『 脳のなかの水分子』 - 意識が創られるとき - 中田 力
局所麻酔のように神経伝達をブロックするのではなく、麻薬や覚せい剤のように脳内のある受容体に作用するのでもなく、全身麻酔薬はどのようにして意識を消すのか。
普段飲んでいるアルコールにも似たような作用があるらしい。これも特異な受容体が存在しないが、へべれけに飲めば意識を失う。
飛行機の中で酒に酔いにくいのは、気圧が低いとアルコールが作用しにくいからである。全身麻酔薬にも、同じように大気圧依存性があるらしい。著者の理論では、
全身麻酔薬は脳の中で水分氏のクラスター形成を安定化させ結晶水和物とする。それが、恒温動物の脳で起こる水動態に変化を与える。
読み終わってもまだピンとこないのだが、言わんとするところには非常に興味がそそられる。(先端的な研究者が集まって日夜議論が行われたサンタフェ研究所が、もしかして人類に啓示をもたらすのではないかと思われた、あの複雑系が華やかだった頃を思い出す)
脳はビン漬けの食材のように、頭蓋の中で水に浮かんで活動している。どうやらその水に満たされた状態が、脳が単なるコンピュータ以上の機能を持つための条件のようである。
松岡正剛氏といえば、僕が大学生だったころに情報学の本をばんばん出していて、出るたびに啓示を受けようと図書館でかじりついていた記憶がある。それで『脳のなかの水分子』中田力 松岡正剛の千夜千冊・遊蕩篇を見て思わず読んだ次第だ。詳しい説明はこちらを見るとして、液体の水は物質として他に類を見ないユニークな性質をもっている。
ようは、水素原子2つと酸素原子1つの水分子は絶えずくっついたり離れたりしてイオン化したり、少し大きな塊(クラスター化)になったりしている動的な複合体で、これは物質として他に類を見ない性質であり、全身麻酔薬やアルコールも脳細胞の特定の受容体ではなく、この動的な状態に作用を及ぼすことで、人はへべれけに酔ったり、意識を失ったりしているのだという実証である。本の中ではもっとその神秘性がもっと説明されているが、それは読んでのお楽しみだ。
人間の意識は脳が高度に発達したがゆえのものであることに間違いはないが、物事を一瞬で総合的に判断したり、いわゆる直感で答えを導き出したりするのは、言われたことを言われた手順でやることしかできないコンピューターとの大きな違いである。
しかしそれは、脳神経の細胞構造がいくら膨大な数のネットワークで機能しているといっても、数の力でどうにかなるものではない。それでは単純な脳しかない昆虫やネズミの行動を計ることはできないし、またその意識レベルを認められなければ、花を愛でたり動物をかわいがったりすることもできないだろう。人に見つかったゴキブリが実際「うわー!ヤバス!」と叫んでいるわけではないが、その状態で逃亡を図っているのだということは、崖の上のポニョが人面魚であることと同じように間違いないことなのだ。
つまり(何が「つまり」だが)、水がまさに渦を巻いて熱対流するように、脳も渦を巻いていわば全体が常に発火しているような状態が我々の「意識」であるという結論である。p163の一節を少し手前から引用しよう。
脳には乾いた空間がある。それは、グリアのマトリックス構造と相まって、ニューロンネットワークを保護する緩衝材を作り上げている。ラジアル線維が消失したあとの空間を乾いた空間として保つことによって、最も効果的な冷却装置を保証し、かつ、実質的な球形を保つことによって、脳皮質全体に、熱放射による等価のノイズを与える。意識とは、実質的なエントロピー空間である大脳皮質に起こる最もエントロピーの高い状態、つまりは、等価のノイズが作り出す現象である。現象論的にいえば、大脳皮質のニューロンがランダムに発火している状態である。脳が情報を受け入れる準備のできている、覚醒した状態である。
これが一般人向けの説明ということであれば、まずこの息つく間もなしのたたみかけっぷりからその内容まで、さま~ずの三村並みに突っ込みたくなる。エスタブリッシュな脳科学分野ではこの理論は「おかしな話」でもあるそうで、とはいうものの著者はノーベル賞に最も近い研究者なんちゃらにも選ばれていて、MRIの権威でもあるらしい。そんな人がこんなロマンチックな話を前のめりになって聞かせてくれたので、僕はうれしくなった。少なくとも女を口説くには話しの内容ではなく話し方であるということは学べる。
「神はサイコロを振ってはいないが、たくさんコインを投げているのである」という話を有名なマルコフ連鎖から説明されており、それが大脳の形をどう作っているかという仮説は、表紙の画像にも紹介されているが、そこから脳の中の意識の形成にどう結びつくのかというところが、一般向けの本としては説明不足だろうか。それができればノーベル賞なんだろうけど。