Deconstruction(ディコンストラクション/デコンストラクション)。フランスの哲学者デリダの用語。西欧の形而上学に対する批判的な態度、または解読の方法。テキストやシステムに内在する矛盾を暴き出し、再構築すること。1988年、フィリップ・ジョンソン監修によるニューヨークMoMで開催された「ディコンストラクティヴスト・アーキテクチュア展」は、デリダのこの方法に強く影響された建築家達が一同に会した。
[論考]
序─低い声 四本の柱が立ち、そこに屋根を架けた小屋は住宅の原型なのだろうか? [〈それ〉溝は作動している]あるいは、一本の柱が太古の平野に立てられた瞬間に構築が...気味なものの場所であったことを言語的に示す、脱構築的な手続きである。不気味さはいわゆる美しい...
『10+1』 No.05 (住居の現在形) | pp.130-145
[批評]
...の大きなグループに分類できる。一方は建築の脱 構 築(デコンストラクション)の支持者を自称し、ジ... ...リー、ジェフリー・キプニスら、いわゆる建築の脱構築主義者(デコンストラクティヴィスト)が含ま...
『10+1』 No.16 (ディテールの思考──テクトニクス/ミニマリズム/装飾主義) | pp.188-205
[対談]
...に、こうした速度のイデオロギーを路上において脱構築しようとしていた。このような動向も含めて、... ...ション活動の一端を担うようになった。それが「脱構築主義」と名付けられた理由は、七〇年代以降の...
『10+1』 No.15 (交通空間としての都市──線/ストリート/フィルム・ノワール) | pp.74-91
[インタヴュー]
...なのよ。 ビアトリス・コロミーナ建築的思考を脱構築に適用する MT──ウィグリーさん、あなたの『デ... ...のは、建築の観点から見た脱構築のきわめて詳細な研究だった。それは脱構築を建築に適用するという...
『10+1』 No.11 (新しい地理学) | pp.41-46
[ブック・レヴュー]
...要な役割を演じるようになっていく。否定神学と脱構築との関係について論じた「どうして語らないか... ...プシュケー』所収』])で強調するように、本来脱構築とは構築の反対物ではなく肯定的な作業であり...
『10+1』 No.35 (建築の技法──19の建築的冒険) | pp.44-46
[ブック・レヴュー 1]
...ダにしても、脱構築の実践はたんに破壊的であるばかりではない。デリダが自らの脱構築をハイデガー... ...的な破壊から区別するとき、焦点になるのは脱構築が負う責任である。来るべき民主主義への約束に対...
『10+1』 No.36 (万博の遠近法) | pp.44-46
[論考]
...九八三)はフランスの哲学者ジャック・デリダの脱構築概念を単純化しつつ理論的に日本の文脈と関係... ...準にあったが、デリダたちの複雑なテクスト論や脱構築の議論に対応するようなピーター・アイゼンマ...
『10+1』 No.32 (80年代建築/可能性としてのポストモダン) | pp.78-92
[翻訳論文]
...ストラクション」と呼んだ。この語は、日本で「脱構築」と訳されることが多い。またデリダは、デコ... ...★六——Mark Wigley, "Deconstructivist Architecture", in DECONSTRUCTION Omnibus Volume, Andreas Papadakis, Catherine Cooke & Andrew Be...
『10+1』 No.32 (80年代建築/可能性としてのポストモダン) | pp.129-144
[批評]
...の基盤を掘り崩してしまう(あえて私はこれを「脱構築」と言う)ものとみなしてきたのである。この... ...トモダニズムは文化的大衆のなかで開放者になり脱構築を行なう力であるということは真摯に受け取っ...
『10+1』 No.11 (新しい地理学) | pp.85-104
[翻訳]
...ェン・チュー自身が行なった、トンチー肯定的な脱構築的な読みに少し比肩しうるようなものを行なう... ...クシュアルな繁殖/再生産のシステムについての脱構築的説明は、ツァン・ツィーウェイの “Yi Tongshen...
『10+1』 No.40 (神経系都市論 身体・都市・クライシス) | pp.130-143
[現代建築思潮]
...思想家や文学者が西欧からさかんに移入していた脱構築(創造性や主体の否定)は、もともと他人志向... ...、われわれの実感としての日本的自然は、構築対脱構築という二項対立の枠内に入っていないのだ。こ...
『10+1』 No.36 (万博の遠近法) | pp.47-54
[批評]
...代後半、デリダの弟子筋にあたるイェール学派の脱構築(ディコンストラクション)批評とクリステヴ... ...ゴセントリズムが批判・解体され、つまるところ脱構築の対象となるわけである。こうして八〇年代後...
『10+1』 No.14 (現代建築批評の方法──身体/ジェンダー/建築) | pp.84-85
[批評]
...、詩の言説は「イメージを複製されること以上に脱構築することを」求められている、と詳述している... ...スを、マルクス主義を、そしていろいろなものを脱構築してきた。そして、もちろんのことだが、建築...
『10+1』 No.07 (アーバン・スタディーズ──都市論の臨界点) | pp.92-108
[鼎談]
...大さ」の概念を崩していくというかたちで、より脱構築的な方向に動いていった。建築はこのような美... ...ス」的なものともち上げたことがありましたね。脱構築的なジェンダー論からは批判される二項対立で...
『10+1』 No.14 (現代建築批評の方法──身体/ジェンダー/建築) | pp.62-81
[キーワード]
...構造。それは、科学的決定論の否定ではなくその脱構築であり、必然と偶然をめぐる逆説的な視座、そ... ...。同じくポストモダンの傾向を表わすものとして脱構築や批判的地域主義を挙げながらも、ジェイムソ...
『10+1』 No.19 (都市/建築クロニクル 1990-2000) | pp.68-87
[論考]
...はバ─バが展開しているような「国民=国家」の脱構築的批評や、スピヴァクらの作業とかけはなれて... ...る。単純に要約すれば、洗練されすぎた一連の「脱構築」以後の議論はマイノリティのための政治から...
『10+1』 No.04 (ダブルバインド・シティ──コミュニティを超えて ) | pp.33-51
[対談]
...リーが表にたっている。彼の『The Architecture of Deconstruction: Derrida's Haunt』(MIT Press, 1995)はデコン論にみ... ...築するという意味も含ませようとしているから、脱構築がいいか、ともいえる。ともあれ、僕なりの理...
『10+1』 No.32 (80年代建築/可能性としてのポストモダン) | pp.62-77
[論考]
...激に体験したことになる。 (2)理想都市計画を脱構築するgeneral mobilizationの思想 戦争を挟んで丹下は... ...震コアを据えて無限定床で取り巻いたが、これを脱構築したはずのジョイント・コアはその論理的裏づ...
『10+1』 No.50 (Tokyo Metabolism 2010/50 Years After 1960) | pp.80-95
[Urban Tribal Studies 5]
...とができると考えており、空間の(デリダ的な)脱構築を行なう契機として「中立性=矛盾」としての... ...からのアートの逃走として解釈され、デリダ的な脱構築やラカンの精神分析はテクストの真理からの逃...
『10+1』 No.17 (バウハウス 1919-1999) | pp.208-218
[批評]
...★二七。今世紀初頭にジャック・ラカンの教えが脱構築したものこそ、まさに自我理想の垂直的な書き... ...の映画『建築家の腹』の分析を通じてこの伝統の脱構築を試みている。次も参照。David Wills, "Rome, 1985," in...
『10+1』 No.14 (現代建築批評の方法──身体/ジェンダー/建築) | pp.100-119
[Urban Tribal Studies 12]
...体としての人間(agency)の概念にはかなり入念な脱構築が必要だろう。ウィリスに関しては、いまだウ... ...ダニズム(ブリコラージュ、シュルレアリスム、脱構築……)との関係で、労働力概念を表現やパフォ...
『10+1』 No.25 (都市の境界/建築の境界) | pp.205-214
[批評]
...にやってくる。すなわち、その伝統的なやり方の脱構築的な美学化と、批評的形式としてそれを解放し... ...“Weak Thought and Postmodernism: The Italian Departure from Deconstruction”, Social Text, no.18.1987/1988, pp.39-49. バッラドリー...
『10+1』 No.16 (ディテールの思考──テクトニクス/ミニマリズム/装飾主義) | pp.129-154
[対談]
...ういった一八世紀のピクチャレスクという図式を脱構築して、ピクチャレスク美学を裏打ちするものと... ...みで言うと、伝統的な美術史内部の視覚の変容を脱構築していくうえで、ステレオスコープを持ち出す...
『10+1』 No.09 (風景/ランドスケープ) | pp.58-67
[批評]
...統的な建築におけるアーキテクトニックな要素を脱構築することを企てていた。「技術的、経済的な領... ...的な性格は内部と外部の関係における形而上学を脱構築している[図6]。第二に、アーキテクトニック...
『10+1』 No.16 (ディテールの思考──テクトニクス/ミニマリズム/装飾主義) | pp.102-109
[座談会]
...と思うんですよ。これは地理学の政治性に大きな脱構築をもたらした状況だと思います。 多木浩二氏吉... ...降なんです。イギリスのJ・B・ハーレーが地図を脱構築するといって地図と権力の関係を問題化していま...
『10+1』 No.11 (新しい地理学) | pp.64-84
[論考]
...いる。 フランスの哲学者ジャック・デリダの「脱構築」という概念から多くの影響を受けて、ダンスを... ...るウィリアム・フォーサイスだった。いわゆる「脱構築」というその方法論による身体の動きの軌跡は...
『10+1』 No.03 (ノーテーション/カルトグラフィ) | pp.146-161
[批評]
...確定な漂流・デリダの経験的な低回(終了不能な脱構築)・ハーバーマスの理想的な発話のコミュニテ... ...アルチュセールの科学的マルクス主義、デリダの脱構築、ローティのリベラリズム、ハーバーマスの人...
『10+1』 No.07 (アーバン・スタディーズ──都市論の臨界点) | pp.109-124
[ラディカリズム以降の建築1960s-1990s 6]
野蛮ギャルドの住宅 それは大地に「映える」のではなく、大地から「生える」建築だった。数年前、建築史家の藤森照信氏が設計した《神長官守矢史料館》を見に行ったとき、...らが引き継がざるをえない世界文化の全側面を「脱構築」しなければならない。第二に、それは総合的...
『10+1』 No.18 (住宅建築スタディ──住むことと建てることの現在) | pp.205-216
[都市表象分析 4]
1 蜂起機械と暴力の神 一九九九年に刊行された福田和也による奇妙な書物『日本クーデター計画』には、「自由の擁護者たちに捧げる」という献辞につづけて、クルツィオ・...とシミュラークルの支配であったとすれば、北が脱構築しようとしたのは国体という「シニフィエの空...
『10+1』 No.22 (建築2001──40のナビゲーション) | pp.2-13
[現代住宅研究 7-4]
装飾とモダニズム やや意外な「装飾」の話から。およそ一〇メートル角のスラブを空中に浮かべた《スカイハウス》(菊竹清訓、一九五九)[図1]は、そのスラブにムーブネ...きた装飾/機能という分類は、現世的な文脈から脱構築されたと言える。現代住宅をめぐって「装飾」...
『10+1』 No.24 (フィールドワーク/歩行と視線) | pp.24-29
[ラディカリズム以降の建築1960s-1990s 3]
地震とディコンストラクション 一九九五年一月一七日未明、阪神地方をマグニチュード七・二の直下型地震が襲った。 筆者は当時、エディフィカーレの展覧会の準備に忙しく...説が、案の定、建築雑誌をにぎわせた。しかし、脱構築的な思想や地震をメタファーにしたディコンス...
『10+1』 No.15 (交通空間としての都市──線/ストリート/フィルム・ノワール) | pp.243-253
[脱芸術脱資本主義をめぐるノート 3]
今回は、今までの懸案であった〈脱芸術/脱資本主義〉という概念そのものを(私が今了解している限りにおいて)説明しよう★一。 前回のソロスの分析にもあったように、世...う(超)資本主義の象徴的売春装置により、その脱構築的力を急速に失い、むしろ(超)資本主義の文...
『10+1』 No.20 (言説としての日本近代建築) | pp.36-38
[非都市の存在論 6]
1 啓蒙都市とグラフ理論 トポロジーの一分野をなすグラフ理論が生み出されたきっかけの一つが、〈ケーニヒスベルクの七つの橋〉の問題である。それは一八世紀、東プロイ...五頁。 ★一三──東浩紀「二つの手紙、二つの脱構築──デリダ試論II」、『批評空間』第七号(太田...
『10+1』 No.10 (ル・コルビュジエを発見する) | pp.18-29
[知の空間=空間の知 5]
テスト夫人の手紙 「この種の男の生存は現実界においてはせいぜい四、五〇分を越えることは不可能だろう」とヴァレリーの言うあの「神のない神秘家」テスト氏に、ここでも...。「タクシノミア」空間へと向けられた一種の「脱構築」作業とも言える。庭園=白紙=破局 ちょうど...
『10+1』 No.09 (風景/ランドスケープ) | pp.2-13
[都市論の系譜学 2]
「アーバニズム」(都市論=都市計画)とは都市が抑圧し、排除し、外部化してしまった何ものかの投射、射影ではないだろうか? 一般に「アーバニズム」は、われわれが都市...され、高められる」。考えてみれば、デリダの「脱構築」やハイデッガーの「解体」とは、その屋台骨...
『10+1』 No.02 (制度/プログラム/ビルディング・タイプ) | pp.274-285
[建築とイマージュ 2]
建築をその二次元的な画 像(イマージユ)の形に還元した上でそこからさまざまな 隠 喩 (メタフオール)を読みとる、建築に対するそうした理解の仕方には可能な限り禁...も依存している。構築作業の内部でのこのような脱構築の例を示されては、思考が依然建築から学ぶこ...
『10+1』 No.06 (サイバーアーキテクチャー) | pp.31-33
[建築の言説、都市の言説 3]
建築と都市の遭遇した最大の危機は、大規模な破壊と急ごしらえの建設を繰り返し、イデオロギーの存立基盤さえも崖淵に追いやった今世紀を措いて他に考えられない。表面上の...会的関係の再構築へ向けた「既成言語(観念)の脱構築」と捉える立場は、特定の時代を扱った場合に...
『10+1』 No.07 (アーバン・スタディーズ──都市論の臨界点) | pp.28-31
[政治の空間学 4]
1 下北沢で起こっていること すでにご存じの方も多いと思うが、現在東京の世田谷区にある下北沢という街が「存亡の危機」に直面している。 下北沢といえば、新宿へと通...アリティ、意味と空間との整合的な関わり方を「脱構築」するリアルをそのものとして指し示していく...
『10+1』 No.40 (神経系都市論 身体・都市・クライシス) | pp.284-290
[建築の言説、都市の言説 8]
多木浩二氏(以下敬称略)が「今後基本的に建築を論じることはないだろう」として瓢然と建築界に背を向けてから、かれこれ一〇年が経過している。それでも本誌のバックナン...テムのまわりで盆踊りに余念がない。始めから「脱構築された」論議をいくらつみ重ねても、得られる...
『10+1』 No.12 (東京新論) | pp.30-31
[都市表象分析 8]
1 テロリストたちの夢と遠隔科学技術(テレ=テクノロジー) 対米同時多発テロの首謀者とされたウサマ・ビンラディンとその組織「アルカイダ」、および彼らをかくまって...ロッパ文化の(つまり世界ラテン化の)内部から脱構築的に、単数定冠詞つきで思考されるかぎり、こ...
『10+1』 No.26 (都市集住スタディ) | pp.2-9
[都市表象分析 12]
一、「アメリカのイコン」 二〇〇一年九月の同時多発テロによって崩壊したニューヨーク世界貿易センター(WTC)跡地では、二〇二年五月三〇日に犠牲者の遺体捜索と瓦...ロジェクトでは、彼の提案はしばしば、いかにも脱構築的なフォルマリズムに陥る)。だが、そもそも...
『10+1』 No.30 (都市プロジェクト・スタディ) | pp.2-12
[Urban Tribal Studies 9]
今回も前回に引き続き、TJ(Text Jockey)という位置=立場について考えるために、最近出版、発表されているクラブやレイヴカルチャーについてのいくつかの著...物質性、ダンスの身体性、女性性……の側からの脱構築という図式がさまざまなかたちで変奏されてい...
『10+1』 No.21 (トーキョー・リサイクル計画──作る都市から使う都市へ) | pp.187-198
[音楽批評の解体文法 5]
誕生から約一世紀半にわたる音楽学の歴史は、テクスト中心主義からコンテクスト主義へのゆるやかな移行の歴史として描くことができる。人文学の一分科としての音楽学が確立...闘することではなく、これら倫理的言明の解読と脱構築を推進することによって、窮屈で混乱した音楽...
『10+1』 No.30 (都市プロジェクト・スタディ) | pp.24-25
[連載 8]
17 機能主義という抽象モデル ル・コルビュジエの一連の都市計画のモデルは機能主義的ともいわれるわけだが、もはや自明なものとしてその思想史的な意味を問われること...的な文化のコンテクストを極限にまで拡大する(脱構築する?)ような血脈を引いている。 『今日の装...
『10+1』 No.45 (都市の危機/都市の再生──アーバニズムは可能か?) | pp.198-212
[論考]
1 デヴィッド・ハーヴェイは、第二帝政期からパリ・コミューンに至る時期を中心としたパリについての著書『パリ──モダニティの首都』の序章で、「過去との根本的断絶を構成するもの」としてモダニティを捉える「神話」について改めて僕らの注意を喚起している。「この断絶はおそらく、過去に準拠せず、あるいはもし過去が障碍となるならそれ...
『10+1』 No.47 (東京をどのように記述するか?) | pp.102-110
[政治の空間学 3]
4 都市的帰属と公共性 物理的環境を整えることにより完全なる積極的自由(自律)を人びとに保障しつつ、自由をめぐるディスクールを消極的自由の周辺を旋回するものにと...ニ専制/無所有の領域での放縦」という二分法を脱構築する「公共性」のあり方を模索している。地域...
『10+1』 No.39 (生きられる東京 都市の経験、都市の時間) | pp.185-193
[映像のトポス 4]
1〈機械の言説〉──英雄的個人主義 機械は、諸言説の外部にあってそれを産出する〈現実的な〉力の源泉ないし集合であると同時に、それ自体が言説の主要な構成契機として...間の身体を、フィルムのテクノロジーが誇張し、脱構築する仕方」に、チャップリンの『モダン・タイ...
『10+1』 No.16 (ディテールの思考──テクトニクス/ミニマリズム/装飾主義) | pp.20-29
[都市表象分析 27]
カメルーンの熱帯雨林に棲息し、トメンテラ属菌類に寄生されて額から釘のような突起物を生やした「異臭蟻」メガロポネラ・フォエテンス、あるいは、イグアスの滝近くの保養...タフォードは、「言語狂い」のポスト構造主義や脱構築批評からの訣別と、詐術やまやかしといった悪...
『10+1』 No.45 (都市の危機/都市の再生──アーバニズムは可能か?) | pp.2-12
[脱芸術/脱資本主義をめぐるノート 8]
なぜ、未だに、これほどまでに「芸術」という言説に対して無自覚でいられるのか。しかも、「芸術」を手放しで信仰できるのか。 いわゆる「現代美術」業界の人々(アーティ...に、あたかもポストモダニズムによる「芸術」の脱構築とその社会への広告的溶解などなかったかのよ...
『10+1』 No.25 (都市の境界/建築の境界) | pp.22-23
[「悪い場所」にて 15]
旅先のホテルで久しぶりにテレビをつけると、日曜だけあって各局趣向を凝らしたセットを組んではいるのだが、それらが一様に卑俗な秋の日本美をなぞっているようで朝から気...とができた既出の作家の営みが、妙に男性的な、脱構築的な仕事として特徴づけられ、語り口の背後に...
『10+1』 No.45 (都市の危機/都市の再生──アーバニズムは可能か?) | pp.37-39
[都市とモードのフィールドノート 3]
現代日本の建築とファッションは元来西洋から輸入されたものである。 それぞれ経緯は異なるにせよ、長い間かかって人々が生活や歴史の蓄積のなかで醸成した文化を駆逐する...は衣服の文法を問い直す手法をとっていたので「脱構築的」と形容された時期もあったが、衣服の構造...
『10+1』 No.34 (街路) | pp.37-39
[都市とモードのフィールドノート 4]
建築とファッションの境界が揺れ動いている状況を見てきた。 表参道や六本木には有名建築家の手になるブランドの旗艦店が林立し、そこは高価な商品とともに現代建築をも消...てきたデザイナーである。そのデザインはときに脱構築とも呼ばれてきたが、川久保はただ既成価値を...
『10+1』 No.35 (建築の技法──19の建築的冒険) | pp.34-36
[論考]
...七──Clara Weyergraf-Serra and Martha Buskirk(eds.), The Deconstruction of Tilted Arc: Documents , The MIT Press 1991, p.67. ★八─...
『10+1』 No.27 (建築的/アート的) | pp.132-141
[対談]
1 空間と制度 多木…ビルディング・タイプという概念は、社会学的というよりむしろ建築論的な概念です。しかしどんな時代でも、特定の社会的機能を持った建築の類型を作...、制度と施設が、実は一致しないというひとつに脱構築的な──フーコーとデリダの立場は狂気の問題...
『10+1』 No.02 (制度/プログラム/ビルディング・タイプ) | pp.26-49
[批評]
「毎夕の散歩のたびに、私はこの遺棄された自動車たちのわきを通りすぎなければならなかった。だが見なれるにつれて、しだいに、彼らが侵略者ではなく海岸線の完全な一部の...ュナ(竜樹)による同一性と現前のラディカルな脱構築にしたがって、最終的休止や終止ではなく、決...
『10+1』 No.07 (アーバン・スタディーズ──都市論の臨界点) | pp.61-73
[論考]
1 ペリフェリー われわれの眼前には多くの新しいリアリティがある。未だかつてないような動きが展開されると、既存の規範(デイシプリン)(概念、手法、価値基準ほか)...てぼやけるということになる(身体と性の限界の脱構築?)。建物は、この過剰な負荷を受けた身体を...
『10+1』 No.01 (ノン・カテゴリーシティ──都市的なるもの、あるいはペリフェリーの変容) | pp.34-51
[論考]
西洋の想像力にとって日本は二つある。ひとつは急速かつ濃密、雨に濡れてネオンのまたたく、ぎゅうぎゅう詰めの人工的カオス。もう一方は静かかつ平穏、謎めいて官能的な、...れと低俗をひるむことなく記録して、日本社会を脱構築している荒木経惟の写真でさえも、あまりに安...
『10+1』 No.23 (建築写真) | pp.157-159
[論考]
ポストモダニズムと後期モダニズムは過ぎ去ってしまった。第二のモダニズム、デコンストラクティヴィズム、ニュー・シンプリシティといったなかで、何にもまして生き長らえ...適用可能なスタイリスティックなプログラムへと脱構築されたりつくり直されたりすることもなかった...
『10+1』 No.23 (建築写真) | pp.160-166
[論考]
1 DNAと歴史 多木…今回の特集はノーテーションです。ノーテーションとは単純化して言いますと、知を要素に形式化し、同時にそのシステムを見出し、それらの...にもなるということですが、今西欧の彼らが知を脱構築するといっているのは、実は忘れていた長かっ...
『10+1』 No.03 (ノーテーション/カルトグラフィ) | pp.192-203
[批評]
細部・ディテール・納まり 塚本由晴──OMA/レム・コールハースのディテールは、安っぽいとか、素人だとか、長持ちしそうもないとか、結構悪い評判を聞くけど、逆にこ...ラージュ的な構成であったダンスシアターから、脱構築的なクンスタル、不一致な一致を思わせるダラ...
『10+1』 No.16 (ディテールの思考──テクトニクス/ミニマリズム/装飾主義) | pp.80-89
[論考]
...ble, Routledge, London, 1992. ★八──上原雄史「残骸と脱構築の交差点」(『READINGS:1──建築の書物/都市の...
『10+1』 No.19 (都市/建築クロニクル 1990-2000) | pp.165-172
[アメリカ]
一九八〇年代、九〇年代のロサンゼルス(以下LA)における、非常に疑わしい修辞として、《ゲティ・センター》に対して費やされたものがある。たしかに《ゲティ・センター...ル・クラウド」の建築(おそらくは最初のポスト脱構築主義デザイン)を提案した場所に近いフリーウ...
『10+1』 No.22 (建築2001──40のナビゲーション) | pp.84-88
[日本]
1962年兵庫県生まれ。1994年、建築都市計画研究所ateliera+a設立。現在、岡田哲史建築都市計画研究所代表。主な作品=《上麻生の家》《冨士山麓の家》《...の建築的変遷すなわちポストモダン的折衷主義─脱構築的理性解体主義─モダン回帰的ライトコンスト...
『10+1』 No.22 (建築2001──40のナビゲーション) | pp.158-159
[鼎談]
建築と書物の親和性 永江朗──「建築家はどのように書物と関わるのか」というのがこの鼎談のテーマです。最初に素朴な感想をもうしますと、芸術家のなかで建築家ほど書物...シティ」ということを言ってみたりしました。「脱構築」は象徴的な言葉なんでしょうが、そうした思...
『10+1』 No.38 (建築と書物──読むこと、書くこと、つくること) | pp.54-70
[批評]
ネット・メディア時代の首都の夢 ドイツの新首都ベルリンは、奇しくも意義深い一千年紀転換の直前にヨーロッパ最大の建築現場となった。単にドイツという国の首都の(再)...サードや目新しい建築イメージや、耳目を驚かす脱構築的形態への傾向は、要するに、技術的媒体によ...
『10+1』 No.13 (メディア都市の地政学) | pp.105-114
[批評]
古い世界秩序の死と新しい世界秩序の誕生との間の過渡期にわれわれは生きているという主張は、今やある種のクリシェとなっている。さまざまに異なる理論的シェーマが、この...能となる。冷戦末期にジオポリティクスに対する脱構築的アプローチとして統合された批判的ジオポリ...
『10+1』 No.13 (メディア都市の地政学) | pp.200-212
[論考]
監視社会/都市論の「届かなさ」 ここ数年、私たちの生活世界をデータ化・管理化していく監視社会、監視都市の政治性を批判的に検討する論稿が続々と提示されています。新...のまなざしが、鳥瞰的・地図的管理のシステムを脱構築することができる、と考えていたド・セルトー...
『10+1』 No.33 (建築と情報の新しいかたち コミュニティウェア) | pp.150-162
[論考]
建築における、その理論と実践(現実)の乖離——このような傾向が露になってきたのは一九世紀半ばからの建築を含めた美学に起因するであろう——を嘆く者。いや、理論が現...明が、ポストモダンと並行して叫ばれた建築の〈脱構築〉の本質を言い当てているだろう——を命じら...
『10+1』 No.32 (80年代建築/可能性としてのポストモダン) | pp.158-168
[論考]
1 セクシュアリティが構成する空間 次のようなシチュエーションを想像してみてください。一〇月のある日曜日の午後、あなたはJR新宿駅東口を出て、青い秋空の下で新宿...遍性を礼賛した合理主義に代わって、八〇年代の脱構築主義建築ならびに九〇年代以降のノンスタンダ...
『10+1』 No.40 (神経系都市論 身体・都市・クライシス) | pp.118-129
[論考]
1 ヴァーチュアル・ハウスと襞の形象 インターネット環境がパーソナルなレヴェルで普及していった一九九〇年代に、さまざまな分野で「ヴァーチュアル・リアリティ(VR...のような形でのデリダの援用であろう。そこでは脱構築されるべきシステムの亀裂が、格好の「プレゼ...
『10+1』 No.40 (神経系都市論 身体・都市・クライシス) | pp.184-191
[論考]
0 前口上 既存の環境に学ぶことは革命的である ロバート・ヴェンチューリ 『10+1』のように「シリアス」な雑誌の読者からすれば下らない設問に見えるかもし...した一種の国内植民化によってボーダーの意味を脱構築してしまった地域(非・地域?)では、これま...
『10+1』 No.50 (Tokyo Metabolism 2010/50 Years After 1960) | pp.62-76
[翻訳論文]
ベルナール・チュミが、ピーター・アイゼンマンとジャック・デリダに、パリのヴィレット公園にあるプロムナード・シネマティック沿いの庭園のひとつを一緒にデザインしてみ...ることによって、保守だけでなく革新の目論見も脱構築する。これ以外の意味で、デコンストラクショ...
『10+1』 No.32 (80年代建築/可能性としてのポストモダン) | pp.117-128
[論考]
スパイストラートを離れて アムステルダムに生まれ育った人は誰しも、環状の運河に閉じ込めようとする動きと、この都市から外に向かう道路を使って中心を離れ去ろうとす...はなく、 それらを意識的に 混乱させる 脱構築する 再構成する ことを目的とする 空間的...
『10+1』 No.25 (都市の境界/建築の境界) | pp.151-168
[批評]
第二次世界大戦後のこの五〇年の間に、建築に重大な影響を及ぼすパラダイム・シフトが生じた。それは機械─力学(メカニカル)から電子─情報(エレクトロニック)へのパラ...──視覚を制圧してきた内/外のヒエラルキーを脱構築すること──を目論む多くの戦略の、ほんのひ...
『10+1』 No.14 (現代建築批評の方法──身体/ジェンダー/建築) | pp.191-196
[対談]
建築の下部構造としての「建築等」 岡崎── 僕は中谷さんに、建築の世界にとって、いわば異物だと呼ばれました。確かに自分でも、いつのまにか建築の人と接する機会が増...ら発していて、それを徹底させることで分離派を脱構築してしまっている。つまり建築を、表面的な見...
『10+1』 No.14 (現代建築批評の方法──身体/ジェンダー/建築) | pp.197-210
[批評]
1 軸線と権力 一九八〇年から続けられているダニ・カラヴァンのプロジェクト「大都市軸」[図1]は、パリの西北に位置する町セルジ・ポントワーズに設置された一二の滞...午線としての人間存在というハイデガーの表象を脱構築するような、もう一本の、ベンヤミン的な〈形...
『10+1』 No.15 (交通空間としての都市──線/ストリート/フィルム・ノワール) | pp.92-103
[批評]
クロス「何を相手にしてるかわかってるつもりらしいが、きみはな、わかってないぞ」 ギテス「チャイナタウンで地方検事も俺にそう言ったもんですよ」 ──『チャイナタウ...ものにしている]のだ。スー・ベストは「空間の脱構築」のなかでドイッチュに同意し、次のように考...
『10+1』 No.15 (交通空間としての都市──線/ストリート/フィルム・ノワール) | pp.195-207
[論考]
もしアレグザンダーが批判的まなざしを通して再召喚されているのだとしたら有意義でしょう。しかし先ずは忘れ去られた経緯について書いておくべきでしょう。 クリストファ...スやその統括者としての「建築家」という職能を脱構築してしまう恐れがあったからだと主張しておき...
『10+1』 No.49 (現代建築・都市問答集32) | pp.144-145