を取るのかも注目される。
…採択予定は現地時間の14日17時30分って、いつごろでしょう(^^; 報道は明日以降でしょうねぇ。日本で詳細に報道されるかどうかは知りませんが。 …ということで、 Stiffmuscleさん、 おこじょさん、 うにさん、 kmiuraさん、 ハムニダ薫さんにトラックバック。
このところ、民主主義って意見を出し合って相手の意見を聞いたり(読んだり)、ここぞという点にはつっこみを入れ、、、それやこれやで、とりあえずは意見を出さなきゃ話にならないと考える機会が多い。しかし、そういえば、私の住んでいる地方自治体の首長はそういうのが嫌いらしいと聞いたようなおぼろげな記憶があり、どうもその下部組織はそういう意思が優位なんじゃないかという話が一件 (以上かもしれんがとりあえずはここで思い出さされたのは一件)あったっけ。そういえば。 事の発端は 2006年の4月13日に、東京都教育委員会・ 中村教育長名でだされた「通知」。 朝日新聞2006年4月14日の報道によると、 「学校経営の適正化について」と題する通知では、職員会議について「議決により校長の意思決定権を拘束する運営は認められない」との方針を強調。校務や、児童・生徒の成績判定などについて「『挙手』『採決』などの方法を用いて、職員の意向を確認するような運営は不適切であり、行わない」と具体的に指示した。
都教委は、学校経営の中枢機関は、校長がメンバーを選任する「企画調整会議」であるとして、その機能強化を要請。一方、職員会議の機能は「教職員に対する報告、意見聴取、連絡に限定」するとしている。
都教委が今年初め、都立学校の運営を調査した結果、十数校で職員会議で挙手などの採決があり、校長の意思決定に何らかの影響を与えていたという。
これには、 「 教育の現場に対して、自ら民主主義を踏みにじる運営をしろと指示している東京都教育委員会(教育長)とは、一体何なのだろう」 「 命令を忠実に実行するロボットのような教員。そしてそうした教員がはたらく工場のような学校。それが都教委の理想とする学校なら、いやはやなんともというしかない。」 「 校長の権威だけに頼る運営をせよという通知で、一般の教員の参加意欲をそいでしまい、学校を活力のないものにしていくのではないか。(略)これで生徒にどうやって民主主義の多数決原理を教えられるのか。教育現場の荒廃はここまできたか、と思わせられる。」 平成十九年六月二十一日付の 東京都議会文教委員会速記録第七号でも、大山委員により (略) 都教委の通知というのは、所属職員の意見を聞くことが必要な場合においてまでも、挙手、採決などの方法を禁止した。意向が反映されないで、だれが意見をいうでしょうか。意見をいえないで物を考えるでしょうか。これは物をいうな、物を考えるな、黙って従えということ、このように書いています。私もそのとおりだと思います。 そして、通知の内容の三点目は、校務に関する分掌組織や校内人事等を検討させる委員会を設置したり、委員会等から分掌組織や校内人事案に関する調整をさせたりすることは許されないということですね。また、委員会等の互選は許されないことを徹底したということです。 大体、こういう通知を出して、学校を縛ること自体、不当です。こんなことをしているのは東京の中だって、都立だけですよ。 (略) そもそも都教委が出しているのは通知であって、通達ではありません。絶対に従わなければならないものではありません。それを一校残らず、シラミつぶしに従わせるというのは、支援じゃなくて、強制だといわなければなりません。
といった批判が集中していたにもかかわらず、この通知は徹底されてきた。 ところが。
毎日新聞 2008年5月2日 2時30分付より、 「 撤回要求:現職校長、都教委に…職員会議の挙手禁止通知」より一部のみ; 通知後の職員会議について土肥校長は「教職員が『何を言っても意味がない』と思うようになり、活発な議論がされなくなった。教員の意見が反映しにくくなった」と主張。4月11日に立川市内で開かれた都立高校長会で、通知撤回を訴えた。
都教委は通知後、都立学校への調査を繰り返し、生徒の生活指導や学校行事について挙手をさせた校長を厳重注意にしている。07年2月以降は実施校がゼロとなっていた。
そして、レイバーネットその他で「 三鷹高校の土肥信雄校長にエールを、都教委に抗議を」という、以下のような緊急アピールを土肥校長および、都教委に宛て出すための賛同署名が呼びかけられている。 2008年5月9日 「教育者としての信念を貫かれる校長先生に敬意を表し、 都の理不尽な通知に反対する市民と保護者のアピール」
2006年4月に都教委が「職員会議において『挙手』『採決』等の方法を用いて職員の意向を確認するような運営は不適切であり、行わないこと」を都立学校に通知したとき、私たちは本当に驚きました。教育現場で日々子どもたちに接している教職員の意見を聞く場がないようなところで、子どもたちを大切にする教育ができるわけがないからです。
この通達は、「校長は管理者であって教育者である必要はない」という都(知事)の意向を色濃く反映したものであり、教育を上意下達の場にし、子供たちにも上から言われたことに疑問を持つことを許さない、または疑問を持っても口に出すことを許さない学校を作るためのものであるとしか考えられません。
しかし、学校現場では、都教委の言うことに異を唱えれば、校長先生をはじめ、教職員は身分や経済的保障をも奪われかねないような事態が2003年頃から発生しています。教員が、現在の都教委の方針が正しいと思っていなくても、それを意思表示できない状況であることはだれの目からも明らかであり、どんなにばかげた通達であっても従わざるを得ないという、まさに都の目指している方向に事態は進んでいるのだと、私たちは半ばあきらめの気持ちで都立学校を見つめてきました。
こんな学校では、子どもたちは自分で考えて行動することも、まわりの友人たちと共に考えて行動することもできなくなる、こんな教育が続くのならば東京の子どもたちの未来はどうなるのだろうと暗澹たる気持にもなりました。
ところが、そんな状況のなかで、きちんと声を上げている校長先生がいらっしゃることを知り、私たちは本当に嬉しく、感動しました。そして、東京の教育も良識を取り戻す可能性がなくなったわけではないことに、またこのように「教育者」として深い見識をそなえた校長先生が都立学校に存在しておられることに、私たちは救われる思いです。
校長先生や教職員がきわめてまっとうな意見を述べることに対し、都教委は「事情聴取」や「処分」といった圧力を加え続けていることを私たちは知っています。こんな「恐怖政治」とでもいえるような教育行政は今すぐやめてほしいと心から願っています。また、間違った通達はすぐに撤回し、教育の場が真に子どもたちのためにある本来の姿に戻してほしいと強く願っています。
声を上げてくださった校長先生に心から敬意を表するするとともに、わたしたち保護者や市民も都教委の横暴に対し、きちんと声を上げ続けていく決意です。
一点だけ指摘したいが、私の調べた範囲では、「職員会議において『挙手』『採決』」を行わないように、としたのは、「通達」ではなく「通知」らしい。そして、「通知」は「通達」よりも強制力が弱いものとして認識されているらしい。 ……だから、その通知後「都立学校への調査を繰り返し、生徒の生活指導や学校行事について挙手をさせた校長を厳重注意にして」、強制した教育委員会は余計にとんでもないんじゃないかって、つっこみいれたいって事だが。
趣旨に賛同したので、署名記入用フォームへのリンクをご紹介することにしました。 アクセス集中の対策として受け付けるURLは三つありますが、以下リンクはどれも同じフォームで宛先も同じ。締め切りは5/14だそうです; 署名用のフォームその1 署名用のフォームその2 署名用のフォームその3
国連人権理事会が9日からジュネーブで、普遍的定期検査で日本も含めて人権状況を審査している件について。日本の新聞社各紙が短い記事で報じている。 以下の列挙順は特に法則性はなく、たまたま取りかかった順。 毎日新聞 2008年5月10日18時57分付で、「 国連人権理事会:死刑執行停止を日本に求める」 読売新聞 2008年5月10日19時55分付で、「 国連の人権審査、日本の死刑増加に懸念表明相次ぐ」 日経ネット 2008年5月10日19時55分付で、「 国連人権理、日本に死刑廃止求める・定期審査で英仏など」 時事ドットコム 2008/05/10-06:36付で、「 従軍慰安婦問題への対処要請=国連人権理の対日審査で-北朝鮮など」 共同通信 2008/05/10 08:05付で、「 死刑廃止など要求相次ぐ 初の日本への国連人権審査」 報道において要請あるいは要求としてあげられた項目は、死刑制度についてと『従軍慰安婦」についてとに大別できるだろう。
各社の記事を、この項目に分けて抜き出してみると、 死刑制度について; ・英仏など欧州諸国は日本が死刑制度を存続させていることを批判(毎日)。 ・10カ国以上が、昨年12月に国連総会で採択された死刑執行停止決議を受け入れるよう日本に求めた(毎日)。 ・対日審査では42か国が発言を求め、特に欧州諸国から「最近、死刑執行が増加していることに強い懸念を覚える。死刑は非人道的だ」(ルクセンブルク代表)など、死刑制度の廃止を迫る声が相次いだ(読売)。 ・昨年12月の国連総会で死刑執行の一時停止を加盟国に求める決議が採択されたにもかかわらず、日本での死刑執行が増えている状況を踏まえ、死刑制度廃止を訴える英仏などが説明を求めた(日経)。 ・発言したのは42カ国。最も目立ったのは日本に死刑廃止を求める声で、フランス、オランダなど欧州諸国を中心に10カ国以上が要求。特に最近になって日本で死刑の執行、判決例が増加傾向にあることを懸念する国が多く、昨年12月の国連総会での死刑停止決議に基づいて死刑制度を「再考してほしい」(ポルトガル)などと迫った(共同)。 『従軍慰安婦』について; ・韓国と北朝鮮、オランダ、フランスの4カ国は、従軍慰安婦問題で日本政府が前向きな対応を取るよう求めた(毎日)。 ・従軍慰安婦問題については、北朝鮮、フランス、オランダ、韓国の4か国が、日本政府の対応が補償などの面で不十分だと批判した(読売)。 ・会合では、北朝鮮、韓国、フランス、オランダが旧日本軍による戦時中の従軍慰安婦の問題を提起し、日本政府に誠実な対応を求めた(時事)。 その他、導入部の説明とか、もろもろ; 毎日;「審査は国連加盟国すべてを対象に人権状況を調べる「普遍的審査」で、日本が対象になるのは初めて」人権理事会の普遍的定期審査が本格的に始まったのは今回から。「日本が対象になるのは初めて」なのは確かだけど何か焦点が変。 「死刑制度への批判に対し日本は「死刑制度は日本では世論の支持を受けている」などと反論した」 …その反論、何かまずくないか気になるのだが。「従軍慰安婦問題では、政府としても謝罪をしているという従来の立場を強調した。」 …反論するとしたら、それしか主張しようがないね。読売;「国連人権理事会で9日、日本を対象とする「普遍的定期審査(UPR)」が開かれ、死刑制度、従軍慰安婦問題などが人権侵害にあたるのではないかとの指摘が各国から相次いだ。」「UPRは、国連人権理事会が国連全192加盟国の人権状況を4年をかけて審査するという新しい制度で、今春から導入された。」 「中国は、日本の戦時中の問題には一切、言及しなかった。」 日経ネット;「国連人権理事会は9日、初の対日定期審査を実施した。国連加盟国による相互監視の枠組みに基づき、欧州を中心に12カ国が日本に死刑執行停止や死刑制度の廃止などを求めたほか、警察署の留置場を拘置所の代わりに使う代用監獄問題や従軍慰安婦問題などに関する日本政府の姿勢を問いただすなど、人権状況の改善を求めた。」「今年から始まった国連人権理の定期審査は4年に1回の頻度で全加盟国を対象に実施する制度。」 『日本政府は「国民世論の多数が極めて悪質な犯罪については死刑もやむを得ないと考えている」と指摘。』 …だからその反論、実際にそうらしいんだけど。悪質な犯罪が発生する(といっても、日本での発生件数とかも知られているだろうし)背景に思いをいたさない日本国民であるという認識が国際的に知れ渡ってしまうのはいかがなものかと…orz。『「国連総会決議の採択を受けて死刑執行の猶予、死刑の廃止を行うことは考えていない」との立場を表明した』「人権理は14日に今回の審査報告をまとめる。」 時事ドットコム;「国連人権理事会は9日、日本の人権保護状況を検証する作業部会を開いた。」『これに対し日本政府は、「女性のためのアジア平和国民基金」(アジア女性基金、2007年に解散)を通じて元慰安婦への支援を行ったことなどを説明、理解を求めた。』時事ドットコムのみ、死刑問題に言及無し。 共同通信;「国連人権理事会は9日、全国連加盟国を対象に国内の人権状況を検証する普遍的審査で、初の対日作業部会を開いた。」「日本政府が存続方針を堅持している死刑の廃止や、従軍慰安婦問題への誠実な対応などを求める声が各国から続出。」「傍聴していた日弁連や非政府組織(NGO)の関係者らは「予想以上の成果」と評価している。」 ということで、『慰安婦』問題のみを報じた時事を例外として、各社、死刑制度への批判に重点を置いた報道だった。朝日と産経では、この件の報道が現時点では見つけられない。どうしたのだろう? そして、外電もチェックして、日本紙とは重心の違う記事をお持ち帰り。 連合ニュース 2008.05.09 20:01:59付より、 「 선진국 스위스 인권분야에선 '후진국' 질타] (韓国と北朝鮮、国連で日本の「慰安婦」と歴史歪曲を詰問)」 日本の報道が軽くすまそうとした焦点に言及されているようなので、自動翻訳でおおまかに読んでみる。 韓国と北朝鮮は、9日、ジュネーブの国連欧州本部で実施された普遍的定期検査(UPR)作業部会で、日本に対して『軍慰安婦』、在日朝鮮人差別、歴史歪曲問題を問い詰めた。政府代表であるイムフンミン・ジュネーブ駐在代表部参事官は、この日の午後のUPR会議での質問にて「かねてより国連の人権機関等が、第二次世界大戦中の「慰安婦」問題に憂慮を表明してきたにも関わらず、日本政府がこの問題をきちんと解決しないため、日本にこの問題に向き合うように勧告してきた」と明らかにした。 イム参事官は、「我々は、そういった勧告に日本政府が誠実に対応することを促しながら、これと関連した将来の行動計画や、それのみならず勧告履行の現状を詳細に説明することを要請する」と付け加えた。 彼はまた、「日本国内に、特に韓国人少数者を含んだ三つの集団に対する人種差別と嫌悪が存在するとした、2005年の人種主義特別報告官の結論(引用者注;内容から判断すると2001年の国連・人種差別撤廃委員会特別報告官「最終所見」の事か)を憂慮を以て注目する」としながら「少数民族に対する差別をなくして、彼らの権利と利益を増進するために日本が追加的な努力をはらうことを待ちこがれる」と語った。 日本の歴史教科書歪曲問題と関連して、彼は「日本の正確な歴史教育は、隣国らとの未来指向的な関係らを固めていく上で、重要な要素であるために、その重要性を強調するつもりだ」と付け加えた。
北朝鮮代表の、チェ・ミョンナム駐ジュネーブ代表部参事も、「日帝下軍隊慰安婦問題」と関連して「相変らず解決されないまま残っている」としながら「我々は、性奴隷制度問題を初めとして、過去の朝鮮などの各国で日本が行い、今も解決されていない人権蹂躙事件をきちんと生産する措置を執ることを勧告する」と主張した。 チェ参事はまた、「在日朝鮮人らに対する全ての差別を撤廃する措置を取りなさい」と語り、「歴史歪曲は、過去の人権蹂躙に対する清算の意思がなく、その再発の可能性が疑われる危険な行為であるのだから、これを取り除くための措置を即時に行うことを日本に勧告する」と付け加えた。
これと関連して、中国代表は発言を通じて「数々の歴史問題」に関する日本側の誠実な対応を要請した。
これに先立って、日本首席代表のアキモト・ヨシタカ外務省国連担当大使は基調演説を通じ、「日本には、相変らず人権問題に不足した点があることを認め、これからより一層努力するだろう」と語り、「世界化などにより新しく提起されるグローバルな人権問題に対しても国連などと共に努力していく」と明らかにした。
この他にも、30あまりの理事国とオブザーバー国は、質問を通じ、死刑制度廃止、移住労働者の権利、人身売買、少数民族の権利、外国人拘禁および差別などの、核心的な人権における懸案に関し日本政府の対策を詰問した。 …日本で報道されているより、随分といろいろ、尋ねられたようだ。
参考; レイバーネットニュースより「 国連人権理事会で日本の人権状況が審査!」
すでに Apemanさんが取り上げてらっしゃる通り、「南京事件の真実を検証する会」が中国の胡錦濤国家主席への公開質問状を、日本外国特派員協会での記者会見で発表したという報道が、産経(izaおよびMSN産経)で報道されているのだが。 MSN産経2008.5.8 18:40付によると、『 「南京事件」で胡主席に公開質問状』として、 (略)「南京で大虐殺があったという論拠は最近の研究によって根本的に否定されつつある」と指摘し、同会が行ってきた検証に対する胡主席の見解を求めている。 記者会見で加瀬会長は、「懸念しているのは、いわゆる南京大虐殺がこのまま歴史的事実として世界で定着してしまうことだ。今は、それがでっち上げられた虚構であることを証明する最後の機会ではないか」と述べた。
だそうな。 当然、どんな質問状かは知りたくなる。 すると、 平成20年(2008年)5月10日(土曜日)付の「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」 通巻第2179号で、ネット公開してくれていた。これをそのままお持ち帰りでは芸がないように思ったので (芸が必要と考えているあたり、何か間違えているかもしれない)、昨年の4/10付の、同会による 温家宝首相への公開質問状と比較してみることにした。同会が検証し「最近の研究によって根本的に否定されつつある」らしいので、おそらく検証結果の進捗状況が見て取れる公開質問状なのだろう。
まず、以下は2007/4/10付の公開質問状の報道導入部分 南京事件の真実を検証する会
3月13日に「南京事件の真実を検証する会」(加瀬英明会長)が創立されました。この会は、南京事件の真実をあくまで客観的な史料にもとづいて検証し、正確な知識を普及することを目的としたもので、13人の委員からなります。
4月11日から、中華人民共和国の温家宝首相が来日、日中の友好を願うものですが、中国政府が一方で日中友好を唱えながら、他方で南京大虐殺記念館を拡幅し、南京の映画を多数製作するなど、日中友好の精神に反する方針を実行していることを見過ごすことはできない、として温首相の来日の機会をとらえ、南京事件に関する公開質問状(中文)を中国 大使館に送りました。 ご参考までに日本文、並びに英文の訳文を以下に掲載します。
続いて、2008/5/5付の公開質問状の報道導入部分 胡錦濤主席に5項目の公開質問状、「南京事件の真実を検証する会」が会見 「毛沢東が『南京虐殺』に一言も触れなかったのはなぜか?」など **************************************
「南京事件の真実を検証する会」(加瀬英明会長/藤岡信勝事務局長)は5月8日(木)午後、東京・有楽町にある「日本外国特派員協会」で記者会見を行い、来日中の中国・胡錦濤国家主席に対し5項目の公開質問状を提出したことを発表しました。 会見には同会の加瀬会長、藤岡事務局長らが出席、公開質問状の内容について説明を行いました。
この記者会見の内容について「産経新聞」が5月9日付の朝刊国際面で別掲(下欄)のとおり報道しました。
公開質問状及び産経新聞の報道内容はつぎのとおりです。
では、公開質問状本文。 以下の引用も上記と同じく、2007年版の温家宝首相宛のものは黒字、2008年版の胡錦濤主席宛のは茶色字で記載する。 温家宝国務総理閣下への公開質問状
このたび中華人民共和国国務総理温家宝閣下のご訪日に当たって、日中両国の友好を願う者として心より歓迎申し上げます。
さて、われわれは1937年12月に行なわれた日中南京戦に伴って起こったとされる所謂南京事件を検証すべく、研究して参りましたものですが、貴国のこの事件に対する見解につき、重大な疑義を抱いております。以下その中心的な疑義につきまして閣下のご見解を伺いたく、謹んでご質問申し上げます。
胡錦濤国家主席閣下への公開質問状
このたび中華人民共和国国家主席胡錦濤閣下のご訪日に当たって、日中両国の友好を願う者として心より歓迎申し上げます。 さて、われわれは1937年12月に行なわれた日中南京戦に伴って起こったとされる所謂南京事件を検証すべく、研究して参りましたものです。 貴国のこの事件に対する見解とその取り扱いにつき、深刻な憂慮を感じております。昨年南京屠殺記念館が大規模に拡張改装されましたが、一方で友好を唱えながらこのような非友好的なことを平然と行なう貴国に対して強い不信の念を感じざるを得ません。 そもそも南京で大虐殺があったという論拠は最近の研究によって根本的に否定されつつあります。 以下、重要な5つのポイントについて閣下のご見解を伺いたく、謹んでご質問申し上げます。
…ここでも2008年版には「 論拠は最近の研究によって根本的に否定されつつあります」と前置きをした上で、重要な5つのポイントを上げるのだそうである。 一、故毛沢東党主席は生涯に一度も、「南京虐殺」ということに言及されませんでした。毛先生が南京戦に触れているのは、南京戦の半年後に延安で講義され、そして「持久戦論」としてまとめられた本の中で「日本軍は、包囲は多いが殲滅が少ない」という批判のみです。30万市民虐殺などといういわば世紀のホロコーストとも言うべき事件が本当に起こったとすれば、毛先生が一言もこれに触れないというのは、極めて不自然で不可解なことと思います。閣下はこの事実について、どのようにお考えになられますか?
一、故毛沢東党主席は生涯にただの一度も、「南京虐殺」ということに言及されませんでした。毛先生が南京戦に触れているのは、南京戦の半年後に延安で講義され、そして『持久戦論』としてまとめられた本の中で「日本軍は、包囲は多いが殲滅が少ない」という批判のみです。30万市民虐殺などといういわば世紀のホロコーストとも言うべき事件が本当に起こったとすれば、毛先生が一言もこれに触れないというのは、極めて不自然で不可解なことと思います。閣下はこの事実について、どのようにお考えになられますか?
…とてもよく似た文章、、、のような。2008年版には「ただの」が入っているものの。 二、南京戦直前の1937年11月に、国共合作下の国民党は中央宣伝部に国際宣伝処を設置しました。国際宣伝処の極秘文書『中央宣伝部国際宣伝処工作概要』によりますと、南京戦を挟む1937年12月1日から38年10月24日までの間に、国際宣伝処は漢口において300回の記者会見を行い、参加した外国人記者・外国公館職員は平均35名と記録されています。 しかし、この300回の記者会見において、ただの1度として「南京で市民虐殺があった」「捕虜の不法殺害があった」と述べていないという事実について閣下はどのようにお考えになられますか。もし本当に大虐殺が行なわれたとしたら、極めて不自然で不可解なことではないでしょうか?
二、南京戦直前の1937年11月に、国共合作下の国民党は中央宣伝部に国際宣伝処を設置しました。国際宣伝処の極秘文書『中央宣伝部国際宣伝処工作概要』によりますと、南京戦を挟む1937年12月1日から38年10月24日までの間に、国際宣伝処は漢口において300回の記者会見を行い、参加した外国人記者・外国公館職員は平均35名と記録されています。 しかし、この300回の記者会見において、ただの一度として「南京で市民虐殺があった」「捕虜の不法殺害があった」と述べていないという事実について閣下はどのようにお考えになられますか。もし本当に大虐殺が行なわれたとしたら、極めて不自然で不可解なことではないでしょうか?
…思わず、引用元を確認する。やっぱり非常によく似た文章、、、のような。 三、 南京安全区に集中した南京市民の面倒を見た国際委員会の活動記録が「Documents of the Nanking Safety Zone」として、国民政府国際問題研究所の監修により、1939年に上海の出版社から刊行されています。それによりますと、南京の人口は日本軍占領直前20万人、その後ずっと20万人、占領1ヵ月後の1月には25万人と記録されています。この記録からすると30万虐殺など、ありえないと思いますが、閣下はいかがお考えでしょうか?
三、南京安全区に集中した南京市民の面倒を見た国際委員会の活動記録が『Documents of the Nanking Safety Zone』として、国民政府国際問題研究所の監修により、1939年に上海の英国系出版社から刊行されています。それによりますと、南京の人口は日本軍占領直前20万人、その後ずっと20万人、占領1ヵ月後の1月には25万人と記録されています。この記録からすると30万虐殺など、到底ありえないとしか考えられませんが、閣下はいかがお考えでしょうか?
…カギ括弧が一重から二重になっている。「ありえないと」が「到底ありえないとしか」に変更。でも、やっぱり大変によく似た文章だ。 四、 さらに「Documents of the Nanking Safety Zone」には、日本軍の非行として訴えられたものが詳細に列記されておりますが、殺人はあわせて26件、しかも目撃されたものは1件のみです。その1件は合法殺害と注記されています。こういう記録と30万虐殺という貴国の主張しているところとは、到底両立し得ないと考えますが、閣下はいかが思われますか?
四、さらに『Documents of the Nanking Safety Zone』には、日本軍の非行として訴えられたものが詳細に列記されておりますが、殺人はあわせて26件、しかも目撃されたものは1件のみです。その1件は合法殺害と注記されています。この記録と30万虐殺という貴国の主張とは、到底両立し得ないと考えますが、閣下はいかが思われますか?
…ここでもカギ括弧が一重から二重になっている。「貴国の主張しているところとは」が「貴国の主張とは」に。推敲レベルの書き直しのようだが。しかしやっぱり(ry 五、 南京虐殺の「証拠」であるとする写真が南京の虐殺記念館を始め、多くの展示館、書籍などに掲載されています。しかし、その後の科学的な研究によって、ただの1点も南京虐殺を証明する写真は存在しないことが明らかとなっております。もし、虐殺を証明する写真が存在しているのでしたら、是非ご提示いただきたいと思います。そのうえで検証させていただきたいと思います。
五、南京虐殺の「証拠」であるとする写真が南京の屠殺記念館を始め、多くの展示館、書籍などに掲載されています。しかし、その後の科学的な研究 (『南京事件の「証拠写真」を検証する』(東中野他・草思社)など) によって、ただの1点も南京虐殺を証明する写真は存在しないことが明らかとなっております。もし、虐殺を証明する写真が存在しているのでしたら、是非ご提示いただきたいと思います。そのうえで検証させていただきたいと思います。
…ここのカギ括弧は一重のままのようだ。そして、「科学的な研究によって」ー>「科学的な研究 (『南京事件の「証拠写真」を検証する』(東中野他・草思社)など) によって」との変更がある。2007/4/10以降にこの書籍などが発行されたということなのだろうか。 六、 このように、南京大虐殺ということは、どう考えても常識では考えられないことであります。それでもあったとお考えでしたら、われわれが提供する資料も踏まえて、公正客観的にその検証を進めていただきたいと考えます。ところが現状では貴国は南京に大虐殺記念館を建て、大々的に30万虐殺を宣伝しています。このようなことは、史実をないがしろにする不当極まりないことであるばかりか、貴国の唱えられる日中の友好の方針とも真っ向から対立するのではないかと考えます。
更に本年は南京事件から70年ということで、貴国のさまざまな機関が「南京虐殺映画」製作を企画し進めていると伝えられます。こうしたことは日中友好を願うわれわれ日本人にとって耐え難い裏切り行為とうけとめております。閣下はこれにつきどのようにお考えでしょうか?
以上の諸点につきまして、閣下のご回答を是非承りたく存じます。このことは多くの日中国民の関心事と考えますので、公開質問状として提出させていただきます。子子孫孫までの日中友好を願うものとして、閣下のご高配を、衷心から期待しております。 平成19年4月10日
以上述べました5つの点は南京で大虐殺があったなどということを根本的に否定しているものとわれわれは考えざるを得ません。 上記5つの点につきまして、閣下のご見解を承ることができれば幸いです。 この問題は多くの日中国民の関心事と考えますので、公開質問状として提出させていただきます。子子孫孫までの日中友好を願うものとして、閣下のご高配を、衷心から期待しております。 平成20年5月5日
…「日中友好を願うわれわれ日本人にとって耐え難い裏切り行為とうけとめております」あたりの記述が省略され、文章の締めは短くなったようだ。 南京事件の真実を検証する会委員一同 (会長)加瀬英明 (事務局長)藤岡信勝 (監事)冨沢繁信 茂木弘道 (委員)阿羅健一 上杉千年 小林太巌 杉原誠四郎 高池勝彦 高山正之 東中野修道 溝口郁夫 宮崎正弘
「南京事件の真実を検証する会」 (会長)加瀬英明 (事務局長)藤岡信勝(監事)冨沢繁信 茂木弘道 (委員)阿羅健一 上杉千年 小林太巌 杉原誠四郎 すぎやまこういち 高池勝彦 高山正之 西村幸祐 花岡信昭 東中野修道 溝口郁夫 宮崎正弘
今年は委員が増えたようだ。 以上、『重要な5つのポイント』における2008年度版の変更は、2箇所のカギ括弧が一重から二重になったことや推敲レベルの変更、および『科学的な研究』として、『南京事件の「証拠写真」を検証する』の書籍名が挙げられた変更しか見つけられなかった。 『南京事件の「証拠写真」を検証する』をAmazonで検索してみたところ、発行年は2005/1/31とある。2007/11/2に東京地裁判決で「教授の翻訳では、前後の文脈などから資料全体に不自然な点が生じる」「解釈は妥当なものとは言えず、 学問研究の成果に値しない」との指摘を受けた人物の著作を追加したのみで、『論拠は最近の研究によって根本的に否定されつつあります』と導入部分に記述しているとは考えにくい。 おそらくは私がきっと何かを見落としているのだろう。 という訳で、これを御覧の方で、他に違いがあることに気がつかれた方がいらっしゃったら、ご指摘いただけますようお願いします。 …『重要な5つのポイント』における2008年度版の他の変更箇所は、私には見つけられませんでした。
(ほんの少し語を追加、参考にしている記事を一つ追加) また、なぞのエントリを書いている。 解る人にだけ解ってもらえればいいと思っている、個人的な覚え書きです。 大変優れたエントリを公開してくださった方がいらっしゃったので、リンクを貼らせていただきたくなったのが、なぞの覚え書きを書いておきたくなった動機。 そして、経緯が推移するにつれ、違和感が大きくなる一方なのも、このエントリを上げておく動機の一つ。
「 七重のまったり日記」さんの5月8日付で「 問おう、汝が「マリア」か。 」 七重さんの見解に同意します。 以下は、既にコメント欄のレスポンス等で書いたことのある内容だが、改めて加筆修正して再掲。直接指摘すべきだったというご批判はあろうかと思う。しかし、それまでの、一月以前にも軽い意見の相違を表明した事はあり、それに対する態度の記憶が、直接の批判する意思をなくす動機となった。一月でのさまざまな対応も、同じく。 そして、結果的に、他の人がやった批判の結果が、今現在に通じている訳だ。 彼女は「そのやり方はちゃうんちゃうの、と意見した人たちが、ほとんど謝罪させられた」という見解を表明していた。この記述を含む部分はとあるアナロジーであり、追記によってアナロジーの方向性を変更した見解が追加されたが、この部分は、アナロジーの前提となる記述者の事実認識として書かれた部分だったので、追記による修正対象ではないと見るべきだろう。
まず、方々のブログやコメント欄で再三指摘されているとおりに、指摘の方法を批判するのは論点ずらしであることが、この短い文章に含まれた問題点の第1点目。 そして、その意見を述べた人達が後に意見を撤回なり変更なりをしたのは、根気よく事実や問題点をコメント欄や自ブログのエントリで指摘して回った人達がいたからだ。「謝罪させられた」という認識をもっているということは、間違って認識したことを指摘し納得してもらったのではなく、同調圧力等によって強権的に考えを曲げさせたと理解していることに示してしまう。つまりは、それらの人達の思考の積み重ねを否定する結論を導くエントリだったのだ、あれは。これが第2点目。つまりあのエントリが「批判している」ものは、まさにそれになってしまっていたのだ。 …もともと、そしてこの件に関しては継続的に、大元の一次情報に当たらずに結論を急いで、その結果として対応が理不尽となった複数の人達の行動があった。それが事態を混迷させることに対し、「知性的に行動すべきではないか」という指摘が為されると、 「知性や論理にこだわりすぎではないか」「感情だって大切ではないか」との反論が発生するのを見た。論点ずらしと呼んでいいのかさえも迷う意見ではないのか。 そういう「感情を大切にする」側に「共感」する人達の中には、歴史修正主義に批判的だったり、あるいは光市母子殺害事件の弁護団懲戒請求騒動や死刑判決要求の動きに批判的だったりする人が、私の目につく界隈では少なくないようなのだ。それらも「大元の一次情報に当たらずに結論を急いで」感情的に心地よい方に向かった結果ではなかったのか。 実に不思議でならない。
いろいろと参考にしている記事の抜き書きその他。 ・「 HERIKUTSUなる日々」さんの、2008年05月08日 付『 テーマは何であろうとも、発語した瞬間に「あなたの言葉」が議題の中心になる。』 つまり、jabberwockが一度発語したことというのは、それが音楽であろうと、それ以外のことであろうとも、その対象、以上にjabberwock自身の評価に関わってくるものと考える。(略)状況がどのように変わろうと、「あなたの意見」は、なによりも「あなた自身の対外評価」にかかわってくるものであり、じつは「状況に影響されて変化部分」なんてほとんどない。つねに「議題はあなたの言葉そのもの」だ。
同意し、自戒します。 ・「 遠方からの手紙」さんの、2008.05.07 付『 「権力批判」だけしてりゃ世の中は変るのか』 誰しも、誰かに憎まれることになったり、おかしな人に絡まれたり、粘着されることになったりするような、ややこしくて面倒なことになど、巻き込まれたくはないのも、これまた当然である。
だが、であればこそ、そのような人に憎まれてしまうことも、面倒なことに巻き込まれることも意に介さずに、間違った言論やおかしな風潮に対して決然と批判を続ける人がいるとすれば、そのような人こそまさに貴重な存在というべきだろう。
・「 nagonaguの日記」さんの、2008年05月07日 付「 「批判」をアレルゲンとする人々」 小学校の道徳の授業でも水伝が採用されているという話しを知ってしまうと、科学の権威を騙る「似非」科学を警戒せよというテーゼはスコブル権力に関わる問題であり政治的である。われわれ一般市民が権力に向かい合うときに必要なリテラシーがそこにある。(略)名護市の沿岸域に造られようとしている米軍基地の環境アセスが、科学的に行なわれるかどうかは非常に重要である。(略)ここでは、科学への態度を政治的/ないしは個人的思惑で都合よくズラす人々は、権力に益する人々である。
・「 pokoponにっき」さんの、2008.05.06付「 公演blogか温習会blogか」 私とて、お温習い会に行って、芸の完成度に言及するような野暮はしたくない。けれども、ネット上に公開されている意見が、「世に問う」ものなのか「馴れ合いツール」なのかは簡単には判断がつかないのだ。特に社会的なテーマを扱った「主張する」blogだと後者であるとは判断がつきにくい。
・「 遠方からの手紙」さんの、2008.05.01 付「 今日はメーデーなのであった」 まず自分の頭でじっくり考えようともせずに、ただその場で思いついた程度の質問を次々と相手に浴びせたり、同じことを何度も何度も蒸し返したりするのは、けっして相手との 「対話」 を求める姿勢とは言わない。
・「 遠方からの手紙」さんの、2008.04.22 付『 前の記事「そんな映画など見たくもない」への追加』 「仲間割れはよくない」 という言葉は一見正当に聞こえる。だが、それもまた、ときとして同じように、「身内」からの批判を封殺する役割をする。そして、そのような 「内部」 や 「身内」 と思っている者からの批判を最も嫌う曖昧な 「仲間意識」というものは、なにかのきっかけさえあれば、昨日まで仲間だと思っていた者に対する激しい 「憎悪」 に容易に転化するものでもある。
…「身内」とは何かをひとまずおくとして、もし「身内」と思うのならばこそ、なぜその批判に素直に耳を傾けず感情的になるのだろう? 同エントリのなごなぐさんの(私信のような)コメントより 「批判」が自らに向けられていると感じた「感傷的」な人々は、誤読だろうとなんだろうと「私はそう感じた」です。 「感傷的」な人々にとって、誤読に基づく反駁は自己防衛です。
・「 模型とキャラ弁の日記 」さんの、2008.04.22 付『 要は○○でしょ』 自分は「仲間」を批判するのに、自分への批判は「内輪もめ」は良くないと批判内容に反論せずに批判行為自体を咎める人。
・「 玄倉川の岸辺」さんの、2008年04月19日付『 幻の謝罪要求』『「謝罪の義務」は合作による幻影』『「しつこく謝罪要求するたんぽぽ氏」というイメージは作り出したモンスターであって、現実のたんぽぽ氏とは無関係』 ・「 模型とキャラ弁の日記 」さんの、2008.04.12 付『 価値否定論法』 価値否定論法は対象の「正しさ」自体ではなく「正しさ」の価値を否定する論法。 主に対象の「正しさ」を否定できなくてもそれを認めたくないときに使われます。(略) 価値否定論法のやっかいさはこういう認知的不協和の解消を提供するゆえに認知的不協和を抱えた人の支持を得やすいところにあります。(略)自らが「正しさ」を得ることが出来ないときや、相手に「正しさ」があり、その「正しさ」を否定できないときや、「正しさ」自体が自らの願望に沿わないとき、手に入らないブドウを酸っぱいと思いたがる有象無象の人間が、不協和を解消するために「正しさ」自体ではなく「正しさ」の価値を否定する論法に飛びつくのです。(略)不協和をありのままに受け入れられないという弱点を抱えた人間にとって不協和を解消してくれる価値否定論法はありがたいものですから、場合によって非常に強い効果を持つのは仕方がありません。
気になるコメントのあるところ。 http://d.hatena.ne.jp/PledgeCrew/20080506http://d.hatena.ne.jp/PledgeCrew/20080503http://d.hatena.ne.jp/nagonagu/20080415/1208272319http://d.hatena.ne.jp/nagonagu/20080417/1208415004http://d.hatena.ne.jp/nagonagu/20080420/1208702027
当ブログ開設当初から作製しているにもかかわらず、ちっとも記事が増えないカテゴリーが若干ある。 特に「魚」のカテゴリーは、「猫」と並んでネタに詰まった時の逃げ道として、、、もとい、重いネタ続きの時の和み系にと考えていた筈なのに、ちっとも記事が増えない(^^; いや、水槽が苔だらけでとてもお見せできなかったり、どころか画像撮影にも支障を来す状態だったりもするんだけど。 というわけで、水槽のお掃除をしたので(笑)、約1年ぶりに魚カテゴリーに追加。
これが、これまでに未紹介のうちのお魚。今現在、我が家の魚はこれと金魚しかいない。前にはエビ (魚じゃないけど水槽要員として)と、、、あと4種類ほど魚を入れていたこともあったが、丈夫じゃない連中は落ちてしまった。落ちてしまった種類を再チャレンジという気にもなれず、今は結局二種類のみ。 このお魚、一応「エンドラーズ・ライブベアラー」という流通名で買ったもの。 「エンドラーズ・ライブベアラー」というのは、ベネズエラ原産の卵胎生魚でグッピー ( Poecilia reticulata)の近縁種。2005年に Poecilia wingeiの学名がようやくついた (実はこの時、「これでグッピーが特定外来種になってもうちの子はセーフ」と我が儘な事を考えてしまいました(^^;)。日本にはかなり以前から Poecilia sp.の扱いで入っていたらしいが、グッピーと容易に交雑して繁殖力のある子孫がとれる為、流通されている「エンドラーズ・ライブベアラー」にはグッピーとの混じりものが多いという。だいたい2005年後半ぐらいから、純粋のエンドラーズを飼おうという動きが大きくなったようで、ホビーブリーダーが頒布努力をはじめた様に記憶している。 ただし、うちの個体群は2005年4月に入手したものが起源で、まず間違いなくグッピーとの混じりもの。入手してから数ヶ月後に純粋エンドラーズが入手できるルートを知り、再導入したい気分にはなったが、相互に交雑可能な卵胎生魚を二種類飼育は無理。ならば、純粋エンドラーズがほしければ、今いるのをなんとか、、、って、できませんって。 以来、混じりものでも綺麗だからいいの、ということで早三年超。ぐぴぐぴした雄や色の鈍い雄のみ繁殖不参加という、ゆーるい選抜をかけながら、できるだけエンドラーズ(以下、遠藤君)らしい形になるように、色が鮮やかなものが残るように維持している。 遠藤君は、大抵、黒・橙・青系統の三色で彩色されるようで、ネット上の画像で見る他所の遠藤君は青系統の部分が大抵緑色をしている。しかし、うちの遠藤君たちは、、、そもそもそれが気に入って導入を決めたのだが、青系統部分がスカイブルーをしている。 …どうも、青部分が上手くモニターで発色してくれないけど(^^; そして、この雄たち、日がな一日中、餌を探すか雌を追っかけているかしている(雌は追っかけられているか、餌を探しているか)。 そして、こんな風に、背びれと尾びれを広げるフィンスプレッディングをやってみて、雌にアピールしてみたり。 遠藤君たちは、成雌が4センチほど、成雄で2センチほどのごく小さな魚なので、マクロレンズ撮影。しかも動きが速いので、大変手強い被写体。かれこれ300枚ぐらいは撮っていて、その大部分は被写体が逃げてるか、ピンぼけかぶれているという。 本日の撮影会は猫相手に遊んでいるより大変だったのでした(^^;
上野千鶴子氏の著書「女という快楽」(勁草書房 ISBN4-326-65066-4) 第1版第1刷の発行は1986年11月30日、手元にあるのは第1版第14刷。 ちなみに、あとがきの日付だと1986年10月。 もう、20年以上前の書籍だ。でも、上野氏の書籍のうちで非常に興味深かったものの一つ。社会的背景が変わっても、この時点での分析をふまえると、いろいろな出来事が読み解ける様な気になるので読み返してみた。 この本は書き下ろしではなく雑誌執筆原稿を収めたもののようで、対幻想を含む性愛論、母性や主婦論争関連、近代家族論などが収録されている。 そのIV章の14で「女のかしこさ」。 これの初出は、原題「女のかしこさ 男のかしこさ」『現代かしこさ考』別冊発達2、1984年、ミネルバ書房という。4半世紀近い前の文章だ。その点には留意の上、そこにある文章を抜き出してみる。 『3 「かしこさ」とは何だろう?』P.234から
偏見を覚悟で、かしこさの性差を言えば、女はやっぱりかしこくないのである。ここでは、どういう事態が、「賢くない」かを説明することで、かしこさとは何かを、裏側からあぶり出してみよう。 女性には、男性と比べて一般に、他者に対する理解力が乏しい。
ここで上野氏は、『男性にもオレがオレがのワンマンがいて』と保留をつけつつも、女性の場合についてを1984年当時よく言われた (今はどうだろう、あまり聞かなくなった気もするが)「女性ドライバー」の運転っぷりを挙げる。そして、それが実際より目につく認知的不協和な理由や、当時はペーパードライバー女性が多かったことが言及した上で、しかしそれだけを割り引いてもやはり、同条件のドライバーで女性と男性を比較すると、女性が下手だと思われると述べた上で、こう続ける。 それはたぶん、女に状況感覚が乏しいせいだろう。走行中は自分と同じように他のドライバーも車を走らせている。そこでどう出るかは、他のドライバーの動きを測りながら判断していかなければならない。他人も自分と同じような意思と能力を持った主体で、その主体相互の間で状況が決まっていく、という視点の複眼性を、女性は持ちにくいようだ。航空パイロットの用語に、インサイド・アウトとアウトサイド・インというのがあるそうだが、インサイド・アウトは自分の方針を周囲に適応していくこと、アウトサイド・インは周囲の状況に応じて自分の動きを調整していくことを言う。その意味では女性はアウトサイド・インが苦手だといえよう。 もちろんインサイド・アウトの運転は、事故を誘発する。ここ数年来、女性の間でミニバイクが急速な勢いで普及するにつれ、ミニバイクの事故も急増している。女性のミニバイク事故の特徴は、危険な事態になるととっさの判断や事故回避の行動がとれず、そのまま判断停止の状態で事故に突入していくことだと言う。
続くP.236からの『4 女はかしこく育たない』の項で、上野氏はさらに考察を続ける。 「女はかしこくない」と女の私が結論しなければならないのは哀しいが、もちろんそれにはそれ相応の理由がある。第一は、女性の社会化プロセス自体が、女をかしこくするようには出来ていない、という問題がある。第二に、女性の置かれた社会的状況の中では、女はかしこくなりたくてもなれない、という問題がある。
…くりかえして恐縮だが、これは1984年の文章。もちろん、年代が下がるにつれて、女性の置かれた社会的状況に変化はある。だが、いまだに、企業に『ガラスの天井』があったりするのも、知られた事実ではある。 社会化プロセスの問題点とは何か。 他人に従うように、周囲にあわせてしつけられる女性の社会化が、女性に自己中心的なインサイド・アウトの行動様式しか与えないというのは、矛盾に聞こえる。女性はしかも、他人の苦しみや痛みを理解する共感力を持つよう促される。(中略) だが、この共感能力は、他者を自分に、もしくは自分を他者に、同質化する力であって、異質な他者を認めて、自分を他者へと異質化する力ではない。だから女性は、自分より優位にある他者に自己を滅して同質化する(夫に随き従う)ことや、自分より無力な存在を抱きとめて同質化する(子どもの痛みをわがことのように苦しむ)ことは得意だが、自分と同等で、ちがった意思と能力を持った他者と、折り合いをつけながら状況を作っていく、という能力を持たない。なぜなら、自分自身がそういう意思と能力を持った一人の主体として取り扱われた経験が、女性にはないからだ。
下線部分は、原文での傍点部分。 女性が女性として育てられる過程において他者への共感をもつように(男性が育てられる過程においてよりも)促されることはよく指摘される事実。当ブログでおいて以前取り上げた、若桑みどり氏の著書「 お姫様とジェンダー」でも、親は女の子に「素直で思いやりのある」様になって欲しがる、つまりは女性は子ども時代に「他者への共感をもつよう」親から望まれるとの指摘があった。また、共感力の高い女性は、共感力の低い女性よりも、「女らしい」という評価を得やすいだろう。すなわち、 ジェンダー「女性」に求められる特徴といいかえてもいいだろう。 さて、この辺りで、私には少し気になることが出てきてしまった。まだ考えがまとまってはいないのだが、近頃よく、社会の有り様の見直し等の文脈で、女性原理をより重視すべきといった意見が目立っているのではないだろうか。このような場合に言われる「女性原理」とか「男性原理」の概念が、どうも私にはよく解らないのだが、すくなくとも女性原理を重んじる社会といった表現の時には、共感と寛容の社会という意味づけで用いられているように見受けられる。そして、これと、「共感性」を他の事柄よりも優位に重視する人達が目につくようになったことと、連動しているように見受けられる、ような気がするのだ。 とはいえ私は、『今までの「男性原理」を重んじる社会に問題が出たから「女性原理」』的な用法で使われる場合には、非常にうさんくささを感じてしまう。特にこれを男性が発言している場合には。申し訳ないけど。これまでの社会だって女性と男性の双方が創ってきた訳なのに、女性に任せたらうまくいくものでもあるまい。もちろん、女性には、稲田代議士や山谷代議士といった方々だっているのだ。 それはさておき、上記引用箇所の後には、こう続く。 他者と世界を発見して、自己を形成していく発達のプロセスを、ピアジェは「脱中心化」となづけたが、脱中心化とは、たんなる同質化とはちがう。べつな中心に出会って自己の主体が「脱中心化」したとき、もとの中心は無くなるのではなくそのまま中心化して保存されるからだ。 自分が主体的な個人として取り扱われた経験がなければ、他者を同じように主体的な個人として遇することもむずかしい。たとえ、母親から盲目に近い絶対的な愛情を受けた(「たとえ人殺しでも我が子は我が子」)としても、それは母親から個人として理解されるということとはちがう。この母親の愛情は子どもを成熟させる方向には働かない。自分じしんが意思と責任ある主体として扱われたことがないために、他者を同様で同等な個人として扱うことができない、という女性のこの社会化上の欠陥は、子どもの発達のプロセスに、阻害要因となるだろう。(後略)
1984年に「…なるだろう」と表現されたこの箇所、2008年現在にどうなっていると考えるべきだろう。 ついでにもう1箇所、印象に残った箇所を抜き書き。P.162の「10 家族の空想社会科学」の「2 両性具有のユートピア」から もちろん、鬼子母神伝説やユングの「グレート・マザー」説に見るように、母性にはその闇の面もあるから、手放しで礼賛できる訳ではない。私じしんは、母性のネガティブな面に、さんざん被害を受けてきたという思いがあるから、母性型支配は、内面支配の抑圧型寛容の代名詞にすぎない、と思っている。
実は、私はこの箇所に多いに首肯したりする。
紛らわしいタイトルを喜んでつけているようだが、これは「毛もの」と一緒に生活していると毎年恒例の、あれ。 鱗や甲羅をもっている方々等と生活していると、とりあえずは関係ないはず。羽根をもっている方々と生活の場合は、、、この季節だからという問題でもなかった気がする。 まぁ、一般に換毛期(換羽期ではない)といわれる、あれ。 戸外に出入りさせているわけでも、戸外で生活させているわけでもなく、暖房を入れて寒い思いをさせないように気を遣っていても、やはり、この季節は毛がたくさん抜ける。我が家の場合、畳での爪研ぎ防止のため敷いているパネルカーペットや布団の上の、お気に入りの寝場所なんかにぎっしり抜け毛がつくので、さすがにお掃除の意欲に(それなりには)駆られる。しかし、単に掃除機だけでは意外にとれないもの。 思わずアイテムを買いに走ってしまうのは、決してやらなきゃいけないけどやる気が出ない仕事からの逃避行動ではない (<- 誰にともなく言い訳してしまうところがとても怪しい)。
そんな訳で。 洗うと粘着力が回復して繰り返しというウリに思わず釣られて買ってしまった、洗えるタイプのころころローラー。 なんだけど、すぐに粘着力いっぱいになってしまう。そこで洗っても乾かす間は使えない。やっぱり、両面テープのローラーが付いたタイプのころころローラーの方が、絨毯表面とかの猫抜け毛対策には良いように思う。 絨毯表面の猫抜け毛対策に気に入っているのは、こっち。 これで表面をこすると、面白いように抜け毛が集まる。単に掃除機をかけるよりかなり有効。これと、掃除機との併用が、今のところ一番確実、かな。 (実際に抜け毛をかき集めているところを撮影すると、なんだか小汚い画像になってしまって失礼しております。) 猫本体の抜け毛には、当然ながらブラシ。 現在手元にあるのがこれ。 画像上の、普通のブラシタイプは実は、うちの初代から使っているもの。丈夫で長持ち。 でも、実はあまり効率が良くない。画像は既にひとしきり使用した後なので (小汚くて失礼)抜け毛が絡まっているわけだけど、こんな程度しかとれない。 しかし、画像下のゴム製のはちょっと凄い。短毛猫用では最強じゃないかと勝手に思っている。 ぬこを捕まえてきて、2-3回梳いただけで、 どっさり抜ける。ちなみに、ブラシがけをする方の服も、毛だらけになる(爆)。 そして、気分良く抜けるからといって、調子に乗ってやっていると、、、猫にハゲを作ることになるのでほどほどに (<- 去年やってしまった)。今回は10分弱で我慢したのだが、その収穫物は、と。 ブラシのサイズと、抜け毛の量が、それだけ撮影したのではどんだけか表現できないので、例によって坊っちゃんに乗せて撮影してみた。 …端的に表現してしまうと、ちょっと迷惑顔 (<- 結局そっちを表現したいのだろうか)。 まぁ、こんだけあっさり毛を抜いたり、ついでにネタにするからって写真撮影会になだれ込んだりで、そうとうな猫迷惑にみえるかもしれないけど。 実は、坊っちゃんはかまってもらうのが嬉しいタチ。 特に、彼は身体が硬くて自分での身繕いが下手だったりで、ブラシがけそのものは嫌いではない。どころか。 ブラシがけの間は、ウキャウキャ(としか擬音をあてようのない声)で呟きながら、ブラシがけの合間を縫って1メートルほど遠くに小走りで離れるのだが、そこで止まり、呼ばれて再度お世話係の傍に寄って捕獲されてブラシがけの繰り返し。 で、一段落したときの表情がこれ。 猫の表情なんて解るかいという向きもあるかと思うが、これ、かなりご機嫌な表情。 どうやら、彼的には、ブラシがけは娯楽の一種らしいのであった (ポーズを要求されるのがちょっと迷惑なのでした)。 ちなみに坊っちゃんは、 つくづく、垂れ眼の猫なのであった。
そして、 謎の釈明をしてブログ記事を書き始めるのが流行り、という訳でもないはずですが(^^; 大喜利の御題みたいなものですかね(激違)。 捜し物をしていて迷い込んで、興味深い話を拾ってきました。 東京は銀座で最新のメンタルヘルス・医療を提供するクリニックを運営しているというT医師(リンク先にお名前は出ているが、ここでは頭文字で言及させていただくこととする)によるコラムの一つで 『 異性からの嫌がらせ~セクハラ (1)』。 …はい、ここで確認しておきますが「 異性」からですね。 では本文から引用。 (略) セクハラ、セクシャルハラスメントとは職場や学校などにおいて、相手の意思に反し、性的な言葉や行為を行い、不快な心理に陥らせることを言います。多くは男性上司から女性部下に対して行われます。直接的に性的な発言や行動を起こすものから、間接的に人事や環境に影響をもたらすものまで、その範囲や程度は多岐に及びます。
…まぁ、この辺りは大抵、セクシャルハラスメントに言及している文章に共通のものだろうと思います。簡単ではあるものの、 性的言動or性的嫌がらせ、環境型、対価型、ジェンダー・ハラスメント、二次被害を網羅した表現であると、とることは出来るでしょう。「多くは男性上司から女性部下に対して行われます」は微妙に気になるけど、多くの例がそうであっても、そうじゃない例がある前提は入っているので、まぁ。 部下である女性は不快に感じながらも、上司である男性に対して強く反抗することできず、我慢していることが大半です。パワハラ同様、かつての日本の封建的・男性中心な職場では日常茶飯事、行われていたようですが、昨今、国際的な男女平等の社会を向かえ、問題行為として改めて取沙汰されるようになっています。 (強調箇所は原文まま)…なんか微妙な文になってきました。「日常茶飯事、行われていたようですが」に、なんとも言えない味があるのですが、それよりも「国際的な男女平等の社会を向かえ」たから、問題行為として取沙汰されるんですかそうですか。。。 そして、T医師は続きの『 異性からの嫌がらせ~セクハラ (2)』で「驚くべきことは」と前置きして、セクハラ事件が「世間で言われる有名企業や有名大学でも」生じていて、被害者は女子社員や女子学生、加害者は業務において「誇り高い業績を挙げていた」有能な人物である場合が少なくない幹部社員や指導教授であり、事例化前には注意や警告もあったのにと言及して、さらにこう続けているのです。 (この箇所、強調は引用者による)
これは男性の性衝動というものが高度な理性的思考によっても抑制されがたいことの一つの証左であると考えられます。
えーっと(^^; やはり、管理が必要な危険な動物なんでしょうか? 男性の性衝動は男性ホルモン、アンドロゲン~テストステロンに強く影響されますが、積極的・攻撃的な行動をはじめ、支配欲や征服欲もこの男性ホルモンに左右されるところが少なくないと考えられています。従って、積極的で支配欲も強い社会的地位のある男性が、ともすると自分の立場も省みず、配下の女性に対して嫌がらせとなる性的な言動を取ってしまうのでしょう。 (この箇所も強調は引用者による)えーっと(^^; 「考えられています」って断言があるけど、引用文献が見当たりません。それに、フェミニズムの書籍では「レイプは性欲よりも、支配欲・征服欲の問題」という認識がすでに共通理解のようなので、性衝動と支配欲や征服欲を同根のものとして語る、この文章はなんか変なんですけど。 というか、そもそも御自身でこのシリーズの最初に定義づけたセクシャルハラスメントでは、性衝動によって行動した結果の問題だけに限定されない話だったはずでは。 「英雄、色を好む」という文句もありますが、しかし本当に有能で信頼される男性ならば、部下の女性の立場や心境を十分に考えて言動しなければなりません。
…こういう話に限定するにしても。 たしか「高度な理性的思考によっても抑制されがたい」「男性の性衝動」と、、、つまり 「十分に考えて」も抑制されがたいと、既に記述があったような気がするのですが。 続きの『 異性からの嫌がらせ~セクハラ (3)』では、 男性上司から性的に不快な言動をされたり、職務や人事で差別されたりと被害の状況は様々であります。皆様方、心が深く傷ついていらっしゃり、眠れなくなったり、悪い夢を見るようになったりされています。 (中略) このような場合には、ある程度、気持ちが落ち着いてから、事態を冷静に省みて、ご自身には然程の非はなく、悪いのは相手の上司であると改めて自覚することが必要です。 (中略) クリニックでは職場や学校のセクハラに悩み、心傷つかれていられる方々のお気持ちに寄り添いながら、適切な医療的援助をご提供してまいります。どうぞお気軽にご相談して下さい。 (強調箇所は原文まま)…………然程? さほど? ??? ちなみに、他もちょっと覗いてみると。 『 美しさと自分らしさ~摂食障害 (2)』より、 女性は思春期になると自分の容姿に強い関心を持つようになります。「綺麗になりたい、美しくなりたい」という願いは古今東西、共通しており、女性の本能とも言えるでしょう。年頃になり異性からの関心を集め、自分の中でも自信を確かにするために必要な価値観と言えるかもしれません。 (この箇所、強調は引用者による)…古今東西で共通していると、本能といえちゃうんですか…orz 取り上げたコラムでは、最初に『異性からの嫌がらせ~セクハラ』とタイトルにあるわけですが、「 雇用の分野における男女の均等な機会および待遇の確保等に関する法律」(俗に、セクハラ防止法)には、「第二節 事業主の講ずべき措置 第十一条 事業主は、職場において行われる性的な言動に対するその雇用する労働者の対応により当該労働者がその労働条件につき不利益を受け、又は当該性的な言動により当該労働者の就業環境が害されることのないよう、当該労働者からの相談に応じ、適切に対応するために必要な体制の整備その他の雇用管理上必要な措置を講じなければならない。 」とあり、第九条 (婚姻、妊娠、出産等を理由とする不利益取扱いの禁止等)と違って、被害者(もちろん加害者も)の性別は限定されていないはず。 もちろん、女性から女性へのセクハラもあるし( これとか、 お茶の水女子大ジェンダー研究センターの セクシュアル・ハラスメントの実態と指針検証PDFとか)、男性が被害者の場合( 大阪府総合労働事務所・職場のセクシュアルハラスメントの内容(PDF), P.2からの引用)だと、 男性がセクシュアルハラスメントの被害を受けた場合は、「男にとってはたいしたことではない」「男のくせにふがいない」などの固定的な男性観から、問題そのものを訴えにくいという潜在化や、被害を訴えても取り合ってもらえないなどの二次被害が起こっているといわれています。
ということで。 多分、このクリニックは相談者の性別にかかわらず、セクシャルハラスメント被害関連の相談は、(無自覚に)苦手なんじゃないかと思われたのでした。
参考にしている情報いろいろ ・「 macska dot org in exile」さんの「 セクシュアルハラスメントの動機は性的興味ではない、という話」 まず第一の調査では「女らしい」女性よりも「女らしくない/男っぽい」性格の女性がよりセクハラの被害を受けやすいことが示され、第二の調査ではその結果が「女らしくない」女性が「女らしい」女性に比べてよりセクハラに過敏だからであるという可能性が否定されている。
第三の調査では、女性が多数の職場に比べて男性が多数の職場においてよりセクハラの被害が頻繁であることが報告され、中でも「男性が多数の職場で働く、性格が女らしくない女性」が最も多く被害を受けているとされる。男性が多数の職場とは、すなわち伝統的に男性の役割とされていた職種だから、これらの結果は共通して「職種や性格において、男性の領域に踏み入れた女性の方が、より伝統的な女性の役割にとどまる女性よりも、セクハラの被害を受けやすい」ということを指し示す。
『「女らしくない」女性』がより「支配欲・征服欲」を刺激しがちであるという解釈はあるかもしれないが、しかし、この調査結果はセクシャルハラスメントが「性衝動」によるものであることは支持しないものだろう。 ・「 Imaginary Lines」さんの「 想像できる(できる気になる)ということ」 セクハラオヤジが共感するのはあくまでもセクハラオヤジだ、という理由によるのだろうと思う。つまり、「自分の妻や恋人や娘が~」という言い方をされて初めて自分の行為の問題に気づくような人間の想像力がおよぶ範囲というのはせいぜい「自分の妻や恋人や娘に手を出されちゃった男」の悔しさとか情けなさまでであって、セクハラされた「自分の妻や恋人や娘」の悲しさや悔しさではないのではないかと思う
bluepink氏のコメントより『つまりその文句を「大事な人」ととるような人は女性への共感能力はあるから初めからセクハラなんかやんないし、セクハラやるような奴は「所有物」と考えてるからほとんど効果がない、ということですよね。』 ・ 大阪府総合労働事務所・職場のセクシュアルハラスメント防止マニュアル・ 横浜国立大学の「調査対象者のセクシュアル・ハラスメントに関する認識」「男女とも関心がある者の方が「敏感になりすぎている」と回答する割合は小さい。しかし、その差は男性が4.8%ポイントなのに対して、女性は12%ポイントもあった。セクシュアル・ハラスメントに関心がある女性は、むしろ「意識もまだまだだし、もっと取り組みがなされるべき」と考えているものが多い。 このように、セクシュアル・ハラスメントに関心がない者ほど「過敏になりすぎている」と感じる割合が高く、とりわけ女性についてはこうしたギャップが大きいようだ。」 ・ 名古屋大学の「セクハラの傾向と事例」・ 大阪大学の「「大学におけるセクシュアル・ハラスメントに関するアンケート」のまとめ「学部の女子学生の数が一番多く、女子院生がそれに次ぎますが、学部の男子学生からの回収が極端に少ないのが特徴的です。」 ・ 東京大学 [キャンパスマナー・相談]ハラスメント防止「個人の尊厳を深く傷つけるセクシュアル・ハラスメントは、人格権の侵害である。」 ・ 金城学院大学セクシュアル・ハラスメントの防止と対応に関するガイドライン。「セクシュアル・ハラスメントとは、立場の優位や力関係を利用して行われる、相手を不快にする性的な言動で、相手の学習・研究・労働環境を損なうものをいいます。」「行為者がどんなつもりであったかは、要件ではありません。相手が明確に拒否の意思を表示しないことは、相手が不快でない、望んでいるということではありません。」
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