鉄からニギハヤヒへ、そしてカタカムナへ
まずyasuさんからのメールの紹介から。
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---Original Message---
From: yasu
Sent: Sunday, January 03, 2010 1:32 PM
To: ふるいちまゆみ
Subject: 鉄
信濃の鉄ものがたり読んでる?
まゆみさんの言うこともやることも、
いつもほんとは答えがわかってて答えあわせしてるみたいだよね。
他にもいろいろ書いてあるけどその一部。
信濃の鉄ものがたりの 85 御牧ヶ原散歩
サ・シ・ス・セ・ソの音はすべて「鉄」の意と言われている。
95 伝承を読む
山に入り鉱物資源を探すことが修験者に課せられた
任務の一つではなかっただろうか。
107 八面大王 伝承地を行く
上古代の韓国に「穢(えぇ)」と呼ばれた強力な部 族国家があり、紀元前8世紀以前から、
朝鮮半島北 端の豆満江岸茂山の嵌入地帯の砂鉄が豊富に集まる
「三日月地帯」に製鉄国を築いていた。
穢=?(ワ イ)らしい
↑穢=?(ワイ)らしいけど、穢多(えた)もこの あたりからきてるんじゃないかな。
日本に先に移っ てきた製鉄民族?
図書館で古代製鉄物語って言う本借りてきてパラパラめくってたら、
ニギハヤヒは製鉄に関係あって、日置郡の日置氏も製鉄に関係してるんじゃないかって。
日置氏は土師氏、忌部氏とならんでニギハヤヒに従う企業連合的な職業氏族だって言う説も紹介してる。
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時間がなくて諏訪以外は読んでいない。
>サ・シ・ス・セ・ソの音はすべて「鉄」の意と言われている。
これはこの前書いたけど、もう一度、大当たり!
『サ・シ・ス・セ・ソはきっと鉄なんだよ。』って書いたものね。
修験者も当たってるね。
穢といえば、
穴と鉄の
『自宅の火が穢れたときには鍛冶屋へ行って
きれいな火を分けてもらうなどの習俗があったこと、』
穴と鉄から「金屋子神」へ、そしてとんでもないことにの
『①金屋子神は人間の女を嫌い、月の穢れ、産の穢れを忌む。』
穢、穢れとはやっぱり鉄だったんだね。
穢(わい)
http://members3.jcom.home.ne.jp/sadabe/tungus/tungus-3-wai.htm
ニギハヤヒも当たったね!
『じゃ、やっぱり、ニギハヤヒ、物部は鉄だ!』って書いたものね。
”ニギハヤヒに従う日置氏”ってなんか凄くない?
H氏とはそういう間柄だったのかも。
彼の本拠地から近くだし、HNはここから取ったそうだし。
日置氏がニギハヤヒを従わせようとしたので、私の産土神であるニギハヤヒが怒った?
いよいよ彼との関係がみえてきたかな?
まだかな?
yasuさんがまた「楢崎皐月って製鉄がらみだよ。」って、メールくれた。
http://www.kumanolife.com/History/katakamuna.html
『軍の要請を受け満州の陸軍製鉄所長兼技術研究所長として技術開発を行いました。』
この前、三木市、三田市と三がつく場所は鉄じゃないかと書いたけど
金鳥山も鉄なのかな?
金かと思ったけど、金属の金かもね。
でもやっぱり金は捨てがたい。
昨日のカタカムナといい、一気に鉄でつながってきた。
鉄→ニギハヤヒ→日置氏(土師氏、忌部氏)・・・カタカムナ→楢崎皐月→鉄
楢崎さんは満州に行ってるみたいだから、あっちでも鉄だったりしてね。
金鳥山が鉄なのか金なのか。
金鳥山と鉄で検索してみた。
Reカタカムナ文献研究者・楢崎皐月考
http://www.marino.ne.jp/~rendaico/gengogakuin/mojikakutokuhico/katakamunagoco/narazakisatukico.htm
『1941(昭和16)年、 陸軍省からの要請を受け満州の吉林(きーりん)製鉄所の陸軍製鉄技術研究所所長として渡満。貧鉄から品質の高い鋼の製造に成功。その後、軍の特務研究に従事。次のような娘の証言がある。 「軍の内密の命令により、今で云う原子力(父は質量勢力といっていた)の基礎研究のようなことをやるためであった。もっとも表向きは製鉄試験場ということで、貧鉄鉱から良質の鉄を精錬する研究なども行っていた」。 ・・・・・日本人として初めて寄進したことから、蘆有三に招じられ一服の茶を勧められた。楢崎はこの時、不思議な鉄製の茶釜を見せられている。蘆有三は、庭の泉水を汲んで入れ、4~5枚の木の葉を揉んで火打石で点火した。その場で出されたお茶は舌を焼くほど熱かった。楢崎は、僅かの火で湯を沸かす特殊な鉄に強い興味を持った。その茶釜を貰い受けたいと訪問を重ね懇請したと云う。』
やっぱり鉄だ。
星製薬のことがあるから、薬と鉄かな。
須磨区に鉄拐山という山があった。
もしかして、鉄道沿線の近くって鉄の産地が多いということはない?
それから3日に記事にした7人の遭難騒ぎがあった寺地山は「神岡だよ」ってyasuさんが。
神岡だったんだね。
神岡と7。
金、銀、銅、鉛、亜鉛を算出していた神岡鉱山。
神岡鉱山、神岡、カミオカンデ、三井のことは過去にたくさん書いたので検索してください。
三井家も鉄だろうね。
三井金属 神岡鉱山ってどんな鉱山?
http://www.mitsui-kinzoku.co.jp/more/kouzan02.html
720 年頃 黄金を産し天皇に献じた口伝あり。
1589 年 越前大野の城主、金森氏の家臣、糸屋彦次郎(後の茂住宗貞)が鉱脈を発見。金山奉行として茂住鉱山、和佐保銀銅山を経営した。
1600 年頃 飛騨地方は江戸幕府の天領となり、文化14年(1816)には前平坑を幕府直轄の鉱山(御手山)とした。
1874 年 三井組が大留・前平・蛇腹・鹿間の各坑(栃洞坑)を買収し、鉱山経営を開始。
1886 年 鹿間谷で洋式鉛製錬を開始。
1889 年 茂住坑を取得し、経営は神岡全山に及ぶ。
1905 年 鹿間選鉱場建設。
1927 年 鹿間選鉱場に優先浮遊法を採用。
1943 年 亜鉛電解工場完成。
1968 年 栃洞坑にトラックレス・マイニング法が我が国で最初に導入。
1986 年 三井金属より分離・独立。神岡鉱業株式会社設立。
2001 年 神岡鉱山鉱石採掘中止。
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- 「カタカムナ ウタヒ」は暗号?(7、ウマシアシカビヒコヂは暗殺された?) 追記
| カタカムナ | 22:48 | comments:37 | trackbacks:0 | TOP↑
私は楢崎皐月氏について日本のニコラ・テスラみたいな人だなと感じています。
以下「カタカムナへの道」からの抜粋です。
>こと「雷現象」については若い頃から研究を積み、当時最高の研究家であった兄の楢崎治と共に実験を重ねたが、不幸なことに兄はその実験の犠牲となった。そして彼自身二度も、5万ボルト・30万ボルトの高圧電流を受けて失神するという危険な体験をしている。
この素養があったからこそ後年、大地電気や植物波、人体波の電気生理の研究、ついには現代科学の理解を超えた宇宙電気(潜象)に関する直感の物理、カタカムナのサトリを解明することにつながったのである。
| 774 | 2010/01/09 00:02 | URL | ≫ EDIT